16、薬師の弟子は、第二王子と出会う
翌日、アルベロ班の捜索した場所を確認し薬草地図を作成したシーナたち。その日はトッレシアへと泊まり、次の日の朝に王都へ向かうこととなった。
シーナと共に王都へ向かうのは、アルベロ班とリベルトたち。エリヒオ班は早朝にトッレシアを出立し、先駆けて王都へと歩を進めているそうだ。
時間より少々早めに集合場所へとたどり着いてみれば、そこに居たのは馬に乗ったリベルト隊。
てっきり歩いて王都へと向かうと思っていたものだから、馬に乗っているリベルトたちを見て驚く。
口を開いたままのシーナを見て、馬に恐怖を抱いていると考えたらしいリベルトは、申し訳なさそうに伝えた。
「歩きだとどうしても半日以上は掛かってしまうからな。移動時間を短縮するためにも、という事で乗馬移動を考えていたのだが……馬は苦手か?」
「あ、いえ。てっきり徒歩で移動するのかと思っていたので、驚いただけです。馬は怖くないですよ」
そうだった、彼らは王都から派遣されている調査隊である。よく考えれば歩きで移動するわけがない。そう一人で納得していると、リベルトが後ろを向いた。
「済まないが、シーナさん用の馬はないので、誰かと共に乗ってもらう事になるが……」
「あ、それでお願いします。流石に馬には乗れないので……」
「であれば、アントネッラに――」
「あ、その事なんですけど〜。私のセバダちゃんは二人乗りで走るのは厳しいかもしれません。歩くのなら問題ないと思うんですが……」
言われて見ると、確かに他の隊員たちが乗る馬よりも小さい。王都まで数時間は掛かるのだが、そこまで走る体力が持たないのではないか、という事だった。そうアントネッラに言われてしまったリベルトは、眉を下げる。
「しかし、男隊員が女性と共に乗るのはどうかと……」
「まあ、確かに男女で乗っていたたら醜聞に繋がりますが、見られなければいいのでは? 王都が近づいてきたらアントネッラの馬に乗り換えてもらったらいいですよ! それなら俺は隊長の馬をお勧めしますね! 一番体力もあるし、速い馬ですから」
アルベロが笑いながら話す。周囲の隊員たちもその言葉に同意するように、首を縦に振っている。
最初は眉間に皺を寄せながら彼を見ていたリベルトだったが、観念したのかひとつため息をつく。そして――。
「私の馬で良ければ乗ってくれ」
「よろしくお願いします」
彼の手を取り、シーナはリベルトの馬に乗ったのだった。
馬が進みだし、ぐんぐんとトッレシアの街並みが小さくなっている。
今までに経験したことのない速さに目を輝かせていると、後ろから声が聞こえた。
「馬に乗った事がないのだろう? 大丈夫か?」
声質からしてどうやらシーナの事が気掛かりらしい。彼女は少しだけ顔を後ろへと向けた。
「問題ありません! むしろ初めての経験なので楽しいです!」
そう弾んだ声で言えば、彼もほっと胸を撫で下ろしたようだ。
「なら良かった。ちなみにもう少し速度を上げても良いだろうか?」
「ええ、ええどうぞ!」
更に速くなる馬にシーナは楽しげに鼻歌を歌う。そんな楽しそうなシーナを微笑ましい目で見ているリベルトに最後まで彼女が気づく事はなかった。
数時間ほどリベルトの馬に乗った後、途中でアントネッラの馬へと乗った。彼女から後一時間ほどで王都が見えてくる、と言われ本当にその通りになった。
ヴェローロの王都よりも高い壁が街を囲っている。彼女が言うには、ナッツィアの王都の周囲が山だからか、魔獣が街の付近に降りてくる事があるらしい。
その防衛のために壁が高いのだ、と言う事なのだ。
それ以外にも様々な話を聞きながら、シーナは言われるままにリベルト隊の後ろを着いていく。
王宮に来た時は「やっぱりな」という納得の気持ちだった。
戦々恐々と王宮内を歩いたが、シーナがリベルトの後ろを歩いていたからだろうか。すれ違う相手に首を傾げられたり、目を見開かれた事はあったが、蔑むような視線が無かったのでそこは有り難かった。
これなら恐るるに足らず。とリベルトへ心の中で感謝を告げていたシーナだったが……。
まさか最終的に向かう場所が第二王子殿下の執務室だとは……この時は思いもしなかったのだ。
王宮に入ったリベルトは、彼を待っていたエリヒオ班と合流する。そこでリベルトとシーナの二人は次なる場所へ向かった。ここで別れるアントネッラに「頑張って!」と言われて首を捻っていたが、その言葉の意味に気付いたのはリベルトがある部屋に入室後、彼の上司である第二王子に声をかけた時の事だった。
「殿下、ただいま戻りました」
「お疲れ様ー。調査書読んだよ。大変だったねぇ」
ははは、と笑う第二王子。その右側で額に手を置いた男性がため息をついている。
「殿下、流石に無茶だとあれ程私が進言したのをお忘れですか?」
「えー、マルコス、ここでお説教はやめてくれないか? 私の威厳が――」
「そうだよマルコス〜。殿下が可哀想だよ〜!」
「ダビド、お前は殿下を甘やしすぎですよ」
「ええ〜」
目の前で茶番が繰り広げられる中、シーナの頭は「殿下」という言葉で混乱に陥っていた。殿下と呼ばれるような方は王族しかいない、つまり――。
「ああ、君がシーナ嬢かな? 噂は予々。今回私たちの調査隊に加わってくれて助かったよー」
「はい、こちらこそ……貴重な経験をさせていただき……」
「あー、そういう堅苦しいのなしなし! もっと気楽に行こうよー」
殿下の軽い言葉に拍子抜けしたシーナは、無意識に顔だけ上げて呆けてしまった。そんな茫然としている彼女に周囲の視線が集まるが、その事を察したリベルトは彼女を背にスッと隠す。
自然に行われた動きに第二王子と側近二人は目を大きく見開く。彼がこのような行動を取るとは思っていなかったからだ。
一方で王侯貴族は平民を石ころのように思っている、と考えていたシーナからすれば、このような対応をされる事に戸惑いを隠せない。驚きのあまり固まった彼女を我に返らせたのは、第二王子の右隣に立っているマルコスという男性のため息だった。
リベルトが前に立ち塞がっているが、シーナの場所からでもマルコスの表情は見える。それは呆れているかのような表情だったため、シーナは不敬だったかもしれない、と身震いする。
マルコスはまたひとつ息を吐くと、第二王子に向かって話し始めた。
「ほら、初対面のシーナさんが困っているではありませんか。もう少し王族らしくしたら如何ですか? あ、シーナさん。口調を崩したくらいで殿下は怒りませんから、顔を上げて下さって結構ですよ? 王族とは思えないこの発言の軽さ……驚きますよねぇ。ああ、不敬だったかも、と考えられているかも知れませんが、全く問題ありませんよ。目の前の殿下はヴェローロのあんぽんたんな王太子とは違いますからね」
「……ぇ?」
礼から直ったシーナは耳から入ってきた全ての言葉に疑問を持った。あんぽんたんな王太子……? それは追放を宣言した彼の事だろうか。目をしばたたかせていると、第二王子の左側に立っていたダビドがケラケラと大声を出して笑い始めた。
「マルコス、毒舌ぅ〜! ほらほら、シーナちゃん見てよ。反応にすっごい困ってるじゃん! もしかして、あの時の事をまだ怒ってるの〜?」
「当然です。知らなかったとは言え、他国の王族に対して上から目線で見下すあの男性には敬意を払いたくありません。むしろ当時14歳で他国の王族の顔名前を覚えていないなんて――」
「あー、はいはい! 止めて止めて。マルコス、これ以上は彼に対する不敬になるからね。まあ、分かっていると思うけど」
「勿論です。身内にしか言いませんよ」
「いや、言われても困るやつ〜」
「あの、申し訳ございませんでした」
なんとなく、あの男なら……いや、唆されてシーナを追放するくらいだ。そんな様子が頭に浮かぶ。ついつい謝罪してしまったシーナに周囲は目を見張ったが、すぐに第二王子は腹を抱えて笑い出した。
「あはは、シーナ嬢は面白い人だねぇ! 自分が悪いわけじゃないのに! ああ、そうだ。今更だけど、自己紹介するね。私はロス・バッテンバーク。この国の第二王子だ。右がマルコス、左はダビドだ。改めて君の名前も教えてくれるかい?」
「シーナと申します。まだ弟子ではありますが、薬師です」
「エリヒオの報告書を見たけれど、君が手伝ってくれて助かったよ。初日の報告を聞いて、どうしようかと思ってたからさー」
「いえ、こちらこそ、貴重な薬草採取をさせていただいて……勉強になりました」
再度お辞儀をすれば、ロスは手をヒラヒラとさせる。
「薬師の君なら無茶な採取はしないだろうと思ったからさ。それよりもジャバニカを守ろうとしてボアに立ち向かった、と聞いた時には驚いたけどね」
「あ、あれは……」
そんな事まで話したのか、と横にいるリベルトの顔を見ると、彼はシーナと視線を合わせないように頬を掻いている。そんなリベルトの様子に口を開いているマルコスと、ニヤけた表情をしている他二人。
まあ、仕方のない事だと自身を納得させたシーナだったが、ふと頭にある疑問を訊ねようと思った。
印象最悪のあの殿下とは違うのだ。質問ひとつくらい許可を得られそう、と思った事も大きい。
「あの、宜しければひとつ教えていただいても良いですか?」
顔を正面に戻すと、ロスと目が合いにっこりと微笑まれる。同時に掌をシーナへ見せてきたので、問題ないだろうと判断した。
「あの、今回は成り行きで調査団に協力させていただきましたが、得体の知れない私を調査団に参加させて良かったのですか?」
シーナ自身は薬と薬草が好きなただの凡人、と思っているが、普通は警戒するのが当たり前だろう。シーナの放った疑問に理解を示したロスは、「普通はそう思うよね」と相槌を打つ。
「そうだねぇ。君が薬草にしか興味がない事、かな。ちなみにいきなりで悪いんだけど、シーナ嬢は隣にいるリベルトの事をどう思う? ああ、これは無礼講にしておくから、何を言っても良いよ」
想定外の事を尋ねられ目を真ん丸にするシーナに、ロスは片目を瞑った。
どう思う? と聞かれても、正直に言えば何も思わないのだが……目の前のロスはそんな答えを望んでいないように見える。リベルトの方へ顔を向けると、少し照れたような表情を浮かべている彼がいる。その後幾許か考え込んだシーナは顔を上げた。
「えっと……薬草採取の許可を出してくれる方? あ、えっと……お世話になってる方、でしょうか……すみません……」
無意識に本音が出てしまった。
……でも、仕方のない事だと思う。この緊張下の中で思い出す事と言えば、毎回シーナはリベルトに薬草採取の許可を取っていた事のみ。それが印象強くて、その事以外頭に残っていなかったりする。
少々リベルトに申し訳なさを感じたシーナが俯く。もっと彼に相応しい言葉があっただろうと。
だから彼女は気づけなかった。隣にいるリベルトは気持ちが沈んでいることに。
ロスたちは目を数回ほど瞬かせた後、彼女の言葉を呑み込むことができたのか、大笑いする。
「ははは! まさか最初にそれが出るとは思わなかったけど、確かに薬草採取の許可を出すのがリベルトだよね! 間違っちゃいないな」
「……一風変わった娘、とありましたが、まさかこれ程とは」
「ほ〜んとうにシーナちゃんは薬草が好きなんだねぇ〜」
三者三様の表情だが、全員どことなく楽しそうだ。
「それだよ、それ。こう見えてリベルトは女性にモテてね。最初は君もそういう感じなのかな、と思ったけど……話を聞いてみたら、ボアからジャバニカを守るし、怪我しているからと売り物であろう薬を使わせてくれるし、薬草の知識を彼らに無償で教えてくれるし……悪人要素がどこにも無いと思ってね! むしろ本当に薬草好きなへ……人なんだろうなと理解できたからだね」
「あ、ありがとうございます」
シーナは「薬草好きな」という言葉に歓喜していた。そう見られている事が嬉しかったから。だからロスが一旦言葉を言い換えた事、目の前でダビドがロスへとつっ込んでいる事にも気づかない。
「流石に変態は失礼でしょ?」
「いや、変人だが」
「……どちらにしろ失礼な事には変わりありませんよ。それより、リベルトの対応が気になります」
そうマルコスに言われて顔の向きをリベルトたちへと戻した二人は、驚愕する。
胸が高鳴り頬を染めているシーナを見て、リベルトは特に意識せずに彼女の頭に手を置いていたのだ。仰天した彼女が勢いよく顔を彼に向けると、自分の行動を自覚したリベルトはすぐに手を引っ込める。
まるで付き合いたての恋人を見ているかのような雰囲気……ではあるが、双方それに気づいていないらしい。
「鈍感だぁ」「……鈍感ですね」と呟き、疲れを見せている二人を他所に、ロスはシーナへと続きを話し始めた。
「後は、シーナ嬢に会う前の調査が苦戦しているようだった事と……ナッツィアは今薬学に力を入れているから、有能な人物を引き入れたい、という思いもあったからかな。ねえ、シーナ嬢?」
そう言って微笑むロスだったが、その笑みに何か含みを感じとれる。
きっと彼はシーナがマシアの弟子であり、王都から追放された事を既に把握しているのかも知れない。ヴェローロの王太子……そう言えば名前は知らないが、彼とは違い抜け目のない方なのだろう、とシーナは思った。
まあ、今のところここで商売をするつもりなのだから良いだろう。
「そう言って頂けて、嬉しいです」と口角を上げれば、ロスはシーナの考えが伝わったのか肩を竦める。
「まあ、それは追々ね。今回、君のお陰で非常に助かったのは事実だから、報告にあった植物を鑑定次第、褒賞を用意しておくつもり。その時は再度この部屋に来てもらう予定だから、数日は王都に留まってくれると嬉しいよ」
「褒賞、ですか? 私は薬草採取の許可をいただけたのが褒賞だと思っていたのですが……」
薬草観察と薬草採取はシーナにとって最高の報酬である。だから別に他の報酬は要らないと思っていたのだが……。
「シーナさん、それはできません。この調査は、国王陛下より第二王子殿下直々に下された勅命です。要するに国を賭けた国家計画のひとつと位置付けられておりますので、それに協力し成果を上げたシーナさんには第二王子殿下より直接報酬を下賜される事が決定されました」
「……ええっ!」
そう言えば、マシアが一度話してくれた事があった。
以前彼女が国王陛下の病を治した際、ドレスを身に纏ったマシアは、周囲の貴族たちの視線に晒されながら褒賞を受け取ったと愚痴っていた事が頭に過った。
あの時彼女は「面倒」「ドレスは動きにくてもう着たいとも思わないさ」「肩も凝った」と言っており、大変だったんだな、と他人事のように思っていた。
まさかそれが現実になるとは思わないではないか。
シーナが青褪めていると、ダビドは彼女の顔から悟ったようだ。
「でも、シーナちゃんは貴族じゃないから大丈夫〜! 褒賞の準備ができたらここに来て受け取るだけでオッケーだから」
「え、良いんですか?」
「もっちろ〜ん。……それとも、リベルトたちと共に参加しておく? それでも良いと思うよ。きっと……」
何かを言いかけて口を噤んだダビドは、ブンブン、という効果音がしそうな程激しく首を左右に動かすシーナに笑いが止まらない。
「……シーナさん、貴女の参加は見送るよう手配をしますのでご安心下さい。ダビドも笑いすぎだ」
「ありがとうございます!」
先程の血の気のない顔から一転、目を輝かせてマルコスを見るシーナに、ダビドとロスが耐えきれず吹き出す。
表情がくるくると変わる面白い女性だとロスは笑いを堪えながら、「そうそう」と話を切り出した。
「後ひとつ君にお願いしたい事があってね。私の婚約者はラペッサと言うんだが、ファルティア王国の王族の末娘でね。シーナ嬢に話を聞きたいと言っている。少々付き合ってもらえないだろうか?」
「……こちらは調査隊の一環として仕事のひとつと考えていただきたい。ラペッサ様は殿下のように気さくなお方なので、シーナさんともすぐ打ち解けられるかと思いますよ」
調査隊の一環と言われてしまったのなら、仕方のない事だ。粗相がなければ良いのだが……シーナはそれだけが杞憂だった。
聞かれた事だけを喋ろう、そう考えたシーナだったがまさか王子妃と懇意になるとはこの時思いもしなかったのだった。




