2、薬師の弟子は、幼馴染に告げる
二人が立ち去ると、周囲を覆っていた魔力が消滅していく。
最後の残滓が綺麗さっぱりと消えたところでシーナは廊下を歩き出した。人通りは全くなかったため、いきなり現れても驚かれるような事がなかったのは幸いだ。
さて、子ども用の薬はどうしたものか、と頭を悩ませながら歩いていると、急に誰かに肩を叩かれた。驚いて顔を上げると、メレーヌが鬼の形相でこちらを睨んでいた。
メレーヌは薬屋の隣にあるパン屋の娘。
薬の事ばかり考えているシーナとは違い、しっかり者でいつも研究に没頭する世話を焼いてくれる幼馴染だ。
幼い頃、師匠が外出している時に食事を丸一日抜き、徹夜で研究に没頭した事があった。
疲れからか動けなくなったシーナを発見し、有無を言わせず布団に寝かせた後、食事を食べさせたのはメレーヌだ。それから彼女は朝晩の二回、薬屋に訪れては食事を共に摂り、ちゃんと彼女が食べているか眉間に皺を寄せて見ていたほど、シーナの事を危なっかしいと思っているらしい。
そしてある時、師匠がシーナを一人で王宮へと向かわせる話が出た。
偶然その話を聞いていたメレーヌが、心配だからと手伝いを申し出てくれたのだ。彼女の両親も「何事も経験」と快諾してくれた事、宰相の許可も得た事で現在王宮へは二人で薬を配達していた。
数年前は全ての場所を二人で回っていたが、メレーヌがシーナ一人でも問題なさそうだと判断してからは二手に分かれて薬を配っており、終えたら正門で合流する事を約束していたのだ。
幼い頃、孤児院から引き取られたシーナにとって、メレーヌは姉のような存在だ。きっと姉がいたのなら、こんな感じなんだろうと思う。
……どうやら待ち合わせの場所である王城の正門に着いたが、薬の事で頭が一杯でそのまま通り過ぎようとしていたらしい。
またやってしまった……と思いながら、開き直ってメレーヌに片手を上げた。
「メレーヌ、今日もありがとう! いつも早いねぇ〜」
「どういたしまして……ってそうじゃないでしょ! 今、私の目の前を通り過ぎようとしていたよね?! 歩きながら深く考え事をするのは危ないって、毎回言ってるじゃない!」
「周囲は見てるから大丈夫だよ〜。邪魔にならないようにはしているし」
「……あなたねぇ……」
毎回同じ事を話すからか、呆れたメレーヌは額へと手を当ててため息をつく。手のかかる妹だとでも思っているのかもしれない。
ふと笑い声がしたので、メレーヌの背後を見てみると門番がこちらを見て笑っている。
この光景は二人が王城へ薬を配達する際にいつも行われるやり取りだ。
最初は二人の――メレーヌの詰める声にオロオロとしながらも見守っていた門番だったが、今や毎回行われる名物のような光景を楽しんでいるらしい。
メレーヌはこの事を多分知らない。
以前メレーヌの配達がシーナよりも遅い事があったのだが、その時にこっそり教えてもらったのだ。この時も勿論、考え事をして歩いていたため門を素通りしそうになったが。
いつものように注目を浴びているメレーヌは顔を真っ赤にし、「もうっ、本当にシーナは!」とぶつぶつ呟きながら、手を引いて歩き出した。
ある程度門から離れたところで止まったメレーヌは、腕を組んで向き直る。
「まあ、シーナが人とぶつからないように対策しているのは知っているから良いんだけど……没頭しすぎないように、気をつけてよ? いつか本当にぶつかってお貴族様に首を刎ねられても知らないわよ?」
肩を竦めながら呆れたように諭すメレーヌの言葉は正しい。彼女はいつも心配してくれているのだ。だからだろうか。気が抜けたシーナはつい……思わず言ってしまった。
「あー、でも今日国外追放って言われたから、王城に上がる事はないだろうし、もう大丈夫だよ〜」
「そうそう、国外追放になる……って、ええ?! 国外追放ってどういう事?!」
目をまんまるにしたメレーヌを見て、あ、と声をあげる。
「ちょっと! シーナ、どういう事?! お貴族様に粗相でもしたの?!」
鬼の形相で襟元を掴んでシーナの身体を揺らすメレーヌを見るのは二度目である。やっぱり怖い。
「その前に首が苦しい……」と息も絶え絶えに言えば、メレーヌは慌てて手を離した。
「いや、ね、正直……私もなんでこうなったのかは分からないんだけど……配達が終わって廊下を歩いていたら、急に王子様が私を呼び止められて、『お前の薬は効果が低い』って言われたの。色々言われたけど、結局言いたかったのは私よりも効能の高い薬を作る人がいるから、役立たず? で効能の低い薬を王宮に売り捌いていた私は国外追放するって。三日のうちに王都から出ていかないと、罰を受けると思う」
「え、何それ……もし、よ? もしシーナが偽物で全く効果のない薬を高値で売りつけているなら、国外追放でも納得するけど……いつも商品は鑑定箱に通していて、きちんと確認してから納品しているんでしょ。質が低くなったなんて言い掛かり……流石に理不尽じゃない? シーナ、大丈夫なの?」
「やっぱり理不尽だよねぇ。でも王子様……は王太子命令だって言っていたから、命令に背けばきっと殺されちゃうでしょう?」
「うん。そうだろうね……」
メレーヌも事の重大さを理解したのか、顔色が悪い。
王城に薬を配達している薬師だからと言っても、所詮は平民。いつ契約を切られてもおかしくはなかったのだ。
「まあきっと大丈夫だよ。まずは、帰ったら師匠に連絡を取ってみるね」
「……それが良いよ」
国外追放、と言われているが、正直庶民であるシーナにはあまり実感が沸いていない。
――それよりも重要な事を思い出した。
「あ」
「どうしたの? シーナ」
彼女がこの世の終わり、のような表情をしていたからか。
青褪めていたメレーヌは、まだ何があるのか……と身構えている。
「侯爵令嬢様に効能の良い薬をどうやって作ったのか、聞いてくればよかった……」
非常に悔しそうな表情で頭を抱えているシーナに、メレーヌは目をまん丸にした。
侯爵令嬢様と言えばお貴族様である。そこまで話を聞いて、何となくメレーヌは事情を察したようだ。きっとその貴族様の作る薬がシーナの物よりも効能が良かったために、シーナは追い出されたのだと。
「本当に貴女は……聞かなくて良かったわね。それこそ首を刎ねられるわよ……」
頭を抱えそうになるメレーヌ。
これでも幾分かマシにはなっているが、やはり薬のこととなると突っ走るその性格は見ていてハラハラするらしい。頭の中で「ごめん」と謝罪していると、メレーヌがふと思い立ったように話し始めた。
「でも、シーナにしては珍しいね。薬の事なら何がなんでも聞き出そうとしそうなのに」
痛いところを突かれた、と思ったシーナは、彼女から視線を外し、頬を掻く。
その行動でメレーヌは察したらしい。
「もしかして、話を聞いてなかったとか?」
図星だ。
「……一応ちゃんと話は聞いたよ。理解もしたし。ただ、相手の話がクドくて長かったから……ちょっと薬の事を考えていたけど」
「はぁ……本当に不敬にならなくて良かったわね……」
メレーヌはため息を吐く。完全に呆れているのだろう。
「あははは」と誤魔化すように笑うと、メレーヌはこっちを睨みつけてきたが再度ため息をついている。
「そもそも、あの人たちは平民を何だと思っているのかしら? 馬の方がよっぽど待遇が良い気がするわ」
「うーん、路端の石ころとか?」
「えー、それなら私たちに突っかからないで欲しくない?」
頑張ってきた親友に対する扱いの酷さにぷつぷつ怒りが湧き出ているらしいメレーヌは、不貞腐れながら呟く。
シーナは苦笑いだ。
「そうだなー、煌びやかな王宮の廊下に……道端に落ちているような石があったら、その石は景観を壊すからと取り除かれるじゃん? 路端の石ころなんてどうでも良いんだろうねぇ、掃いて捨てるほどいる、とでも思ってるんじゃない?」
「……それだぁ……でも、路端の石は国外追放にはならないでしょ」
「そう考えると理不尽〜」
二人はゲンナリとした表情でお互いの顔を見つめた後、同時にため息をつく。
「まあ、ただ良い事もあるかもしれない」
「良い事って?」
「私は師匠のように薬草を取りに行ったことがなかったから、これからは自由にできそうだなとは思うけど」
「そっか、確か必ず一人は薬屋にいるようにって契約だったんだっけ?」
「そうそう」
「まさか、あのときはシーナのお師匠様が居なくなるとは思わなかったなあ……」
あれは怒涛の日々だった。
契約を変更した次の日には「それじゃあ頑張んな」と言って出ていった師匠を思い出す。
シーナが懐かしがっていると、何かを思い出したメレーヌが不安そうに話しかけてきた。
「……そう言えば、契約もあれよあれよという間に変えられてたんだっけ……その変更って本当に話し合ったの? 師匠さん、宰相様を脅して変更した、とかじゃないよね?」
「……」
「え、まじで? ちょっとシーナ、なんとか言いなさいよ」
メレーヌに肩を揺さぶられつつ返事を急かされるが、思い浮かぶのは師匠が宰相へと無理難題を言ってのける場面ばかりが浮かび上がる。
そんなことは言えないので、苦笑いで答えた。
「……まあ、今私が首を刎ねられてないから大丈夫なんじゃないかな……」
「国外追放されたけど?」
「……うう、そうなんだけどさぁ。それも疑問なんだよね〜。師匠と私が結んだ契約は、宰相様と結んだものであって、王子様には関係ない話だと思うんだけど……宰相様の代理だったのかな?」
首を捻る。
そんなに早く契約を破棄したいのならば、言ってくれればよかったのに、そう思ったのだが……。
「うーん、宰相様って本当に関わってるの? 今日宰相様の執務室へ薬を配達しに行ったら、補佐官様が『宰相様は数日の出張に出ている』言ってたし。宰相様って、何かあれば補佐官様に伝えてくれるじゃない? 今日それが無かったって事は、もしかしたら王子様の独断かもよ?」
「む〜、まあ、考えても分からないからいっか。そんな事より、思いついた事があるからメモを残したくて!」
「……本当に薬が好きよね、シーナは……」
呆れた視線を彼女に送るメレーヌだったが、それが通常運転だ。
まあ、どうにかなるでしょうと思いながらメレーヌと帰宅の途についた。