幕間 メレーヌ
シーナが薬屋から居なくなって三週間ほど経った頃。
私はというと随分落ち込んでいた。
一週間前から隣の薬屋に出入りする男性が現れ、先日、シーナの代わりに薬屋が開いたらしい。
私はまだ薬屋に入った事はないが、薬屋に入った人によると結構ぼーっとしている人のようで、呼びかけても客が入ったことに気づかない時もあるそうだ。
そんな話を聞いたからか、よくシーナを思い出してしまう。
シーナは薬研究馬鹿ではあるが、お客が入ればきちんと対応していた。
意外かと思うが、そこは彼女の師匠であるマシアさんの言いつけを守っている。
「薬は自己満足のために作るものじゃない。お客あっての薬だ。お客が来た時は丁寧に対応し、相手に寄り添った薬を用意すること。あ、冷やかしの客はぞんざいにあつかってもよろし」
と言っていたらしい。
だからどんなに研究に集中していても接客はしっかりとしていたし、手が離せない時は一言声をかけていたようで、彼女の評判は上々だった。
その分自分のことが疎かになっていたのだが。
今日もまたパンが完売し、少々早めの店仕舞いをしている時。
弟のディーが私に話しかけてきた。
「姉ちゃん、シーナ姉ちゃんの事考えてたでしょ」
完全に図星だった。
表情でわかったのだろう、ディーは
「姉ちゃんはお世話するのが好きだからなぁ〜。シーナ姉ちゃんのお世話をしなくなった分、手持ち無沙汰になってるんじゃないの?」
と笑いながら言われてしまう。
「やっぱそうだろー。だって姉ちゃんさ、いつもご飯どきになるとすっごいソワソワしてさ。最初はお腹空いたのかな、とか思ってたけど、いつも隣の薬屋をチラチラ見てるし。あれだったら誰だってシーナ姉ちゃんを心配してるの、丸わかりだよ。ご飯食べてるかなって心配してたんだろ?」
弟にも考えている事がバレているとは思わず、私の頬は熱を持つ。
だが、ディーは追求の手を止めない。
「本当にシーナ姉ちゃんと姉ちゃんは姉妹みたいだったよなぁ。俺も一時期姉ちゃんが二人いるんじゃないかって錯覚を起こしたし。姉ちゃんもシーナ姉ちゃん離れしないとな!」
そう大笑いして話すディー。
その様子を心配そうに見ているのは両親だった。
ああ、ずっと心配してくれていたんだな、ってこの時改めて周囲を見た気がする。
いつまでもウジウジしているのは私らしくないなって思うし、元気づけるためにディーもこの事を話したのだろう。
ちゃんとシーナは前を向いて歩いている……はず……だ、大丈夫だよね、きっと……。
チラリと両親に笑いかければ、私が吹っ切れた事に気づいてくれたらしく、両親も満面の笑みを返してくれる。
癪ではあるがディーも元気づけてくれたから……と思い顔を見れば、元気づけるというよりかは揶揄うような表情をしていた。
だから私もディーをおちょくるために、ため息をついて言った。
「じゃあ、ちょっとはアンタの世話をさせてくれない? そうすれば元気になるかも」
「え゛っ」
「そう言えば母さんが言っていたけど、あんた、まだ読めない字があるって言ってなかった? 空いた時間一緒に勉強会でもしましょうよ」
「ええ、嫌だよー! 姉ちゃんの勉強キツいから……って、姉ちゃん!」
ディーは私が弄った事に気づいたのだろう。
頬を膨らませてこちらを睨みつけた。
「さっきのお返しよ。まあ、でも元気が出たわ。ディー、ありがとう」
「お、お姉ちゃんが、デレた〜!?」
「コラー! ディー!」
逃げ回るディーを追いかけ回す私。それは母が夕飯だと声をかけるまで続いた。
そんなこんなで元気になった今。
私は両親と共にお客へ提供するパンの幾つかを任されていた。
今まではどちらかが私と共に作ったものを店舗に出す、という形を取っていたが、シーナへ贈ったパンを見た父が、「そろそろお前の商品も店頭に出そう」と言ってくれ、私一人で焼いたものを店舗にも出すようになっていた。
やはりパンを作るのは楽しい。
一番はお客さんが「美味しい」と言ってくれる事。
シーナへとパンを届けに行った時、たまに一緒に食事をしていたが……いつも私と両親で作ったパンを「美味しい」と言って食べる姿を見られた事は、私にとって幸運だったと言える。
それがあるから、今私はパンを作り続けているのだと思う。
改めてその事を思い出し、気持ちを新たにしたそんな時の話だった。
「え、人を雇う?」
「そうさ。最近家のパンが以前よりも売れ始めたからねぇ……嬉しい事にパンも早い時には昼過ぎに完売する事も多くなったから、これからはメレーヌにも厨房に入ってもらって、売り子を雇う事にしたんだよ。ディーもパンを作りたいと言い出したから、この機会にってね。まあ、売り子の青年はメレーヌより年上だけど、物腰柔らかくて優しそうな人だから、心配ないと思うよ」
母は「ははは」と笑い、ディーは「兄ちゃんができるの?」と喜び、父はそんなディーを見て「兄ちゃんではないがな」と笑っている。
店の売り上げが上がっているのは嬉しい事だったが、本当に人を雇うほどの余裕があるのか、雇った人は大丈夫なのか……一人私は眉を下げていた。
翌日。
現れたのはニコニコと笑みを湛えた人の良さそうな青年だった。
「フランと申します。これからお世話になります」
「ああ、そんな硬くならないでいいから〜。よろしく頼むね、フラン!」
「わぁ! 兄ちゃんでっかいなぁ! どうしたらそんな大きくなれるの?」
「よく寝て、よく働いたからだと思うよ」
既に懐いている弟に驚きつつも、メレーヌは目の前の男性をじっと見つめた。
細身ではあるが、以前商会の店員として働いていたからか、程よい筋肉がついている。
顔もメレーヌから見てこの街の中では格好良い部類に入る。
そして何より人の良さそうな顔。モテるだろうなと思った。
不躾にじっと見すぎたからだろうか、視線に気づいたフランがニコリと笑う。
「よろしくお願いします、えっと……」
「メレーヌと申します。弟が失礼を……」
「いえいえ、元気のある弟さんで! 私がこれくらいの時もこんなだったので、気にしませんよ。むしろ元気があるのは良い事です」
「そう言っていただいて嬉しいです」
礼儀正しくて、愛嬌のある男性がやってきたな、と思った。それが彼に対する私の第一印象だった。
彼が売り子になってから、さらに私の家は繁盛した。
フランは非常に話術も上手く、顔を覚えるのも早い。
常連さんにはすぐに話しかけてさり気なく名前を聞き出し、次来た時にはその方を名前で呼んで歓迎する。
そんな素晴らしい接客に、私は感動した。
でもそも一方でフランは食に頓着しないらしく、いつも休憩に適当な食べ物を口に放り込むだけだ。
だから後ろでニヤニヤしているディーを睨みつけた後、私はフランの元へ歩いて行った。
手にはよくシーナに渡していた野菜や肉を挟んだパンを持って。
「フランさん! パンだけだとお腹が空きません?」
「ああ、メレーヌさん。気にしないでください。私はいつもこうなんで――」
「いえ、気にします」
後ろでディーと母が大笑いしているが、無視だ、無視。
私は手に持っていたパンを渡す。
「これ、以前隣に住んでいた薬屋の子に食べさせていたパンです。その子もフランさんと似ていて、食にとことん拘りがなくて、よく食事を抜かしていました。その子を思い出して多めに作っちゃったんです。私はもうお腹いっぱいですから……だから責任を持ってフランさんが食べてください」
手に持っていたパンを彼に押し付ける。
フランさんは手に持たされたパンと私を交互に見た後、私の背後にいた母へと視線を送る。
母はニコニコして言った。
「娘が作りすぎたのなら仕方ない。食べてやってよ」
フランさんは戸惑いながらも私が作ったパンを一口食べる。
すると目を見開いた後、じっとパンを見つめている。
美味しくなかったのかな、と思い、私の作ったパンを昼食として食べた母と弟へ顔を向けると、二人は揃って右の親指を立てていた。
何やっているんだ、と訝しがりながらも、フランさんに視線を戻すと、既に彼の手の中にあったはずのパンは無くなっていた。
え?と思い、目を擦ってもう一度見るが、やっぱりパンはない。
するとこちらを向いたフランさんと視線が合う。そして満面の笑みで――。
「美味しかったです」
そう言われて私は頬を染めたのだった。




