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貴方との、ほんの少しの結婚生活

作者: 立草岩央
掲載日:2022/12/22

「では、誓いの言葉を」

「……分かった」

「健やかな時も、病める時も、豊かな時も、貧しき時も。二人で信じ合い、助け合うことを誓いますか?」

「あぁ。確かに誓おう」


小さな部屋の中で、私達はお互いの指輪を交換した。

他には誰もいない。

誓いの言葉を聞いているのは私達二人だけ。

そんな密かな場の中で蝋燭の明かりに照らされ、白い指輪が指元で光る。

うん、これでバッチリ。

二人で見繕った結婚指輪は、お互いの指に綺麗に収まっている。


視線を上げると金髪碧眼の青年、レオンが僅かに笑みを浮かべていた。

いつもは涼し気な様子で、笑うことなんて少ない彼。

彫刻のように整った表情が、今はとても優しく見える。

だから思わず、私も微笑んでしまう。


「はい。これで契約は完了ね」

「本当に嬉しそうだな」

「大好きな人との結婚よ。嬉しいに決まっているじゃない」

「ま、全く……よくもそんなことを恥ずかしげもなく言えるな……」


真っ直ぐに気持ちを伝えると、レオンは視線を逸らす。

私の言葉に呆れた訳じゃない。

これはいつもの癖。

本心を伝える前の、前置きのようなもの。


「でも、まぁ……そういう所が、キレハの良い所だが……」


この人は本当に素直じゃないわね。

そんなことは言っているけれど、彼の頬は少しだけ赤く見える。

始めは気後れしていたみたいだけど、受け入れてくれて本当に良かった。

照れくさそうなレオンと、互いの指で光る指輪を見て、私は温かな気持ちを感じ取る。


そう、これが始まり。

私達の、ほんの少しの結婚生活。







私、キレハ・オルブライトは元男爵令嬢。

端役ではあったけれど、社交界にだって参加した経験がある。

けれど情勢の悪化で、家は没落。

両親は蒸発し、私が屋敷に帰った時にはもぬけの殻になっていた。


身一つで放りだされた私は、結局のところ慈善活動を行う王都の大神殿に身を寄せた。

困っている人々に手を差し伸べて支援する場所。

有難いことに神殿の人々は受け入れてくれ、そこで見習い神官として、私は一からやり直すことにした。

全てを失ってからの、新たな始まり。

生活が様変わりすることは許容範囲だったけれど、代わりに別の問題が浮上した。

私のこの、髪の色だ。

地毛である薄い桃色は、何処に行っても目を引いてしまう。

社交界の時は周りも派手な人ばかりだったから、何とかやり過ごせたけれど、祈りを捧げる神殿では話が変わる。

ワザとそうして目立とうとしているなどと、勝手に解釈する人も現れる。


「何だその髪の色は? まさか、未だに貴族気取りか?」

「大神殿に助けを求めておいて、そんなのだから親にも捨てられたんだろう?」

「お前はこの神聖な神殿に相応しくない!」


あれは、雪の降る日。

神殿にいるのは神官達だけじゃない。

助けを必要としていないのに、わざわざ様子を見に来て小言を言うような、無関係な人もいる。

そして家が没落した私は、格好の的だったみたい。

外井戸で水を汲んでいる最中、私がそんな人達から暴言を浴びていた時だった。


「うわっ!? こ、これは雪玉!?」

「何処から飛んで……へぶっ!?」


何の前触れもなく、複数の雪玉が彼らの顔面を直撃した。

けれど投げた相手は見当たらない。

更に言えば、それら雪玉は私には一切飛んで来なかった。

目的は分からない。

とにかく、近所の子供の仕業と思ったのかもしれない。

先程まで私を責めていた男達は、蜘蛛の子を散らすように退散する。

一人残された私は、雪玉が飛んでこなくなった辺りを見回し、混乱するままに汲んだ水桶を持って神殿内に戻る。

すると裏口近くで手についた雪を払う、一人の騎士が目に映った。

冷たい眼光を放つ、金髪碧眼の青年。

彼は視線をこちらに向けたかと思うと、直ぐに別の方へと逸らした。

これが切っ掛け。

青年の態度が気になって、思わず私は問い掛けた。


「もしかして、貴方が私を助けてくれたの?」

「……何の話か分からないな。任務中に雪が付いたから、それを払っているだけだ」


素っ気ない返答。

変わらない無表情で、自分は無関係だと念を押してくる。

気のせいだったのかと思い、私は小さくお辞儀をしてその場を去ろうとする。

けれど直後、背後から呼び止められた。


「待て」

「えっ」

「あんな奴らは放っておいて良い。万人に好かれるなんて、どんな人間であっても不可能な話だからな」

「やっぱり、貴方が助けてくれたのね?」

「……知らないと言っているだろう。見かねた誰かが投げ入れただけだ」


青年は相変わらず素っ気ない。

けれどこれはもう、答え合わせじゃないかしら。

あまりに不器用なやり方に、思わず私は笑ってしまった。

簡単な話だ。

元貴族という立ち位置のせいで、神殿内の人達にも微妙に距離を置かれている中、彼は任務とは関係なく私を庇った。

だから少しだけこの騎士、レオンのことが気になってしまったのだ。


見習い神官として過ごす僅かな時間の合間で、私はレオンと接するようになった。

彼の任務は国内最大を誇る王都大神殿内全体の警護。

大司教猊下からの感状という箔を付けるために、遠方からやって来たらしい。

だから見かけることは多かったし、話をする機会もあった。

最初は淡泊な会話ばかりだったけど、僅かな時間でも日を重ねれば徐々に変わっていく。

そうして分かったことがあった。

何故、レオンが私を助けたのか。

その理由は単純。

彼は令嬢時代の私を知っていたのだ。


以前に騎士として、王宮で開かれた社交界に参加していたとき。

そこで私の姿を見かけたらしい。

本来なら参加者の一人という認識だったのだけど、私はこのピンク髪だ。

興味の有無に関係なく、記憶に残るのは当然のことだった。

だからこそ、家が没落して大神殿に身を寄せたことも、この髪色で直ぐに分かったみたい。


「それで、見かねて私を……?」

「……辛い目に遭っているのは分かっていた。だから見過ごせなかった。良いか? それだけだぞ? 他に他意などないからな?」


レオンはまた念を押すように言った。

その表情が、普段の印象とは違って何だか新鮮だった。

からかい甲斐があるというか、何というか。

周りからは氷のように冷たく刺々しい雰囲気がある、などと言われているけれど、そんなことはない。

何度も交流を続けるうちに、表情も感情も豊かな人だと分かってきた。

それだけじゃない。

レオンはあれから、見習い神官として経験を積んでいく私を気に掛けてくれた。

何かあれば、わざわざ仲裁に入るくらいに。

令嬢としての立場も、一度は何もかも失った私に、彼は全く偏見を持たなかった。

だから大神殿に来て暫く経った、ある日。


「私と結婚しませんか」


レオンにそう言った。

唐突なのは分かっていたわ。

断られるのも覚悟の上。

幾ら神職に結婚が許されていると言っても、本当はもっと順序を踏むべきなのは分かっている。

けれど――。


私達に、そんな時間は残されていなかった。







そうしてレオンは私の言葉を受け入れ、二人だけの結婚式は開かれた。


「初めて会った時から、レオンは嘘が下手だったわね」

「……恩を売るつもりがなかっただけだ。俺はそもそも騎士の一人で、キレハは元男爵令嬢。それなのに、あれからお前は俺に構い続けたな」

「あんな不器用なやり方、初めてだったもの」


過去の馴れ初めを思い浮かべつつ、私は頷く。

今いるこの場所はレオンの住まい。

王都居住区にある小さな一軒家だ。

私達は数日だけ、結婚生活の場として此処で暮らすことになる。

その間、先輩達には許可を貰ってお休みを頂いた。

見習い神官という立場ではあったけど、事情は分かってくれたので引き止めはなかった。

先輩達には感謝しなければならない。

勿論、私を受け入れてくれたレオンにも。


「俺も、ここまで真っ直ぐに笑顔を向けてきたのは、キレハが初めてだった」

「それなら、もっと笑ってあげるわね?」

「……」

「あっ、目を逸らした」

「気恥ずかしいんだ……。あまりこっちを見るな……」

「じゃあ回り込んで、と」

「や、止めろ……! 言った傍から……!」


言葉通りに身体を動かすと、彼は慌てて視線を彷徨わせる。

そういう所が何だか微笑ましい。

私がからかうと、レオンはそうやって大袈裟な態度をとる。

ただ見つめ合うことが、そんなに恥ずかしいことなのかしら。


「全く……仕方がないな……」


それでも最後にはレオンは目を合わせる。

困った表情をしながらも受け入れてくる。

任務中の冷徹な表情は、あくまで仕事だから取っていたもの。

寧ろ素の表情を出したくないからこそ、素っ気ない態度を取っていたとか。

別にそんなことをしなくても良いのに。


だからレオンの素顔を知っている人は少ない。

私がその中に入っているのは、少しだけ得した気分なのかも。

これは貴族として暮らしていた頃にはない感覚だった。

彼と笑い合えるだけでも、温かな気持ちになる。

ただ一緒にいるだけだったり、食事を一緒に作ったりなど。

いつものことを二人でやっているだけで、時間は過ぎていく。

そのせいか、式を上げたこの日も直ぐに終わってしまう。

そして次に目覚めたのは、翌朝のことだった。


「目が覚めたか」

「あれ、レオン? もう起きていたの?」

「上手く寝付けなくてな。代わりに、軽いものだが朝食は用意しておいた」

「いつの間に……。起こしてくれれば、私も手伝ったのに……」


目を擦ると、レオンがベッドに腰かけながら私を見ていた。

起きていたことに気付かなかったなんて。

この結婚生活の間は色々と手伝おうと決めていたのに、悠長に寝ていた自分を後悔する。

するとレオンは優しげな表情を見せた。


「別に。キレハの寝顔を見ていたかっただけだ」

「……」

「先に行っているぞ」


そう言って、部屋から出て行く。

あぁ、もう。

何で急に言うかなぁ。

そんなことを言われたら、何も言えない。

締め付けられるような胸の感覚を抱いて、窓の外から差し込む朝日を見る。


「もう、1日経ったのね……」


そしてこの感覚は、彼のせいだけじゃない。

時間があっという間に過ぎ去った事実を知って、私は寝間着から着替え始める。

無性に手が震える。

そんなことすら目を背けて。


この数日の間だけは、レオンも騎士の任務から離れている。

つまり彼を独り占めできる機会でもある。

朝食を終えた私達は、王都の繁華街に出ることにした。

私は見習い神官として、彼は騎士として殆どの時間を職務に費やしていた。

だからこうして娯楽のために足を運ぶことも稀だった。


辿り着いた繁華街はやっぱり人の出入りが多い。

それに甲冑に身を包む兵士も頻繁に見られる。

賑やかではあるけど、少しだけ物々しいかも。

そう思っていると、レオンが人混みから私を庇うように歩き出す。

もうお嬢様じゃないのだけど、嬉しくない訳でもない。

私は彼の隣に並んだ。


「街の中は相変わらず騒々しいわね」

「いっその事、王都の外に出られれば良かったんだが……俺は騎士だ。許可なく都市の外には出られない」

「それなら、王都の中だけで目一杯楽しみましょう?」


そう言って、彼の手を握った。

温かい感触が伝わってくる。

するとレオンは驚いて、こっちを見るなり戸惑い始めた。


「ど、どうして手を掴む!?」

「結婚したら、この位は普通でしょう?」

「そう、だったか……いや、そうかもしれないが……! 周りの目があるんだぞ……!?」

「私は気にしないわよ」

「く……! か、勝手にしろ……!」

「はい。じゃあ、勝手にします」


私は笑って、もう一度握り直す。

特にそれ以上は何も言われない。

ただ恥ずかしそうに視線を逸らすだけだった。

全く、そんな反応をするから思わず茶化してしまうのに。

困った人だわ。

胸の鼓動を悟られないように、少しだけ平常心を装う。


「全く……今日は、やけに暑いな……」


まぁ、レオンは温かいどころの話じゃないみたいなので、気付かれないとは思うけど。

道行く人々と行き交いながらも、私達は手を繋ぎ続けた。

剣や鎧が売られる中でも、一緒に見て回るものは沢山ある。

アクセサリーや魔法具、ちょっとした遊びの品。

お互いにどうだろうと話し合い、気に入った物は買い付ける。

そうして真新しい洋服店に辿り着くと、彼がその前で立ち止まった。


「服を新調しよう。いつもの神官服以外にも、こういった気分転換は必要だ」

「えっ? 良いの?」

「二人だけの式の時、ドレスを着させてやれなかった。その代わりだ」


申し訳なさそうな表情をする。

そんなこと、気にしなくてもよかったのに。

このご時世、ウェディングドレスを提供してくれる場所もない。

だから私達は、こうして二人だけの結婚式を挙げたのだから。

でも、そうやって気に掛けてくれていたのは純粋に嬉しい。

だから私はその言葉に甘えることにした。


「主人、彼女に一番似合う服を見繕ってくれ」

「おやおや、レオンさん! 事前に言われていた通り、奥さんに似あう服を揃えておきましたよ!」

「ばっ……! それは言わなくて良い……!」


入店して、いきなりレオンが慌てた声を上げる。

もしかして、初めからその予定だったのかしら。

何だか一本取られた気分。

けれど考えてみれば、私だけが服を揃えるなんて何だか落ち着かない。

今日はお互いに似あうものを物色していたのだから、レオンに似あう服も決めるべきなのかも。

そう思って、一つ提案してみる。

彼は意外そうな目をしていたけど、店主が待っていましたと言わんばかりの態度を取って、意気揚々とカウンターの奥へと入っていく。

もしかして、調子を狂わせてしまったかしら。

ぐぬぬ、という顔をするレオンを見て苦笑した私は、彼の手を引いて店の中へと連れる。

何てことはない、ただの日常。

大きな変化もない、ごく普通の時間。

それでも二人で過ごしていくだけで、あっという間に1日が終わってしまう。


そして気付けば、また次の日の朝になっていた。


「おはよ」

「何だ……もう、起きていたのか……」

「うん。何だか寝付けなくて、なんて……」

「……?」

「本当は、レオンの寝顔が見たかっただけ」

「なっ!?」

「ふふっ、昨日のお返し」


涼しげな彼の寝顔を少しだけ火照らせて、また一日が始まる。

今回の朝食は私が作った。

男爵令嬢でいた頃は、自分で食事を用意するなんて考えたこともなかった。

必要のないものと思っていたわ。

でも、今は違う。


「やっぱり、キレハの作った食事は美味しいな」

「貴方の料理だって十分に美味しいわ。毎日食べたいくらい」

「そう、か……」


たったそれだけの言葉が私を後押しして、胸を締め付ける。

歯切れの悪いレオンの反応を眺めつつ、窓の外を見やった。

今日もよく晴れている。

朝食を食べ終え、昨日買った服に着替えた私は、早速彼を連れ出すことにした。


「何がしたい? 何処へ行きたい?」

「随分と張り切っているな」

「勿論よ。だって今日も、レオンと一緒にいられるから」

「そ、そうか。それなら……」


王都の外へは出られない。

けれど一緒にいられるなら、何処でだって楽しめる。

そうやって意気込むと、彼は色々と迷った末にとある場所に連れていってくれた。

そこは昨日の繁華街から外れた、小さな紅茶専門店だった。


「ここって……」

「キレハと初めて来た場所だ」


以前、私がレオンを誘ったところ。

任務以外に興味はないとのたまった彼と、初めて踏み入れたお店でもある。

此処は表立って売り込んでいる訳ではないので、そもそもの人の出入りが少ない。

そして茶葉を売っているだけでもない。

売り物の茶葉を一部栽培しているせいか、奥はお屋敷のような立派な庭園に繋がっている。

きっと店の人達は趣味で経営していて、そういった心得もあるのでしょうね。

殆どの人が知らない、憩いの場所。

この時期にまだ開けていたことが、少しだけ意外だった。

私達は店主に挨拶をしつつ、以前と同じように庭園に足を運び、色鮮やかな光景を見渡す。

日差しに照らされた花が、今日はやけに眩しい。


「こういったものは、柄じゃないと思っていた」

「今は違うの?」

「あぁ。あれから、楽しみが幾つも増えた。任務ばかりを考えていた頃とは違う。こうしてキレハと出会ったお陰だ」


レオンは笑った。

照れ隠しをすることは良くあるけれど、自分から純粋な笑顔を見せることはあまりない。

だからこそ、その表情はとても新鮮で――。


「ありがとう」


陽の光を背にした彼の姿は、何処までも澄んでいた。

そして私の心を酷く締め付けた。

分かっているわ。

レオンは今、とても楽しんでいる。

悲しんではいけない。

終わりが近づいているなんて、考えてはいけない。

だからそんな不安を押し殺して、私は彼の手を握った。


「だったら、今日も沢山楽しみましょう?」

「お、おい……!」

「良い機会だわ。折角だし、今まで一緒の来たところを回ってみましょう!」

「だからいきなり手を掴むな……! 俺にも心の準備が……!」


それから私達は、今まで二人で来た場所を巡っていった。

初めて来た美術館、初めて来た展望台。

以前の思い出を辿るように過ごしていく。

まだ、今だけはこうしていたい。

レオンを連れ回しながら、私はそれだけを考えた。


「来たよ!」

「母上……領民との話し合いは付いたのか……?」

「当たり前でしょう! 結婚するなんて、寝耳に水だったんだから! 即行で終わらせてきたわ!」

「まぁ、急だったのは悪かったと思っている」


夕方頃に自宅へ戻ると、暫くして訪問客が現れる。

その人はレオンと同じ金髪碧眼の女性。

彼の母親だった。

見るからに気が強そうなタイプで、蒸発した私の両親とは真逆みたい。

勿論、私も来訪があることは知っていた。

結婚したのだから、当然といえば当然のこと。

先に式を挙げてしまったこともあって、失礼がないように振る舞う。

すると彼女は私を見て、不思議そうな顔をした。


「貴方がレオンの言っていた、見習い神官ちゃん……いえ、オルブライト家のご令嬢ね?」

「す、すみません、ご挨拶が遅れてしまいまして。私、キレハと申します」

「まぁ、それは良いんだけれど。貴方、分かっていて結婚したのよね?」

「はい」

「そう……。だったら、私から言うことは何もないわ」


それだけの会話で、彼女は何かを感じ取った。

少しだけ悲しそうに見えたのは、気のせいじゃないのでしょうね。

私が何かを言う前に、彼女はおもむろに背を向ける。

そしてもう一度向き直ると同時に、野菜の詰められた木のカゴを渡してきた。


「はいこれ。お裾分け」

「す、凄い量……!」

「私はクレア。何かあったら連絡なさい。すぐに飛んできてあげるから」


予想に反して好意的な言葉が返ってくる。

もしかして私達を気遣ってくれたのかしら。

私は所詮、地位を失った元男爵令嬢。

てっきり反対されると覚悟していたから、少しだけホッとする。

それからテーブルを囲みながら彼女、クレアさまの話を伺った。


彼女は王都から離れた、国境付近の小さな土地を管理する領主の一人。

夫を早くに亡くして、レオンを一人で育ててきたらしい。

騎士になるかどうかで一悶着もあったけど、結局は彼の意思を尊重したみたい。

無骨であまり人に興味がなさそうな息子に、不安を覚えることもあったようで。

だからこの子が早い内に結婚するなんて考えてもいなかった、と感慨深く口にした。

レオンは勘弁してほしそうな顔をしていたけど、私としては二人の家族としての関係が分かって嬉しかった。


その後、彼女は僅かな時間を滞在するだけで帰っていった。

王都で宿を取っているとか。

クレアさまも一緒にどうかと聞くと、二人の間に水を差す気はないと言われてしまった。

私は気にしていないのだけど。

その時の素っ気ない態度が、何処となくレオンと似ている気がした。


「悪かったな、騒々しくて。どうしても、俺達の顔が見たかったらしい」

「全然気にしてないわ。それに優しそうな人じゃない」

「そう見えるのか?」

「ええ。レオンと同じ、優しい目をしていたわ」


彼は聞き間違えかと思ったのか、こちらを二度見してきた。


「優しい目……俺はこれでも氷使いの騎士で……」

「冷たい性格ってこと? でもその割にはレオンって、すぐに顔を赤くするでしょう?」

「だっ!? 誰が顔を赤くするって……!?」


一気に顔が赤くなる。

全く、言っている傍からこれだもの。

本当に分かり易い。

私はゆっくりと彼の頬に触れる。


「ほら。こんなに温かい」

「こ、これは熱だ! 頭を使い過ぎただけだ!」


頭を使う場面なんてあったかしら。

徐々に言い訳が苦しくなってくる様子を見て、私は思わず笑ってしまう。

結局こうなる。

こうやって茶化してしまうから、私はこの内に秘めた思いを押し留めるしかない。

情けない話だと分かっている。

でも、これで良い。

無理に貴方に気を遣わせる訳にはいかない。

今この瞬間だけは、気兼ねなく過ごしたい。

私は笑顔を崩さなかった。

そうして、今日という日も瞬く間に終わる。


本当に時間が経つのは早い。

楽しい時間はすぐに過ぎ去るというけれど、終わってほしくないからこそ、余計にそれを実感してしまうかも。

最初の頃は精一杯に楽しみたいと思っていたのに、刻一刻と終わりの時を感じる。

まるで砂時計のように、無情に零れ落ちていく。


翌朝に目が覚めると、既に部屋の中にレオンの姿がなかった。

家中を探しても何処にも見当たらない。

嫌な予感がした。

焦燥に駆られた私は服を着替えて、外に駆けだす。

するとレオンは、玄関口の傍で剣を磨いていた。

彼が神殿内でいつも身に着けている、青白い長剣だ。

安堵の息を吐いた私に代わって、彼は刀身を見ながら口を開く。


「やはり剣を握っていないと身体が鈍る」

「……」

「当たり前の感覚だと、思っていたんだがな」


声色は僅かに寂しそうに聞こえる。

もしかしたら同じように、残された時間のことを考えていたのかもしれない。

期限は明日。

今日が終われば、私達の結婚生活も終わってしまう。

飛沫のように消えてしまう。

今のレオンの表情を見ていたくなくて、私は思わず明るい声で振る舞った。


「レオン、見て! 天気も良いし、絶好のお出かけ日和よ!」

「……」

「今日は何がしたい!? 何処へ行って……!」

「キレハ」


けれど冷静な声が私の言葉を塞き止めた。


「無理はしなくて良い」

「っ……!」

「今日は、このままで良い」


思い止まらせるように冷静で、それで思いやりのある温かさがあった。

そんな事を言われたら、もう何も言えない。

私が自然と両手を握り締めると、レオンが磨いていた剣を置き、こちらの方へと向き直った。


「分かったんだ。こんな当たり前の何事もない毎日こそ、本当の幸せだったと」

「……」

「今日は沢山話そう。今までの、お互いのことを」


いつも通りの平穏な日々。

私達は何処にも行かず、ただ家の中で過ごすことにした。

軽い食事をして、僅かに残った家事を済ませて、雑談を楽しむ。

ジッとしているのは落ち着かなかったので、暫くは場所を変えたりしていたけど、結局は大きなソファーの上に収まる。

二人でそこに座りながら、身の上話を一つ一つ打ち明けていった。

途切れ途切れになることもあったけど、そもそも沈黙が苦にならない。

そんな空気。


「キレハ」

「なに?」

「……もう少し、近くで触れていたい」


不意にレオンが呟き、肩が触れ合う位にまで座り合う。

緊張はしない。

茶化したりもしない。

ただ今ある感覚に身を委ねるだけ。

暫くして、再び彼が口を開いた。


「目指していた騎士になったところで、失望するだけだった。嫉妬と蹴落とし合いだけの、つまらない連中ばかり。だから立場を失っても尚、ひたむきに生き続けるキレハのことが、ずっと気掛かりだったんだ」


秘めていた思いを打ち明ける。

彼は元々、他の人から距離を置いていた。

今話してくれたような視線に晒されたのかもしれない。

私も同じだった。

立場を失い、両親にすら見捨てられた。

後は元令嬢というだけで敬遠されるばかり。

だからこそ、私を助けた彼が気になって仕方がなかった。

そしてそんな思いが溢れて、好きという感情になったのだと思う。

けれど、それももう――。


「レオン、私は……」


それより先を言う前に、彼が私の手を握る。


「必ず、戻ってくる」


いつの間にか自分の手が震えていることに気付いた。

今まで気を遣わせないようにと考えてきていたのに、本当に情けない。

それでも、私の考えが分かっているのだと。

思いは繋がっているのだと知って、私も同じようにその手を握り返した。







「行ってくる」


翌日の早朝、レオンは騎士服に身を包んで言った。

王都は既に多くの兵士達が集まり、武器や国旗を掲げながら旅立っていく。

周りでは物々しい空気を打ち払うように、ラッパの音が鳴り響く。

とうとう、この時が来てしまった。

私が表情を強張らせる中、同じく見送りに来ていたクレアさまが、彼の肩を思い切り叩いた。


「絶対に帰ってきなさいよ!」

「あぁ。母上も、この戦いが終わるまでは王都に避難したままでいてくれ。貴方がいれば、あの土地は立て直せる。領民も必ず戻ってくる筈だ」


互いの息災を祈る。

レオンだけではない。

他の兵士達も同じように、家族などに囲まれながら別れの挨拶を告げている。

彼らが行く場所は決まっている。

戦場だった。


「まさか、あんな若い子を出征させるまで逼迫しているなんて……」

「場所はセントノーマの国境らしいよ」

「ま、まさか……!」

「隣国も、かなり切羽詰まっているみたいだ」


周りからそんな声が聞こえる。

どうしようもない事だった。

王命には逆らえない。

レオン達の故郷は国境付近に位置している。

辺境に近く小さな領地のために、そもそも対抗できる武力は十全ではなかった。

そこに訪れたのが、隣国の侵略という名の宣戦布告。

だから領主であるクレアさまは、戦渦に巻き込まれないために領民達を全員退避させた後、王都へやって来た訳だ。

けれど領地が脅かされる状況で、黙って見過ごすことなど領主の息子として、騎士として有ってはならない。

レオンの元に出征の要請が来るのは自然な流れだった。


私達が過ごした数日間の結婚生活は、出征までの猶予期間。

戦争に赴くまでの、ほんの少しの時間。

だから私は彼に結婚を申し入れたし、神殿の人達も気持ちを汲んでくれた。

本当なら全てが終わってから言い出すべきことだったのかもしれない。

けれど私は、私を受け入れてくれたレオンと一緒に、楽しい一時を過ごしたかった。

たった数日、たった数秒でも、彼との繋がりが欲しかった。


そして戦地は熾烈を極めると言われている、セントノーマの国境。

行けばもう二度と戻ってくることはない場所。

巷ではそう囁かれている。


私の家が没落したのも、元を辿れば隣国との小競り合いによって情勢が悪化したせい。

結局この戦争は、私にとってあらゆるものを奪っていく災厄でしかない。

何気ない日常すらも、非情に奪っていく。

俯いたままでいると、レオンが近づいて優しい声で語り掛けた。


「キレハ、もっと近くで顔を見せてくれないか」


思わず下唇を噛んだ。

泣かない。

両親が蒸発した時だって、居場所を失った時だって、私は泣かなかった。

ここで涙を流しても、余計に心配させるだけだ。

せめて笑顔で見送らないと。

そう思って彼を見上げ、無理にでも笑顔を見せようとする。

けれどそんな私を見抜いたのか、レオンは静かに続けた。


「必ず帰ってくる。手紙も書く。だから……」

「……待っているわ」


それ以上聞いていたら感情が溢れそうだったから、声を絞り出す。

手に力を込め、指元で光る指輪に触れる。


「貴方が帰ってくるまで、待っているから。この指輪と一緒に」

「俺もこの指輪は決して手放さない。だからせめて、無事でいてくれ」


同じように彼も指輪を見せて、強く頷いた。

ほんの少しの結婚生活は、これで終わる。

築き上げてきた思いも手から離れて、本当に彼が戻って来る保証もない。

けれど、交わした約束は失われていない。

きっとまた会えるはず。

儚いレオンの姿を見て、今の私はそう信じるしかなかった。


彼を乗せた馬車は、他の荷車や兵士達と一緒に王都を離れていく。

馬車が完全に見えなくなるまで、私はその場から動かなかった。

中には既に、悲しみに打ちひしがれる人の姿すら見える。

きっと同じなのね。

私達だけじゃなく、同じように離れ離れになった人がいる。

けれど、時は待ってくれない。

淡々と進み、私達の視界から姿を消していく。

私がもっと涙を流せるくらいに弱ければ、思い止まってくれたのかしら。

なんて、無意味なことすら考える。


王都の公道から一人また一人と離れていき、私は自分の居場所を思い出す。

私はこれから見習い神官に戻り、大神殿で過ごすことになる。

何もしない訳にはいかない。

人々に手を差し伸べる者として、本来の役目を全うしなければならない。

この機会を得られたのも、神官の人達のお陰だ。

先輩達にもう一度、しっかりとお礼を言おう。

流れる風に寒気を感じつつ、公道から立ち去ろうとすると、目の前に見覚えのある人が待っていた。


「踏ん切りはついたかい?」

「クレアさま……?」

「さま、だなんて他人行儀な言い方ねぇ」


どうやら私を待っていたらしい。

それに加えて、何やら物申したい雰囲気がある。

何か失礼をしてしまったのかも。

慌てて頭を下げようとしたけれど、それより前に彼女が自身の胸に手を当てて、高らかに宣言した。


「私のことは、お義母さまと呼んでも良いわよっ!」

「えぇ……?」

「貴方はもう家族同然! 何かあったら私を頼りなさい! レオンが戻ってくるまで、ちゃんと面倒見てあげるから!」


思わず素っ頓狂な声を出してしまう。

まさかと言った形だが、クレアさまの言葉は本当だった。

それからと言うもの、彼女は私の仕事を応援しつつ、神殿に向けた支援を行ってくれた。

避難した領民への援助もある中で、わざわざ小言を放つ人達から守ってくれたりもした。

本当に、自分の娘のように接してくれたのだ。

レオンが戦地へ向かって、寂しいのは私だけじゃない。

クレアさまは、それ以上に辛いに決まっている。

だから彼女が許してくれるのであれば、その傍にいようと決めた。

出来ることは少なくても、一緒にいることに意味がある。

レオンとの時間で、その大切さを知っていた。

そして私は神殿での暮らしを続ける中、王都で過ごすクレアさまの元に顔を見せるようになった。

寂しそうな様子は見えなかったけど、私が来ると本当に嬉しそうにしてくれた。


『クレアさまにはお世話になってばかりで、本当に感謝しているの』

『キレハがそう思うなら構わないが……母上には強引な所がある。何か気になることがあるなら、この手紙にでも書いてくれ』


何日かに分けて送る手紙は、週跨ぎで二つだけ帰ってくる。

一つはクレアさま、そしてもう一つは私宛だ。

レオンとのやり取りは、今ではこの手紙だけに限られた。

声を聞くことは出来ないけれど、彼の思いは確かに此処にある。

私は返事を考えながらも、眠りにつく時に取り出しては読み返した。

そして彼が此処にいるのだと言い聞かせていった。


戦況は芳しくない。

王都にその影響が直接及ぶことはないが、物流は当然のように悪くなり、行き渡るべきものが行き届かない人々も現れる。

そうなれば、健康を損なう人や怪我を負う人も当然出てくる。

私はそんな人達を援助するため、日々見習い神官として治癒の魔法を使い続けた。

まだまだ未熟だけど、神殿での学びを活かすことで徐々にその力は増していった。


『今日は司教さまと一緒に、怪我をした人達の治療に専念したわ。私も少しずつだけど、治癒の力が強くなっているみたい』

『こっちはようやく国境に付いた。故郷から近い場所ではあるが、あるのは殺風景な谷と大きな川くらいだ。あの騒がしかった王都が懐かしいな』


彼もセントノーマに着いたみたい。

一通ごとに来る手紙で、無事だと分かるから安心できた。

けれど戦いの内容は書かれていない。

周りの風景や簡素な食事に触れたりしている位で、その話はあえて避けているようだった。


『あまり無理はしないでくれ』


そして最後には決まって、そう締めくくる。

無理をしているのは私じゃない。

レオンの方が間違いなく酷い状況のはずなのに、そんなことは全く書かれていない。

だから私は今日も、自分を奮い立たせて多くの人達の助けになる。

勿論、その過程で厄介なことも起きる。


「ちょ、ちょっと!」

「桃色の髪なんて洒落てるねぇ。暇ならオレと一緒に……」

「あの! 他の人達への支障になるので下がって下さい!」

「良いじゃないか、少しくらい……」


このピンク髪だ。

意味もなく絡まれることもあった。

そういう人達は自分本位なことが多いので、黙っていると余計に付け込まれる。

毅然とした態度で振る舞うことを心掛けた。

そしてそんな私を後押しする人もいる。


「何をしているのかしら?」

「なっ!?」

「その子は私の娘! 手を出すなら、ブタ箱にぶち込むわよ!?」


クレアさまが、当然のように私を庇ってくれた。

彼女だけじゃない。

神父様や先輩達も同じ。

皆が手を取り合って助け合い、私も誰かが困っていれば自分のことのように手を差し伸べた。

思いの連鎖が、多くの人との繋がりを作り上げるのね。

傷つけあうだけじゃない。

要らないからといって捨てる訳でも、孤独に閉じこもる訳でもない。

人にはこういった側面があるのだと知って、改めて私はそれを大事にしていきたいと感じた。


『まさか酔っ払いに絡まれるなんて。でもお義母さま達が追い払ってくれたから、怪我一つなかったわ。やっぱりクレアさまは、レオンに似ているわね』


そんな日々の出来事をレオンにも伝える。

私のことは心配しなくて良い。

無事で帰ってきてほしいと直接は書いていないけれど、そんな思いを込めて書き綴る。

けれど、酔っ払いの件は看過できなかったみたい。


『その男の名前は知っているか? 簡単な風貌でも良い。帰ったら素性を全て洗い出す。キレハに手を出した愚かな考えごと、全身を氷漬けにしてやろう』


ここだけ筆圧が強い気がする。

多分、いえ絶対に怒っているわね。

そこまで考えてくれるのは嬉しいけれど、ちょっと考え過ぎな気もする。

どうしたものかと返答に困っていると、続きにはこう書かれていた。


『やはりその髪の色、目立つみたいだな。いっその事、染めてみるのはどうだ。キレハも、面倒ごとには巻き込まれたくないだろう?』


自分の髪を見つめる。

確かに、以前の私なら頷いていたかもしれない。

どちらかと言えば苦い思い出しかないし、意味もなく視線を集めるだけ。

前々から染めてみるという考えはあった。

けれど、今は違う。

私は迷っていた返答を思い付いた。


『このままで良いわ。帰って来たレオンが、直ぐに私を見つけられるから』


初めてレオンが私を見つけたのは、この髪のお陰でもある。

色々なことがあったけれど、確かな良い思い出の一つだ。

だから今だけはこの色のままで良いと言える。

そう送ると、少しの時間が経って彼から返事があった。


『どんな姿でも、直ぐに見つける』


レオンが笑顔を見せながら書いていたのが分かる。

全く、ズルい人だわ。

茶化されれば慌てるばかりなのに、普段はこういうことをする。

私の気など知らずに、真っ直ぐに思いを伝えてくる。

ほんの少しの結婚生活で聞いた、ありがとうという言葉のように。

それだけ私のことを思ってくれていると分かって、本当に嬉しくなる。

絡まれた云々は些細なこと。

きっと彼もそれが分かって――。


『それで、例の男の素性は?』


いえ、でもこれは本当に怒ってそうね。

私はクスリと微笑みながら、また返事の内容を考える。

指元ではいつもと変わらず結婚指輪が光っていた。


早く会いたい。

早く声が聞きたい。

そんな思いもあるけれど、何より私達は思いで繋がっている。

見習い神官として経験を積み、人々を助け、お義母さまや神殿の人達と手を取り合う。

だから寂しくはないと、必ずレオンは帰ってくると、私は信じ続けた。







けれど、その考えは真っ向から打ち砕かれた。


「セントノーマの国境で、隣国の大軍と衝突したらしいぞ!」

「奴らめ……! 切羽詰まって、特攻を仕掛けたのか!」

「だ、大丈夫なの!?」

「もしあそこが突破されたら……」


その日、セントノーマの国境で隣国の大軍が防衛軍と衝突した。

王都は騒然としていて、誰も彼も気が気じゃなかった。

戦況は大まかな出来事しか伝わってこない。

私達の身には何も起きていなくても、この先の国境では熾烈な争いが繰り広げられている。

その事実が、私の身を強張らせた。

そして戦争激化を境に、レオンからの手紙は途絶えた。

今まで送っていた手紙も、物流が途絶えたことで私の元へ戻ってくるようになった。


「これで痛みは引いたはず。後は安静にして下さいね」

「あ、ありがとうございます! 助かりました!」


次第に王都でも、国境付近で怪我を負った人達が運ばれるようになった。

逸る気を紛らわせようと、私は身に着けたばかりの治癒の力を使い続けた。

ジッとしていると、余計なことばかり考えてしまう。

嫌な想像に、身を委ねてしまう。

お義母さまは心配していたけれど、止めようとはしなかった。

手元の指輪の感触を確かめながら一日、また一日と過ぎていく。

そして毎晩、途絶えた最後の手紙を読み返しながら、胸の内で握りしめる。

何処にいても、どんな姿をしていても、必ず私を見つけてくれると。

レオンの書いた文字を思い返す。

それでも彼からの連絡はやって来なかった。


レオン、私も少しは皆の役に立てるようになったわ。

これなら怪我をしても治してあげられる。

ねぇ、貴方は今どうしているの。

私は祈ることしか出来ない。

お義母さまも普段は気丈に振る舞っているけど、影では泣いているの。

だから、どうか――。




どうか――神様――。




「号外! 号外だーーっ!!」


それから数週間が経った日のことだった。

王都に大々的なビラが配られ、一面に載せられた文面に皆が驚きの声を上げた。


「隣国が降伏したぞ!」

「本当なの!?」

「や、やった! 戦いは……戦争は終わったんだ!」


国境での戦いは防衛軍の勝利に終わり、攻め手を失った隣国は遂に降伏へ至った。

そして両国で条約が組まれようとしていた。

二度と双方の領地を脅かさない。

もしどちらかがそれを破れば、相手国だけでなく他の国々も制裁を科すような、そんな内容。

喜びはなかった。

やっと終わったという確かな安堵だけが、私の中にあった。

これで無意味な戦いは無くなる。

戦いに赴いていた人々も帰ってくる筈だった。


けれど、どれだけ待っても。

手紙が来ることも、レオンが帰ってくることもなかった。

当然、私は合間を縫って探し回った。

お義母さまと協力して、彼の安否を確かめた。

けれど戦場から彼が運び込まれた様子はなかった。

最前線で味方の兵士を助けながら戦っていた所までは確認できたけれど、敵兵に囲まれて以降は消息が分からなくなったらしい。

だからレオンがどうなったのか、知る人は誰もいない。

手掛かりはなく、痕跡一つ見つけられなかった。

彼が携えていた剣も、あの日に交わした指輪すらも、何処にも見当たらない。


程なくしてレオンは、生死不明と判断された。







「キレハさん、貴方に神官の称号を与えます」

「あ、ありがとうございます……!」

「これは貴方が皆へ与えた施しの、正当な評価です。よく、頑張りましたね」


終戦から一ヶ月が経った。

私は見習い神官という立場から、正式な神官になった。

戦時中に王都中を駆け回り、様々な人を治癒したことが評価されたらしい。

有難いことだった。

これは、私の力で手に入れたもの。

今までしてきたことが無駄ではなかったと、形で証明されたことになる。

神殿の人達には感謝してもし切れない。

せめて笑顔で、私はその栄誉を受け取った。


王都には物々しかった雰囲気が消え、復興と共に今日は大きな祭典が行われていた。

戦争が終わったことによる、平和を掲げる祭りだ。

祝いというよりは、祈りに比重を置くもの。

神殿側が行事運営の中核を担っているので、当然私もその中の一員にいた。


「今日は例の祭典だったわね。王都中は、もうお祝いモードで一杯だよ」

「お義母さまは、どうします?」

「うーん。こういうのは、私の性に合っていないからねぇ。遠目で見るだけにしておくよ」


宿屋の窓から外を眺めながら、お義母さまは答える。

戦争が終わってから、彼女はあまり外に出なくなってしまった。

私との交流が薄くなった訳ではないけれど、以前ほどの元気は見られない。

だからこそ、私達は一つの結論を出していた。


これからどうするか。

私はお義母さまに付いていくことに決めた。

彼女とレオンが住んでいた、国境近くの領土へ。

領民は戦火から逃れさせるために全員避難させたけれど、土地だけはどうしようもない。

争いの火の粉が降りかかり、その傷跡は未だ残っているはず。

けれど、領民にとっては大事な故郷だ。

戦争が終わり、徐々に人が戻りつつあるという。

領主としての役目をお義母さまが果たすように、私も同じ使命を果たしたい。

そう思った。

幸い領土には幾つかの教会もあったようで、人が戻っている今、神官としての役目は続けられそうだった。

既に神殿の人達には了承を得ている。

王都にいるのも、この祭りが終わって後片付けが済むまでになっていた。


「それでは、行ってきますね」

「暗くなる前に、帰ってきなさいよ!」


見送りを受けながら私は王都に繰り出す。

とは言え、することは殆ど終わっている。

祭典での私の役目は事前準備の手助けで、当日はほぼ自由行動が与えられていた。

特に決まったこともない。

だから私は、王都中の様子を見ることにした。


外は寒い。

息が白く灯り、雪が微かに降り始めている。

その中でも人々は祈りを捧げるために集まっていた。

王都の広場は色とりどりのランタンに照らされて、静かな活気に溢れている。

賑やかというものではないが、互いに思いやそこにある温かさを共有していた。

彼らの手には同じようなランタンがある。

祭りの最後にはそれを空へと浮かばせ、祈りと共に天へ願いを届けるのだ。

皆の思いは一緒だった。


「戦いが終わって皆、平穏に暮らし始めている。でも……」


神殿の人達に促されて人々がランタンを手にする中、私はそこから立ち去った。

そこに、居られなかった。

気付けば私は大神殿に戻って来ていた。

何かを考える訳でもなく、今までに生活してきた場所を巡っていく。

聖堂、懺悔室、資料室や治療場所、綺麗に片付けられた私の寝床。

そして神殿の外井戸がある場所まで辿り着く。

此処は初めてレオンが私を助けてくれたところだ。

人が出払っていて殆ど誰もいない中、一人その場に立ち尽くす。

無意識の内に、私は手を結んで祈りを捧げていた。

寒い。

落ちてきた雪が両手に触れ、微かに震わせる。

すると後ろから足音が聞こえ、思わず振り返った。


「雪だるまの着ぐるみ?」

『一緒に祈りを届けましょう』


ニッコリとした表情の雪だるまが、そんなプラカードを掲げていた。

先程見て回った時も複数の着ぐるみが歩いていたので、こちらもその内の一つ。

きっと一人の私を見かけて、気遣ってくれているのね。

私は笑顔を作って見せた。


「ありがとう。私も、ずっと願っているの」


白い息を吐いて、手を解く。

自然と私はその雪だるまに語り掛けていた。


「無事に帰って来られるように、きっとまた会えるように、こうして祈っている。たとえそれが、どんなに少ない確率でも……。私が信じないと……」


声が震える。

別に私は望みを叶えてほしくて祈っているだけじゃない。

祈りは信じるということ。

信じることを止めてしまえば、それは諦めに繋がる。

彼がもういないと、その現実に押し潰されてしまう。


「信じないと……本当にあの人は……」


だから祈る。

祈るしか、なかった。

こんな私の話を聞いて、雪だるまは何を思ったのか。

ゆっくりと一歩近づいてくる、その時だった。


近くの茂みから複数の気配が躍り出る。

着ぐるみとは違う。

物々しい雰囲気を纏う男達だった。

祭りを祝う空気ではない、獣のような視線が異彩を放っている。

明らかに普通じゃない。

彼らは身構えた私を見て、目を細めた。


「丁度良い。今からお前を拘束する」

「な、何なの!? 貴方達は!?」

「我々は意志を継ぐ者」


男達が更に一歩踏み出してくる。


「我が国はまだ敗北していない。この忌まわしいパレードに乗じて、勝利に酔いしれた連中に血を流してもらう。そして、あの和平条約締結を中止させるのだ」

「まさか、隣国の残党……!?」

「神官は都合がいい。貴様を連れて行けば、連中の懐まで入り込める。大人しくするのなら、命だけは奪わないでやろう」


戦いは終わった筈なのに。

自分達の勝利を信じている、いえ諦めきれない人達がいたなんて。

私は辺りを見回して、誰もいないことに気付く。

彼らの目的は自爆覚悟のテロ行為。

被害をより大きく出して、祭典と協定を滅茶苦茶にすること。

きっとあの広場に潜り込んで神殿の人達を、先輩達を狙っているに違いない。

そして私は、此処に一人でいる所を狙われた。


「おい見ろよ。ソイツ、指輪をしているぜ。ケッ、高価そうなものを身に着けやがって。そうやって見せつけるなんて、さぞかし幸せなんだろうなぁ?」

「何を……!」

「丁度良い。それも一緒に奪ってやる。売り払えば、はした金にはなるだろうぜ」

「だ、駄目っ!」


男が私の指輪を指差した瞬間、頭の中で思考が渦巻く。

言い表せるようなものはなかった。

ただ反射的に指輪を庇い、感情のままに魔力が放たれる。

瞬間、氷の壁が立ち上がった。

せめてこれだけは守らなければと、突発的に生み出した魔法でもあった。

けれど彼らは多少驚いた後、直ぐに冷静さを取り戻す。


「ほう、氷の魔法を使えるのか。若手の神官とは言え、少しは心得があるようだな。だが……」

「っ!?」

「お行儀が良すぎる。まさに、戦いを知らない者のやり方だ」


そう言われ、呆気なく生み出した氷の壁は破壊された。

衝撃波のようなものをぶつけられたらしい。

男達が粉々になった氷の破片を踏み越えてくる。

その様子は明らかに戦い慣れていた。


「そんなものは無意味だ。現実を変えるのは、我々のような理想のために殉ずる強い意志。そうやって世界は何度も変わって来たのだ。そんな形だけの祈りなど、誰にも届きはしない」


彼らが全身に魔力を纏う。

下手なことをすればどうなるか、という威圧的な意味が込められていた。

けれど私は、それ以上に今ある思いを否定された気がして、思わず目を瞑った。


あの戦いで、私は沢山のものを失った。

令嬢としての地位も。

名誉も。

居場所すらも。


それなのに、今度はこの絆すら奪われてしまうの?

私のたった一つの思いまで?


嫌だ。

嫌だ。




そんなのは、絶対に嫌――!




「何だ、この冷気は!?」

「か、身体が動かねぇ!?」


聞こえてきたのは驚き戸惑う声。

ゆっくりと目を開けると、そこあったのは周囲一帯に氷の茨が巻き上がった状況だった。

彼らはそれに身体を覆われ、身動き一つ取れなくなっている。

私以外の者全てを絡めとる冷気の棘。

でもこれは、私が生み出した魔法じゃない。


「き、貴様! 我々の崇高な目的を邪魔立てする気……! ぐあっ!?」


彼らでも脱出は困難なのか敵意を漲らせる。

けれどそんな感情に呼応するように、氷が男達の全身に侵食し、魔力ごと奪っていく。

冷気と吸収を併せた、強力な氷の魔法だ。

こんなことが出来る人なんて、私が知る限りでは、あの人しか――。


「下らない言い分もそこまでにしておけ」


聞き覚えのある声がした。

待ち焦がれていた、彼の声。

ハッとして振り返ると、そこには今まで傍にいた、あの白い雪だるまが立っていた。


「無差別に人を傷つける行為に、崇高も何もありはしないんだ」

「ぁ……」

「……ずっと、頃合いを見計らっていたのにな」


スルスルと着ぐるみが解かれ、中から人の姿が現れる。

微かな風に金色の髪を靡かせ、氷のような青白い瞳を輝かせながら。

以前、この場所で助けてくれた時と同じ凛々しい顔で。


「お前達のせいで全て台無しだ」


あの人が、レオンが私を庇いながら立ち塞がった。

夢じゃない。

間違いなく生きて、そこにいる。

色々な出来事の連続で頭が追い付いていない中、彼は流し目を向けた。


「キレハ、すまなかった。セントノーマの戦いで川底に落ちてな。気を失ってかなり流された上、終戦に気付いたのも最近で、戻るのに時間が掛かってしまった」


その言葉の一つ一つが心に響き、徐々に感情が溢れてくる。

会って話したい、もっと思いを伝えたいと考えていたのに、全然言葉が出てこない。

代わりに視界が次第に滲んでくる。

すると彼は少しだけ申し訳なさそうな表情を見せた。


「……待っていてくれたんだな」

「ま……待った……待ったわよ……! もしかしたら、もう駄目なんじゃないかって! 何度も、何度も諦めそうになって! それでもっ……!」

「俺も、同じさ」


堰を切ったように出てきた言葉をレオンは受け止める。


「深手を負って敵兵に囲まれた時、意識が遠のいた時……何度も挫けそうになった。でも、その度にこの指輪が俺を支えてくれた。俺には確かに、帰る場所がある。待ってくれている家族がいると」


その指元には、私と同じ結婚指輪があった。

互いに離れていても心で繋がっていると信じ、交わした約束。

彼はそれを守ってくれた。

そして私の思いは、祈りは、無駄にならなかった。

頷きながら自身の指輪を握り締める。

けれど同時に、氷の茨から微かに気配が動いた。


「ふざけるな……。どうして、お前達ばかり……」

「……」

「我々は同じように戦った! だというのに、お前達だけが幸福を享受するというのか!? 我々の同胞を殺しておきながら、お前達ばかりが全てを得るのか!? 奪ってやる! お前達も! 同じ苦しみを味わわせてやる!」


男達が大声で叫ぶ。

過去に何が起きたのかは分からない。

けれどこれだけの憎悪を抱くだけの理由が、目の前の私達に怒りを覚える理由が、あったのかもしれない。

私には、彼らの言葉を否定できなかった。


「それがお前達の本心か」


けれどレオンはその言葉を返す。

剣を鞘から抜き、刀身に魔力を帯びさせる。


「そうだ。俺はあの戦いで、多くの敵兵を殺した。それと同じように、多くの仲間も殺された」

「!?」

「分からないのか。背負っているのは、お前達だけじゃない」


重みに耐えるような声色だった。

彼もまた、抱えてきていた。

あの戦争では、あまりに多くの人命が失われた。

互いに癒えることのない傷を残して。

でもそこから更に奪い合ったとしても、悪い方向へと転がり落ちていくだけ。

憎悪は連鎖し、世代を超えて引き継がれる。

だからレオンは、その憎悪を真っ向から受け止めた。


「それでも来ると言うなら来い! もう二度と、失わせはしない!」


彼は剣を振るった。

振るった先から青白い光が解き放たれ、一帯を呑み込んでいく。

これは魔力の渦だ。

魔法ではない、純粋な魔力の塊が私達を取り囲んでいく。

するとその瞬間、脳裏に別の光景が流れ込んできた。


『おい、しっかりしろ! 目を開けるんだ! お前も約束したんだろう!? 生きて家族と会うと! こんな所で……クッ!』


レオンが動かない兵士を揺さぶり、悔しそうに声を絞らせている。

これはセントノーマの戦場。

神官としての力が共鳴して、当時の光景が魔力を通じて見えている。

彼はそこで、より多くの仲間を救おうとしていた。

自分だけでなく、一人一人に帰る場所があると分かった上で、出来るだけ皆を助けるために剣を振るっていた。


『そこを退け! 俺は! 俺は、帰らなくてはいけないんだ!!』


そして敵兵によって崖際へ追い込まれる中、レオンは魔法を解き放つ。

その思いは、単に生き延びるためだけじゃない。

再びあるべき場所に戻るために。

必ず戻ると言った約束を果たすために。


光が収まると同時に、戦いの記憶も霧のように消えていく。

既に男達は全員気を失っていた。

そしてこれだけの騒ぎを起こしたのだ。

神殿の方から人が徐々に集まってくる。

そんな中、彼は剣を収めて私の方へと向き直った。


「あの中には、俺と同じ思いを持つ者もいたはずだ。きっとこの手は、血で汚れている。それでも……」


ゆっくりと手が差し伸べられる。

けれど思い止まるような、躊躇いがあった。

その理由が今なら分かる。

本当に悲しそうな表情で、レオンは私の頬に触れた。


「会いたかった……。またもう一度……会いたかったんだ……」


消え入りそうな声。

彼は仲間を助けるだけでなく、襲い掛かってきた敵の命も奪った。

その事実が、私に対する罪悪感に変わっている。

以前の自分とは違うと、僅かな恐れを抱いているのかもしれない。

けれど、責める理由なんて何処にもない。

ある訳がない。

私はその手に触れた。


「一緒に、償うわ」


寒さに凍えていた手が確かな温かさを覚える。


「貴方が命を奪ってきたのなら、これからもっと多くの人を助ければ良いのよ。私も手伝うわ。もう二度と、こんな悲しい争いが起きないように」

「……ありがとう」


その温かさが彼にも伝わったのか。

本当に安堵したように表情を和らげた。

罪に押し潰されることは贖罪にならない。

見習い神官として色々な人を見て、私は知った。

過ちを犯したのならそれ以上の、より多くの人々を幸せにして分け与える。

それがこれからできる償いに繋がるはず。

そう、これからなら。

私達はやっと、離れ離れになった手を取り合える。


そこまで考えた瞬間、更に視界が揺らぐ。

今まで塞き止めていたものが流れ出すように、涙が溢れてくる。

あぁ。

もうダメみたい。

徐々に私は俯き、自然に声を振り絞った。


「ずっと、泣くのを我慢していたの。泣くのは、レオンが帰って来てからにするって……ずっと前から決めていたから……」


息が嗚咽に代わっていく。

今までずっと耐えてきた。

令嬢としての地位が消え、両親に捨てられ、神殿に身を置き、色々な理由でやっかみを受けても、それでも今まで必死に堪えてきた。

涙を流しても何も変わらない、ただ周りに気を遣われるだけだから。

だけど、もう――。


「もう、良いよね……? もう、我慢しなくても……っ……!」

「あぁ。二度とキレハを悲しませない。今度こそ、ずっと一緒にいよう」


レオンが抱き締める。

その温かさと懐かしさを感じ、私は大粒の涙を流した。

直後、広場で式が行われたのか、多くのランタンが夜空に昇っていく。

喜びも悲しみも、その全てを運んでいくように、色とりどりの光が立ち昇る。

美しくも儚い光の群れを受けながら、私達はただお互いに抱き合った。







陽の光を見上げて、私は目を細める。

雪の季節も終わり、次第に気温も温かくなってきている。

葉を落としていた木々にも活気が戻り、土からは多くの芽が息吹くはず。

同じように、やっとお屋敷の修繕にも終わりが見えてきた。

まぁ、大工仕事はその手のプロに任せるばかりだったけど。

それでも以前のような姿に戻ったのを見て、少しだけ達成感を抱く。


あれから私は王都の人々に別れを告げ、レオン達の領地へ移った。

領内は戦火に巻き込まれた状態で、復興にはかなり時間が掛かるのが分かった。

だから私も出来る限り手伝った。

少しでも助けになるために癒しの力を、時には別の魔法を使いこなす。

王都の先輩達とも連絡を取り合いつつ、神官として当然のことをやり遂げていった。

そうしていく内に領民の人達とも交流が増え、色々なことも見えてきた。

彼らは皆、戦いが終わったことに安堵し、故郷で暮らすために戻ってきている。

帰る場所があるのは、それだけで幸せなことなのだと。

いつも通りのこと、何気ない日々がとても大切に感じると。

皆、口々にそう言っていた。

それは以前、レオンが私に言ってくれた言葉と全く同じだった。


戦いで失われた命はある。

残された人々も当然いる。

だから私は神官として手を差し伸べ続ける。

それが今を生きる私達に出来ることの一つ。

陽の光を浴びつつ、そう考えていると、お屋敷から箒を持った女性が現れる。

私のお義母さま、クレアさまだ。

彼女は私を探していたのか、こちらに気付いて小走りで近づいてくる。


「キレハちゃん、ちょっと良いかい?」

「お義母さま、どうかしたんですか?」

「娘を探しているって、人達がいてね。桃色の髪の子がどうとかと言っているんだけど……どうにもお金の無心みたいで……」


彼女は誰かからの手紙を取り出した。

気まずそうな表情から何が言いたいのか伝わってくる。

唐突ではある。

まさか今になって、とも思った。

けれど衝撃は最初だけだ。

変に引き摺る気持ちは、もう何処にもない。

私はその言葉を前に首を振った。


「気にしないで下さい。私は何処にも行きません」

「……良いのかい?」

「私の家族は此処にありますから」


ハッキリと口にする。

私はもうオルブライト家の令嬢ではない。

それを聞いてクレアさまは笑みを浮かべ、力を込めて箒を掲げた。


「よし! それなら私に任せといて! 変な奴らが来ても、この箒で追っ払ってあげるよ!」

「ふふ。ありがとうございます」

「あっ! それと、レオンにコレを渡しといて! あの子、時々抜けているからねぇ!」


思い出したように封書が渡される。

これは王家に提出するための書類だ。

よく見ると封をした後に自筆のサインが書かれていない。

成程、と理解した私は彼の元に向かうことにした。


「……あなた、やっと平和になったわよ」


去り際にクレアさまの嬉しそうな声を聞いて、私はその場を後にする。

彼がいる場所は決まっていた。

お屋敷のすぐ近くには小さな教会がある。

敷地内ということもあって、静かで小鳥の囀りさえ聞こえてくる場所だ。

レオンはそこで祈りを捧げていた。

領主となった彼の姿は一際凛々しい。

そして自身の罪を清算しているようにも、懺悔しているようにも見えた。

私は祈りを終えるまで待ち、それから声を掛ける。


「レオン」

「キレハ? 君も祈りを捧げに来たのか?」

「それもあるけれど。はい、忘れ物よ」

「おっと……すまない。書き落としがあったのか」


そう言いつつ、歩み寄ってくる。

けれど受け取るよりも先に、着ていた上着を脱いで私に被せてきた。

包み込まれる感覚が身体を取り巻く。


「ありがとう。でも、身体は大事にした方が良い」


全く、こういう所は変わらない。

最近は余計に気に掛けてくる気がするし。

書簡を渡しつつ、私は微笑んだ。


「それは私の台詞。レオンはそう言って、無茶ばかりするもの」


そうして私も同じように祈りを捧げる。

平和と、より多くの人が平穏に暮らせるように願う。

今はまだ領地の人々に手を差し伸べるばかりだけど、いつかはもっと多くの人を助けられるようにしたい。

そうすれば、その思いは連鎖する。

怒りや悲しみだけでなく、人を慈しむ思いも同じように伝わるはず。

祈りを終え、私は彼の方へ振り返った。


「分かったことがあるわ。祈りが絶対に届くとは限らない。自己満足だという人もいるって。それでも、祈りを捧げることに意味があるはず」

「諦めずに信じ続ける、か。俺もそれを失わなかったからこそ今ここに、キレハと一緒にいられる。だからその思いは、間違いじゃない」


レオンはそう言ってくれた。

人は傷つけあい、命を奪い合うこともあるかもしれない。

けれど、それだけじゃない。

私達は絆を深めて、助け合い、愛情を育むこともできる。

弱さも、そして強さも、全てが一つになって人になっていくのだ。

そしてその先で、新しい命が宿る。


「レオン」

「どうした?」

「愛しているわ」


あれから何度目かも分からない言葉を告げる。

私が彼を想う確かな言葉。

それを聞いて、彼は同じように微笑んだ。


「俺も、君を愛している。この先も、これからもずっと」


手を繋ぎ合い、お互いの指輪が光に照らされる。

まだ始まったばかりだけれど、今はこの感覚に身を委ねよう。

ほんの少しだった結婚生活。

それはこれからも、ずっと続いていくのだから。

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― 新着の感想 ―
[一言] 大きな世の波に流されていく人々の哀しみやすがるような祈りの意味が心に迫ってきました。 敵の人たちの悔しさとやるせなさもわからないではなかったです。 手段を間違えたけれど彼らもまた誰かを守りた…
[一言] 待っている人達の悲しみや切なさ、戦争のやるせなさが伝わってきて、良いお話だと思いました。 ハッピーエンドで良かったです。
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