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第七話 【御家門筆頭】

「されば申し上げます。」


大膳(だいぜん)は無言で(うなず)き、話を(うなが)す。


「越前松平家は言うまでもなく御家門(ごかもん)筆頭(ひっとう)の家柄、そして今は亡き御前様(ごぜんさま)にとって先の将軍、徳川家斉(いえなり)公は実の父であり、現将軍、徳川家慶(いえよし)公は実の兄にあたられます。」


御家門(ごかもん)とは徳川宗家(そうけ)あるいは徳川家康の兄弟を始祖(しそ)とする家系の大名家・旗本家を指す。


そのため御家門衆(ごかもんしゅう)は徳川御三家、御三卿(ごさんきょう)に次ぐ家格(かかく)とされ、通常の大名・旗本とは別格の扱いを受ける存在である。


特に越前松平家は御家門衆(ごかもんしゅう)筆頭(ひっとう)であり、名家(めいか)といって()(つか)えない。


「元を正せば、天保六年に御前様(ごぜんさま)継嗣(けいし)として(むか)()れた当家に対し、幕府は借りがあるはず。」


「しかしその際、我が藩は幕府より二万石の加増(かぞう)拝領(はいりょう)しておる。借りは返されているのではないか?」


右近が発した『借り』という発言には、背景の説明が必要だろう。


第十一代将軍、徳川家斉(いえなり)()()生涯で五十人以上の子を()し、男子だけでも二十六名を数える。


幕府はこのような前例の無い数となった男子の処遇(しょぐう)に頭を悩ませており、養子縁組先を探していた。


探すと言っても()()()()良いという訳ではなく、将軍の身内が養子となるに相応(ふさわ)しい家格(かかく)である事が求められた。


その求めに応じたのが、跡継(あとつ)ぎがいなかった越前松平家である。


これは幕府にとって願っても無い話だ。


越前松平家であれば家格(かかく)に文句の付け様が無く、最高の養子縁組先である。


一方の越前松平家にとっては幕府に恩を売り、幕府との(つな)がりを深める事になる。


つまり両者にとって利のある縁組だったのだ。


その意味では、幕府が一方的に越前福井藩に対して借りがあるわけではない。


「事が易々(やすやす)といかない事は承知しております。それゆえ幕府への働きかけは松栄院(しょうえいいん)様にお願いするのが上策(じょうさく)でしょう。」


「それしかあるまい。」


肝要(かんよう)なのは松栄院(しょうえいいん)様を補佐(ほさ)し、談判(だんぱん)の実務を取り仕切る者です。(すなわ)ち幕府と渡り合える者という条件が付きますが、これが(こと)(ほか)難しいかと(ぞん)ずる。江戸詰(えどづ)めの中に、これはと思う心当(こころあ)たりがござりませぬ。」


「右近、其方(そなた)(まこと)心当(こころあ)たりが無いと申すか。」


御意(ぎょい)


心当(こころあ)たりなら、(わし)にはある。」


「それは一体何方(どなた)でありましょうや?」


自信満々の大膳(だいぜん)を見た右近は身を乗り出し、その返答を待った。

次回は2月19日(金)20時に公開予定です。

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