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第参話 【訃報】

右近が本丸に通じる瓦御門(かわらごもん)に着いた頃には空も(しら)み始めており、(あた)りの様子がはっきりと見て取れる。


天保九年から(さかのぼ)る事百七十年、寛文九年(かんぶんくねん)に起きた火災により天守(てんしゅ)(すで)に失われているため、福井城は城と(しょう)しながら、城郭(じょうかく)そのものは存在しない。


石垣と堀、そして二つの(やぐら)が、ここが城である事を示すのみである。


泰平(たいへい)の世において天守(てんしゅ)の存在は、大名の権勢(けんせい)象徴(しょうちょう)としての意味を(のぞ)くと、実用性(じつようせい)という面では(いちじる)しく使い勝手が悪い建物であった。


また福井城天守が焼失した十二年前に、江戸で発生した明暦の大火が、思わぬ影響を与える事になる。


明暦の大火は江戸城大天守を含め、江戸の大部分を焼き尽くすような(すさ)まじいものであったが、当時の大政参与である保科正之は江戸市中の再建を優先し、江戸城天守の再建を見合わせるという政治判断を行った。


江戸城天守が再建されなかった事で、他の大名もそれに(なら)う様になったのだ。


それ以降、地震や火災で天守(てんしゅ)が失われた場合、それらの多くは二度と再建(さいけん)される事は無かった。


福井城においても、天守(てんしゅ)が存在しない状態が(すで)に百七十年も続いているため、今や人々は()()を当たり前の状態として受け入れている。


そのような福井城の本丸には藩士たちが続々と集まってきており、早朝にもかかわらず、人で(あふ)(かえ)っていた。


皆、一様(いちよう)に不安そうな表情で右往左往(うおうさおう)している。


『まずは事の次第を知る事が肝要だ。』


右近は胸の高鳴(たかな)りを(おさ)えながら、本丸御殿(ごてん)の中をずんずん進んでいく。


「遅れてすまぬ。」


彼が御書院番(ごしょいんばん)の番所に到着(とうちゃく)した時には、同僚(どうりょう)たちはすっかり顔を(そろ)えており、最後の一人が右近であった。


右近の姿を(みと)めた番頭(ばんがしら)榊原大膳(さかきばらだいぜん)が話を始める。


「皆、()(そろ)うたようだな。」


普段は(おだ)やかで笑顔の多い大膳(だいぜん)だが、この日ばかりは真剣な表情を(くず)そうとしない。


「このような早朝に集まってもらったのは(ほか)でもない、御前様(ごぜんさま)の事だ。」


大膳(だいぜん)は一旦言葉を切ると、低い声で、だがはっきりと事実を伝える。


「本日()(こく)、城中にて御前様(ごぜんさま)身罷(みまか)られた。」

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