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第壱話 【斉善死す】

天保九年(てんぽうくねん)(西暦1838年)

日本は(いま)泰平(たいへい)の眠りの中にあった。


翌年には英国と清国(しんこく)の間でアヘン戦争が勃発(ぼっぱつ)し、いよいよ帝国主義の暴風は隣国(りんごく)席巻(せっけん)しようとしている。


浦賀(うらが)にペリー艦隊(かんたい)四隻が来航するのが十五年後の嘉永(かえい)六年、明治維新からは丁度三十年前であり、日本が激動(げきどう)の時代を(むか)える少し前の、そんな時代。


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越前国(えちぜんのくに)福井藩は徳川家康の次男、結城秀康(ゆうきひでやす)藩祖(はんそ)とする北陸の雄藩(ゆうはん)である。


七月二十七日、その福井藩を大きく()るがす危機が突然勃発(ぼっぱつ)する。


第十五代藩主である左近衛(さこんえ)権中将(ごんのちゅうじょう)松平越前守斉善まつだいらえちぜんのかみなりさわ国元(くにもと)の福井で急死したのだ。


この時、斉善(なりさわ)(わず)か十九歳、若い斉善(なりさわ)には嗣子(しし)がいなかった。


この事態が予想可能であれば、他家(たけ)から嗣子(しし)(むか)える事で、危機を未然(みぜん)(ふせ)げたはずだ。


しかし斉善(なりさわ)の死があまりにも突然であったため、周囲も()(すべ)が無かった。


藩主(はんしゅ)跡継(あとつ)ぎがいない場合、藩主(はんしゅ)の死と供にお家断絶(いえだんぜつ)となり、藩は改易(かいえき)される。


これが江戸幕府が定めた定法(じょうほう)である。


この定法(じょうほう)に従えば、越前松平家は改易(かいえき)となり、()(つぶ)される運命にある。


(のこ)された家臣にとっては青天(せいてん)霹靂(へきれき)であり、存亡(そんぼう)の危機を(むか)えた福井藩内は(にわか)騒然(そうぜん)となった。

用語解説

嗣子(しし)

跡継ぎとなる子供の事

養子、実子を問わない。

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