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10 憂いを掃う玉箒



 夜明けにはまだ早い深夜。ふと顔を上げたアルタクスは、マールが……いや、ララが自分にもたれ掛かって寝てしまっているのに気がついた。


 これはもう、ごまかしようもない醜聞ではあるが、目を赤くしてスッキリとした顔のアルタクスには、もはやどうでもいいことの様に感じられた。




 優しく宥められて抱きしめられ泣いた。それだけで、あれ程ドロドロと体中に纏わり付いた負の感情が、綺麗さっぱり晴れるのはおかしい。やはり自分は洗脳されていたのだろうか。




 アルタクスには母の思い出は無い。頻繁に会いに来てくれた宰相とその娘サイーデが、物心付いた頃にはアルタクスの家族だった。


 宰相は王よりも余程父親のように振る舞ってくれた。いつも後ろをついて歩く小さい婚約者は可愛かった。


 その輪に第二王子であるイルアン兄上が加わったのはいつからだっただろうか。




 彼等のうちの誰かがアルタクスに魔法をかけたのか。それとも、王が手を汚さず操る為に魔法を掛けたのだろうか。


 洗脳か服従か愚かになる呪いか。やはりララの言う、スリコミという長期魔法なのか。

 


 良くないお願いに苦痛は感じても、聞かない、という選択肢は自分の中にはなかった。各自がしにくるお願いについて、他の人間に相談しようと思ったこともなかった。


 誰の指摘でもなくアルタクス自身で、そういった不自然さに目が向くようになったことが驚きで、まさに曇っていた目が晴れたようだった。



 ぼんやりと何も考えず、新しいことがなかなか覚えられなかった。空を見ているだけで、一日が終わることもあった。そういう状態でなければ、十二年もこんな塔にいられなかったかもしれない。



 マモル・ララ・オグラ。彼女はアルタクスに掛けられていたであろう魔法について、何も言及しなかった。気付いていなかったのか。曇りが晴れたのは偶然なのか。


 

 彼女が世界を渡る際に神に依頼された仕事とは何だったのだろう。




 彼女を抱き上げ執務室を出る。扉の外ではヒンレックが驚いた顔をしていたが、アルタクスの顔を見て納得したのか、黙って寝室まで先導した。



 自分の寝台にララを乗せ、アルタクスは居間に戻る。ヒンレックは自室に戻った。気を回さずとも流石に今夜どうこうということはないのだが。





 明け方、今までのことを考え直していたアルタクスは、扉の開く音に目を向けた。ララが寝室へと続く内階段からそっと顔を出していた。寝てしまったことを恥じ、運んでもらったことを詫びる顔は、昨夜とは違い感情が窺えない。



 お茶を入れ、向かいに座り、アルタクスの瞳をじっと見つめる黒い瞳。前髪が眉までかかっているせいか、目がとても強調されている。強い視線に耐え切れず、いつもならばアルタクスが途中で逸らしてしまうのだが、今日はララか目を伏せふーっと長い溜め息をついて言った。



「何かお聞きになりたいことはありますか?」



 さて、何を聞けばいいのか。聞きたいことは色々あるはずだが、聞いたらこの関係が壊れてしまう気がする。アルタクスは黙って首を横に振り、口を開いた。



「まず十二年前の話を聞いて欲しい。」







 あの日アルタクスは城から少し離れた神殿で魔法陣を書いていた。神官も侍従も護衛も全て帰らせて、祈りの為の椅子も全て片付け、祭壇の前の広い空間で香を薫き清めた。


 跪き雨が止むように太陽神に祈りながら、過大な円の中に必要あるのか無いのかわからない記号まで書いていく。やりたくなかった。いっそ自分が消えたかった。


 イグラムールに言われるままに雨を降らせ、しかし止ませることが出来ず。そしてまた言われるままに異世界から聖女を召喚しようとしていたのだ。


 体感的に、魔法陣を描かなくても、異世界から人を呼ぶことはできる気がした。逆に魔法陣を書いても聖女は呼べない気がした。


 自分には起こせない奇跡を、起こせるだけの力を持つ人間を呼ぶには、自分の魔法では力が足りない。神の奇跡がなくては成しえないと感じたからだ。呼ばれても期待に応えられない不敏な聖女を、帰せもしないのに呼ぶことはためらわれた。




 そこにやって来たのが宰相イグラムールだった。宰相は神殿に篭るアルタクスを、日に一度食料を持ち催促も兼ねて確認に来るのだ。


 イグラムールは呟いた。「役立たずが。これには政治生命がかかっているのだ。散々面倒を見てやったのに、恩を仇で返すつもりか……。」



 馬車に戻ったイグラムールと入れ替わりに入って来たのは、ベタベタとくっつきながら歩くイルアンとサイーデだった。


 兄は言った。「アルタクス、王太子を亡き者にしろ。代わりに俺をその座につけるのだ。妃としてサイーデは貰う。本人も了承しているからな。」


 婚約者は言った。「アルタクスが完璧なわたくしを、相応しい座にさっさとつけてくださらないからですわ。」




 その瞬間に自分が何を思ったのか、アルタクスは覚えていない。


 家族に家族を殺せと言われた苦痛か、婚約者を奪われた悲嘆か、それに喜々として従う婚約者への激怒か、それらに対し何の感慨も得られなかった自分への虚無感か。


 今ならばそれらしい理由は列挙できるが、あの時は、耳にした言葉に目を見開いた瞬間、目の前が真っ白になり、そこから二十日間アルタクスは目覚めなかった。





 目が覚めた時、多大な被害をもたらした長雨は止んでいた。神殿は大破し、その外では壊れた馬車の残骸から瀕死のイグラムールが見つかり、イルアンとサイーデはどこにも見あたらなかった。


 重臣には、兄イルアンに殺されかけたアルタクスの魔力が暴走したと伝えられた。聖女召喚魔法は内密であったが、一部の臣下には漏れていて、しかし肝心の聖女がいないので再び暗黙の秘密となった。




 アルタクスが昏睡中の二十日に、諸処の事情は城で働く人間に浸透し、むしろ兄に婚約者を奪われ殺されかけた被害者の様に噂されていた。


 ところがいざ白い髪と紫に変化した瞳を見た者は、あの日の閃光と、大破した神殿と、消えた二人を理由にアルタクスを恐れる様になった。


 奇しくも、既に失われた色を呪いと(あげつら)われ、生還の証とも言える紫の瞳を死神の目と称されて。




 そこから塔に篭るまでの間に受けた怨嗟の声は、直接耳に入れたわけでは無いのに頭から離れなかった。


 神殿破壊を批難する声、長雨を止められなかった叱責の声、人を殺した糾弾の声。呪いのように頭に響く声に耐え切れなくなって、アルタクスは塔に篭り、人を遠ざけるようになったのだった。







「僕にあなたをララと呼ぶ資格がある?」


「アルタクス様がそう呼びたいと思ってくださる間はあります。」


「昨晩ララに抱きしめて貰ってから、頭がすっきりしてる。僕は何かの術を掛けられていたのかな?」


「何の魔法が使われていたか、それは私には分かりません。無差別に無効化するだけです。ただ、何か呪符や呪具などを持たされていたのでなければ、掛けた人間がこの世を去れば、魔法も解けたのではないかと思います。」


「王か宰相か……。何か思考が鈍くなり、人の言いなりになるような魔法はある?」


「私の世界に魔法はなかったので、詳しいことは分かりません。――犯人探しをなさりたいのですか?」


「自分が行使した魔法、自分に掛けられていた魔法、自分を操っていた人間……。そうだね、犯人探しというよりは自分探しかな。」


「それでは魔法に詳しい先達を探さねばなりませんね。――もう朝ですが……アルタクス様は少しお休みになりますか?」


「いや、一緒に朝食の準備をしよう。」








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