1 苦悶に生くる者
「おにいさま!とりの子を、ドギィがにがしてしまったの。ふせごの中にこめていたのに。つかまえて、おねがい!」
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覚えている限りの初めてお願いは、産まれた時からの婚約者からのものだったと思う。まだ幼かったアルタクスは、呼び戻した小鳥を一つ年下のサイーデの手に乗せてやった。
小鳥が飛び立つとともに走って捕まえようとしていた十歳年上の兄イルアンと、サイーデを連れて来ていた彼女の父である宰相イグラムール、そして願った当の本人が、信じられないものを見た顔で一瞬動きを止めたのだった。
嬉しそうに笑う彼女の顔を、見られなくなったのはいつからだろうか。あの時に気付いてさえいれば。もっと聡明であれば。あんなことにはならなかったのに。
少しずつ様子を窺うように、彼らのお願いは続いていった。彼らの中で何か取り決めがあったのか、アルタクスを三人で独占する為か、お願いはいつも慎重に人目のないところで伝えられた。
いっそ沢山の民衆に押しかけられ、詰め寄られ、思い思いの願いを言われれば、すぐに事態が収拾したのかもしれない。
じわりじわりとエスカレートする要求が、アルタクスの心を蝕んでいった。幼い頃から続いてきたものを、いきなり断ち切るほどの勇気は持てなかった。
実現に苦痛を伴うようなお願いは、可能な限り下方修正して叶えた。したくないだけでできないお願いはひとつもなかった。
父は多分気付いていた。もう一人の兄も気付いていたのかもしれない。イルアンのお願いの順序が違っていれば、苦悩もそこで終わっていたのだろう。――――他でもない、王と王太子の命令によるアルタクスの死をもって……。
イグラムールは国民の為に力を尽くすのだと思った。国を思う心優しい宰相だと思った。願いの全てが私欲の為ではなかったのかもしれないが、全てを自分の手柄にする彼を、子供の頃の様に純粋に信じることはできなくなっていた。
それでも宰相の要求は偽善なりの正当性はあったし、むしろ力を使う度に感じる様になっていた、アルタクスの罪悪感を薄めるだけの説得力があった。
国が政治で解決するべきことを、降って湧いた奇跡の力で解決するのは誉められたことではない。度重なればむしろ国の為にならない。いつ無くなるかわからないものに縋るべきでない。
アルタクスがそう訴えられるような、成長を遂げるのにかかった月日は、同時に王や宰相、重臣たちを奇跡に慣れ切らせるのに充分な時間だった。
イルアンとサイーデ、イグラムールの三人だけに許されていたお願いは、もはや公然の秘密となっていたのだ。
何も考えず、言われるままに施せばよかったのかもしれない。アルタクスが、悩み苦しんだせいで起きたことだった。いや……自分さえいなければ。力を持っていなければ。最初のお願いを聞かなければ。
あの日、アルタクスの髪は漆黒の色を失った。失ってなお、その力を怖れた人々に呪われた黒と呼ばれた。紫水晶の様な色に変化した瞳は、死神の目と蔑まれる様になる。
甘んじて受け入れた。アルタクスこそが、最も自分自身を怖れていたからだ。自分自身を嫌悪していた。強大な魔力を表すといわれる、黒い髪の色と共に一切の力を失って、もうこれ以上のお願いを聞かなくてよくなった今ですら……
一国の王子が、塔に篭って出て来なくなるほどに。