003 歓迎
西陽の陰になり眩しすぎず暗すぎない暖かな橙の光に包まれたギアスの部屋は、なんとも恐ろしいことになっていた。
ギアスが名言じみた台詞が書かれた部活Tシャツにハーフパンツといういつもの部屋着に着替えて昼寝しているのはまだ分かる。いやはやこれがどうして彼の脇に小動物のような小さな女の子が仲良さげにくっついて寝ているのか。
昼食が用意できたと知らせにきたフィジーは呆然と立ち尽くしてしまっていた。
「……そ、そんな、そんな。ここここ、この子は、い、いった、いった、一体……。彼女? いやまさか。それじゃあ、ゆ、ゆ、誘拐?」
「ふぁ〜、よく寝た」
フィジーが一人で塞がらない口をカタカタ震わせいると、生まれつきの水色の髪を鳥の巣みたいに寝癖だらけにしたスカイが目をこすりながら起きてきた。180センチも身長があるのだ。目の前にフィジーが立っていてもギアスの部屋は丸見えだった。
「あれ、どした、フィジー。そんなとこで。って、エエ!?」
二人とも言葉が出てこず一緒になって固まってしまう。
あの小さな女の子は誰だ、どこの国から来た子だ、日本語は話せるのか、二人はどういう関係なのか、これはもしや犯罪的な出来事なのではないのか。二人の頭の中はこんな疑問が泉の如く湧いては鳴門海峡よりも渦を巻く。
「え、誰?」
「知らないよ。私だって今見に来たらこんなんだったんだもん」
「……。うわ、やってんなぁ。これはヤベぇわ。とりあえず、ギアス起こして事情聞こう」
ベッドに大の字で大口を開いて気持ちよさそうに眠るギアスのほっぺたをスカイがペチペチ叩いた。
薄く目が開いて、「あっ」という顔をし、そのまま起きるかと思えばまた逃げるように二度寝しようとしやがる。
「ははは、この状況で二度寝すんじゃねーよオマエ。いい加減にしろよ」
「んあ〜〜、もーう、マジ修羅場じゃねぇかよ」
「こっちのセリフだよ。この子誰だよオイ」
スカイは一周回って笑ってしまっている。
フィジーはもうキャパオーバーして状況が飲み込めず部屋の入り口でこわごわ見守っているばかり。肝心のシフォンはまだギアスの腕にくっついて眠っていた。
ギアスはまずいところを見られて両手で顔を覆って絶望の真っ只中だ。彼は考えた。自分の娘が未来から来て訳がわからないからとりあえず昼寝だけしてから考えさせてと先に昼寝したら添い寝されていたとどう説明したらよいやらと。でも答えが出ないからそのまま話す。
「二人とも、驚かないで聞いてくれ。この子の名前はシフォン。この見た目で14歳。オレの娘だそうだ」
「オマエ、ふざけんなよ、ははは! ボケのスペシャルパラダイスか」
「いやもう、ガチなんだって。おい、シフォン。起きろ。この子の目の色を見てくれよ」
ギアスがシフォンを揺すり起こすと、小さな口をむにゃむにゃしながらゆっくり目を開けた。
茜色の瞳。ギアスと同じ色だ。
「「……」」
これにはスカイも黙る。フィジーは度肝を抜かれてますます固まってしまう。
実はスカイもフィジーもギアスも他人種の血が流れているせいか多くの日本人とは違ってそれぞれ水色、緑色、茜色の瞳をしている。青系の瞳は六人に一人の割合であるが、緑色の瞳は2パーセント、赤系統の瞳は実に0.001パーセントしかおらず、フィジーとギアスが孤児院出身でも出会ったのは奇跡的なほど珍しいことなのだ。そしてそのうえ新たに茜色の瞳をした少女が現れたとなれば、これはもうただ事ではない。これが偶然だというのなら、ただでさえ万に一つの割合のギアスにまた万に一つの割合の少女が出会うなど、もはや天文学的確率になるのだ。
「うっそ、こんなことが……」
「ありえねぇ」
目を白黒させる二人に見つめられてシフォンは恥ずかしそうにギアスに目で訴える。ギアスも体を起こすとシフォンはすかさず背後に隠れた。
「この二人は兄弟みたいなもんだよ。こっちがフィジーでこっちのデカイのがスカイ」
「……」
ギアス以外には人見知りするようだ。怯えた仔猫のようにしっかりギアスの背中に隠れておそるおそる二人を観察している。
「じゃあ、さっきの話は本当なのか」
シフォンが人見知りして何も話せそうにないのでスカイが話を戻した。
「らしい。まあ、確かに未来のやつがタイムマシンで現代にタイムスリップしてきても不思議じゃないみたいなことも言われてるし、分からないでもないんだよな。でも確率的にエグすぎる」
「まあいい。ひとまず、目先のことをどうにかしよう。どうせこの子、行くあてもないんだろ? 今日のところは泊まってもらって——」
スカイの何気ない言葉に、ギアスの背中を掴むシフォンの手にぎゅううと力が込められた。
「大丈夫だシフォン。オレたちは一緒だから」
「……」
ほっとしたようにシフォンの手から力が抜けた。そしてギアスの背に顔を隠すのを見て、フィジーは静かに部屋を出ていこうとした。
「どこ行くんだ、フィジー」
スカイが呼び止めた。
「決まってるでしょ。ご飯、もう一人分作らなきゃだもん。スカイも手伝って」
「あいよ」
スカイは「オマエはシフォンちゃんと仲良く待ってな」と言い残してフィジーを手伝いに行ってしまった。
○○○○
——異世界。
異世界の中心とも呼べる小さき大国、キサルニア帝国。
巨大湖という、その名の通り内陸に位置するも国の如き面積を誇る湖に面し、地中海性の温暖で過ごしやすい環境に恵まれた、コンパスで描いたように正円形状の先進国である。
国土の外縁をぐるりと一周する壁のような異形の巨大学園、その内部で営まれる経済活動、そして中心に天高く針のように雲を突く一本巨塔。この巨塔こそキサルニア帝国の王の城であった。
最上階は雲より高く、キサルニア王の部屋がある。しかし、王の部屋でありながら展望台の頂上のように一部屋で完結したフロアであり、金銀に煌く装飾もなければ玉座もない、王の部屋というより牢獄に近い白一色の異様な空間だった。壁はもはや壁ではなく四方八方が窓であり、天井と床は大理石。王はただ白い衣を纏い、唯一の家具である白いソファにだらしなく横になって頭を抱えていた。
王の前では側近の大臣、ギラデアが跪いていた。
「ギラデアよ。悲しい知らせだ。この世界は間もなく、終わりを迎える」
まだ青年の見た目に反して貫禄ある太い声が重く響いた。
ギラデアは耳を疑った。
「それはまた、一体どうして」
「たった今、未来からの使者が、舞い降りたのだ。それもよりによって人間界に」
「なんと……」
王は困り果てた様子で金髪をわしゃわしゃと掻き、耳の奥に響くほどの深い溜息をついた。ギラデアは王のこんな姿を見たことがない。
「しかし、まだそうと決まったわけではないのでは」
「いや、彼女ははっきり言ったのだ。ここの遥か下の地下避難所で育ち、メネスの襲撃を受け、命からがら現代へ逃れたのだと。あの避難所はこの城が文字通り崩れん限りは入れぬはず。存在を知る者も内部の数名に限られる」
「では、早々に手を打たねばいけませんね」
「待て。彼女は人間界に逃しているギアスの娘だという。滅亡はまだ十年か二十年と先のことであろう。焦ることはない。丁寧に事を進めよ。貴様に任務を与える」
「御意」
ギラデアのこめかみから一筋の汗がゆっくり線を引いて流れていく。頬を伝い、顎の先から床へ落ちた頃、王はこう始めた。
「今、この異世界と人間界との間に亜空間が新たに形成される”歪み”が起きている。二つの世界を行き来する度に起こる良からぬ現象だ。それ故に人間界へ使者を遣る際には吾輩の許可を得る決まりとなっていることは既知のことであろう。だがしかし、此度の歪みは予期せぬもの。つまりメネスがあちらへ出ていった可能性がある」
「……」
「そこで、貴様には人間界へ行ってもらう。貴様の任務はギアス、スカイ、フィジー、そしてギアスの娘を保護し、無事にこの異世界へ連れてくることだ」
「承知」
「今から行けるか」
「問題ありませんよ」
「では、くれぐれも油断せんように」
王はおもむろにギラデアを指差す。すると彼の体は光に包まれ、その場から消えてしまった。
歪みの世界は危険なものだ。何せその歪みの世界こそモンスターたちの発生原因となるのである。最悪の場合、歪みによるモンスターたちの発生と、メネスたちとの二つの問題に悩まされることとなるため、事態はギラデアに支度する暇も与えぬほど急を要していたのだった。




