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002 始まりの日

 ——人間界。


 例年と変わらない猛暑の夏。

 毎日の人通りの多いスクランブル交差点。

 いつもと変わらない住宅街。

 そして、いつもと変わらない、部活帰りの我が家。二階建ての腐るほどよくある一般的な家だ。

 玄関に肩掛けのカバンを放り捨てその場に大の字で横たわる。冷房が効いていた。

 このままではだらしがないと怒られる。五分程度休んだら逃げるように風呂場へ。

 ジャージを脱ぎ捨て、汗で引っかかる体操服を無理やり引っぺがし、これも脱ぎ捨て、シャワーを浴びる。

 着替えはもちろん用意していない。風呂場から出てから気付いた。

 仕方がないからバスタオルを腰に巻き、びちゃびちゃの洗濯物を洗濯機へ放り込んでその足でリビングへ。壁の時計は14時過ぎを指していた。

 冷蔵庫に取っておいたはずのアイスがない。よくあることだ。

 どうでもよくなってテレビをつけ、ソファにどっしりとくたびれる。

 これでやっと、いつもと変わらない、ギアスのリラックスの時間が始まった。

 ギアス・レッド・ハウル、17歳。都内の高校に通う赤毛の高校生だ。

 両親はなく、幼少期は孤児院で過ごした。日本にいながら名前が外国人風であることに違和感を感じ始めたのは小学生の頃、里親に拾われてからだ。どうも元の両親は日本人ではなかったらしい。そしてまた、里親も日本人ではなかった。彼を拾ってくれた里親には血の繋がった一人息子と、同じくすでに里子に迎えられていた女の子が一人いたが、二人とも日本人の名前ではない。一人息子がスカイ・ブルームで、里子の女の子がフィジー・レストレイン。ブルーム夫妻は海外を拠点に仕事をする、いわゆる金持ちだがその代わりに自由な時間がないタイプの家庭だったのだ。

 スカイもフィジーもギアスと同じ学年だった。三人は中学に上がるまでは使用人に育てられ、以降は三人だけで協力して生活する日々を過ごし今に至っている。仲良し三人組の高校生でルームシェアをしているようなものだ。

 ところで思い出してみよう。ギアスがついさっき帰ってきたときにはもう冷房が効いていた。今日、スカイは部活などなく土曜日をごく普通に休みとして過ごしているが、金曜の夜に朝までゲームをしている奴が目を覚ますのは夕方の一歩手前くらいの時間だ。そう、フィジーが一足先に買い出しから帰って来ていたに違いない。

 ギアスが人をダメにするソファにぐでっととろけて上を見上げると、なにやらむすっとした女の子の顔がこちらを見下ろしていた。


「……。あ、フィジー。ただいま」

「うぬぬ……」

「どしたぁ? また体重でも増えたか」


 ベシッと鈍い音がよく響く。ギアスは思いっきりビンタを食らって人をダメにするソファから飛び上がった。

 いや、頬を押さえて振り返るとフィジーはゲンコツを握ってご立腹のご様子。どうもビンタではなくグーパンをお見舞いされていたようだ。

 凡人にはとても似合うはずのない深緑のショートでも見事に似合うほどの美貌とJK大好きおじさんのハートをぶち抜く小柄な体型で黙っていれば天使な暴力魔神である。


「またって何よまたって。そもそも失礼なのに一言余計って救いようなさすぎでしょ! もう!」

「え、あ、え……、イタ。え? グーパンはダメだって。グーパンは、ダメ。ゼッタイ」

「うるさい。私が法律よ。ともかく、あれを見なさい」


 フィジーに言われるまま彼女が指差すほうを向くとフローリングの床が濡れていた。


「ギアスがシャワーから出てきてしっかり体拭かないから床がびちゃびちゃじゃん。掃除するのいっつも、いーっつも私なんだから! いい加減にしてよね!」

「……スミマセン」

「し、仕方ないわね。そんなに素直に謝るんなら、今日のところは大目に見てあげてもいいんだから。私が拭いて、それが終わったらお昼ご飯作るから、とっとと部屋に行って着替えちゃいなさい」


 自分にも言い分があることなら少しは言い合えるところだが、疲れていたからとはいえ今回ばかりは全面的に自分が悪い。素直に非を認めてとぼとぼと自分の部屋のある二階へ行こうと階段の前まで来ると「ちょっと待って」と呼び止められた。


「ん?」

「カバン。玄関に置きっぱなしだったよ」

「お、ありがと」

「ご飯できたら呼ぶから、降りてくるついでにスカイも起こしてよね」

「おん」

「……さっきの、そんな痛かった?」

「ん?」


 珍しく心配してきた。意外すぎて思わず見つめ合ってしまう。


(え、何これ。何か可愛く見えるぞ。オレそんな疲れてんのかな? いや、もしかしてフィジー、二年になって後輩もできてちょっと優しくなったんじゃ? まさか、え、そんな展開アリなのか? これ、いっちゃっていいんスか!? そういう感じなんスか!?)


「フィジー」


 ギアスは彼女の肩に手を置き、出来る限りのキメ顔を作る。


「オレたち、付き合——」

「ムリ」

「デスヨネェ〜〜」

「……。もう一発ぶち殴——」

「疲れたから着替えて寝てくるわオヤスミ」


 言い終わる頃にはもう階段を上りきって二階に着いていた。



 ○○○○



 階段を上がると2階は玄関から吹き抜けになるよう廊下がUの字に続いている。東側と西側に部屋があり、ギアスのは東側。このせいもあってスカイの部屋には朝陽がほとんど差し込まず夕方の西陽で起き始めるライフスタイルが構築されてしまっている。

 廊下まで聞こえるスカイのイビキを背にフィジーに殴られた頬骨をさすりながら自分の部屋へ。

 日差しが遮られていてあまり明るくはない。昼寝にはちょうどいい明るさだ。


「ん? なんだ?」


 ここまではいつもと同じ、平凡な一日だった。

 朝、土曜日なのにとぼやきながら早起きして部活に行き、昼過ぎになって人混みに揉まれながら帰ってきて、シャワーをして、くだぐだして、フィジーに怒られて。でも、今日は昼寝ができない。


 ギアスのベッドには、白い髪の毛の天使のような女の子が眠っていた。


 最初は近所の猫が屋根を伝って窓から入ってきたのかと思った。それほど小さい。

 学校の床拭きの雑巾を縫い合わせて作ったような汚い服を着ているが、中身は世界一の美少女を目指して精巧に作られたお人形のような少女。息をしているのは一目瞭然だが、そのように見えるようそこまで細かくこだわって作られたアンドロイドなのではと疑ってしまう。

 ギアスは着替えることも忘れて本当に人間なのかまじまじと見つめる。


「すー……、すー……」

「……」


(どうなってるんだコレ。人間? いや、流石にロボットだよな。スカイがドッキリかなんかで買ったのか? よくできてるなぁ)


 足首より先まではみ出す長くてもこもこに膨らんだ白い髪はまるで悠久の時を生きた妖狐の尻尾のよう。赤ん坊のように薄い眉、小さな目と鼻、そして唇。生まれて一度も日の光を浴びたことがないような白い肌。おもちゃのように小さな手の平を重ね、横を向いて丸くなって気持ち良さそうに寝ていたその目蓋が、まさか、少しずつ開き始めた。


「ん……んん。……ま、ま?」

「……え」


 ギアスは思わず自分の部屋で後ずさる。まさか目を覚ますとは思っていなかった。容姿の淡麗さが人類のそれを遥かに凌駕していたのだ。そのうえもう一つ驚いたことに、開いた真っ白の少女の瞳は自分以外にはいるはずがないと思っていた、茜色をしていたのだった。


「はっ、あれ、ここは?」


 少女はベッドの上に座り、不思議そうに辺りを見渡した。特に窓の外の景色が気になるようで、窓枠に両手をかけてしばらく眺めた。

 やっと自分が見覚えのない場所にいると理解できたのか、今度はギアスのほうを振り向く。


「はっ、きゃあ!」

「え? おおお、やば! わりわりわり!」


 少女は慌てて両手で顔を隠した。ギアスはまだ腰にバスタオル一枚のままだった。


「ご、ごめん! いー、今服着るから!」

「わわ、わわあわわわ」

「わるい、ちょ、もうちょい外の景色見ててくれ」

 

 なんとかシャツは着たが下半身は無理がある。どうにかやっとのことで着替えを終えた。

 少女は恥ずかしそうに赤くした顔を下に向けて目が合わない。


「ごめんなさい!」

「いやそれコッチのセリフだから」

「そんな、ことない、です! あの、私、気がついたらここにいて——」

「と、とりあえずお互い深呼吸して落ち着こうか。な? あの、隣りで人が寝てるし、起こしちゃマズ、起こしちゃ悪いから」

「は、はい」


 お互いに深呼吸をして気を落ち着ける。心臓が強く激しく脈を打つ音が骨を伝ってうるさいほどだ。

 少女がどうしていいか分からなくてもじもじし始めたのでギアスから静寂を切る。


「えっと、とりあえず、自己紹介しようか。オレは——」

「私は——」


 見事にハモって気まずくなる。レディーファーストと思って少女に先を譲った。


「私は、シフォンって、いいます。今までずっと、地下の避難所で育って。まま、いや、ノエルさんと一緒に暮らしてました。キサルニアの。それで、私たちの避難所もメネスに襲われて、意識を失って、気がついたら……ここに。ノエルさん、見てないですか?」

「え?」


 あまり人と喋ったことがないようなカタコトじみたたどたどしい口調ながらに必死で話してくれた。しかし、名前がシフォンという意外わけが分からず、何も頭に入ってこなかった。


「シフォン、ちゃん?」

「……はい」

「地下の避難所って、どういうこと? この辺の子じゃないの?」

「え?」

「あの、ええと、そうだなぁ……。あ、今なんか、街の名前みたいなの言ってくれたよね?」

「キサルニア」

「きさるにあ? はへ〜、地理苦手なのバレる」


 ギアスは端末を取り出して地図アプリを開き、検索してみた。しかし、キサルニアという場所はヒットしない。


「きさるにあ? あってる?」


 シフォンは不安げに頷いた。

 地図に無いと言うのはなんだかショックを与えそうなので控え、質問を変える。


「今、いくつ?」


 シフォンは指で1と4を作って見せてきた。


(5歳? いや、それならパーでいいよな。それに流石に5歳じゃこんな喋らんよな。ってことは……)


「え、14歳?」


 シフォンは頷いた。

 もうギアスは脳みそが取れそうだ。どう見ても小学生、それも低学年にしか見えない。とても3歳差の見た目ではなかった。だが、喋る事からすれば小学生とは思えないというなんとも矛盾する感覚。ひとまず14歳というのは確からしい。


「ママの名前は?」


 シフォンは泣きそうな顔で首を振った。慌てて次の質問をしようとしてパパの名前を訊いてしまう。


「パパは? あ、やべ」

「ギアス」

「……」


 もはや「え?」とも声が出ない。度肝を抜かれてシフォンの顔を凝視する。

 ギアスは父親の顔を生まれながらに知らないが、幼稚園に入った頃までは実の母親に女手一つで育てられていた。母親はギアスが車に轢かれそうになったところを庇って命を落としたが、よく見るとシフォンの目鼻立ちは亡くした母親に似ている気がした。

 ギアスは端末を握る手が汗ばんできた。


「あの、その、えっと、ギアスって人の名前、フルネームで言える?」

「……ギアス、レッド、ハウル」


 シフォンの目は本気だ。これで巧妙に仕組まれた嘘で、彼女が演技をしているというのなら今頃天才子役として各メディアどころかハリウッドで引っ張りだこになっているはずである。

 ギアスは全てを察し、シフォンの細い両肩に手を置いた。


「シフォン、驚かないで聞いてくれ。オレもまさかって感じだけど、シフォンはね、未来の世界から過去にタイムスリップしてきた……、オレの娘だよ。オレが、若い頃の父さんなんだ」

「……。!?」


 シフォンは少し虚な目をして考え、やっと理解が追いついたらしく驚いて目を丸くした。かと思えばじわり、じわりと涙を浮かべ、細い腕で若き日の父親に抱きつき再会を果たしたのだった。

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