1.
相互乗り入れが進んで今は変わってしまったけれど、私の最寄り駅はその路線の終点だった。
だから、と言うべきなのだろうか。
終電の網棚に、嫌なものを見ることがあった。
それは大抵、人の形をしている。針のように細い手足で、ぽっこりと不気味に膨れた腹部を抱いて、じいっと車内を見下ろしている。
手荷物を載せるスペースに在れるのだから、サイズはさして大きくはない。おおよそはバスケットボール前後といったところだろう。だがその視線は飢えと羨望とに満ち満ちて、とても相容れないと一目で知れる存在だった。
それらは日中、駅構内の暗がりに身を潜めているようだった。
或いはホームの下の退避スペースに。或いは利用者の少ないコインロッカーの片隅に。
やはりお腹を抱えて、じっと蹲るのを幾度か見ている。
それらが、何を目的にあちこちの駅へ出勤するかは、網棚を眺めれば瞭然だった。
シガレットめいて口にくわえるのは人の指だし、大きく開けた口から突き出した舌の上で転がしているのは、飴玉でなく眼球だ。フランスパンよろしく、膝から下だけの人の足を抱きかかえるものを見たこともある。
全て人身事故の現場から、かすめ取ってきたものに相違なかった。
戦利品を獲た彼らは、終電に乗ってこの終点へ帰ってくるのだ。そうして、駅と夜とが孕むそこここの闇に消え失せてゆく。
ただ幸いなことに、私が彼らを目視できるのは時折だった。
風邪を引いて心が弱っている時や、仕事でくたびれ果てたその帰りにだけ、私の目は彼らを映す。
多分ラジオのチューニングのように、疲弊した心の波長が、たまたまそういうものと合ってしまうのだろう。
お陰で普段はその存在を意識することはなかったけれど、それでも影響がないと言えば嘘になる。たとえば私は、未だに電車の座席には座れない。網棚に陣取るそれが、真下の乗客に黒い靄のようなものを滴らせているのを目撃したことがあるからだ。
おそらく、能動的な狩りだったのだろう。
靄を振りかけられた男性は急に顔を青黒くして、次の駅で降りて行った。おそらくこの後、衝動的な自殺を遂げてしまうのだと――遂げさせられてしまうのだと確信できてしまう表情だった。
見えるだけの私には、勿論妨げる勇気も引き留める勇気もありはしない。自衛するのが関の山だ。
それでも使う路線や交通手段を変えなかったのは、当時の私にまるで余裕がなかったからだろう。
欠けていたのは金銭的な余裕ではなく、まともにものを考える心の余裕の方だ。
新社会人になったばかりの私は、割り振られた業務と先輩からのプレッシャーに押し潰されかけていたのだ。