7章
「ふう。」
アドレス交換を済ませ二、三言葉を交わした後、教室から出た春日井桜は不意に息を大きく吐いた。先程まで話していた同級生のことを思い出す。大切な親友の危篤、その情報を尋ねるため彼に会いに行ったわけだが、桜は彼がとても、とても苦手だった。
悪い人でないことは理解している。
嫌っているわけでもない。
ただ、彼の凍えるような冷え切った言葉が、死人のような瞳がどうしようもなく怖かった。
こちらに一切興味がないような、自分の感情の一切をこちらに見せる気がないような、そんな彼が怖かった。
だからこそメールでのやり取りを申し出たのだ。
彼と交わす視線と言葉、それらを出来得る限り躱すために。
「花火なら・・・」
あの闇雲に明るく、底抜けに強く、そしてどうしようもなく暖かい親友ならばきっと違う答えを出すのだろう。
彼と十六年もの間幼馴染で在り続けた彼女なら。
今、どこかの病棟で眠っているであろう親友を想いながら、桜は他の生徒達より一足先に体育館へ向かう。
生徒会として始業式の準備があるからだ。
時計をちらりと見て桜は少しだけ足を速めた。
始業式とは学校を開始する際に行われる式典の事である。
当然そこには重要な意図があるわけで、長い休みが今まさに終わったのだという区切りとして必要不可欠な行事である。
しかし、そんなことは百も承知だがしかし、それにしたって生徒達からすればやはり面倒で退屈な時間としか言いようがない。
いや、生徒達と一纏めにしてしまったが、みんながみんなそう思っているわけではないだろう。今立って先生の話を聴いている生徒の中にはしっかり真面目に弛まず耳を傾けている殊勝な人だっているのだろう。
それに例えば春日井さんをはじめとする生徒会の人達は、教師達と一緒に始業式の準備をしてきたわけだし、実際司会進行も彼らが行っているのだから僕などとは心境も違うに違いない。
そう考えながら生徒会として他の生徒から離れ、脇に立つ春日井さんを見る。
「次は、生徒会長からの挨拶です。」
司会の生徒がそう言うと我が高校の生徒代表が壇上に上がる。
短めの髪に整い凛とした顔立ち、なんというかスポーツマンというより武道家という言葉がしっくりくるようなそんな人である。
私立豊岡高校生徒会会長、秋水落葉。
三年生で僕でも知っている、春日井さん以上の有名人。
だけど僕がこの人を知っているのは別に彼が有名人だからではない。
だからといって彼と面識があるわけでもないし、話したことも一切ない。ただ、話を聞いたことがあるだけだ。
彼は、秋水落葉は、僕の幼馴染、夏賀花火の想い人である。
その後、滞りなく始業式が終わった。始業式では花火の話題は一切出てこなかった。
そして普通に授業が始まる。
他校の実情を知らないためこれが一般的かどうかは解らないが、僕としてはもう少し慈悲があってもいいと思ったりする。
結局花火が帰って来たのは四限終了直後、昼休みが始まってすぐのことだった。
「たっだいまー。」
と、帰って来た花火の様子にこれといった変化はない。
寧ろ何処か機嫌よさげである。
やはり幽霊の体を利用して入れない場所に入ったりしてきたのだろう。つまるところ、遊んできたのだろう。
親友が心配に胸を、そう胸を躍らせて来たというのに何とも友達不孝な奴だ。
そして何とも幼馴染孝行な奴である。
などと携帯電話を片手に触れつつ感謝の念を抱きながら、僕たちは屋上へ向かった。僕は片手に弁当箱を携えながら。花火は手ぶらで。
当然の如く花火の件がある為、屋上自体は立ち入り禁止になっていたのだが、だからこそ、屋上に向かう生徒もいないので、屋上の前の階段は会談に向いているとそう考えたのだ。
最上の段に腰を下した僕は膝の上で弁当箱を開けた。
隣に花火が腰かける。
僕はここで尋ねてみることにした。
病院では切り出せず、朝は時間がなく訊けなかったことを。だけど心の中では一番気になって聞きたくて仕方なかったことを。
「なあ、花火お前さあ」
そして本当は一番訊きたくないことを。
「何?あたしの初恋は雪人の親父さんだぜ。」
そんなことは訊いていない。
ていうか、え、マジで?それは聞きたくなかった。決して一番訊きたくなかったことではないけど、正直一番聞きたくなかったことだろう。僕の聞きたくなかった言葉ランキングに今、不動の一位が刻み込まれた。
「違うよ。僕が訊きたいのはそんなことではなくて」
何とか心を持ち直して、いや実際のところ全くもって一ミリたりとも持ち直せてはいないのだけど、滑って滑って仕方ないのだけれど、それでは話が進まないので落ち着いたと思い込むことにして話を戻す。
「そうじゃなくて、お前なんで、屋上から飛び降りたりしたんだ?」
そう、これが僕の訊きたかったこと。尋ねたかった疑問。
正直僕は今でも信じられずにいた。
僕の知る夏賀花火という人間は自殺という言葉から最も離れた場所にいる。自殺の対義語のような奴だ。自殺を止める側になることはあっても、自殺する側になど天地をひっくり返そうとなりそうにはないのだが。
「ああ、そのことか。」
花火は神妙な顔つきで語り出す。
おそらくこれから始まるであろう、聞くも涙、語るも涙な物語に僕は自然と姿勢を正した。
「足が、滑ったんだ。」
・・・・・・は?
「いや、だからさ。屋上で足を滑らせたんだよ。それで落ちた。真っ逆さまに。」
いやいや、いやいやいや、え、嘘、そんなオチ?飛び降りだけにそんな落ち?
動揺のあまり面白くないことを言ってしまった。動揺のあまり。
「ん?だけど、うちの学校の屋上には確かフェンスがあっただろ。そんな、うっかり足を滑らせた程度で落ちちゃうものなのか?」
もしそうなら、確実に学校の非というか、安全性の問題な気がする。
それに、態々夏休みに学校の屋上にやってきた理由もよく解らない。
「そこなんだよな。実あんまりよく覚えていないんだよ。」
「覚えていない?」
「うん。いやさ、足を滑らせてうっかり落ちたってことは何となく覚えているんだけど。なんだけど、確かに足滑らしてフェンス超えるはずもないし、なんで屋上にいたのかも、そもそもその日の出来事すらよく覚えていないんだ。」
幽霊がプチ記憶喪失である。
なんとも間抜けな話だが、まあ頭を打ったといえば、花火はこれ以上ないくらいに強く打っているわけで、幽霊と言っても生霊の花火は身体の影響をもろに受けているのかもしれない。
しかし、これは面倒なことになった。
いや、この間の抜けた幼馴染が忘れたその日の記憶が実際に重要かどうかなど解らないのだが。それでも僕はどこかで考えていたのだ。
死霊であろうと生霊であろうと、こうして霊になったことには何かしらの理由があるのではないのかと。
そして、死者の霊はそれが解決すれば成仏するわけだから生霊の場合ならば、生き返る。花火が真っ当に目を覚ますのではないかと。
しかも、僕は花火が自殺したものと思っていたので、思い込んでいたので、余計その論が正しいものと考えていた。
まあそれでも、例えば完全に死にたいと思って満を持して飛び降りたとか、実は自殺に見せかけた他殺で真犯人がいるなんて事態でなかっただけましなのかもしれない。
前者ならきっと救いはないし、後者なら探偵役は僕と言う事になるのだがそんなの自分でも笑ってしまうほど似合わない。
役者不足とは正にこのことだ。
余談だけど、本当に余談だけど、役者不足と役不足ってどうにも紛らわしいよな。
そしてその癖、意味は逆というのが実に厭らしい。間違えた者を嘲笑ってやろうという悪意が見え隠れしている。
言葉を作る人間は、もっと使う人間のことを想うべきではないだろうか。
そうすれば、僕の国語の成績ももう少し改善されるだろうに。
閑話休題。
つまり、何が言いたいかというと僕に探偵役は荷が重いという話である。
配役が逆ならばまだしも。
だが、これによって行動の方向性を失ってしまった。
時間が解決してくれるなんて都合の良い話であるなら嬉しいが、しかしそうであっても僕らは、というか僕は何かすべきである。
進むべき道も目的地も今のところあやふやではあるが、それでも止まっているべきではない。取り越し苦労であったならそれは喜ばしいことなのだから。
「そういえば」
花火はふと呟く。靄の中、手探りで探し物を探す様に。
「そういえば、あの日何か見た気がするんだよな。」
「何かってなんだよ。」
「んー?何だったかな。多分何かというより、誰かだった気がするけど。確か誰かを見てそれで、屋上に向かったような、そんな気がする。」
何とも曖昧だ。
敢えて言うからには、何かしら印象に残るような人物や行動だったのだろうが、それでどうして態々屋上に向かったのだろうか。
「・・・駄目だ、思い出せない。雪人、ちょっとあたしの頭を殴ってみてくれ。」
いきなり幼馴染が何か言いだした。
「だからさ、思い出せないのが頭打った後遺症なら、もう一度頭を強く打てば思い出すかなって。」
馬鹿がいる。
いや、もしかしたらこれも屋上から落ちたことによる後遺症的なものなのかもしれない。打ち所が悪くて一時的に知能が著しく低下しているのかもしれない。
でもそういえばこいつ昔、調子悪くなった僕のゲーム機を「直してやる」とか言ってゲーム機に踵落とし決めたような奴だった。どうしようもなく馬鹿な奴だった。
無論僕の壊れかけのゲーム機が、ただの壊れたゲーム機となったのは当然の結果である。
「何言ってんだよ。お前に触れないのにどうやって殴るんだ。」
そう、僕は花火に触れない。それは今朝、花火を起こす際判明していたことだ。
まあ、殴りたいのは山々だが。
「確かにそうだ。じゃあ病院に行こっか。」
ん?何がどうなればそうなるんだ?
「ほら、病院に在るあたしの体なら雪人でも触れるだろ。」
やっぱり馬鹿がいる。
とてつもない馬鹿がいる。
こいつ本当に自分が死にかけてるって解ってんのか?
もしも殴って死んだら僕が殺人犯になってしまうじゃないか。
「別にいいだろ。減るもんでもないんだし。」
減るわ!特にお前の脳細胞が。ただでさえ絶滅の危機なのにこれ以上減ったらどうすんだ。
と、ここで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「やばっ」
僕はまだ半分ほど残っている弁当箱の中身を一気に口の中へ放り込んだ。
色んな味がごちゃごちゃに混ざってしまったが気にせず弁当箱を片付ける。
「僕は教室に戻るけど、お前はどうするんだ?」
「あたしは放課後までブラブラぶらついてようかな。」
まあ、そう言うと思っていた。
授業中の教室内で授業を受けるわけでもないのにじっと居続けるなんて、花火じゃなくてもしんどそうだ。
「じゃあ僕は授業受けてくるから、適当な時間になったら帰って来いよ。」
僕はそう言うと階段を下っていく。後ろから「いってらっしゃーい」という声を聞きながら。
区切るとこ間違えましたね。
あと秋水パイセンの登場はもうちょい引っ張っても良かった気がする・・・。