4章
夢を見た。
遠く遠く昔の記憶。
思い出そうとも出来ない片隅の遺産。
茜色の空の下、小さな男の子と女の子が二人手を繋いで歩いていた。
家に向かってとぼとぼと。
二人揃っては泥だらけだった。
二人一緒に泣いていた。
僕は地面に俯き泣いていて、花火は空を見上げて泣いていた。
痛くて辛くて悔しくて恥ずかしくて悲しくて苦しくて歯がゆくて情けなくて消えたくて怖くて惨めで切なくて傷付いて、いろんな嫌な感情がぐるぐると廻り廻って離れなくて、そして、繋いだ手がとても暖かかった。
そんな夕焼け色の優しい回想。
・・・そう、ただの懐想だ。昔の階層でしかなく僕の下位層でしかない。そこに在ったものは既に壊喪して会葬した。
まもなく夢は冷めていく。
閑話は休題されてしまう。
僕はゆっくり目を開けた。
「むにゃ」
・・・・・・それっぽいことを言っておいてなんだが、僕はまだ夢を見ているようだ。
「んーもぉ食べらんないよぉ」
そうだ、これは夢だ。質の悪い悪夢だ、そのはずだ。
「あはは、しょうがないなぁ、じゃあ食べてあげる。雪人のぉ」
ゴクリ。も、もしかしたら吉夢かも知れない。
「生レバー」
「お前ふざけんなよ?!返せ、僕の肝臓を返せっ!」
悪夢だった。
悪夢で怪夢で凶夢だった、というか狂夢だった。
せめて正夢でないことを祈るばかりだ。
僕は夢の中の僕を守るため必死に 花火を起こしにかかる。
何度も何度も呼びかけて、ようやく花火は目を覚ました。
「何だよ雪人、いいとこだったのにさ。起こすんじゃねえよ。」
何がいいとこだ、僕は死ぬとこだったんだぞ。正確には夢の中の僕が、だが。
あ!こいつまた寝なおす気だ!
図々しいくも二度寝を敢行しようとする花火を何とか座るところまで持っていく。
「お前、なんでここにいるんだよ。」
そして僕は突然の疑問を当然に質問した。
事と次第によっては不法侵入で警察に・・・いや、こいつの場合は退魔師とかに突き出すのもやぶさかではない。
なんたって殺されかけたのだから。
「いやあ、暇でさ。夜の病院彷徨いてたんだけど、誰もあたしの事見えないみたいだし。」
幽霊が夜の病院を徘徊するんじゃない。様になりすぎて怖すぎる。堂に入りすぎてどうにもならない。
「それで、雪人に会いたいなと思ったらなんかこの部屋にいたんだよ。」
「へ、へぇ、そっか」
・・・喜ぶな、喜ぶな僕。こいつは暇だったから僕のとこに来ただけだ、花火を見えるのが現時点では僕だけだから、僕のところに来ただけだ。ただの暇つぶし、ようは遊び。そもそも僕のような奴にわざわざ会いに来るなんて、よっぽどの理由が無ければありえないだろう。そうだ、僕に会いに来るような奴普通いるもんか。つまり僕の中身になんて興味なくて、僕の体目当てだったんだ。
あれ、なんだか死にたくなってきたのは気のせいだろうか。
「どうしたんだ、雪人?なんだか瞑想が迷走した迷想の末、命葬しそうな顔してるけど。」
「い、いや。なんでもないよ。それより、じゃあなんで僕の布団に入ってたんだよ。」
僕は話をすり替えた。
だが、これは逃避ではない。そうこれは戦術的撤退であり、次への一手であり必要な行為であって、だから今も別に言い訳しているわけでは決して無いのだ。
「それは、せっかく来たのに雪人ぐっすり寝てるし、なんか起こしちゃ悪いかなと思って。」
それで、あたしも不貞寝することにしたんだ。と花火はそう言った。
正直それでという言葉では繋ぎきれていないような気もしたが、それ以上に僕には気になることがあった。
それは「起こしちゃ悪い」という部分だ。
花火はそんな健気な性格をしていない。
僕が勉強していようが本を読んでいようがそれこそ寝ていようが、そこから無理矢理引き離して自分の都合を押し付ける。
それが夏賀花火という人間なのだ。
・・・一体僕は、どんな顔をして寝ていたのだろうか。
花火が気を遣うような寝顔を、僕はしていたのだろうか。
何の根拠もなく、しかし、していたのだろうと受け入れた。見たという事実しか覚えていない夢の存在が、僕をそう納得させたのだった。
「ありがとう。」
そう呟いた。
花火は聞き取れなかったのか、それとも意図を掴めなかったのか不思議そうに首を傾げたが、僕はそれ以上そのことには触れず、これからのことについて尋ねた。
これからといってもそれほど先の話ではない。
さしあたって今日どうするかである。
今日は僕と花火が通う高校の始業式だった。
当然、語るべくもなく、誰も彼もが理解しているように花火は学校には行けない。
何てったて幽霊なのだから。
だがしかし、僕の方はというとそういう訳にもいかないのが現実である。
何故なら僕は幽霊ではないからであり、幼馴染の霊が見えるという圧倒的な異常にさえ目を瞑れば一切問題を抱えていないからである。
そして残念ながら、その唯一にして最大の問題にも瞳を閉じねばならない。
当然である。
もしも僕が「幼馴染の女の子をほっとけないので学校休む。あ、幼馴染といっても病院で寝てる方じゃなくて僕の隣に居る方ね。」などと大真面目に言ってみろ、しかも花火の見舞いに行った
次の日に。
確実に僕も病院行きだ。
・・・ていうか。
「な、なあ花火。」
僕は少し、いや大量に不安になった。
「どうした?」
花火は怪訝そうな顔で答えた。それだけ僕が深刻そうな顔をしていたのだろう。だがそれも当然だ。心の安否がかかっているのだから。
「お前さあ・・・お前ってさあ・・・・・・・・・」
だが、だがしかし、とても聞きにくい。
なんたって僕は今から「君ってほんとは僕の妄想上の存在じゃないの?」なんて聞こうとしているんだから。
「だから何だってんだよ。」
どもる僕を花火が急かす。
僕は意を決して尋ねることにした。
「お前って本当に僕の幻覚の賜物とかじゃないよな。」
その質問をゆっくり、そして正しく理解した花火はわなわなと肩どころか体全体を震わせ、吠えた。
「だから違うっつってんだろ!!その話は昨日散々延々長々と話し合ったじゃねえか。」
まあ怒ることは解っていたし、だからこそ聞き淀んでいたわけだけど、だがしかし、何度も言うが僕の心の正常異常がかかっているのだ。
よって僕は食い下がる。
「い、いや、で、でも、さ、、、」
・・・・・・食い、下がったのだ。
そんな僕に花火は呆れた様に溜息を吐いた。
「じゃあさ、雪人の知らない夏賀花火の情報をあたしが言えば証明できるんじゃないか?あたしが紛れもなくあたしだってことがさ。」
・・・確かに、その通りだ。
仮に目の前の幽霊が僕のつくったものなら、僕の知らない事を知っているはずはない。もし知っているなら花火は間違いなく花火といえるだろう。
こいつ珍しく賢いことを言うじゃないか。本当に花火か?
「よし、それでいこう。」
そう納得した僕に花火は満足そうに笑い、どんなことがいいかなと考え込む。
「ああ、そうだ。あたしのスリーサイズとかどうかな?」
と、ニマニマしながら訊いてきた。
スリーサイズかぁ、スリーサイズねぇ。
「でも僕、花火のスリーサイズは知ってるからなぁ。」
最低でも小学校の頃から把握している。
まあ、これを花火に教えたら多分殺されるから言わないけど・・・・・・ん?僕何か変なことを言っていないだろうか。
僕はチラリと花火の顔を見た。
花火の顔が鬼神の如く変容していた。
コレハ、トテモ、ヤバイ。
「いいいいいい、いやぁ~。じょ、状況が状況とはいえ、いや、状況が状況だからこそ、女性が簡単に言っちゃ駄目だよ、そ、そういうのは。」
誤魔化す。まくし立てる。必死に必死ルートを避ける。無かったことにする。亡かったことにされないように。ただただただただ、全力で。
「・・・まあ、そうだな。」
アブナイアブナイアブナイ。とんでもなく危なかった。
誘導尋問に文字通り誘い出され導かれて、そのまま自分の掘った穴の中に埋まるとこだった。そこが僕の墓になるとこだった。
気を付けよう。ただの花火も十二分に危険だが、今のこいつはゴースト花火だ。
幽霊が生の人間以上に危険なことは社会常識だ。
社会常識が常に正しいかどうかはさておき、社会常識が身を守ってくれることは往々にして確かである。
通常以上の警戒を持って接することは自己保身のために必要だろう。
その後、無難を極めたような質疑応答によって花火の存在証明に成功した僕たちは他にも転がる
重要な疑問問題題目を一旦放置することにした。
そろそろ学校に向かわないと僕が遅刻してしまうからだ。
だが、そこでさらなる問題が発生した。
放置できない事案。だが、確かに予見できない事件ではなかった。解ってしまえば起こって然るべき、むしろ起こらないなどありえない事柄。
つまり、花火が学校に付いて行くと言い出したのだ。
正直困る。大変困る。
ここはなんとしても阻止しなければならない。
そんな覚悟を決めながらふと時計を見た僕はその針の指し示す位置にガクリと肩を落とした。誰だ、花火が学校に行けないなどと言った奴は。
日常編って難しい。
コメディも難しい。
でもそこ出来ないとシリアスが映えない・・・。