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雪と花火  作者: およよ
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2章

 それは暑い夏の終わりのことだった。

 とても長くて、だけど終わってみればどうにも短い夏休み最後の日。

 宿題を早めに終わらせるという高校生にあるまじき偉業を達成した僕は、特にやることもなかったので地球に喧嘩を売付けるが如く、自室のクーラーをガンガン働かせごろごろごろごろと本を読み耽っていた。

 部活の先輩に夏休み前に借りた本。

 中には難しいものもあったが基本的に読みやすく、そして良作ぞろいであった。

「さすがは部長。」

 本の知識もだが、僕の好みをよく理解している。

 一か月ほど会っていない先輩をちらりと思い出しながら、またボーっと字をなぞる。

 自堕落を絵にしたような姿だったが、そんな僕に文句を言う人間はこの家にはいない。

 両親は共に仕事で今日は帰ってこないし、しかも一人っ子な僕だからである。

 今日は一日中こうやって過ごすのだと、そんなやる気など一欠片も使わないであろうことを決意しつつ、本のページをめくる。


 そんなこんなでお昼過ぎ、そんな僕の邪魔をするように我が家の電話が鳴った。

 先程も述べた通り、今家には自分以外誰も居ない。つまり僕が取らないといけないというわけだ。

 だるい、立ち上がるのも面倒くさい。だが仕方ない。

 僕は居留守という悪魔の囁きを何とか祓いつつ、だらだら立ち上がり自室から出る。

 部屋の中とは比べ物にならない熱気に、早速汗を噴き出させながら歩く。夏休みが終わりかけようと、暦上、夏が終わりかけようと、そう簡単に涼しくはならないらしい。

 そもそも、何故夏は暑いのだろう。涼しい夏があってもいいじゃないか。誰もこんな暑さ望んじゃいまい。もし望んでいる奴がいたら殺人罪に処すべきだ。この暑さでどれだけの人間が死んでいると思っているのかと言ってやりたい。

 まあ、でも、僕の喧しい幼馴染などはきっと、

「暑くなけりゃあ、夏じゃねえ。この暑さこそが夏なんだ!」

とでも抜かすのだろう。

 全く、熱いのはお前の方だ。

 おっとあいつのこと考えてたら余計熱くなってきた。

 そうして僕は暑さと闘いながら鳴りやまぬ音に近づき受話器を取って、そして耳に近づける。

 その内容はいかにも簡潔で、いかにも味気ないものだった。


 花火(はなび)が学校の屋上から飛び降りた。


「・・・は?」

 何を言っているのだろう。

 あいつが飛び降り?ないない。そんなことはあり得ない。

 まったく、質の悪いいたずらもあったものだ。

 ・・・だけど、それじゃあなんで、いたずらなら何で、おばさんの、空木さんの、花火のお母さんの声だったのだろう?

 どこの世界に、実の娘が自殺したなどと、意識不明の重体で今なお眠ったままだと、そんな冗談を言う母親がいるのだろうか。

 少なくとも、僕の知るおばさんはそんな人じゃあ断じてない。


 花火、夏賀(かが)花火。


 それは隣の家に住む同級生の名前だった。

 他に知らない、他に該当しない。

 一六年間ただ隣に居続けた少女の名前である。

 そんな幼馴染が今、意識不明の重体となり生死の境を彷徨っている?

 家が隣、互いの母親が親友同士、同い年、家族ぐるみの付き合いをしてきた僕らは姉弟のように生きてきた。兄妹のように過ぎてきた。

 つい先日も一緒に遊んだばかりだ。

 そんな幼馴染が?

 忘れようとしても忘れられない、あいつの顔が今は陽炎のように揺らぐ。あのいかにもアホそうで、いかにも活発そうで、どこまでも明るい花火の笑顔が。

 信じられなくて、信じたくなくて、それでも信じるほかなくて、僕は家を飛び出した。

 一刻も早く、この目で確かめたかった。

 確かめずにはいられなかった。

 僕の家から病院までは近くのバス停からバスに乗るのが最も早い、今は僕を病院まで送ってくれる両親がいないのだから。

 停留所で数分待って僕はバスに乗った。

 病院まで三十分程度の道のりを僕は終始俯いて、ぼんやり足元を目に映していた。無意味な思考は無秩序に、僕に痛みばかりを押し付けてくる。

 いつも通りの速度で進むバス。僕は早く着けと思いつつ、永遠に着くなと呟いていた。

 それでもバスは予定通り、時間ぴったりに到着した。

 バスから降り見上げた真っ白な病院は強い日差しを反射させ、僕は思わず目を細めた。

 おぼつかない足取りで花火のいる病室へ向かう。

 電話がかかってきた時点で既に手術等は終わっていると聞いていた。

 バスを降りてから病院に入るまでの蒸し暑い日差しの下から一転、冷房のかかった病院内の涼やかな空気に汗ばんだ体が冷えていく。

 きっと僕は今、病院に似つかわしい顔色になっていることだろう。そんな戯言ににこりともせず、僕は歩みを進めていった。

 歩く、歩く。

 廊下を歩き、階段を歩き、廊下を歩き、階段を歩く。

 変わらない風景に、いつまでも花火にたどり着けないような気がした。

 それでも、おぼつく足に引っ張られ、ぼやける視界に導かれ、僕はやっと花火の病室の前に着いた。

 その場所で僕は少し息を大きめに吸い、それ以上に大きく吐く、吐く吐く吐く。

 ・・・解ってる、ただの時間稼ぎだ。数秒程度の足止めだ。

 意味はない、意図はない、意義はない、意地はない、意欲はない、意執はない、もはや意識があるのかさえ怪しいところだ。

 もしあるとすればそれはきっと弱い弱い意思だけだ。

 入りたくないという意思だけだ。

 それでも何とか、僕はその扉に手を掛けようとする。

 手を掛けようと僕はした。

 だがしかし、まるでじれったいとでもいうように、扉が開いた。

 僕が触れることもなく、あっけなく。

「あら(ゆき)くん、さっそく来てくれたの?」

 扉を中から開けた女性は、僕を見てそう言った。

 その人は、空木(うつぎ)さんだった。

 花火の、お母さんだった。


 いつも優しいおばさんは、今も僕を見て優しく微笑んでいる。

 けれどその瞳はほんのり赤く、その顔は疲れを隠しけれていなかった。

「わざわざありがとうね、きっとあの子も喜ぶわ。」

 いつも余裕の崩れないおばさんの初めて見る弱り切った姿。その姿が僕にはとても痛々しい。

 お医者さんとお話してくるからと、そう言っておばさんは歩いて行った。

 僕は釣られるように見たその後ろ姿から目を背け、今度こそ彼女の眠る病室の扉に手を掛ける。

 開けたくないなあ。

 いやだな。本当に嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ・・・・・・。

でも、仕方ない。

 手にべっとりとした嫌な汗を感じながら、きっと清潔なのであろうその取手に吐き気を催しながら、僕はそっと扉を開けた。



 真っ白の病室。

 ありきたりな病室。

 その部屋にはベッドが一つだけ置かれていた。

 その部屋には、僕と花火だけがいた。

 眠る花火に近づいて近くの椅子に腰かける。

 いつも騒がしかった幼馴染は静かに静かに眠っていた。怒ったり笑ったり、コロコロと様々に変わる花火の顔が今は何も映さない。

 そこにいたのは確かに僕の良く知る幼馴染で、だけど初めて会った違う誰かのように思えた。

 ああ、本当に、本当に花火は。

 僕は確かめた。

 確かめてしまった。

 花火が本当に目を覚まさないのだと。

 いつ目を覚ますのか、そんな日が来るのかさえ解らないのだと。

 花火が生きていることを、まだ死んでいないことを素直に喜ぶことは、僕には出来なかった。

 ぽっかりと何かが欠けたような、抜け出たようなそんな姿が、はたして生きているといえるのだろうか。

 生死の境を現在進行形で彷徨っている花火は、僕の目の前で現在進行形で眠っている。 

 手術を受けているわけでもなくただ眠っている。

 因果が狂ってしまったようで、成果を失くしてしまったようで、効果は消えてしまったようで、だけどそこになんら疑問の余地はない。

 医者は花火を救い切れなかったのだ。

 花火は零れ落ちてしまったのだ。

 気まぐれな意思に揺らぐ、天秤の上に。

「なに、してんだよ・・・。」

 ふと言葉が溢れ落ちた。

「お前、何してんだよ。バカじゃないの?」

 口の中が乾ききっていることに今、気がついた。

「ふざけんなよ、自殺なんかするような奴じゃないだろ。」

 泣いたりはしなかった。

 花火はまだ死んでいないのだから泣くわけにはいかなかった。

 だけど、だけどだけどだけど。

「さっさと起きろよ、ゴリラ女・・・」

 僕はそう言った。

 祈る様にそう言った。

 返事を求めて投げかけた言葉。

 返事など一切期待していなかった言葉。

 だが僕の求めに応じ、僕の期待を裏切り、返答が投げつけられた。


「誰がゴリラ女だ!」


 唐突な音にバッと顔を上げて花火を見る。

 だが、見開いた僕の目に映る花火はさっきと何ら変わらず眠っている。

「こっちだよ。」

 だが響く聞き慣れた声につられ、僕は上を見上げた。

「おっす、雪人(ゆきと)。」

 そう気軽に僕の名前を呼んだ少女は、今僕の目の前で眠っている幼馴染と全く同じ顔をしていて、全く同じ声をしていて、そして宙に浮いていた。



シリアスよりもコミカルのほうが100倍難しいと思う。

まじで

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