001 八咫烏①
彼は、飛行機から日本を見下ろしていた。
ワシントン・ダレス国際空港から飛び立ってから14時間。
邦人にしては大柄な体格ゆえ、エコノミークラスで長時間のフライトは窮屈で、思いのほか疲れた。
約半年ぶりに見る故郷に、彼は複雑な表情を浮かべていた。
久しぶりに帰って来たというのに、両親や友人に会う間もなく、帰国次第、横須賀海軍本部まで来いとの指令を受けたから。
彼は、日本国 海軍航空隊所属 戦闘機パイロット、高山 隼翔。
日本と同盟関係にあるアメリカ合衆国への大規模軍事派遣任務。隼翔はそれに従事していた。
昨今、米国は中米を中心に肥大化を続ける巨大犯罪シンジケートに手を焼いていた。
その組織はアジア圏でも勢力を広げており、米国は日本との軍事的協力を強調誇示すべく、米国製の航空母艦及び艦上機を格安で譲る条件で、日本海軍の派遣を要請した。
隼翔は若輩ながら大変に優秀なパイロットで、この任務中の戦績も、日本の派遣軍中でもトップクラスだった。
それなのに、なぜ。
任務途中での突然の帰国命令に憤った。
戦場では未だ戦友たちが、昼も夜もなく空と海を翔けているのに。
だが、いくら納得がいかなくても、海軍省大臣・赤城漣十郎元帥、直々の呼び出しに応じない訳にもゆかず、こうして単身帰国することと相成った。
成田からバスを、電車を乗り継ぎ、横須賀へ向かう。
車窓から懐かしい平和な東京湾を眺めながら、ひとり呟く。
「バイクで行きてぇなー…」
公共交通機関の煩わしさに、半年間自宅で眠ったままの愛車に思いを馳せる。
三月上旬、日本の気候は穏やかに暖かくなりつつある。
地獄のような中米での前線で、命懸けで空を翔けていたというのに。
日本に帰って来た途端、脳が平和ボケに切り替わった自身に、苦笑した。
大日本帝国海軍の東の統括として栄えていた横須賀鎮守府は、
太平洋戦争終結後、アメリカ海軍に接収され、そのまま米海軍駐屯施設として利用された。
この話から約二十年ほど前、諸々の理由で米軍は日本から撤収した。
その後、米軍基地として使用されていた場所は日本軍の管轄に戻り、横須賀海軍基地もまた、日本海軍の手に返って来た。
日本海軍は、そこを総本部と改め、執務を統括、工廠の再稼働、また海兵・工兵の育成機関を作った。
米軍基地だった頃の建物を使えるものは、そのまま利用している頑丈なコンクリートの砦。
当時、赤煉瓦の趣あるデザインに建て替える案も出たが、予算の都合で流れた。
そんな横須賀海軍本部で、隼翔を迎えたのは、呼び出した赤城本人ではなかった。
呼び出された応接室に入ると、隼翔の予想していなかったものが、いた。
初めて見る徽章をつけた、初めて見る人間。
海軍を表す錨のシンボルに、三つ足の鳥を模った、金色の徽章を胸につけた白の軍服。
隼翔の海軍パイロットの証である緋色の翼を模った徽章より、遥かに高い地位であることが察せるが、その本体が徽章と見合っていない。
隼翔よりも頭半分低い背丈の、随分と若く見える男…と、いうよりも、幼い。
まだ中学生か高校生くらいの、少年だった。
長身で筋骨隆々な隼翔と、正反対とも言える、お世辞にも軍人には見えない線の細さ。
「ええと、…高山准尉か。
准尉が乗艦することになった駆逐艦『天津神』の艦長をしている、成瀬だ。
成瀬 瑞岐。少佐だ。よろしく頼む」
そう言って握手の為の右手を差し出す。
童顔な大人かとも思ったが、声もまだ幼さが残る、やはり少年特有のものだ。
隼翔の悪い癖なのだが、頭で整理する前に思ったことを口に出してしまう。
「子供がこんなとこで何やってんだ」
ぶっきらぼうに言い放った。
少年…瑞岐は、一瞬なにを言われたのか理解が追い付かず、口を開けたまま固まった。
我に返ると、隼翔に怒声を浴びせる。
「だ、誰が子供だ!」
「お前だよ」
瑞岐の声に間髪入れず言い返す隼翔。
「それ父ちゃんの軍服か?こんなとこ勝手に入って来んじゃねーよ」
「…あんた、僕の話一ミリも聞いてなかったのか」
瑞岐は、初対面からこんな失礼な態度を取る軍人を初めてみた。
わざとらしく咳払いをして、話を仕切りなおす。
「もう一回言うぞ。僕は成瀬瑞岐、海軍少佐。
駆逐艦・天津神の責任者であり、准尉の上官になる。
高山准尉、これは赤城閣下直々の異動命令だ」
平静を装い、背筋を伸ばし、胸を張る。
大人の真似をして背伸びした少年の言葉に、少し戸惑い、そして返事をする。
「イヤだ」
脳を介さないで口に出た隼翔の本音。
出会って5分も経たない部下の、いきなりの抗命に再び絶句する瑞岐であった。