#1 伸びた影
西日射す学生街。その中心にある大通りは、両脇に同じ高さと古さを競うビルが立ち並んでいる。それらは、積み重ねてきた歴史と風格、そして、この街らしい学問の探求と知識が交差する、言わば街全体が大きな図書館のような雰囲気を醸し出していた。
「お前……さあぁ。まだそれ持ってるんだ。なかなか感心? するかな」
「何をおっしゃる、唐変木くん。これがいいのだよ、これで。私には必要十分、それが世界のためでもある。わかるかなぁ、きみぃぃぃ、世界平和、だよ?」
沈みゆく太陽の光がビルの窓に反射し、通りの影を一層長く見せ掛けることで、往来する人たちをつい急がせたが、それは、程なく訪れる秋の気配も手伝っていたからだろう。
「平和は……俺も望むところだよ。でもねぇ、それを言うんなら『地球環境の保全に貢献している』とした方がより良いだろう」
「それは『世界平和の一部』なのである。よって既に含まれているのだよ。……そそっかしい君は人の話を最後まで聞いて、よく噛んで飲み込んでみたまえ。そうすれば世界平和のなんたるかが自ずと分かる、理解できる、……なんとなく……かな。まあ、そのためにも、日々精進に励むが良いぞ、君」
夕刻の割には行き交う車も人通りも疎らな大通り。その歩道を、長く伸びた三つの影が揺らめいていた。それは夕陽を背中に歩く男女と、その少し後ろを歩く男性のものであり、場所柄と身なりからして、何処ぞの大学生だと誰が見ても推測できるだろう。先程からの会話は前を歩く男女のものであり、その後ろに続く男は歩きスマホ状態、良い子は決して真似をしてはいけない行為である。
会話の弾む男女、ケンジとサユリに比べ、別の世界に没頭しているカズヤは、眼を凝らしてスマホの画面を撫で回すが、どうも調子が悪いのだろう、同じ操作を繰り返しながら首を傾げるばかりである。その、困ったような浮かない表情をしているカズヤたち三人の関係を知らなければ、カップルに無理やり付き合わせられているようにも見えるかもしれない。
ケンジとサユリは同じ高校から同じ大学に進んだ旧知の間柄、その二人と大学で知り合ったのがカズヤである。ということは、ケンジとサユリはそういう仲なのか、と問うと二人は口を揃えて「違う」と言い、「ただの友達、それ以上でも以下でもない」という。その割には仲が良い・良すぎるように見えるのだが、意外にもサユリと付き合っているのはカズヤの方である。
サユリはカズヤを一目見た時から気に入ったらしく、背が高く控え目な性格と、優しそうな表情に惹かれたようだ。そんな好印象をサユリはケンジと比べた訳ではないが、会えば会うほどケンジとは正反対な性格と仕草に、異性としての魅力を感じたのかもしれない。一方、カズヤは快活なサユリが自分の大人しい性格を引っ張ってくれることに自然と惹かれたらしい。
では、ケンジはサユリをどう見ていたのか、というと、それはケンジの抱く理想の女性像、優雅で慎ましく、それでいて芯のしっかりした御嬢様、又は御姫様のような出逢いを夢見ていたようで、それ故、理想と掛け離れたサユリを友人の一人としか見ても感じてもいなかったようだ。それに、サユリとカズヤの仲を取り持ったのがケンジである、となればケンジとサユリは本当に友達・親友の類になるのだろう。
それを裏付けるように、カズヤのスマホとサユリの携帯にはお揃いのストラップが付いていた。それもここ最近のことなのだろう、サユリとカズヤをチラッと見てそれに気付いたケンジだったが、それを尋ねるような野暮はせず、一人うんうんと納得したようである。二人の仲が深まることは自分にとっても嬉しい——のはずだが、気付いた以上、何も言わないのも——ということらしい。
「その携帯は5年前の1月22日に発売されたから、……性格から言ってその日に買っただろう? それにしても今時折りたたみとは……」と不思議そうな視線を、携帯を持つサユリの手元に注ぎ込むのであった。それはもちろん、「それって、アレだよね、ねっ」という意味を込めているのだが、
「うん? ううん?」と、全くケンジの意図が読めないぞっ、というふりをするサユリである。しかし、そこはそこ、「気が付くのが遅いんだよ」という意味合も込めて、下から覗き込むように潤んだ瞳を向けるサユリである。これに、何故か一瞬ドキッとしてしまったケンジは必死で自分の心を読まれまいと目を晒すが、それを知ってか知らでか、
「あっ、これ? これはねぇ、……内緒。君にはまだ早すぎるものだから。……そうねぇ、君が大人になった暁には教えてあげても、いいかもね」と、「私は何も気付いてはいませんよ」のサユリである。
ケンジは、さっきのドキッが何だったのか、それを深く考えるよりも吹き飛ばしてしまおうと、会話の流れを引き延ばすことにしたようだ。それは、本来の自分の主義とは違うのだが、この際やむを得ないと思いつつ、
「カズヤのそれって、あれだよなぁ、こいつとお揃いの……」と言いながら、自分たちの真後ろを歩いているカズヤに話を振ったが、その時、サユリの表情が強張ったような、それとも怒ったのか、とにかく一瞬で変化したのを何故か見逃さなかったケンジである。——だが、そこにケンジを居らず、10mかそれ以上離れた所で、立ち止まったまま相変わらずスマホと睨めっこをしている姿があった。それについ安堵したケンジは、自分が言ったことがカズヤの耳に届かなかったことを幸運に思い、もう話すのはよそうと頭を冷やしたようだ。
「おーい、カズヤ。そこで何やってるんだよ。そんなの見てないで、先行くぞ」
カズヤに声を掛けたケンジだったが、どうやらその声は届いてはいないらしい。全く反応する様子もなく、微動だにしないカズヤである。そこで更に、
「おーい、こっちの世界に戻ってこいよー」と冗談を飛ばすも、相変わらずのカズヤである。
そんな二人の遣り取りに、なんとなく異変を感じたサユリは、表情を元に戻してから振り向くと——今まで下を向いていたカズヤが顔を上げると口元に微笑を浮かべたのである。これに、「何度呼びかけても応じなかったカズヤが、サユリが振り返っただけで反応するなんて、俺っていったい……」と愚痴をこぼしたくなったケンジである。が、
ピッカー・シュルシュル・ポッポー。
俺っていったい——ではなく、いったい何が起こったというのかぁぁぁ! 二人が見つめるカズヤの背後で、ピッカー・シュルシュル・ポッポー、である。
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