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カラリズム  作者: 忍苦
3/3

(2)

 時は少し遡る。

 日用品を買い終えて新しい我が家へと帰ってきた茜は、ビニール袋をリビングの机に奥なり「さてと」と部屋の中を見渡した。

「あとはそれぞれの部屋だけよね? 別々で良いでしょ?」

「え~、一緒にすれば良くない」

 首を傾げながら聞き返す葵に、茜は「うーん」と眉を寄せながら腕を組む。茜としては一緒に暮らすとはいえ、最低限度のプライベートの線引きはしておきたい。

 とは言え、家賃の大部分を持ってもらっている身とすれば、葵の意見はなかなかに断り辛いのが正直なところだ。

「お互い、見られたくない物もあるでしょ……」

 遠慮がちに、なるべく穏便に断る方向で茜が口を開く。

 そんな茜に対して、葵はケロッとした表情で今度は反対方向に首を傾げた。

「え? 別に無いよ?」

 そっちにはなくてもこっちにはある。

 茜が心の中で叫ぶ。いや、実際のところ本当に見られて困るようなものはまだ持ってきていないが、それでも下着ぐらいは出てくる。

 教室では女の子同士でどんな下着を着ているかという話が盛り上がることもあるが、茜は基本そういう話には加わらない。正直、なんで自分の下着の柄や色をあんなに大声で――教室にまだ男子がいる中で話せるのか、その神経がとことん分からない。羞恥心がないのかあんたらは、と一体何度心の中で問い掛けただろうか。

 ここはやはり、しっかりと断るべきだろう。

 最初が肝心と自分に言い聞かせ、茜が視線を葵に戻す。

 そんな茜の視界に、両手を合わせて頭を垂れる葵のつむじが飛び込んできた。

「ていうか、私荷物が多いから茜ちゃん手伝って!」

 がばっと勢い良く葵の頭が下がり、その艶やかな髪が大きく靡く。

 茜は両手を腰に当てながら、片方の眉を歪めて苦笑した。

 ストレートな物言いが一番困る。

 ずるいなぁ、と舌の上で転がしながら、茜はやれやれと葵の肩を叩いた。

「自分の部屋片付けた後で良い?」

「十分です! ありがとう茜、大好き!」

 今度はがばっと顔を上げた葵が、その勢いのままに抱きついてくる。なすがままにぬいぐるみの如く抱き締められた茜は、いい加減にしろと細い肩を押し返した。

「やめなさいって」

「ええ~、良いじゃん。誰も見てないんだし」

「女同士よ、私たち」

「え、普通じゃない? これくらい?」

 心底不思議そうな表情を浮かべる葵に、茜は困った顔で首の後ろを掻いた。どうにも、葵のパーソナルスペースは近すぎる。

「それに、茜って意外に良いから出してるから抱き心地が良いと言いますか」

 もとい、葵は親父臭すぎる。学校での淑女は演技かこいつは。

 これ以上無駄話をして時間を浪費するのは本当に無駄だ。部屋を片付ける前に日が暮れてしまう。

「ほら、無駄話してないでさっさと片付けるよ」

 茜はさっさと葵を彼女の部屋に押し込むと、自分の部屋の片付けに取りかかった。引っ越し屋さんが運び入れてくれた段ボールを開き、とりあえず必要な物を取り出していく。学校は休みなので勉強道具はゴールデンウィーク中の課題になるものを最低限。クローゼットに衣類を詰め込み、あんまり使ったことのない化粧品は後回しにして娯楽用の漫画や雑誌を本棚に並べていく。そして、最後にノートパソコンをセッティングすると取り急ぎ茜の部屋の片付けは完了した。

 ふぅっと息を吐いて部屋を一瞥する。白色系の壁紙に囲まれた部屋に灰色の家具。その中に、点々と赤い私物が並んでいる。といっても、赤い物は意外と少ない。布団やカーテンは柔らかな乳白色にしているし、小物系はシックな黒色の物が多い。出来上がった部屋は、モノトーンに統一した落ち着きのある空間になっていた。

 取り違えを防ぐためになるべく色の見分けが付く赤色を選ぶ茜だが、流石に全て赤色にしているわけじゃない。むしろ、赤々とし過ぎると眼が疲れるくらいだ。

 普段よく使う携帯と財布、あと鍵のキーホルダー。赤色の物といえば、本当に最低限の物に限っている。

 部屋の片付けが一段落して、手首に目を落とす。文字盤からベルトまで真っ白の腕時計を見ると、ちょうど小一時間が経とうとしていた。

「さてと、向こうはどうなってますかな?」

 誰にともなく呟きながら、茜が踵を返す。それなりに疲れたし一休みしたいところではあるが、どうせ休むならこれからの生活のことを話し合いながらがいい。

 軽くノックして、葵の部屋のドアノブを捻る。

「葵、入るよー」

「あ! 茜、ちょうど良いところに来た! この水槽持ち上げるの手伝ってくれな――」

 パタンと、茜は静かにドアを閉めた。数回瞬きをしながら、ぎゅーっと目頭を指先で強く摘まむ。

 メタルラックが見えた。まあ、それはいい。メタルラックに並ぶ透明なケースが見えた。まあまあ、動物可のマンションではあるし、茜も動物は嫌いじゃない。断然猫派だが、犬もイケる口だし、正直可愛ければ何でも良い。

 まあまあまあ――

 まあまあまあっ!

 胸に手を当てて、茜が呼吸を整える。何かの見間違いだ。そう自分に言い聞かせ、再びドアノブに手を掛け、ゆっくりと扉を押す。

『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』

 不意に、地獄の門に書かれているという碑文が頭を過ぎった。

「ちょ、ちょっ茜早く! 腰、腰が折れそう!」

 耳を劈く葵の悲鳴。かなり大型の水槽をメタルラックの中段に持ち上げようとしていた彼女は、ほっそりとした身体を反らしながらピクピクと痙攣していた。本気で助けを求めているのは分かるが、茜に備わった危機感知センサーが葵の部屋への入室を断固として拒絶する。

「ああ~、もう、だ、め……」

 どこか無駄に艶っぽい声を零しながら、葵が口惜しそうに水槽を床に下ろす。

 その背後に、すでにメタルラックに積まれた水槽の中に、それはいた。

 水槽だけど水はない。敷き詰められたおがくずの上をゆっくりとうねる長い身体。茜の眼でも分かる純白の鱗。そして、頭部に備わった真っ赤な瞳。

「へ、ヘビィイイイイーッ!」

 奇声の混ざった悲鳴を上げ、茜はその場にへたり込んだ。

「ちょ、ちょ、ちょ! 葵、なんなの、それ!?」

「え? ああ、この子はブリザードコーンスネークのダヴィンチ。綺麗な純白種でしょ~。あ、持ってみたい!? 持ってみる!?」

「いやいやいや! 嫌嫌嫌!! なんでヘビがっ……、ひぃっ!」

 茜の頬が引き攣り、喉が再び悲鳴を吐き出す。ヘビ、だけじゃなかった。見渡せば、正面にでーんと構えるメタルラックの他にも水槽やプラケースがそこかしこに並んでいる。

 透明なガラスの板を挟んで光る、ハ虫類特有の冷たい眼光。カエルにトカゲやカメ、果てにはカメレオン。名前に「カ」の付くおぞましい十数匹の生き物たちプラケースの中で蠢いていた。

 背中をドアに預けながらなんとか立ち上がり、茜が震える声を吐き出す。

「あ、葵。まさか、これ。もしかして、全部――」

「え? うん。みんな私のペットだよ」

 緊急速報、同居人のペットはハ虫類。

「短い間だったけど楽しかったわ。――さようなら」

 人外魔境から脱出するべく、茜が素早く振り返る。

 恐怖の大魔王が、その肩を素早く掴んできた。

「大丈夫、茜ちゃんもきっと可愛いって思うから」

 一点の曇りのない笑顔。茜が子猫を抱っこするときと同じ表情を浮かべながら、葵がそっと開いたままだったドアを閉める。

 茜は、その笑顔が恐ろしくて堪らなかった。


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