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カラリズム  作者: 忍苦
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第一章『私はその色を赤と呼んだ』(1)

「葵、あと何買うんだっけ?」

 食料品、消耗品、生理用品に日用品。

カートの中へ次々に放り込まれる商品を覗き込みながら訊ねると、葵は手にしたメモを指先でなぞり「うん」と小さく微笑んだ。

「大丈夫、これで全部」

「なら、いいけど。お金足りる?」

「大丈夫大丈夫。いざとなったら近くのコンビニで下ろすから」

 念のため訊ねる茜に、葵が朗らかに笑いながらお尻のポケットを叩く。瞬間、葵の顔が面白いくらいに青ざめる。

 嫌な予感しかしない。

 茜がため息交じりに葵の脇を肘で小突く。

「葵、財布持ってきた?」

「あは、あはははは。いやだな~。茜ぇ~、そんな怖い顔しないで……」

「持ってきた?」

 再度確認を取りながら、茜が素早く右手を葵のポケットの中へと滑らせる。「あ、エッチっ!」と予想以上に葵が大きな声を上げて一瞬ひやっとしたが、それ以上にすっからかんのポケットの感触に、茜の頬が引き攣った。

「…………ハァ~~~~」

「いや、怒られるよりため息の方が辛いんだけど」

「本っっっ当に、絵を描く意外は何にも出来ないんだから」

「面目ありません茜様」

「反省してないでしょ、あんた」

 深々と頭を垂れる葵に。茜が目尻を吊り上げる。とはいえ、ゴールデンウィークにつきなかなかに人の多いドラッグストアでこれ以上バカな漫才をするわけにもいかず、茜はもう一度深いため息を零すとそれ以上の問答を切り上げた。

 ただし、許しはしない。

 帰ったら、こってり絞らねば。

 ため息を飲み込みながら、茜は肩にかけていたポシェットを開いた。落ち着いた小豆色の長財布を取り出し、中身を確かめる。一応、カートに入れた分のお金はありそうで、ひとまずはホッとした。

 ゴールデンウィークの初日から、なんでこんな思いをしなければならないのだろうか。

 情けない自問自答をしながら会計を終えると、殊勝にも葵が荷物持ちを申し出てきた。

「いいの、重いよ?」

「大丈夫だよ。これくら……」

 ぐっと、二つに分けた買い物袋を一気に持ち上げようとした葵が、袋を一ミリも持ち上げられずに口を噤む。面白いのでそのまま眺めていると、捨てられた子犬のような眼を向けてきた。

 とりあえず、放置する。

「じゃ、先に行くから」

「助けてくださいお願いします」

「少しは根性みせてよ」

「これからは二人で助け合おう支え合おうって言ったの茜じゃん!」

「この、っば!」

 真っ昼間、それも人の多いレジ近くでとんでもないことをあっけらかんと口走る葵に、茜は顔を真っ赤にしながら買い物袋の片方を引ったくる。

「ほら、さっさと行くよ!」

 向けられる奇異の視線を振りほどくように、茜はドラッグストアを飛び出した。

 雲一つ無い灰色の空。天気予報によればゴールデンウィークは五月晴れに恵まれて絶好の連休になるそうだ。

 足早にドラッグストアを離れる茜のところに、葵が小走りで駆けてくる。

「ちょ、茜待ってよ」

「待たない。ほら、もうバス来てる」

「あ~、も~っ」

 ちょうどバス停に停車したバスに茜が余裕を持って乗り込むと、息を切らした葵が遅れて飛び乗ってきた。路線バスの席は7割ほど埋まっていた。日中ということを考えれば、多い方だろう。その年齢層もバラバラだ。休みなのに営業回りをしているのかスーツ姿の男性の姿もあれば、部活に行くのか弓道の弓を抱える女子高生の集団が一角を占領している。梅干しみたいにしわしわのおばちゃん二人は眼を細めながら会話を楽しみ、その後ろの席では中坊の少年が一心不乱にゲーム機を弄っていた。

 運良く最後尾の広い席が空いていたので、茜は窓側に荷物を置きながら腰を下ろす。葵は茜の隣に座り、荷物は足下に下ろした。

 ぷしゅーっとバスのドアが閉まり、ゆっくりと景色が流れ始める。

 灰色の濃淡。光の陰影が前から後ろに流れ、その中に時折赤が混じる。郵便屋さんのバイクや看板。道路標識にのぼり旗。

町中に転々と現れる赤をぼーっと眺め、ふと隣に座る葵に目を向ける。

さらりと流れる黒髪に一筋の薄灰色の線が混じっていた。葵のスマフォから伸びるイヤホンのコードだ。たぶん、聞いているのはK―POP。指先で膝をトントンと叩いてリズムを取りながら、茜とは反対の窓に視線を流している。

 葵には、この灰色の世界がどう見えているのだろうか。

 四色覚。それが、『神の眼』を持つと言われる葵の見ている世界らしい。普通の人間は光の三原色である赤、青、緑で世界を見ているが、葵にはそれに加えて紫外線の光までもが知覚できるのだとか。

だから、葵の描く絵は異常な色彩で描かれている、らしい。普通の人には二色に見える部分が、三色にも四色にも見えるのだから当然だ。

 まぁそれも、青色も緑色も見たことのない茜からすれば、あまり理解したくても理解できない魅力だった。

 赤色以外を知覚できない茜は、青色と緑色の見分けが付かない。灰色の濃淡にしか見えないから、葵の絵は他の絵よりも濃淡が細かい絵にしかみえない。赤色系の色彩が鮮やかなのは素直に凄いと思うが、それでもやはり、普通の人が感じる魅力はわからない。

 赤色以外の色の魅力。

 青い空。新緑の木々。海や川を彩る水の青色。大地を染める草木の緑色。エメラルドグリーンと言われる湖。蒼玉と呼ばれる宝石サファイア。

 見たことのない青色と緑色という色を想像して、茜は小さく肩を竦めた。口元に、どうでもいいと言わんばかりの退屈そうな笑みが浮かぶ。

 良い意味で淡泊な性格だった。ないものはしょうがないし、もともと知らないのだから分からなくても惜しくはない。

 キーッと響く錆びたエンジン音。停車したバスの窓の外へ視線を流す。

 一本の街路樹が茜の目に止まった。一枚一枚濃淡が違う葉っぱの隙間から斜光が滑り落ち、アスファルトに落ちた木陰の形を変えている。活き活きと伸びた小枝には一羽の小鳥が止まっていた。枝の中にいる虫を食べようとしているのか、クルッと丸みを帯びた嘴でコチコチと足下の枝を突いている。嘴の形から察するにたぶんインコだ。身体全体の色は淡い灰色で本来の色合いは分からないが、頭の部分はふんわりとした赤色で愛嬌がある。

 ペットの鳥が逃げ出して野生化している。そんなニュースを思い出しながら、茜は手は半ば無意識にスマフォのカメラを立ち上げていた。

 ――カシャー――

 バスが発車する寸前にシャッターが切られる。

 心地よい震動に身を任せながらアルバムを開いて切り取った世界を眺める。暫し眺め、自分の中で合格の判を押す。写真をインスタグラムに投稿すると、ムフ~ッと自分でも分かるくらい満足感のある息が鼻から漏れた。

 黒と白と灰色と赤。

 それだけ、世界は十分に綺麗だ。

 スマフォを鞄に戻し、再び視線を窓の外に流す。

 震動に身を任していると途端に微睡みが茜を襲い、口を半開きにしながら完全に爆睡している葵共々、危うく目的の停留所を乗り過ごすところだった。

「ふーっ。間一髪」

「も~、茜しっかりしてよ~」

 買い物袋ふたつ+人一人を抱えてバスから飛び降りた茜に、葵が「まったくもう」と腰に手を添えながら頬を膨らませる。

「しまった、忘れてくれば良かった」

「それが出来ないのが茜でしょ。はい、袋一つ貸して」

 貸し手と言いながらちゃっかりと軽い方の袋を持つ葵に、茜は深い溜息を零す。

 だが、茜は零した溜め息を取り戻すかのように、大きく息を吸い込んだ。空気でパンパンに肺を膨らませ、大きく胸を張る。

 自然と視線が上がり、目の前の建物を強い眼差しで睨み付ける。

 真新しいマンションが茜の目の前に聳え立っていた。

 葵の父が営む賃貸マンション。多少は融通してくれているが、それでも一介の女子高生にはとても借りられるものではない。

 しかし、片や『神の眼』を持つ天才高校生絵師の名城葵。

 片や、高校生にして初のインスタグラム写真集を発行した宮田茜。

 その二人の同級生にはとても言えない収入が揃えば――と言ってもほとんどが葵持ちだが――不可能も可能となる。

 同居人がいるとは言え、親元から離れて人生初の自立生活。

「よおっし!」

 ドラッグストアのビニール袋を握り締めながら、茜は新たな生活の一歩を踏み出した。



 そんな茜と葵の共同生活が始まって一時間。

「短い間だったけど楽しかったわ。――さようなら」

 突き付けた三行半。

 部屋を去ろうとする茜。

 理解できないと頬を膨らませながらその後を追う葵。

 二人の共同生活には、早くも暗雲が立ち込めていた――


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