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カラリズム  作者: 忍苦
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プロローグ


灰色の空の下……


私は、出会った


綺麗な、それはとても綺麗な……


灰色と赤の虹を描く、その彼女に。






プロローグ


 ホームルームも終わり、クラスの机は次々に空になっていった。部活、塾、友達と買い物、話題探し。会話が弾む者もいれば、今日は用事があると断る者もいる。

 そんなクラスメイト達をぼーっと見送りながら、茜はゆっくりと席を立ち、スマートフォンを片手に教室を出た。

 廊下を少し歩いて、窓の外に目を向けて、灰色の空と水たまりだらけのグランドに視線を流す。規則正しい号令を上げる野球部の声が窓のガラスをビリビリと揺らす。

 窓を開けて、眼を細める。茜は網膜に焼き付けられた景色を暫し眺め、ポケットにスマートフォンを突っ込んだ。

 数歩廊下を歩いて、思い出したように再びスマートフォンを取り出す。ほとんど無意識で指先をスライドさせてロックを解除。インスタグラムの自分のアカウントを立ち上げる。

 天文学的に膨らむ閲覧の数字。いつもなら小うるさい幼馴染みに「気持ち悪っ」と言われるほど頬が緩むのだが、茜の頬は臨時休業を決め込んだらしくピクリともしなかった。

 はぁ、とため息一つ零して、再びスマートフォンをポケットにしまい込む。

 陰鬱な気持ちの理由は明確だ。

 親と喧嘩した。ただそれだけ。

 頬の筋肉が仕事を始めた。不細工に引き攣り、唇が歪める。無性に壁を叩きたくなる気持ちを抑え、溢れる苛立ちで靴音を大きくしながら廊下を進む。

 玄関には向かっていない。外履きを履いたらなんだか負けな気がした。

 当てもなくぶらぶらと、校内を散策する。周りから言わせれば無駄にポジティブな茜の性格は、いつもなら全く寄りつかない方向へと足を進ませた。

 いつもと違うところに行ってみれば、いつもと違う出会いがあるんじゃないか。

 何かいつもと違うきっかけが、この憂鬱な気持ちを晴らしてくれるんじゃないか。

 そんな根拠のない期待は、だいたい空振りに終わる。十中八九空振りに終わる。つまり、ほぼ100パーセント空振りに終わる。

 しかし、今日に限って確率の神様という奴が気まぐれを起こしたらしい。

 技術室や音楽室なんかが押し込められた実技棟の三階南側の端の部屋。

 黒くて艶やかで長い髪が、窓から舞い込む春風に揺れていた。

 どうせ誰もいやしないと思っていた茜の不意を見事に付いてくれたその黒髪は、右側に一房の三つ編みを流していた。三つ編みを束ねる筒状の髪留めが、夏の風に揺れる度に椅子の端を叩く。その三つ編みもストレートに流した髪もどちらもびっくりするくらい滑らかで、化粧の類いに疎い茜ですら手入れの仕方を聞きたくなってしまった。

 細い肩が忙しなく動く。左手に木彫のパレット、右手に細い筆。周りに並べた椅子には、他に数十本の筆と何十種類になろうかという絵の具のチューブ。

 そして、筆先が何度も往復するキャンパス。

 絵を描いている。その事実を認識するのに、数秒かかってしまった。

 自然と、茜の手は動いていた。

 ポケットからスマートフォンを取り出し、ほとんど無意識で指先をスライドさせてロックを解除。そのまま流れるようにカメラのアプリを立ち上げる。

 スマートフォンを構えて、5.5インチの世界にこの眼の全てを注ぎ込む。

 シャッターを押す瞬間を決めたのは、絵の具を取るために、絵師の身体が傾いたその時。

 キャンパスの中の鮮やかな赤い帯。灰色と赤の虹が灰色の空に走ったその瞬間。

 ――カシャッ――

 短いシャッター音が教室の中に響き、長い髪と細い肩が大きく跳ねた。

 リスみたいに目を丸くして、その子はゆっくりとこっちを振り返った。

 ぽてっとした眉をハの字にして、薄桜色の唇を半開きのままにして、まるで彫刻のように固まる彼女。

痛い沈黙が流れる。

「あ……」

「ア……」

 沈黙を破る声が重なり、二人は同時に口を噤んだ。

 スマートフォンを構えた格好のまま、茜の口元がぐにゃぐにゃっと歪む。声を上げるタイミングが完璧に重なったおかげで、代わりにいろんなタイミングを失っていた。謝るタイミングも、逃げるタイミングも、茜を残してどこかへと行ってしまった。

 さて、どうしたものだろうか。

 カメラの画面の右下に今写した画像が保存されるのを確認しながら、茜が次の一手を模索する。

 再び沈黙を破ったのは彼女の方からだった。

「あっ! ――もしかして、宮田……さん?」

 驚いたように目を丸くしながら自分の名字を呼ばれ、茜が小首を傾げる。茜の記憶が正しければ、自分と彼女に面識はないはずだ。

 そんな内心が顔に出てたのか、彼女はさらに言葉を続けた。

「あの、インスタグラムで女子高生初の写真集出した」

 ああ、っと茜はスマートフォンを持ったまま手を打った。確かに茜は少し前、自分のインスタグラムの写真を集めた写真集を某出版社から発行したことがあったのだ。そこそこ話題になったという自負もある。

 ただ、女子高生というネームバリューともう一つ、特殊な理由が話題性を生みだした自覚もあるので茜としては素直に喜べない代物だ。

 ついでに、彼女の言葉が疑問系なのにも茜は納得した。

 今のご時世は色々と物騒だ。写真集を出す上で顔出しの話もあったが、こちらは丁重にお断りした。しかし、ネット社会というものは恐ろしく、茜が取った写真の景色から、桜田高校の学生ではないかという恐ろしく正確な推測が一時学校内を飛び交っていたのだ。

 誤魔化すことも出来たが、少し悩んだ茜は、勝手に写真を撮ってしまった謝罪を兼ねて彼女の質問に小さく頷いた。

 途端、彼女の顔が茜の目の前にすっ飛んできた。

「ほんと! 本物! 本人なのっ!?」

「え、あ、まぁ……」

「すごいすごいすごいっ! ねぇねぇ、私ね、あなたの写真集買ったよ! もちろん、インスタグラムもフォローさせてもらってるし! あぁ~、もうっ。感激だなぁ~」

 こちらの手を握り締めて目を潤ませる少女に、茜は圧倒されて「ども」と短く答えることしか出来ず、抱き抱えられた猫のように縮こまる。

 一方、傍に立つと茜より頭一つ背の高い彼女は、一度茜の手を離すと、思い出したように自分の手に付いた絵の具をスカートで拭い、改めてその手を差し出した。

「私、葵。名城葵。茜さんの大ファンです!」

 テンション高めに自分の名前を口にした葵に、茜は「ん?」と反射的に差し出した手を止め、自分の記憶を呼び起こす。

「えっと、間違ってたらごめん。ものしかして、『神の眼』とか言われてる、あの天才女子高生絵師の名城葵?」

「天才じゃないよ~、ただ、絵を描くのが好きなだけだよ。それに、私の書く絵って、普通の人から見たら変わってるんでしょ。――あ、そうだっ!」

 次から次へと言葉を生み出す葵が、差し出していた手をグイッと伸ばし、茜の手首をガッシリ掴む。体格差から抵抗らしい抵抗も出来ないまま、茜は引きずられるようにキャンパスの前へと立たされた。

「ねぇねぇ! 宮田さんには私の絵、どう見えるのっ!?」

 もう、それを聞きたくて聞きたくて堪らないとばかりに、葵が目を輝かせて返答を待つ。

 その眩しいほどの期待に、茜は思わず微妙な表情を浮かべた。

「えっと、私、絵を見る目なんてないから」

「それでも良いの! ねぇねぇ、宮田さんには私の絵どう見えるの!?」

 背中をグイグイと押してくる葵に、茜の口から諦めを滲ませたため息が漏れる。

 自分に人様の絵を見るほど、しかも、これほどの期待を込められるほどの目なんてない。

 それを誰よりも自分自身に言い聞かせながら、茜は双眸を窓の外の景色を切り取るキャンパスへと傾けた。

 まだ、描きかけの絵なのだろう。

 ということは、これが完成したら自分は感動して死ぬかも知れない。

 そう思えるほど、天才女子高生絵師の描く絵の構図は素晴らしかった。ただの景色なのに、まるで別世界のような存在感。葉桜と家と丘と山と。そして、それらを包み込むような空と、天を翔る虹。

 ただ、この絵を本当の意味で理解できる日は、きっと茜には来ないだろう。

「ねぇ、どう見えるの?」

 再三の催促。茜の耳に、今朝母と喧嘩したときの言葉が蘇る。

 一瞬目を伏せ、記憶を記憶と割り切って、気持ちをサクッと切り替えて、

「ここは赤色」

 茜は指先で天を翔る虹の赤をなぞり、

「あとは全部灰色」

 灰色の空を掌で撫でながら、小さく肩を竦ませて答えた。

 茜の眼は、先天的に赤色以外の色を知覚することができなかった。

 最初に自分の目が他人と違うと気付いたのは幼稚園の時だ。茜は折り紙の色の違いがどうしても分からなかった。赤色以外の色紙は全部濃淡の違う灰色に見え、草木を紫色で、ライオンを緑色で作ってしまった。

 あの時、他の子供たちから向けられた眼を、茜は今も覚えている。

 さてはて、目の前の美少女画家さんは、こんな自分にどんな眼を向けるのだろうか。

 そんなことを考えながら振り向くと、

「~~~~ん~~~~~~~~~っ!」

 身悶えしながら眼を爛々と輝かせる葵がそこにいた。

「え、ええ?」

 葵の反応の意味が分からず、茜が思わず身を引く。

 そんな茜の肩を、葵は逃がさないと言わんばかりにがしっと掴んだ。

 にぃ、っと葵が白い歯を見せて笑う。口元にあったホクロが、口の端につられて持ち上がる。

「決めた!」

 なにを?

 一方的に何かを決心した葵に、茜が首を傾げる。

 いつの間にか日は傾き、夕焼けが教室の中を焦がしていた。

 黄昏色に頬を染めた葵が、弾かれたように茜から離れる。一体何なんだと戸惑う茜を余所に、葵は壁際に置いていたスケッチブックを掴み取ると、いささか乱暴にキャンパスを教室の隅へと片付けた。

「宮田さん、そこ座って!」

「え? え? ちょ、なんなの?」

「いいから!」

 こちらの意見に一切耳を貸さず、葵が強引に茜の背中を押す。

 華奢な見た目のわりに、葵は意外とパワフルだった。

 あれよあれよと茜は窓際の椅子に座らされ、葵はその対面に椅子をセットする。その隣にもう一つ椅子を置くと、その上に数十色分の色鉛筆を置き並べた。赤色以外知覚できない茜にすれば半分ほどの色は灰色にしか見えないが、逆に言えば残り半分は濃淡豊かな赤色の色鉛筆がずらりと並べられている。

「動かないでね。あ、スマフォはいじってても良いから。むしろ、いじってて!」

 ビシッと有無を言わさない口調で告げる葵に、茜は面食らいながらも従った。

 シャッシャシャっと、乾いた音を立てながら紙の上を色鉛筆が滑る。

 葵の眼が、茜とスケッチブックの間を何度も何度も往復する。

 初めこそスマフォを適当に開いて素直に従っていた茜だが、数分もすると素直に従うことへの疑問が頭を過ぎった。

 しかし、その疑問を茜は棚上げにする。

 一心不乱に腕を動かす葵、その指先で踊る赤色の色鉛筆。

 撮りたい。

 その衝動が、茜を襲った。

 茜の撮る写真は、一般人からすれば実に特殊だった。

 赤以外の色覚を失った茜の瞳は、逆に言えば赤に対してとてつもなく敏感だった。

 水晶体というレンズを通して茜が切り取る世界は、灰色の世界の赤を切り撮る写真は、実に独特で、神秘的で、そして何に欠けていて、だからこそ見る者を惹き付けた。

 それが、高校生という身分でありながら自信のインスタグラムの写真集の発行するに至ったインスタグラマー、宮田茜の話題性だった。

 インスタグラマーの血が騒ぐと、もう宮田茜は止まらない。ほぼ無意識のうちにスマフォを取り出しロックを解除。スマフォの画面に夕焼けに焦げた赤茶色の教室で薄紅色の鉛筆を握る少女を切り取る。

 だが、茜の指先がカメラのマークに触れようとした、その瞬間。

「あああああああああああああ! だめ、動いちゃ! 色がズレるからっ!!!」

 ビックリするくらい大きな、そして、もの凄く自分勝手な声が教室の中に響き渡った。驚いて傾いたスマフォからカシャッと言う音が遅れて響いたが、その画面に収まったのは天井隅の天窓のみ。

 ぐぬっと、茜が小さく唸る。

 そこで素直に元の姿勢へと戻る茜はかなりお人好しなのかも知れないが、さすがにふて腐れた顔までは直せなかったし、皮肉を零す口は止められなかった。

 ……

 …………

 ……………………――

「ねぇ~、まだ?」

「もう少し」

「もう帰りたいんだけど」

「大丈夫大丈夫」

「いやいや、何が大丈夫なの?」

「私がいるから大丈夫。お化けなんてないさ、お化けなんて嘘さ♪ 放課後ノ教室怖クナイ」

「いや、そんなホラー的な意味で聞いてるんじゃないから」

 語尾にちょっと棘を乗せながら、茜は思わず内股をキュッと締める。正直、ホラー系は苦手なのだ。スプラッタ系はもっとダメ。画面に飛び散る血の赤は本当にこちらのライフポイントを削ってくる。

 そして、いい加減茜がウトウトと微睡み始めた頃。

「でっきたーっ!」

 太陽の半分以上が地平線に隠れる中、椅子から飛び降りた葵がスケッチブックを天井に向けて突き上げた。

 突き上げられたスケッチブックは、寝ぼけ眼を擦る茜に向けて反転。そのまま、ズイッと押しつけられる。

「どう! ねぇ、どうっ!」

 スケッチブックの横から葵が顔を出し、感想を求める。

 茜は、目の前に突き出されたスケッチブックを眺め、

「え…………」

 戸惑い、

「ん~……ん~……? ん~」

 訝しみ、そして、

「っぷ、あははははははははっ」

 破顔した。

「なにこれ、変な絵。色、めっちゃくちゃじゃない」

 人差し指をグイッとざらざらした紙の上に押しつけ、笑いながら茜が葵を睨み付ける。

 葵が描き上げた絵は、普通人から見れば世界が異様に見える茜にとってしても、輪を掛けて異様なありさまだった。

 夕陽を背負い、少しだらしなく椅子に腰掛けてスマフォをいじる、つまらなそうな顔をした少女。ちょっと低めの鼻に、狐っぽい双眸と広いおでこ。良く鏡で見慣れた顔は、さすが天才少女上手く書けてる。てか、上手すぎる。

 それが、ただの鉛筆のデッサン、茜以外の人が見ても白黒の世界だったら、話はそこまでだった。

 ただ、目の前にいるのは『神の眼』を持つ天才高校生絵師名城葵。

その異名は伊達じゃない。

 突き付けられた絵は、なかなかにぶっ飛んでいた。

 赤だ。そして、紅で朱。濃赤、淡赤、光赤。さすがに全てを赤系統の色で描いているわけじゃなく、茜にすればくすんだ灰系色にしか見えない青系や緑系が混ざっているみたいだが、それでも絵の半分以上は赤系色により彩られていた。それだけの色が混ざればごちゃごちゃしていそうなものだが、不思議と葵の絵にはまとまりがある。

 こう、もさもやもじゃっとしているはずなのに、すっと整っているというか……

 茜にとっては鬱陶しい青色や緑色の配色すら、赤色を引き立てているように見えるのだから――これはもう、あれだ。

 一言で言えば、茜の世界を変える絵だった。

「ひっどいな~。一生懸命描いたのに」

 眉毛を八の字に寄せながら怒ったフリをして笑う葵に、茜がもう一度一際大きな笑い声を上げる。その笑いに葵がつられて笑う者だから、二人の間の笑いは収まる事を知らなかった。

 陽が沈み。濃い灰色が暗色に染まる世界で、茜と葵は笑い続けた。

 それが、赤色以外知覚できない茜と、人よりも世界が色鮮やかに見える四色覚を持つ葵の出会いで。

 二人が一緒に暮らし始める一月半前――

 三月半ばの出来事だった。


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