第三話 大嫌いなあなたと共に
第三話。今回は美波回です。
火野美波。実はこの名前は、彼女の戸籍上の名前とは違う。彼女の戸籍上の正式な名前は谷川美波。それでも彼女が火野美波を名乗る理由。それは、生まれたときは「火野美波」だったのが、親の離婚で「谷川美波」になったからであり、彼女が心の底ではそれを認めていないからである。
彼女は基本的に他人を嫌わない気質だが、そんな彼女にもたった一人だけ、大嫌いと声を張って言える相手がいる。それが谷川鈴音。彼女の実の母…と、認めざるを得ない相手。彼女は美波の父である、火野有吾の母、要するに鈴音から見て姑との関係に耐えきれずに、有吾と離婚したのだ。
こう言えば、悪いのは有吾の母にも見える。しかし実際はそうでは無かった。悪いのは明らかに鈴音の方である。
家事は有吾がいるときは彼を中心に行われた。
美波の三つ下には、あかりとともりという双子の妹達がいるのだが、父が仕事に行っている間その二人の面倒をみたのは美波だ。そのような事情があった為、美波は幼稚園にも保育園にも行かなかった。行けなかった。
では、その間鈴音は仕事でもしていただろうか?答えは否だ。彼女は何もしていなかった。有吾がいない間の家事のほんの一部をするだけで、自分のやるべきことを充分やった気になっていただけだ。そのくせして欲しい物は勇吾にねだっていく。「頑張ってるんだし、たまには良いじゃない。」という一言と共に。
有吾の母が家に来た際にこの状況を見て、もっと有吾や美波の負担を減らすべきだと注意した。それに鈴音が猛反発して離婚に繋がったという訳だ。その事実を聞いて、誰が有吾の母が悪いと言うだろうか?
そのようなこともあり、美波は父を尊敬していた。故に、私は父について行く。そう思っていた。しかし現実は違った。彼女は鈴音が主張をしたため、あかりとともりと共に鈴音について行くことになってしまったのだ。彼女が主張した理由は、ただの見栄とプライドだけ。これが戸籍上の「谷川美波」の生まれた瞬間だった。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
今日はいろいろなことがあった。デビルホロウが現れて。新しい聖因子を持つ少女、日向みのりが現れた。とても充実した一日だったが、家に帰るという行為は美波にとってその充実感を失わせるのに十分なの場所だった。
「ただいま。」
「あら‼︎美波‼︎お帰りなさい‼︎遅かったわね‼︎」
大嫌いな鈴音の機嫌が良い。こんな時は大抵、美波にとって不都合な事案を持ち込んでいる時だ。この場合、それとなく何があったか聞いて、なるべく早く対応出来るようにするべきだと、美波はこの十七年に及ぶ鈴音との生活で学んでいる。
「あれ?母さん、今日なんかすごく機嫌が良いじゃん。何か良いことでもあった?」
「えぇ‼︎分かる⁉︎聞いて、美波‼︎実は母さんね…再婚出来るかもしれないの‼︎」
彼女は一瞬、鈴音が言っている言葉の意味が分からなかった。
ーサイコン、デキルカモシレナイ?サイコン…再婚⁉︎再婚出来るかもしれない⁉︎この人は、この期に及んで再婚なんてしようとしてたの⁉︎私達に一切相談もせずに⁉︎
「ねぇ、ちょっと母さん⁉︎いきなり再婚って…どういうこと⁉︎」
「文字通りよ文字通り。来年はあなたもあかりもともりも受験よ?受験費に入学費。私とあなた達の稼ぎ、それに補助金だけでどうにかなると思ってたの?それに、あなたもそうだったけど高校に入ってからはバイトの時間減ったじゃない。」
ー私とあなた達の稼ぎ…ふざけないでよ‼︎それを母さんが言う⁉︎うちの稼ぎは、ほとんど私達の稼ぎじゃん‼︎母さんが内職で稼いだ稼ぎなんて、すずめの涙ぐらいのもんでしょ⁉︎私達三人の学費だって、市の補助金が無かったらどうにもないような状況だってことも分からないの⁉︎
そう。彼女がこのような家計の状況でありながら○ックでセットでも奢れる発言をした理由。それは、美波がそこでアルバイトしているからだ。その分の割引があるだけでなく、レジにいるバイト達は大抵美波と関わりがあり、こっそり余計に割り引いてくれるのだ。
彼女は他にもコンビニでのアルバイトなどもやっており、テスト週間でもそれは関係ないどころか、余計にバイト時間は増える。そのような状況で全教科平均以上を取っていると考えれば、彼女が如何に努力家かが分かるだろう。
そんな生活を、親が離婚した四年前から。最初は高校に行かずに就職することも考えた。しかしそうしなかったのは、彼女には夢があったからだ。給料の高い会社に就職し、充分に資金を貯め、あかりとともりと共に三人で暮らすのだ。しかし、新しい父が出来るとなるとその計画が危うくなりかねない。
「大丈夫だよ。あかりとともりはともかく、私はもうそろそろ就職して良いかなとも思ってるし。
大学に行くとしてもさ。近くの大学だったらバイト時間も今より増やせるし。あかりとともりも、公立行くには成績がキツイかもしれないけど、ほらさ。高校入ってからもバイト続けて貰えば、私立に入ったとしても、市の補助金を合わせれば、学費もどうにか…ねぇ、そろそろ父さんを頼…」
「その名前は出さないで‼︎」
鈴音の表情が180度変わり、テーブルを思い切り叩く。反射的に背筋が伸びる。
「私の前で、あの人の話をしないで‼︎あの人のことは忘れなさい‼︎あんな、私が理不尽ないちゃもんつけられる理由を作った人のことなんて‼︎絶対に忘れた方が身の為だわ‼︎」
ー理不尽ないちゃもん⁉︎違うでしょ⁉︎あれは全部、母さんが悪かったでしょ⁉︎それに、お父さんは私達の学費は払うって言ってくれてるんだよ⁉︎何もしなかった、あなたに‼︎それを断る理由も、ただの見栄とプライドでしょ⁉︎
しかし、そう言い出せる訳がなかった。今ここで自分の思いを解放してしまえば、今までの努力が全て無駄になってしまう。再婚が成立するまでのタイムリミットをしっかり見極めて、焦らずゆっくり再婚させない流れにするしかない。
「分かった。ごめんなさい。でもさ、前みたいなことにならないとは限らないから、きちんと盲目的にならずに相手の人を見るんだよ?」
「うるさいわね…分かったわよ。」
「分かってるわよ。」ではなく「分かったわよ。」と言ったことから、尊敬していた父を貶めるような発言をしたことによる胸の痛みは無駄じゃなかったと判断する。
「じゃあ、明日のバイトも朝早いから今日はもう寝るね。」
「分かったわ。おやすみなさい。」
言い残し、美波は寝室へ向かう。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
「お姉ちゃん。」
寝室に入ると、ともりの声がした。三人は同じ部屋で寝ているのだ。どうやらあかりはもう寝ているらしい。
「まだ起きてたの?ともり。早く寝なきゃ、疲れは取れないぞ〜。」
「トモの疲れはどうでもいいの。それより…聞いた?母さんのこと。」
「うん。再婚、だってねぇ…」
「…前々から思ってたんだけどさ…あかりとトモ、お姉ちゃんの足枷になってない?私達のせいで、やりたいこと出来てなくない?」
「そんなことないよ。かわいい妹達を守れる。その為なら頑張れる。二人共、足枷なんかじゃない。私の大事な、元気の源だよ。」
ともりの頭を撫でながら言う美波。美波に頭を撫でられて安心したのか、少しずつまぶたが閉じていくともりの姿を見ながら彼女は考える。
ーそう。私はお姉ちゃんだもん。だから、妹達を守らなきゃいけない。あかりも、ともりも。そして自分のことをお姉ちゃんと呼んでくれないあの妹達と弟も。
そう決意するものの、今回の件であかりとともりと三人で暮らすという夢までの道のりが険しいものになってしまったことに変わりない。
いくら厳しい状況になってしまっても、くじけてしまいそうな心を「お姉ちゃん」であるという思いだけで奮い立たせる。血の繋がった妹達も、血の繋がらない妹達と弟を守る為に戦う。それのみが彼女の行動原理だった。
しかし、そんなことないと思っていても、ともりの言った「足枷になってない?」という言葉は胸の中に残って…
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
翌日の朝。早朝のコンビニアルバイトが終わる。そこから、冬の早朝の寒さをしのぐためにマフラーで顔の一部を覆いつつ学校に向かおうとすると、携帯が振動した。送り主はバイトの後輩。「ごめんなさい‼︎急で申し訳ないですけど、明日に予定入ってしまいました‼︎先輩の今日のシフトと交換して貰えませんか?」とのこと。ちょうど明日は休みにしようと他のバイトのシフトも開けていたので、「りょーかいりょーかい‼︎んじゃ、今日は休みを満喫させてもらうよ‼︎」と返信する。
ーん?ってことは明日の代わりに今日がフリーってこと?なら今日の内にみのりんには千春君の顔を覚えて貰おっかな。
そう思い、「みのり〜ん‼︎今日って空いてる?空いてるならちーちゃんのお見舞い行こ〜ぜ‼︎」と送信。返信はすぐにきた。「分かりました。空いてますよ。集合時間とか、集合場所とかはどうしますか?」とのこと。
ーん?あれ?昨日何か気使わせる言い方しちゃったかな?ただ、みのりんから敬語使われるのもなんか慣れないなぁ…
と思い、「いきなりどしたん?なんかカッテーなwwwいちいち敬語なんて使わなくていいよ‼︎んじゃ、4時30分に昨日の○ックで‼︎」と返信する。これまたすぐに返信が来て、「分かった。敬語、使わなくて良いんだね?じゃあ、4時30分に。」だそうだ。恐らく、今になって年上だということを意識し始めたのだろうと予想する。このように年下の考えを正確に予測出来るのは経験の賜物だ。雫にも見舞いに来ないかと送ってみたが、すぐに断られてしまった。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
学校に着くと、クラスメイトで幼馴染の香月茜が美波の元へ来る。
「よっ、美波。今日は早かったな。ノート、写しといたぞ。」
そう言ってノートを差し出す。そう。美波は家では勉強出来る時間は少なく、学校でもバイトの疲れでつい眠ってしまうことが少なからずある。そんな彼女が平均以上の点をキープ出来る理由。それがこのノートだ。この香月茜、異様に勉強が出来る。そして教師を目指しているだけあって、ノートが整っていて分かりやすい。そしてそのノートの内容を美波が気合いで短時間で覚える。ノートとやる気。その二つが揃ってはじめてこの短時間での平均以上が実現出来るのだ。
「お‼︎ありがと‼︎あーちゃん‼︎」
「ん。どういたしまして。」
ちなみにだが、何故わざわざ茜がノートを渡してくれるのか。無論、ただの善意だけではない。これも教師を目指す一環…なのだそうだ。と、朝の予鈴が鳴り響く。その予鈴を聞き、二人は自分の席に向かうのだった。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
授業終わり。急いで学校を出る美波。先に集合場所に行って隠れて、後ろからワッ‼︎とやって驚かせるいたずらをするのだ。
そんなことを考えていたのだが、あかりから電話がかかってきた。美波を嫌な予感が襲う。少し迷った末に、覚悟を決め通話を開始する。
「お姉‼︎」
あかりの焦った声。その焦りが美波に伝染したかのごとく、美波の動悸が早まる。
「あかり?どうしたの?」
「どうしよう‼︎お母さんが絶対に再婚するって決めちゃった‼︎」
「え⁉︎何で‼︎そんなの急過ぎるよ‼︎」
「…お父さんも、私達が受験だってことを、ちゃんと覚えてくれてたの。だから、もう意地を張るのを止めて、学費を受け取ってくれって…それにお母さんが怒って、もう再婚が決まってるからいりませんって言って、お父さんを追い出しちゃったの。で、その後に再婚しようとしている人と電話して、詳しい話をしようって言って出て言っちゃって…」
それで家に母親がいないから美波に連絡したのだろう。
「…ともりは?」
「今はバイト。今家にいるのは、私だけ。」
「そう…なら、悪いけどともりにはメールしといてくれる?」
「うん。分かった…ごめんね?お姉ちゃん。家にいたのにお母さんを止められなくて。」
「ううん。あかりは悪くないよ。もしそこにいるのが私だったとしても、多分止められなかったもん。すぐに教えてくれただけでも、あかりは偉いよ。」
電話の向こう側から静かな嗚咽が聞こえる。自分も泣きたかったが、あかりとの電話中に弱さを見せるわけにはいかなかった。
「じゃあ、ともりにメール、よろしくね。大事なことだから…切るよ。」
「…うん。」
電話が切れる。時計を見る。約束の15分前。ここから約束の場所までは5分。だから数分は、強いお姉ちゃんではなく、一人のか弱い少女になる時間もあるだろう。空を見る。その空は、何故か歪んで見えた。街行く人々の視線も彼女には関係無かった。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
気持ちを落ち着け、強引に強いお姉ちゃんに戻る。そして約束の5分前。その場所に着くと、やはりそこには日向みのりがいた。
「おぉ、みのりん来るの早いねぇ‼︎学校とかの問題で約束の時間の直前に来ると思ってたわ‼︎ごめんごめ〜ん‼︎待った?」
これは嘘。ただ、強いお姉ちゃんに戻るのに思ったより時間がかかってしまっただけ。
「ううん。気にしないで。私も今さっき来たところだから。」
「なら良かった良かった‼︎安心したよ‼︎それじゃあ、早速行こっか‼︎デート‼︎」
そう言い、美波はいたずらっぽい顔でみのりの手を恋人繋ぎで握る。どうしても、誰かの手を握っていたかった。どれだけ気持ちを整理しても、一人では立っていられなかった。ビクッとして驚くみのり。彼女はすぐに冷静さを取り戻し、無言で外そうとするが、美波が抵抗するため外れない。
「あの…火野さん?一応言っとくけど、これデートじゃなくてお見舞いだから…」
「いやぁ、今のやりとりがあまりにも恋人っぽかったからついつい…私‼︎みのりんにときめいちゃった‼︎私と付き合って‼︎」
「付き合わないからね?」
「アッハッハ‼︎冗談だって‼︎冗談‼︎じゃあ行こっか‼︎」
「ちゃあんと手を繋いでないと、お姉ちゃんとはぐれちゃうよ?」と言って勝手な理由を作って、みのりと手を繋ぐ権利を確保。しかし彼女は気付かなかった。自分が悲しげな表情を浮かべていることに。自分の手が、みのりにすがるような握り方だったことに。
先に言っておきますと、鈴音母さんはこの作品の唯一のヤベー奴です。これからは多分ヤベー奴は出てこないはずなのでご安心を。