第二十一話 VS my own
遅くなりました‼︎第二十一話です‼︎
「シズちゃん…お話、しよっか。」
「…はい。」
扉の向こうから小さく軽い物音が聞こえた。雫が扉に背中を預けた音だ。
「シズちゃん…」
「…はい…」
「…なんの話をすれば良いの?」
「…へ?」
「いやさ、つきむんからは、シズちゃんを説得してくれ〜ってことしか聞いてなくてさ…なんかごめ〜ん。」
沈黙が流れる。扉の向こう側から、控えめなため息が聞こえた。
「…火野さん…火野さんって、そういう人ですよね…」
「えぇ⁉︎私、何か悪いことしちゃった⁉︎」
ーそう、ですよね。火野さんは、そういう人です。理由が分からなくても、いくら自分も辛くても、誰かの力になろうとする、そんな人。
「いいえ、悪いことはしてませんよ…今のは、褒め言葉です。」
「ん?そかそか。なら良いや‼︎んで、私はシズちゃんに何を説得すれば良いの?」
「おそらく、影山さんが火野さんに求めているのは、私が金城邸に向かうように説得することだと…」
「え?どして?行かないの?」
「そう、ですね…私には行く権利がありませんから…」
「いやいや、権利なんて必要無いっしょ?」
「…そうですかね…」
扉の向こうから、再び物音。その物音は、少しずつ遠ざかっていく。恐らく、雫の足音だろう。足音らしき物音が近付いて来て、扉の下の隙間から一冊のノートが差し出される。
「シズちゃん、これ‼︎」
「時間が進んでしばらくして、アースがここに来て、置いて行ったんです…」
それは、千春の残した日記だった。美波が日記を開く。流れた涙を、そっと拭う。
ーけど、私の感情は、とりあえず後回し。今は…
「あゆ助と、知り合いだったんだね。」
ー今は、シズちゃんとあゆ助のことが先。
「あゆ助…それが歩夢君のことなら、そうです。昔からの…友達です。」
「そっか。」
今の雫の言い回しがどこかで聞いたことがあるという既視感を感じた美波。その既視感の正体が、玄関での雫の母とのやりとりだと気付く。そんなちょっとした共通点から、二人がきちんと親子として繋がってるのだと感じ、場違いながらも少し羨ましいと感じてしまう。そんなことを考えながら、美波は扉を背もたれにして座る。
「何か、あったの?」
「まぁ、いろいろ。」
会話はいつまでも進まない。どちらかが、踏み込まない限りは。それは、二人とも分かっていた。そして、下手に踏み込めば互いの心を傷付けかねないことも…
ーそれでも…私は、シズちゃんと向き合わなきゃいけない…これが、事情も知らずに勝手にお姉ちゃん面したことへの…
「教えて、くれない?その…いろいろってやつをさ…」
背中に、軽い衝撃。きっと今、雫も美波と同じようにして座っている。
「いえ、話すほどのことじゃ…」
「それでも私は‼︎雫ちゃんの口から聞きたい‼︎」
「いい加減に、して下さい‼︎」
乱暴に扉が開けられる。扉にもたれかかっていた美波は、バランスを崩して、部屋の中に倒れこんでしまう。
「シズ、ちゃん?」
「いい加減にして下さい‼︎私は…私にはもう‼︎歩夢君と話す権利なんて無い‼︎だって、土屋先輩が…千春君が死んだのは…とにかく、私に未来を望む権利なんて無いんです‼︎」
「それは違うよ‼︎シズちゃんは悪くない‼︎それを伝える為のこの日記でしょ⁉︎」
「千春君の思いなんて、関係無い‼︎全部私が悪いんです‼︎」
「シズちゃん‼︎」
乾いた音がした。目の前で頰に手を当て、涙を流す少女。その頰は、少し赤くなってしまっている。微かな熱さを感じる右手の掌。その様子を見て。感じて。彼女は初めて自分のしてしまったことを知る。
「…あ…ごめん…」
「…出て…行って下さい…私が火野さんと話すことにしたのはその日記を渡す為です‼︎もう目的は果たしました‼︎だから、もう…私を置いて、早く行って下さい‼︎」
「雫、ちゃん…」
美波は悟ってしまう。目の前の少女を救えるのは、自分では無いことを。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
「影山さん…」
学校を抜け出して、家まで走ったみのり。そんな彼女を待っていたのは月美だった。
「何で、ここに?」
「どうやら走っていたから気が付かなかったようね。それか、電源を切ったままだったのかしら?電話していたのよ?」
「…え?」
みのりはポケットから携帯を取り出し、電源を入れる。そこには不在着信の文字が。
「あ…ごめん…」
「そのことは別に気にしてないわ。ちなみにだけど、あなたの学校に掛け合って今日は公欠扱いということにさせておいたわ。じゃあ、改めて依頼するわ。今から金城邸に来て。そして、私と一緒に戦ってくれないかしら?」
「…ごめん…やっぱり、怖い…」
「消えるのが?」
「うん。それも怖いね。でもね?一番怖いのは、あの止まった時間の中で自分の歪さを感じちゃうこと…かな?」
「そう…あなたはそうして、大切な人から託されたものを蔑ろにしていくのね。」
「託された、もの?」
「忘れたの?あなたは託されたはずよ。仁美から、大切なものを…」
みのりの頭の中に一つの声。
『…これも、自分では理由が分からないのだけど、これはあなたに持っていて欲しいの。そうすれば、ずっとあなたといられる…そんな気がする。』
「あの…砂時計…」
「あなたは託されたものを取り返す為。私はあいつとのケリをつけるため…その為だけに戦う。それじゃ駄目かしら?」
「…無理だよ…それでも…怖いよ‼︎」
家の中に逃げ込もうとするみのり。月美がすかさず彼女の手を掴む。
「離して‼︎」
「そんなに歪んだ自分が怖いのなら、その歪みを消し去ればいい‼︎」
「そんなこと‼︎」
「出来る‼︎」
そう叫び、彼女は一つの砂時計を取り出す。緑色の砂時計。
「私は、この娘を殺した‼︎でも、彼女が消える寸前、彼女との思い出が思い出させてくれた‼︎私が忘れていた、大切な記憶を‼︎」
みのりはアースの言葉を思い出す。
『ある者は聖因子を完成させる前の一部の記憶を失い、ある者は対人欲求を失い、ある者は不治の病を患い、ある者は極度の人間不信に陥り、ある者は家族に執着し、ある者は常人とは掛け離れた思考回路を持った。』
記憶を失った人物のことだけは知らなかった。それが目の前の少女、影山月美だったのだ。
「聖因子の副作用は、克服出来ないとは限らない。絶対克服出来るなんて無責任なことを言うつもりも無い。けれど、克服したいのなら、まずは向き合うことから…私は、そう思うわ。もしあなたが戦う気になったなら、そうね…私の落し物を持って、あの路地裏まで来て。」
そう言い残して、月美は去っていく。その後ろ姿を見て、みのりは…
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
少女は、足音を聞いた。彼女は路地裏の入り口とは反対の方向を向いているため、足音の主の姿は見えない。それでも、確信があった。
「書いたはずよね。置いていく必要は無いって…守らなかったのね。」
「うん。まぁね。いつか、私の知らないうちに取りに来てくれる気がして…あの時は、こんな形で取りに来るのを見ることになるとは思わなかったけど…」
どこか弱々しい声。おそらく、まだ怖いのだろう。それでも、勇気を振り絞ってここに立っているのだろう。
「なんにせよ…来てくれたことに、感謝するわ。一緒に、戦ってくれるかしら?」
「戦う気が無かったら、ここにはいないよ。」
「それもそうね。」
呟きつつ月美は振り返る。そこには、待ち望んだ少女の姿。
「じゃあ、行きましょうか。水野雫の元へ。」
「…え?何で?」
「あぁ、あなたには説明してなかったわね。」
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
雫は部屋で一人、うずくまっていた。扉の向こうには、まだ美波がいるようだ。
ー私は、あんなに自分勝手なことを言ってしまったのに…どうして火野さんは見捨ててくれないんでしょう?火野さんだけじゃ無い…千春君も、歩夢君も…誰も彼も、優しすぎるんですよ…
手の中の茶色の砂時計を見つめつつ思う。と、部屋の中に電子音が鳴り響く。携帯の着信音だ。
ーきっと、私が来ないことに業を煮やした影山さんですね…改めて、断らないと…
そう思って携帯の画面を見ると、電話の主は予想外の人物で…ひとまず通話を開始する。
「…もしもし?」
『もしもし?雫ちゃん?』
「そうです…どうしたんですか…みのりさん。」
その電話の主はみのりだった。
『雫ちゃん…お願い。私と一緒に、金城さんの家に行こう?』
電話をかけて来た人物は予想外だったが、内容は想像通りだった。ただ、どこか自分と似ていると感じているみのりが立ち上がったのは正直予想外で。自分とは違うと否定されたような気分にもなって。弱虫はお前だけだと責められてるように感じて。
「…影山さんから、聞いたんですか?」
『うん。』
「…そこに影山さんがいるなら伝えて下さい。私は行きません。」
『…何で、行きたくないの?』
「怖いんですよ…人間じゃない、自分が…」
『人間じゃ、ない?』
「だって、そうじゃないですか。私の心は、余りに歪です‼︎千春君が死んじゃった時は、あんなにも影山さんのことを恨んでいたはずなのに…気がつけば、その感情は、消えていました。
それだけじゃない‼︎今になって思い出せば、あのときも、あのときも、あのときも‼︎いきなり新しい感情が生まれて‼︎すぐに消えていく‼︎こんなにも情緒が不安定な私が…自分は人だと名乗っていける訳がない‼︎教えて下さい…私は、何者なんですか?あなたは…何者なんですか…」
電話の向こう側で、彼女は必死に答えを探しているのだろう。一度会話が途切れてしまう。しばらくして、吐息が聞こえた。どこか力強い吐息が。
『雫ちゃん。あなたは、水野雫だよ。そして、私は日向みのり。今はまだ、それだけでいいんじゃないかな?精一杯生きたら、あなたを、私を信じてくれる誰かが、いつか私達が何者かって位置付けてくれる。』
「…?どういう、意味ですか?訳が分かりません。」
『うーん、やっぱ説明下手だなぁ、私。えぇっとね?例えばの話なんだけど。雫ちゃんは今、家にいるでしょ?で、それが雫ちゃんの家なのは、雫ちゃんがそう思っていて、私がそう思っていて、みんながそう思っているから。』
「理屈は分かりました。じゃあ、人間でありたいのなら、自分は人間だって、その信じてくれる誰かを偽り続けなきゃいけないんですか?」
『そういうことじゃないよ。私が言いたかったのは、隣に信じあえる人がいて、初めて私達は人として認められる…ってことかな?』
「信じてくれる人なんて…いる訳ない‼︎こんな私を信じてくれる人なんて‼︎」
『本当に?』
みのりの問いかけで、雫の脳裏に一人の男子の姿がよぎる。信じてもらえるという自信が生まれたわけではない。彼に信じて欲しいという願望が生まれた。
「そんなの…そんなの、いる訳無いですよ‼︎いる訳無い…」
それでも、その願望は叶って良いはずなんて無い。雫は自分にそう言い聞かせて、完全に心の蓋を閉ざそうとする。
『私がいるよ。まぁ、私なんかじゃ、雫ちゃんの方が不満かもしれないけど…それでも、信じてくれる人が1人もいないなんて、そんな寂しい言葉で自分を責めちゃうのは…なんていうか。なんかもったいないと思う。』
それでも、みのりはそれを許さなかった。そしてそれは、図らずも雫の今一番求めていた答えだった。自信が欲しかった。誰かに、一人じゃないと言って欲しかった。
「こんな私でも…信じてもらえるように、変われるでしょうか?」
『うん。変われる。きっと変われるよ。私も、雫ちゃんも…私ね。前までは、人と関わりたいなんて思ったことは無かったんだ。でも、今では金城さんが好き。火野さんが好き。千春君が好き。そして、雫ちゃんが好き。ずっと関わっていたいと思うし…ずっと関わっていたかったと思う。少しずつ、変わってる気がするの。』
そっと携帯を耳から離し、天井を見上げて流れ出そうな涙をそっと堪える。
「…先に、行って下さい。私は、やっておかなきゃいけないことがあるので…後から、絶対に行きます。」
『うん…分かった。待ってるね。』
その言葉を最後に、電話が切れる。ポケットに携帯をしまうと、部屋に控えめなノック音が響いた。
「シズちゃん。入って、良いかな?」
「…どうぞ。」
扉が開く。部屋の中に、美波の静かな足音。
「さっきは、その…ごめん…」
「…こちらこそ、ごめんなさい…」
俯いていた二人は、顔を上げる。お互い言葉が思い浮かばず、苦笑いする。そんな中、先に口を開いたのは雫だった。
「こんな状況で言うのも難ですけど、お願いがあるんです。」
「何?何でも言って。」
「電話で言ってた、やっておかなきゃいけないことっていうのは、歩夢君とのことで…」
「うん…一人は、怖い?」
「はい…」
美波が、そっと雫を抱きしめる。
「あっ…」
「大丈夫。シズちゃんは一人じゃない。私が付いてるから…って言いたいとこだけど、シズちゃんに勇気を分けてあげられるのは、私じゃない。」
「じゃあ、誰が…」
「ちーくん。ほら。今もシズちゃんの掌で、シズちゃんを応援してる。」
雫は掌に乗る茶色の砂時計を見る。光の加減だろうか?目から溢れ出した涙の影響だろうか?あるいは、千春の意志が成したことだろうか?茶色の砂時計が、優しく輝いた気がした。
ーこれも、いきなり生まれては消える、儚いシャボン玉のような想いかもしれませんね。それでも私は、その一つ一つを大切にしたい…こう思えるのも、変わってきている予兆だったりすれば嬉しいのですが。
「じゃあシズちゃん。私も、みのりん達と待ってるから。二人で、頑張れる?」
こくこくと頷く雫。その頭を軽く撫で、部屋を後にする。美波の頰には、優しげな微笑みが浮かんでいた。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
みのりはほっとしたように軽く息を吐き、スマホをポケットに仕舞う。と、ここで月美の視線に気付き、優しく微笑んで「終わったよ。雫ちゃん、来てくれるみたい。」と伝えた。月美は少し考えこむような様子で、「そう、ありがとう。」と返す。そんな彼女の顔を心配そうな表情で覗きこむみのり。そんな中、月美が再び口を開く。
「いろいろと質問があるのだけれど、良いかしら?」
「えっ?あ、うん。良いけど…」
いきなり言われて、戸惑いながらも質問を許可するみのり。
「まず一つ目。何故電話を選んだの?」
「もう火野さんが家に行ったんでしょ?その状況で私が行っても、雫ちゃんの家族の迷惑になっちゃうかもなって思って。それに、私が雫ちゃんの立場でも、家に何人も来たらちょっと怖いというか。重いというか。」
「…今ので他の疑問も解消したわ。」
「あ、そっか。なら良かった…のかな?」
月美は、何故みのりが雫の求めていた答えを導き出せたのか、何故あんなにも必死な表情で電話をしていたのか。それをみのりに問うつもりだった。しかし、今の様子を見てその答えを理解した。
ー仮に私がするはずだった質問を彼女に問いかけたところで、答えられなかったでしょうね。多分、日向さん本人は無自覚だから。
などと考えていると、どこか解せぬ様子でみのりが自分の方を見ていた。どうすれば良いかも分からず、ひとまず「じゃ、そろそろ行くわよ。」と言って歩き始める。みのりは少し早足で付いてくる。月美に追い付く。隣には並ばずに、斜め後ろ辺りをゆっくりと歩くみのり。そんな彼女の様子に気付かないまま、月美はそっと呟く。
「私も金城家の人間に比べたら、比較的あなた達と同じ立場にいると思っていたわ。けれど…それも慢心だったのかもしれないわね。あなた達の常識と、私の常識は少しかけ離れてるのかもしれない。あの娘とも、向き合えているようで向き合えていなかったのかもしれない。」
何故このような発言をしたのか。「あの娘」とは誰のことなのか。みのりにはその意味を理解することが出来なかった。
みのりが考えている間に距離が出来てしまったかと思っていたが、月美は少し前で立ち止まって待っていた。なので、少し歩くだけで追いつくことが出来た。
「今のは、ただの独り言だから。忘れてちょうだい。」
軽く目を伏せながら呟き、ゆっくりと歩き始める月美。そんな月美を追い、みのりも歩き始めた。
やっと…やっとみのりの出番が…