異形
レグスとフェレスの二人は、森から娯楽都市ラスキウスへと続く林道へと出て歩いていた。林道の先には僅かに都市の入口が見える。ラスキウスは王都と同じく外周を壁で囲まれ魔獣や野盗の侵入を防いでいる。入口から数刻という距離で二人は違和感を覚える。
「これは、血の匂いか。」
「少し先に何かあるみたい。」
警戒しつつ林道を歩いていくと、目の前には無残に破壊された馬車らしき物が林道上にあった。その脇を進むと残骸の影から大量の血と肉片が現れた。それはもはや、人なのか馬なのかはっきりしない。
「食い荒らされてるな。確実に魔獣の仕業だろう。それに血がまだ新しい、これをやったやつがまだ近くにいるぞ。」
レグスの言葉を聞き、フェレスは短剣へと手を添える。いつでも抜刀できる状態だ。レグスも先程から感じる気配へと意識を向ける。
(すでにこちらを狙っているか。すぐに襲ってこないあたり、知能も高そうだ。特殊な個体という話もあながち間違いじゃないかもしれないな。)
気配に大きな動きがあり、すぐにレグスは横にいたフェレスを抱きかかえ後方へと飛び退く。二人が先程居た場所へと巨大な何かが落ちてきていた。巻き上がる砂煙の向こうで赤い光が灯ると、今度は砂煙を吹き飛ばしつつ火炎が噴き出してきた。レグスはそのまま横へと火炎を避け、フェレスを降ろし露わとなった魔獣の姿を見る。
「キマイラか。」
目の前に現れたのは、山羊の身体に獅子の頭を持ち蛇の尾、そして背中には山羊の頭が生えたキマイラだった。体長はレグスの身長の倍はあるだろう。尾まで含めれば三倍はある。
「都市付近で発見された場合は、即討伐対象だったと思ったが…」
「魔獣が現れるって話はひと月前くらいに聞いた話だよ?」
「放置されていたか、何かしらの理由があるのかもな。来るぞ!」
キマイラは再び飛びかかり前足で踏みつぶそうとしてきた。レグスは魔力で両手持ちの大きな剣を生み出し左へと受け流す。フェレスは付近の木へと飛び短剣を構えた。受け流された前足は街道の石畳を踏み砕き瓦礫が舞う。レグスはそのまま剣を弧を描くように振り抜き獅子の頭を切り落とす。それと同時にフェレスが尾を目掛け飛びかかり、根元付近から切り落とした。切られたキマイラの首は辛うじて胴と繋がった状態だった。
「あっさり終わったね。」
フェレスがレグスへと向かって歩いてきた。しかし、レグスはキマイラから警戒を解いていない。不審に思ったフェレスが問いかける。
「どうしたの?」
「首を切ったのに、何故こいつは立っている?」
何を警戒していたかを理解したフェレスがキマイラを見る。次の瞬間、山羊頭の角に魔力が集中し周囲へ電撃を放ち始めた。咄嗟にレグスはフェレスを突きとばし自分も距離を取る。だが、回避が少し遅れたため剣を握る左腕へと電撃が当たり、腕の肉を焼いた。
「クソッ!まだ生きてるのか。」
薄い煙を上げ再生を始める左腕を見る。肘から先の感覚が無い。
(再生するまで左腕は使えないな。剣も電撃の衝撃で解除されたか。しかし、どうなってるんだ?)
【生体探知】を発動し、未だ電撃を撒き散らすキマイラを観察する。辛うじて心臓が動いていることが分かった。
「しぶといやつだ。」
独り言を呟き、電撃を掻い潜りつつキマイラの側面へと近付く。手の届く距離まできたところで、右手へ魔力による手甲を作り出し心臓目掛け殴りつけた。キマイラは街道沿いの木へと叩きつけられ息絶える。獅子の首は飛ばされる勢いに負け、先程居た場所付近に千切れ落ちていた。
「フェレス!無事か?」
フェレスの様子を窺うと、蛇の頭に短剣を突き刺していた。
「蛇も切られたのに生きていたのか。電撃といい、普通のキマイラじゃなかったな。」
「レグスさん、電撃から庇ってくれてありがと。腕は大丈夫?」
「ああ、問題無い、そのうち動かせるだろう。」
レグスは再び【生体探知】を使いキマイラを観察する。
(今度は完全に死んだようだな。)
「あとはラスキウスの兵士に任せるとしよう。流石にすべて運ぶのは無理だしな。」
「そうだね。」
二人はラスキウスへと向くと、遥か前方、都市入口の門付近に兵士たちが集まっているのが見えた。
「どうやら兵士たちがこっちに来るみたいだな。待っていて話した方が面倒が少なそうだ。」
「それじゃしばらく待ちだね。血の匂いが酷くてちょっと嫌だけど。」
「そこは我慢するしかないな。」
兵士たちはまだ出発していないため、今いる場所まで来るのには、まだ時間がかかると思われた。休憩するため、キマイラの死体と街道を挟んだ向かいの木の根元へと腰を下ろす。フェレスが隣に座ってきた。レグスは服が焼けこげ剥き出しとなった左腕を眺める。
(すでに再生し終わったか。再生の速度が速くなってないか?)
左腕の調子を確かめているとフェレスが話しかけてきた。
「もう腕は治ったの?」
「ああ、もう問題無いな。」
「はぁ、私もそんな力が欲しいな。」
「そうか?再生があったところで死ぬときは死ぬぞ?それに痛みはあるしな。」
「そうなの?」
「あくまで治癒が早くなるだけだからな。再生速度を上回る攻撃にさらされたら再生が間に合わずに死ぬ。この力を過信して死んだ奴を何人か見たことがある。」
「そうなんだ。確かに警戒心が薄れそうだしね。あったらあったで助かりそうだけど。」
「どんな力も使い方だ。」
「うん。」
そんな会話を続けていると、どこからかぐちゃぐちゃと気味の悪い音が聞こえてきた。
「なんだ、あれは?」
レグスは目の前の光景に驚愕した。フェレスも青褪めた顔でそれを見ている。
音の発生源はキマイラの死体、そして、山羊の頭の皮が所々避け、内側の肉が見えている。その見えている肉の部分は人の顔だった。ただし、皮の剥がされた人の顔だ。いくつもの裂け目からいくつもの顔が覗くと、キマイラの死体は起き上がってこちらを見る。獅子の頭は切り落とされているため切断面を向けているにすぎないが、その切断面からは流れ出す血は止まっており、肉が異様に蠢いていた。さらに切り落とされていた尾の部分が再生を始めている。皮が無い、肉と筋が剥き出しの尾が生えてきていた。【生体探知】に反応がある。
「生命反応が復活した。」
「えっ!?」
二人が動揺している間にもキマイラの変異は進む。尾は肉の蛇へと変わり、山羊頭は皮を僅かに残し人の顔の集合体のような形へと変わる。そして、獅子の顔があった場所には酷く歪な人の顔が現れていた。他の顔や尾と同様に皮は無く、肉と筋、脈打つ血管が剥き出しとなっており、眼球も肉塊の様だった。
すべての変異が終わったところで先程まで聞こえていた異音は止み、キマイラは複数の人の叫び声のような咆哮を上げた。声は山羊頭に現れた顔たちから聞こえている。フェレスは足の力が抜けその場にへたり込んでしまった。
「フェレス!」
レグスが呼びかけると同時に、再生していた尾がフェレスの首へと巻き付き、その体を持ち上げる。フェレスは必死に抵抗しなんとか窒息せずに済んでいるようだった。助けようとレグスが動こうとしたとき、肉が裂けるような音がした。咄嗟にレグスが振り向くと、肉の顔が縦に真っ二つに裂け、口の様に開きそこから火炎が噴き出そうとしている。
「マズい!」
咄嗟に回避を優先し横へと飛び退く。先程までレグスが立っていた場所へ火炎が吐かれ石畳が溶けていた。通常のキマイラの時よりも高温であることがわかる。
(直撃したら再生も間に合わない可能性が高いな。とにかく早くフェレスを助けなければ。)
フェレスの方へと向き直すと締め上げる尾の先に人の顔のようなものが出来ていた。キマイラの頭の部分にある顔と同じものだった。その顔も縦に裂け口の様に変化し、フェレスへと襲いかかろうとしている。
「間に合え!」
咄嗟に生み出した魔力剣を二本続けて投げる。一本はフェレスに襲い掛かろうとしている尾の頭を切り落とし、もう一本は尾を根元から切り裂いた。異形と化したキマイラは痛みを感じるのか叫び声をあげる。複数の人が悲鳴を上げているような声だ。解放されたフェレスは地面に落ち座り込んでしまっていたが、なんとか立ち上がった。
「フェレス、ラスキウスに向かって走れ!兵士たちに状況を教えてこい。」
「一人であれの相手は無理だよ!」
「大丈夫だ、王都のあの転移者相手に生き延びたんだぞ?信じろ。」
(まあ、手加減されてはいたがな。)
「…わかった。」
「兵士たちの中に一人女性が混ざっているはずだ。そいつに俺の名前を出せばいい。」
「え?」
「行け!」
レグスの視線は叫び声をあげているキマイラに固定されていた。まだ何かを聞きたそうなフェレスの背をレグスが押し、ラスキウスへ向けて走らせた。都市の門に集まり出していた兵士たちはすでにこちらに向けて歩いている。その中にはレグスがよく知る人物が混ざっているのを感じ取っていた。
「あいつなら最悪の事態になってもフェレスを悪いようにはしないだろう。」
叫び声がやみ、異形のキマイラはレグスへと向く。その歪な顔は怒りの表情を浮かべ、背の顔たちは苦痛の表情を浮かべていた。
「尾が再生されない?自己再生があるわけじゃないのか。どちらにしろ、俺が知り得る限りの生物の中にこんなものはいない。なんなんだこいつは…」
(フェレスや兵士たちがここに着くまでにこいつを仕留めるべきだな。このままじゃ犠牲が増えるだけだ。あいつがいるからそう簡単には全滅はないだろうけどな。)
そんな考えを浮かべているとキマイラは再び火炎を吐き出す。それを横へと避けるが、避けた場所へ何かが落ちてくる。
「チッ!」
軽く舌打ちをし今度は後ろへと飛び退く。目の前に落ちてきたのは雷で出来た槍だった。
「《雷槍》だと?魔法まで使うのか!」
見上げると顔の集合体の周囲に数本の《雷槍》が浮いていた。山羊の顔自体は皮が僅かに残るだけで複数の顔に侵食され原型は無い。しかし山羊の角だけはそのまま残っており、そこには電撃が纏わりついている。
「角の電撃を利用したわけか。いくつかの顔が詠唱しているようだな。厄介な…」
顔の集合体、そのうちの三つの顔が悲鳴のような詠唱を行っているのが見えた。
『いつまでのんびり戦っているつもり?』
レグスの頭の中に声が響く。転移者との戦いの最中にも聞いた女性の声だ。レグスはその声へと答える。
「のんびりしているつもりはないんだけどな。」
『今のあなたの力ならあれくらい敵ではないでしょ?いつまで自分に制限をかけておくの?』
「わかってはいるんだが…」
『無理矢理亜人にされ、それに抵抗するのもわかるわ。けど、それで大切な人を危険にさらすのはやめなさい。』
「…あぁ。」
脳裏に浮かぶ過去の記憶、亜人となる少し前の記憶、それらを頭から振り払い、迫りくる火炎と《雷槍》を避けながら聞こえる声と会話を続ける。
『【霧化】の後、あなたの体は私の力に耐えられる程度には変化しているわ。あとはあなたの覚悟だけ。あの転移者と戦うつもりなのでしょう?』
あの転移者、その言葉で思い浮かぶのはたった一人、王都で出会った転移者だ。
『あなたなら私たちの力を間違ったことに使わないと信じているわ。全力でやりなさい。』
「…ああ、わかったよ。ありがとな、不死王。」
声の主が笑ったような気がしたが、それを確認することはできない。レグスは体の内に眠る力の一部を開放する。
それは不死王と呼ばれる亜人、吸血族の王の力。その瞬間、野生の勘で何かを感じたのかキマイラはレグスと距離を取る。先程までレグスに向け放たれていた火炎と《雷槍》は今は止んでいた。だが、《雷槍》は三つキマイラの周りに浮いたままだ。レグスはキマイラが変異したころから感じていたことを口にする。
「おまえは王都の転移者に作られたんだろ?素体はキマイラ、追加されたのは人族か。」
そうでなければキマイラがあのような不意打ちのような行動などしない。その証拠に、僅かに人としての意識が残るのか、キマイラは動かなかった。
「同じような境遇の者として同情はするが…」
レグスの両手に魔力で出来た手甲が現れる。
「俺が殺して終わらせてやる。」
融合体の分離は不可能、それはレグスがよく知っていることだった。過去に自分を実験台として幾度と試した。しかし一度も成功はしなかった。その境遇からの解放は核を破壊し殺す以外にはない。
「行くぞ!」
レグスは一瞬でキマイラの側面へと回り込む。キマイラにはレグスの姿が消えたようにしか見えなかった。そのまま握り込んだ拳をキマイラの右前足へと打ち込む。骨の砕ける音とともに前方へと崩れつつもキマイラは《雷槍》をレグスへと放つ。だが、その《雷槍》をレグスは手甲で全て弾き消した。
「その角は邪魔だな。」
素早く顔の集合体部分へと飛び上がり、角を手刀で切り落とす。
(これで、《雷槍》は使えない。必要はなかったかもしれないが、用心するに越したことはないな。)
複数の悲鳴が重なるような叫びを上げ続け、崩れ落ちるキマイラを【生体探知】を使い観察する。生命力の流れを追い核の場所を探す。
「心臓付近か。」
三本の足で起き上がろうとするキマイラの側面へと降り立ち、貫手で胴体を貫く。そして、【生体探知】で見つけた部分にある硬い感触のモノを勢いよく引き抜いた。その手には、黒ずんだ結晶体が握られていた。手を引き抜くと同時に、聞こえていた叫び声は唐突に止まる。キマイラはそのまま倒れ、二度と動くことはなかった。
その様子を見てレグスは短く息を吐く。
「ようやく終わりか。王都から逃げでもしたのかこいつは。だとしても引っかかることが多いな。」
抜き取った核を見るレグスの背後で武器を構える音がする。魔力の手甲を消滅させつつ、ゆっくりと振り向くと兵士たちが剣を構え警戒していた。
(やれやれ、この警戒心は俺に対しての方が強そうだ。どう伝えるべきか…)
目の前に倒れる得体の知れない魔獣、そしてその傍に立ち手を血に染め核を持つ亜人、兵士が警戒するのも仕方がなかった。それ以前に、兵士たちにとって目の前に倒れるキマイラは多数の犠牲者をだし手に負えないと判断していた相手であった。それをたった一人で倒したと思われる亜人が目の前にいるのだから。
「剣を収めなさい。その者は敵ではないわ。」
兵士たちの後から声がする。声の主は兵士たちの間からその姿を現した。黒いドレスを纏い、人族離れした妖艶さを纏う女性だ。その傍にはフェレスがいる。
「おまえが魔獣退治程度で出てくるとはな、グラーティア。」
「あら?私はあなたみたいに引き籠ったままな訳ではないわよ?レグス。」
そんなやり取りの中、レグスの元へと走り寄りフェレスが話しかける。
「レグスさん、大丈夫だった?」
「ああ、問題無い。」
「ふふふ、ようやく大森林から出たと思ったら女連れとはね。」
「成り行きだ。」
グラーティアと呼ばれた女性は笑いながらレグスを揶揄う。だが、兵士が話しかけすぐに真面目な表情となる。
「グラーティア様、我々が魔獣と犠牲者をラスキウスへと運びます。」
「そう、わかったわ。あなたたちはどうするの?」
兵士からレグスたちへと視線を移し問いかける。
「おまえに話がある。」
「…それなら帰ってからにしましょう。ここじゃ落ち着いて話せないわ。」
「ああ。」
ラスキウスへとレグス達は歩き出す。後のことは兵士たちに任せることとした。レグスは歩きながら、手に持ったままだった核を腰の革袋へと入れた。