Childhood dreams…
初めまして。時見 星利と申します。
今回、初めて短編小説を書かせていただきました。
①、②、③まとめて1つの作品になっております。よろしくお願い致します。
①落とし物のかぞえうた
「何故だろう。」
ふと気付けば、考え事をしていた。
あぁ、と情けないため息は宙を舞い、行き場もなく彷徨う。
それは、真冬の深夜3時頃のことだった。
別に、失恋したわけではない。それなのに、心は得体の知れぬ空虚感と孤独感で支配されている。まるで憂鬱という名の牢獄に閉じ込められ、終わりのない夜の海へ独り沈んでいくような感覚である。
眠れない夜は、どうも調子が狂う。これから先の人生のことを思って、不安に押しつぶされてしまう。代わりに湧き上がってくるのは、行き場のない自虐ネタ。一人、夜の闇に酔いしれながら自虐ネタをつまみ、自爆する。それがお決まりであった。
苦悩のタネは、日によって違った。今日の憂鬱は、薄らいでいく四季についてである。
――幼い頃は、"研ぎ澄まされたナイフのような感覚"で感じていた春夏秋冬の変化を、ぼんやりとしか感じなくなってしまった。
月と星々だけが起きている夜、失くしたものを数えると終わりがないように思われた。
②わたしのせかい
冬が終わりに近付く、春前の灯の季節。それが、わたしのせかいの始まり。
カーテンの隙間から差し込む木漏れ日。その優しい陽だまりに蘇る、出会いと別れ。
卒業式の前日に、これからの日々に対して不安を感じていたこと。まだ冷たい風の中に、ふわりと迷い込んできた、どこか優しい春風。
「桜が咲いたよ」と心をときめかせていたのに、次にバスの窓から見た時に散っていた悲しみ。
モノクロームな薄い影に、懐かしい薄紅色が混じったような、そんな季節――春。
しとしと降り続く梅雨の曇り空を見上げて、雲の切れ間を探していた。
梅雨明けのニュースが流れた日は、自転車を立ち漕ぎして坂を駆け上がった。
その暑さや盛りを思い出せなくなるほど、後から思うと儚い季節――夏。
辺り一帯に鳴り響く蝉の声、闇夜に消えゆく打ち上げ花火、そよ風に揺れる風鈴。さらさらと砂時計を溶かしていく波、ぼんやりと灯っていたあの日の提灯、そして遠くで聞こえる祭囃子。
ラジオ体操の帰りに、ぼんやりと考えていた。「夏は、すぐ終わって日常の中に消えていってしまうまぼろしのよう」だと。
短い夏。夏の終わりには、駆け抜けた日々の思い出と後悔がどっと押し寄せる。
鈴虫の声がどこからか響いてきて心をぎゅっと締め付ける秋の夜長。
ノスタルジアな季節――秋。
落ち葉の色に染まる収穫祭には、よく家の近くを散歩した。どこか外国の風が吹く5丁目で見つけた、小さい秋。
澄み切って凛とした夜空に浮かぶ星々は、それらを見上げるちっぽけな私と宇宙を繋ぐ夢の欠片。
憂いを帯びた風になびいていた、深い赤色のコスモス。
もうすぐ死の季節が来ることを告げる、残酷な木枯らし。
真っ白で、それでいて大きな黒い影が忍び寄る季節――冬。
しんしんと降り積もる雪。雪の積もった早朝の静けさ。
聖夜は、魔法にかけられた1年で1番不思議な時。ドキドキワクワクと高鳴る鼓動を押さえつけ、必死に眠りについた。どこからか聞こえてきそうだったジングル・ベル。
ツリーのライトが虹色に光って、際立った幻想的な深夜の静寂。
飛び起きた朝、目の合ったプレゼントの人形がこちらに笑いかけていた。
年末年始は、静かに足音を立てず去っていく。
こうして、季節は廻っていた――。
③Childhood dreams…
私の春夏秋冬は、どこか幽閉的な中に緊迫感を潜ませ、しかしぼんやりと穏やかで、そして切なく儚いものであった。
その雰囲気を一番表しているのは、スピッツの「ロビンソン」だと思う。
あの頃の私は、自分の見ている世界が全てであると、信じて止まなかった。
それなのに、薄れゆくこの四季。ほんわりと、なめらかになった鉛筆のような感覚で…。
――それは、世間へと紛れていったから?
――世界が、広くなったから?
…これは、普遍的な変化なのだろうか?
私は、人生の岐路に立つ度に思い出す。
「人生とは、選択の連続である。だがしかし、1つを選ぶということは、他の選択肢を捨てるということ。」
…きっと、生きてきた中で、何かを得ると同時に何かを失くしてきた。
それが、見つからない落とし物。
大人になっていく過程で、失くしたはずの小さな夢が、顔をのぞかせていた。