●──【07】恐怖の一夜
「きのう、ベスがあいつを一匹、ばらばらにしてから焼いただろ? そのとき何匹か生きのこってて、きっとこっそりあとをつけてきたんだ。それで、仲間を呼んで襲ってきたんだ」
いくらか冷静をとりもどし、ボブが状況分析を試みた。
「やれやれ。ハッチを閉め忘れていたのがまずかったな」
「そんな反省はあとでいいからっ! どうにかしてよ、ベス姉!」
「わかってるって。そう、あわてなさんな。どうやらいまのところ、あいつら、まだ第二甲板には侵入してきていないな」
複数のモニタに船内の様子を映しださせ、確認していく。
「とはいえ、上に昇ってこられると厄介だしな。よし、ケイト。第二甲板から第三甲板に繋がる全階段の隔壁をおろして閉鎖、昇降機もロック」
「もうやってる!」
「ついでに、第三甲板にある各部屋の扉もぜんぶロックして、あいつらが主通路からはみださないように。主通路の隔壁のみ上げたままで。メリーさん壱號と弐號、いまどこにいる?」
「この部屋の外で待機中」
「いま、どんな武装をつけてる?」
「レーザー・キャノンとプラズマ・シールド、空間湾曲ネットに、スピリット・ファイヤー・ボール、ニュートリノ・ブラスター」
「ぜんぶはずして、第三甲板の主通路にむかわせな」
「どうしてよ? 武器がないと撃退できないじゃない!」
「阿呆ぅ! 船内でンな物騒な武器が使えるかっての。外でぶっ放すぶんには、あたしも好きだけどな。とにかく銃火器は一切厳禁だ」
「でもでも、湾曲ネットくらいならっ」
「ンなもん主通路で展開したら、天井も床も壁も虫食い穴だらけになっちまうだろーが。とにかく力まかせであいつらを船外まで押しもどすしかない。さいわい、通路はハッチまで一本道だからな! あいつらを外に押しだしたら、あとは船の武器でまとめて焼き払えばいい──って、しまった! この船の武器ってたしか、列強同盟の艦隊を撃滅したときのままの武装だったよな、ケイト?」
「うん、そっちは変更してないよ」
「まずい! 惑星上で使えば島ごと吹っ飛ぶようなモノばかりじゃないか。もしくは地形が変わる」
「じゃ、どうするの?」
「しょうがない、メリーさんたちに、エネルギー・ブラスターは装備させられるか?」
「武器庫までいければね」
武器庫は<胴長>どもが占拠している第三甲板にあった。排除しないとたどり着けない
「じゃ、あいつらを外に押しだしてから、メリーさんたちを船内に呼びもどして換装するしかないか。あたしも《ラロッシュ》ででる」
「りょ、諒解」
「ところで、ベス。わたくしはなにをすればいいのかしら?」
ボブを胸に抱いたまま、シャーリィが問う。
「姉さんはお茶でもいれてそこらで見物してりゃいいさ。長期戦になるかもしれないから、夜食でもつくってて。第二甲板にはあいつら、はいってこれないから、キッチンまでのルートは安全だよ」
その指示に、シャーリィはにこっと微笑んだ。
「ええ、ぜひ、そうさせていただきますわ」
ひと通り指示を終えると、エリザベスは制御室を飛びだし、いったん自分の部屋にもどった。軽戦闘鎧《ラロッシュ》に着がえるためである。
<胴長>どもを押しもどすならパワーの大きい《シャネル》のほうがいいのだが、《シャネル》が置いてある格納庫も第三甲板にある。なので<胴長>どもを船外へ追い払わないかぎり、装着できない。
一方で《ラロッシュ》は、こういう万一の事態を想定し、エリザベスはいつも自室に置いてあった。
ブラスターは当然もっていくとして、レーザーソードを装備するべきかどうか一瞬迷った。斬り裂くほどに増えてく輩相手には、有効な武器ではない。
「ま、いっか」
迷ってる時間が惜しかったので、とりあえずもっていくことにした。
急いで《ラロッシュ》を装着し、部屋をでる。
部屋前に、ケイトの命令を受けたメリーさん壱號&弐號が待機していた。
「よし、いくか!」
エリザベスは、Wメリーさんを連れて船尾寄りの昇降階段へと駆け走った。
階段を一気に飛び降りると、目の前に閉鎖された隔壁が現れる。
中央管制制御室にいるケイトにここの隔壁だけ開けるよう無線連絡し、くぐりぬけるとすかさずまた閉めさせる。
メリーさん壱號&弐號を従え、第三甲板主通路にでた。
<胴長>どもは、すでに主通路の三分の二ほどのところまで侵入してきていた。
何匹いるのか、見当もつかない。
主通路は、幅が二メートルほどあり、その幅いっぱい隙間もないほどに、<胴長>どもはひしめいていた。ぶよぶよの体躯を押し合いへし合いしながら、前へ前へと──主通路を船尾方向へむかって──進もうとしている。
「ケイト、メリーさんをあいつらのなかに突入させろ!」
ケイトにそう指示をだすと──
エリザベスもまた目の前の、いちばん先頭にいる<胴長>にむかって、右腕をぐるぐる振り廻して躊躇なく突進していった。
だが──
ほかに有効な手段が思いつかなかったとはいえ、それはあまり賢い戦法ではなかった。
<胴長>という生物は、いわばゼリーみたいな軟体体質をしているわけである。
ゼリー(あるいは羊羹でも寒天でもいいが)を適当な細長い容器につめこんで、上から指先で押してみればどうなるか?
ゼリーのなかに、指がずぶずぶ埋まっていくだけ。
エリザベスが直面したのは、まさにそういう事態だった。
<胴長>どもを下手に押しもどそうと力をこめても、身体がずぶずぶとやつらの大群のなかに埋まってしまうばかり。
しかも、<胴長>どもがそのさいの圧力で潰れ、体の一部が千切れて増殖、多少サイズを縮めつつ一匹が二匹、二匹が四匹になる始末。
船の外に押しもどすことなど、とうてい不可能なことだった。
気がつくとエリザベスは、波に呑みこまれるようにして<胴長>の大群のなかに引きずりこまれ、もみくちゃにされていた。
迂闊、といえばこれほど迂闊なことはない。
だが後悔したところでもう手遅れだ。
一緒に<胴長>の大群に突入したはずのメリーさん壱號と弐號も、もうどこにいったかわからない。エリザベス同様、ゼリーの海のどこかでもみくちゃにされているのだろう。
「むぅ、やっぱ勢いだけで突入するのは無謀だったか。考えるまでもないことだったな、うん」
いったん制御室にもどってべつの対策を考えようとしても、<胴長>の数が多すぎてもはや身動きひとつままならない。
ブラスターを使って急場をしのぐのも論外だ。
連中が水っぽいくせしてやたら燃えやすいというのは、すでに判明している。
こんなところでブラスターをぶっ放せば、それこそ一気に燃え広がって、船内が大火事になってしまう。ましてこの第三甲板は、武器・弾薬・火薬の宝庫だ。
レーザーソードも役にはたたない。
唯一の救いは、<胴長>どもの体が柔らかいことと、戦闘服を装着しているおかげで、いくら揉まれて踏みつけられようと、身体が直に傷つけられる心配がないということか。
ただ、このままでは窒息しかねないという恐れがあった。
一応、《ラロッシュ》には化学反応式酸素装置が附属していたが、供給できる酸素量はそんなに多くなかった。
「ええい、くそ! この紫電柱どもめっ、どきやがれ! 散れっ、このっ、このっ、ああっ、うっとしぃっ!」
いくら怒鳴り散らしてもがいたところで、どうなるはずもない。
まるで底無し沼に落ちたようなもの。
脱出する術がない。
ゲヴォ、ゲヴォ、ゲヴォヴォォ
耳障りな、気味の悪い鳴き声が聴こえてくる。
軽装鎧《ラロッシュ》の肌の露出部分に、<胴長>どものぬめぬめぬちゃぬちゃした体皮が触れ、アンダーウェアごしでも覚えるそのなんともいえない気色の悪い感触に、思わず嘔気がこみあげてくる。
生理的嫌悪。
だんだん、息が苦しくなってきた。
『──姉さん、ベス姉! きこえてる? 大丈夫? ベス姉、ベス姉──!』
耳元に反響するケイトの声。
「あー、さすがに大丈夫くない。ちょい、ヤバイ」
しだいに、意識がヤバイ方向へ傾斜していってるのを、エリザベスは自覚する。
できればあっちの力は使わずにすませたかったんだがなぁ。
まあ、しゃーない──
──そして。
エリザベスの意識に設定された閾値が臨界点をふりきった、その瞬間。
彼女の脳裏に赤い光がきらめいた。
彼女が、母親から受け継いだ血。
もうひとつの人格。
制御室のモニターに、すでにエリザベスの姿はなかった。
映っているのは主通路にひしめいている<胴長>だけ。
「──姉さん、ベス姉! きこえてる? 大丈夫? ベス姉、ベス姉──!」
ケイトは送信機から顔を離し、首を振った。
シャーリィに向き直る。
「ダメ、声、きこえなくなっちゃった」
「困りましたわねえ……」
妹が危機に陥っているというのに、シャーリィの声は相変わらず緊張感から見放されていた。
「ベス、死んじゃったのかなあ」
不安もあらわな声で、ボブがつぶやいた。
「大丈夫よ、ボブ」
と、シャーリィ。
「あれくらいで、ベスは死にませんわ」
「でも」
「大丈夫だって、ボブ。心配ないって」
ケイトが相槌を打つ。
「ベス姉は殺したって死なない体質だから。比喩でなく、物理的な意味で。でもシャーリィ姉、この状況、やっぱりまずいんじゃない?」
「そうですわねえ……」
シャーリィはかすかに眉をしかめ、モニターを仰いだ。
「まあ、成り行きを見守るしかありませんわねえ。それよりケイト、あなたはメリーさんたちの心配をしたほうがいいのではありませんこと?」
「うん、それはわかってる。そのうちベス姉が突破口を開いてくれるだろうから、そのすきに避難させるつもり」
「あらケイト、そろそろじまったようですわよ」
その言葉に、ケイトは視線をモニターにもどした。
なるほど、はじまっていた。
ちょうど、エリザベスが埋まっているあたりか。
そのあたりに群がる<胴長>どもが、突然、弾け飛んだ。
爆風に吹き飛ばされたかのように。
まさに、爆散。
そして、その跡から、赤い鎧をまとったエリザベスがゆらりと立ちあがった。
エリザベスの全身から蒸気──多分に、<胴長>どもの体液が蒸発したもの──が、ゆらゆらと湧き立ち昇っている。
と──!
いきなり、エリザベスは暴れはじめた。
両腕を上下左右前後に盲滅法に振りまわし、まわりに群がる<胴長>どもに飛びかかっていく。
<胴長>どもの体を引っつかんでは振りまわし、床や壁に叩きつけ、胸元で締めつけ、ばらばらに飛び散った<胴長>の体をさらに踏みつける。
赤い全身から殺気と怒気を放散し──
凄まじい勢いで、凄まじい速さで。
それこそ、<胴長>どもが分裂増殖する速度より速く!
<胴長>どもの飛沫を踏みにじってぐちゃぐちゃの、ただのどろっとした紫色の液体に変えていく。
さながら、狂った野獣のごとく。
いや、このとき、エリザベスは確実に狂っていた。
狂乱、バーサーク。
母親から受け継いだ血のなせる業──
「な、なに? なにがおこったの?」
モニターに映ったエリザベスの豹変ぶりに、ボブが丸い眼をさらに丸くして混乱しまくっている。
「本性が現れた、てね。いったでしょ、ベス姉は殺したって死なないって」
面倒くさそうにケイトが告げる。両肩が疲れたようにずぅんと前のめりに沈んでいる。
「で、でも」
「本当、困りましたわぁ。ああなるとベス、いつ元にもどるかわからないですものねぇ……うーん、この後始末、どうしましょう。狂戦士の血って、本当、厄介ですわねえ……はあ」
珍しく、シャーリィが重い息を吐く。
「シャーリィ姉だって似たようなものじゃない。理性が喪われるか否かのちがいだけでさ」
「あら、わたくしはあそこまで野蛮にはなりませんわ」
「かもしれないけどさ」
なにか悟ったようなまなざしでモニターを見つめたまま、ケイトは自分の大切な愛棒──メリーさん壱號&弐號──を回収する機会をまちつづけた。
まちがえて次姉に破壊されないよう、祈りながら。
エリザベスが母親から受け継いだ血──
それは、狂戦士と呼ばれる特殊なものであった。
いつ、また、なぜそのようなものが誕生したのかわからない。
狂戦士とは絶対の破壊者、殺戮者。
その血が目覚めるとき理性は完全に失われ、あらゆるモノを破壊し尽くさんとする衝動と欲望の権化/怪物が顕現する。
その覚醒は、肉体の質的変化をともなう。
柔らかな皮膚にダイヤモンドの硬さと水銀の柔軟さを付与し、神経の伝達速度を限りなく光速に近づけ、超高精度の機器でギリ測定可能レベルのスピードを可能にし、筋肉を根本から変質させ、凄まじい破壊のパワーをあたえる。
奇跡的にサイズ面の変容はほとんどないので、身につけた衣類・鎧が破けたり吹き飛んだりすることはない。
飽くなき破壊への欲求は、その者の体力が限界を超越してもなお持続し、肉体に蓄えられたエネルギーが枯渇するまでけっして終息しない。
肉体が完全に動かなくなるまで、ときに数日間にわたって破壊行為はつづけられていく。
狂戦士と化したエリザベスは、周囲にうごめく無数の紫色の物体を、はっきりと敵と認識していた。
敵は破壊する。
跡形もなく。
完全に。
その存在を確実に滅ぼす/殲滅だ/息の根を止めるまで。
狂戦士の脳裏に宿るのは、ただその衝動だけ。
<胴長>どもの増殖分裂にも、限界はある。
ある一定の大きさ以下に引き千切られてしまえば、あるいは潰されてしまえば、もうそこで生命活動は停止し、二度と体の再生と成長はできなくなる。
エリザベス=狂戦士は狂乱の赴くままに、<胴長>どもを増殖できなくなるレベルまで引き裂き、踏み潰していった。
そしてそれは──<胴長>どもに、これまで種族そのものが感じたことのない恐怖をあたえることになる。
種族としての生存本能に根ざした根源的な恐怖を。
本来、体を傷つけることで個体を増やす<胴長>に、恐怖という感情はない。
元来、<胴長>は、痛覚の存在しない──苦痛も苦悶も感じることのない──生命体である。彼らにとって、ほかの生命体への襲撃行為は、種族の存在を維持する本能によっておこなわれるものにすぎない。
ゆえに、そこに恐怖などあるはずがない。
が、もしその行為そのものの意味がくつがえされてしまったら?
すなわち、ほかの生命を襲っても個体の増殖ができなかったとしたら?
それは、生存本能そのものが否定されてしまうことになる。
種族にとって、それは災厄以外のなにものでもない。
いま、<胴長>どもは、まさしくそうした生存本能に根ざした未知なる恐怖に晒されていた。
その種族が誕生して以来、はじめて味わう一方的な殺戮と陵辱。
その恐怖はたちまちのうちに、《B・ネルソン》号の船内外に群がるすべての<胴長>に伝染していった。
種族全体の全面敗走という行為すらこれまで知らなかった彼らは、しかし、生存本能の命じるまま、我先にと逃げはじめた。
<胴長>にとってこの夜は、まさしく恐怖の一夜となった。
「すごい、すごいや! あいつらが、<胴長>どもが、逃げてく!」
ボブが、歓喜の喝采をあげた。
「いいわね、ケダモノは。紫電柱が退却していったくらいで喜べて。こっちは、これからが大変だってのに」
とりあえず気色の悪い怪物どもが船内から退却をはじめ、安堵の息を吐いたものの、これからのことを思うとケイトはさらに気が重くなる。
Why?
狂戦士と化したエリザベスをどうするか。
──という、深刻な問題がまだのこっていた。
数時間で元にもどることもあれば、二、三日は暴れまわることもある。
どこか遠くの僻地で好き勝手に暴れてくれるぶんにはどうでもいい。
なのだが、下手に《B・ネルソン》号の船内でいつまでも暴れられつづけると、非常に困ったことになる。
狂戦士のパワーは常軌を逸している。
特殊合金でできた《B・ネルソン》号の外装すら、紙を破るかのごとく引き千切ってしまうレベルの剛力を易々発揮する。
エリザベスひとりのせいで、《B・ネルソン》号が修復不可能なまでに内部から破壊されてしまってはたまらない。
もうすでに第三甲板の主通路は、勢いあまったエリザベスのパワーによって、見るも無残な光景を晒しつつあった。
胸壁、隔壁、通路両面の壁、いたるところがひしゃげ、歪み、陥没し、穴が空きまくっていく。その上に、擦り潰された<胴長>の紫色の残骸が山と塗り重ねられていく。
「ねえ、どうする、シャーリィ姉?」
「そうですわねえ。どうしましょうかしら」
モニターに映るエリザベスの様子をじっと観察しつづけ、シャーリィは考えこむ。
エリザベスは、逃げだした<胴長>を追って、玄関ハッチから外へでていこうとしていた。
狂戦士の姿を追跡するため、モニターのカメラを船内のものから外部のものに切り換える。
船外にでても、狂戦士は狂った咆哮を喚き散らしながら、逃げ惑う<胴長>どもを追いかけていく。
すると。
「──きゃあああああっ!」
シャーリィが、不意にこの世の終わりがきたかのような悲鳴をあげた。
その穏やかな美貌が、真っ青になって表情が凍りつく。
船外へと逃げだした<胴長>どもは、四方八方に遁走していく。
しかるに<胴長>が《B・ネルソン》号に押し寄せてきたとき、かの物干し台は、幸運なことに倒されることなく無事に残存していた。
それがいま──崩壊の危機に直面していた。
なぜなら、散り散りに逃げていく<胴長>を追いかけるエリザベスの真正面に、偶々、物干し台があったからだ。
不幸なことに──狂戦士化し、理性の欠如したエリザベスにとって、それは、<胴長>を追走するのを邪魔するただの障害物でしかなかった。
「ああ、あ、あぁぁぁぁぁ~~~~」
絹を裂くような長姉の悲鳴が、だんだん先細りしていく。
モニターには、シャーリィの大事な大事な物干し台がバキバキと容赦なく破壊されていく光景が映しだされていた。
「ああああ、そ、それ以上は駄目ですわ……わたくしの、わたくしの物干し台が……」
実際に破壊に要した時間は、ものの数十秒程度だったはず。
なのだがシャーリィには、永遠の時間にも感じられた……に、ちがいない。
「うふふふ、それ以上のオイタは……姉さん、本気でお仕置きするしかなくなってしまいますわよ……」
あげく、物干し台が元の形状を留めぬほど無残に粉砕されてしまうと……
プチッ
「え? いまのなんの音?」
本能が、身の危険を感知したらしい。ボブはシャーリィの胸元から、正面の制御盤の上に逃げるように跳び移った。
「シャーリィ姉の堪忍袋の緒が切れた音。比喩でなく、物理で!」
長姉の顔が般若のごとく(これは比喩!)変化していく様に、ケイトの全身から血の気がさぁ~っと滝のように退いていく。
ボブは状況がまだいまひとつ理解できてない。
「うふふふ、ふふふふ……あー、ははははは、限界、ですわ、ええ、もう……いくらベスでも、許しませんことよ~~~」
シャーリィはゆらりと、幽鬼のごとく身を翻した。
そしてそのままふらりと、足音ひとつたてず静かに退室していく。
「シャ、シャーリィ……? ど、どこいくのさ?」
「ダメ、ボブ! ここでおとなしくしてなさいって!」
状況が理解できないままシャーリィについていこうとしたボブの尻尾を、ケイトはあわてて引っつかんだ。
「い、痛いってば。どうしてついてっちゃ駄目なのさぁ?」
「迂闊に巻きこまれて死に目に遭いたくなかったら、どうしてもよ!」
そう語るケイトは、モニターの前でぶるぶる震えていた。
エリザベスが母親の血を濃く受け継ぐように、シャーリィもまた父親の血を濃く受け継いでいる。異なるのは、理性を喪うことなくその血をいつでも自由に駆使できるということか。
そしてエリザベスの能力が狂乱化という言葉で一応は説明づけられるのに対し、シャーリィの力には適用できる丁度いい言葉がない。
しいていうなら──不条理。
実際、五流詩人でもある三姉妹の父親は、《不条理卿》という異名を持っている。
「ぐあ?」
物干し台を破砕し尽くし、逃げ惑う<胴長>をさらに追いかけようとした狂戦士に──
「──ったく、ちょっと狂乱化したくらいで簡単に自我をもっていかれるだなんて、まだまだですわね」
オリーブ・グリーンのワンピースドレスの上に愛用のフリルのエプロンを装着し、右手におたまを握り締めたシャーリィが真正面から対峙した。
「お母様は狂戦士化しても自意識は余裕で保てるというのに……そんなことでは、きっと草葉の陰で泣いてらっしゃいますわ」
「いや、母さん、死んでないから」
モニターの前で、ケイトが思わずつっこんだ。
「えとえと、なんでシャーリィはわざわざあのかっこう──?」
おなじくモニターを凝視し、ボブはシャーリィの装束に思わずつっこまないではいられなかった!
「おたまとエプロンはシャーリィ姉の標準武装だからにきまってるっ」
「き、きまってるんだ」
「くっ、でも姉さん、まだ本当の本気にはなってないっ──」
「本当の本気になったら、どうなるの!」
「おたまが、肉切り包丁になる!」
「こっ、怖ぁぁっ!」
ボブは心底震えあがった。
そのとき。
「ぐ、がぁ──!」
正面を塞ぐエプロン姿の般若もとい美女を〝敵〟とみなした狂戦士が──理性が欠片でも残存していたら絶対に抗ってはいけない相手にむかって、躊躇なく飛びかかっていった。
「甘いですわ」
突進してくる妹を真正面からさらりと受け流し、シャーリィは愛用のおたまを、指揮棒を揮うがごとく宙空に振りかぶり、ゆらりと振りおろした。
ぐちゃ
刹那、緋色の戦闘鎧をまとったエリザベスの肉体が、ふわり……と宙を舞い、直後、地味な擬音ととも思いっきり強烈に地面に叩きつけられた。
それは、シャーリィが父から生来的に受け継ぎ、修練により洗練させた──特殊体術の賜物だった。
本来、自分にむかってくるはずの攻撃のベクトルを捻じ曲げ、反転させ、不条理力の理不尽パワーを上乗せして跳ね返す。合気柔術の特異進化形──敵が放ってきた攻撃をン十倍に増幅し、自身はノーダメージのまま相手に叩き返す技。
「ぐががっ、があっ──」
結果、地面に叩きつけられた瞬間、エリザベスの肉体には百G近い力が加圧され──地面が割れ、深紅の肉体が陥没に沈みこんだ。
だが狂乱状態に在るエリザベスは、その程度ではまだ意に介さない。
すぐさまむくりとおきあがり、
「ひゅぅっ、ひゅぅ、ぐがぁっ──!」
「無駄ですわ」
べちゃ、ぼきっ
暴走する本能のままシャーリィに襲いかかろうとして、呆気なくまたひっくり返され、こんどはなんかイヤな擬音とともに地面に沈んだ。星明かりが照らす夜闇のなか、ピンクのひらひらエプロンが優雅に舞う。地面の陥没が、ひときわ深く広範囲に拡大した。
「ベ、ベス──!」
船内のモニターに映しだされる、ある意味を想像を絶する光景を凝視し、ボブはひたすら唖然となっている。
「だ、大丈夫、大丈夫……まだすぐおきあがってくるうちは」
もはやなす術なし、と諦めきった様子でケイトは成り行きを見守っている。内心で、エリザベスの無事をなげやりに祈りつつ。
「ぎがっ、がるるるっ──」
「はい、もいっかい沈みましょうね、ベス」
モニターのむこうでは、陥没から立ちあがってきたエリザベスを、シャーリィがまたもあっさりひっくり返し、百Gの加圧で潰していく。特殊鋼製のおたまが淡い星の光を受け、きらん☆と夜闇に煌めき揺れた。
「シャ、シャーリィ、容赦ない……」
「シャーリィ姉にだけは、絶対に逆らっちゃだめだかんね、ボブ」
「うん、理解した……」
「ふごぉっっ、がうぅぅぅっ──」
夜が明けるまで、狂戦士エリザベスはひたすら姉に転がされ、潰されつづけた。
……
…………
………………長い夜が明けた。
さらに、お昼も通りすぎていった。
ケイトは、メリーさん壱號をうしろに従え、暗い顔をして第三甲板の主通路を足早に歩いていった。弐號の姿はない
通路には、エリザベス=狂戦士による破壊の痕跡が生々しくのこっている。
おまけに、<胴長>どもの残骸もぐっちょんぐっちょんあふれかえって、さながらお化け屋敷のようで薄気味悪い。しかも残骸が腐りかけているのか、独特の異臭が漂っていて、胸が悪くなる。
「死骸はぜんぶまとめて焼却処分しないとだけど……あー、めんどくさいっ」
自動修復機械や自律式万能清掃機がフル稼働しているものの、まだしばらくはとても綺麗になりそうもない。
なおボブは、昼前にメリーさん二號を護衛につけて村へ帰した。相当に興奮していたので、ゆうべここでおきた出来事を村民たちにどんな風に吹聴するのか……ちょい不安かも。
すぅはぁ、すぅはぁ
玄関ハッチまで到達すると、ケイトはそこでいったん立ち止まり、外の景色を眺め渡しながら大きく深呼吸した。
外の空気がすばらしく美味い。
赤く染まった西日が、たいへん眩しい。
ケイトは《B・ネルソン》号の外にでると、崩れ落ちた物干し台にむかってゆっくり歩いていった。
そして、そのそばに倒れているエリザベスを見おろした。
エリザベスは、穴だらけになった地面の上でに大の字になってひっくり返っていた。全身が傷と血にまみれまくっている。
……まあ、骨が折れようが内蔵が破裂しようが、数時間もあれば完全再生する体質をもっているので、なんの心配もない。
エリザベスが目をあけ、やけにさっぱりした爽やかな顔で妹を見あげてきた。よくも悪くもあれだけ全力で暴れ狂ったら、毒気も抜けるだろう。
「よう、おはよう」
「もう、夕方なんだけど、ベス姉」
「あー、あれ、朝日でなく夕日かぁ。たしか狂乱化したんだよな、あたし? 途中から、完全に記憶が飛んでるんだけど」
「それはもう、あのキショ生物の体液を狂ったように全身に浴びまくってたわよ」
「……シャーリィ姉に何回転がされた?」
「途中から数えるの面倒になったから。たぶん、三十回くらい?」
「うわ、やっぱりか……くっそう、自信なくすなあ」
「なんの自信が知らないけど、むしろその程度で気絶ができて運がよかったんじゃないかな、今回は」
「で、そのシャーリィ姉は?」
「ふて腐れて自分の部屋に閉じこもって、でてこない」
「ふて腐れて? なんで?」
「ベス姉が、物干し台、木っ端微塵に破砕したから」
「へ?」
ケイトの視線が泳ぎ、その視線の先を、倒れこんだままエリザベスが追う。
「げ。うわ、マジだ。あれ、マジであたしがやったの?」
さすがに、自分がしでかしたことの重大性にエリザベスの表情が強ばった。
「ベス姉が目覚めたら、徹夜で責任もって物干し台を直すようにって。それまで、ご飯、抜きだって」
「うあ、それはキツイな。ま、いいや。とりあえず、船内に運んでくれない? いつまでも外で寝てると風邪ひいちまいそうだ」
「風邪なんかひいたことないくせに」
ケイトはメリーさん壱號に命じ、エリザベスの身体を抱きおこさせた。
三姉妹の危機感のない逃亡生活は、まだはじまったばかり──
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
エリザベスの能力、ありきたりでしたかね……?
中途半端感は拭えないかもですが、いったんここで三姉妹の物語は終了になります。
意味深な設定や伏線を盛りこむだけ盛りこんで、ほとんど回収していません。
いずれ続きを書く予定ですので、もし三姉妹を気に入ってくださったなら、気長にお待ちくだされば嬉しいです。