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●──【06】<胴長>どもの逆襲

「なによ、それ! 気色悪すぎるっ!」

 その夜、エリザベスが森からもち帰ったおみやげ(・・・・)は、ケイトにはすこぶる不評だった。

 プラスチック・ガスの被膜をべつの専用ガスで解凍し、リビングのテーブルに<胴長>を転がしたとたん、ケイトはソファから飛びあがり、部屋の外にまで逃げだした。

 それから部屋の戸口からそうっと顔だけを覗かせ、テーブル上でうねうねと不気味に蠢きだした怪物に怖々視線を泳がせてくる。

 ケイトは、ゴキブリが部屋を飛びまわっただけでも世界の終わりがきたかのような大騒ぎを演じる娘である(ただし蟲ならなんでも怖いというわけではない)。見様によってはゴキブリよりも気味の悪い生き物をいきなり目の前に転がされ、悲鳴をあげないわけがなかった。

 もっとも、エリザベスは妹がそういう反応をすることを期待して、あえてケイトの目前で解凍してみせたわけだが。意地悪というほどではない、ちょっとした悪戯心。

「大丈夫だって、ケイト。こいつの場合、いきなり爆発したり噛みついてきたりするわけじゃないからさ。意味もなく獰猛なようだけど、この程度の大きさだと害はないよ」

「だ、だって……でもでも、ど、毒とか、もっているかもしれないじゃない」

「とくに毒のたぐいはもってないって、ボブがいってたから平気だろ。そもそも少々の毒にあてられたところで、あたしらには効かないし」

 そういって、エリザベスはテーブル上を無軌道に動きまわったあげく縁から落ちかけた小サイズ<胴長>を、ひょいと掴みあげた。

「そういう問題じゃな──って、本当に手で掴まないでよ。気持ち悪くないの、ベス姉っ?」

 正気を疑うまなざしを次姉にむけ、ほとんど悲鳴にも似た声をだす末娘。

「はじめは気持ち悪かったけど、すぐ慣れた」

「やっぱりベス姉、並の神経してない。だいたい、どうしてそんなの持ち帰ってきたのよ? 悪趣味すぎるっ」

「ま、ちょっと興味がわいてね。すこし調べてみようと思って」

「冗談じゃないってばっ! はやくどっかへやってよ!」

「あらあら、にぎやかですわね」

 シャーリィがキッチンから、エプロンで手を拭いながら現れた。

 エリザベスの手のなかでうねくる<胴長>をしげしげ見つめ、

「ベス。それがボブちゃんのいっていた<胴長>ですの? ちっちゃいのね」

「持ち帰りやすいように小さくしたんだ。はじめは、あたしくらいの大きさがあった」

「あら、そうなの? ふうん」

「シャーリィ姉まで、感心してないでっ!」

 ケイトが、相変わらず部屋の外から叫んだ。<胴長>をどこかへやってくれるまで、部屋には絶対にはいりたくないらしい。

「でも、よく見ると、なんとなく愛らしいかもしれないですわよ、ケイト」

「どういう美的センスなのよ!」

「この紫色でぶよぶよしたところなんか、ワインゼリーみたいですわね」

「やめてよ、シャーリィ姉! 二度とワインゼリーが食べられなくなっちゃうからかあっ」

「あら? 今夜のデザートはワインゼリーですわよ」

「ほ、ほかのにしてよっ!」

 ケイトの悲鳴は、ほとんど絶叫に近かった。


 ……それでも、夕飯の卓では、ケイトはワインゼリーを器に山盛り三杯ぺろりとたいらげた。

 満腹になり、ダイニングルームからリビングへあらためて移動して、芸術的な古典音楽クラシックを雅に聴きながら、エリザベスは昼間の出来事を語った。なおクラシックはシャーリィの趣味である。

「あらまあ、そんなことがありましたの。それはたいへんでしたわねえ」

<胴長>が<蜜あつめ>を襲っている現場に遭遇したときの状況を説明し終えても、長姉の声はいつも通りに呑気な調子だった。

 エリザベスはうなずいた。

「<蜜あつめ>の姿もけっこうくるもんがあったけど、やっぱ極めつけは<胴長>だな。惑星トリアストのイボ蛙のなかに、瞬時に再生する厄介な生き物がいるんだけどさ、あいつはそいつをはるかに超えてるよ。

 あたしもこれまでいろんな生物を見てきたけどさ、あれだけ変なのははじめてかもしれない。無脊椎・無体腔の下等な扁形へんけい生物のたぐいならともかく、あれだけの大きさで、かつ知能を有する生物が、真っ二つにすればするだけ個体数が増えていくんだから。

 そりゃ、あたしらみたいに世界律に存在が固定定義されてる例外もないわけじゃないけど、そうでなく、惑星上で自然進化したと思しき生物相において、ああいう分裂増殖する知的生命ってのは、ほとんど新発見レベル!」

 語っていくうち、しだいに興奮が隠せなくなっていくエリザベス。

「──とはいえ脅威なのはそれだけで、派手な攻撃力とかないみたいだし、ちょっと期待はずれかな。それに、火には弱いみたいだし。ボブの話じゃ、あいつら本当はもっと集団で、群れをつくって行動してるらしくてさ、あたしが遭遇したのはたまたま群れをはぐれたヤツだったらしい」

「やめてよ、その話は、もう!」

 ケイトが叫んだ。

「あのぐちょぐちょ、思いだすだけで鳥肌がたっちゃうわよ!」

「まあ、そう嫌ってやるなよ。なんなら、またここにもってきてやろうか?」

 エリザベスは楽しそう。

 捕らえた<胴長>は現在、エリザベスの部屋にガスで固めて保管してある。

「あ、そうだ、どうせならケイト。おまえ、ペットとして飼ってやれば?」

「だれがっ! ベス姉、お願いだから、あれ、絶対にお姉の部屋からださないでよ!」

 エリザベスは肩をすくめた。

「自信ない」

「ところでベス、ボブちゃんの村はどんなふうでしたの?」

「んー、なんとも微妙だったかなぁ。木の上といわず木の下といわず、ところかまわず無節操に掘っ立て小屋みたいなのを建てまくっててさ、ボブをもすこし大きくしたような連中がうじゃうじゃ動きまわっているんだ。人口密度が凄まじかった。あと、畑をつくって農業するくらいの文明レベルはもってるみたい」

「長老さんに、チーズケーキ、渡してくれた?」

「うん、まあ……ただ、長老さん、というより長老たち、というべきだな」

「どういうことですの?」

「ひとつの身体に、顔が三つあった。ボブのいってた第四周期というのは、どうやら首の数のことらしい。第二周期までは首がひとつしかないらしくてね、第三周期にはいれば肩のあたりから、もう一個頭が生えてくるらしい」

「……うへ、想像つかない」

 ケイトが顔をしかめた。

「だから、そのうちボブにももう一個、頭、生えてくるんじゃないか?」

「なんだか、面白い生き物ですわね」

「そういう問題かなあ……」

 姉ふたりのノリに、末娘はいまひとつついていけてない。

「ボブが第三周期になるには、この惑星ほしの公転周期でまだあと二十年くらいかかるらしい。第四周期はそこからさらに三十年。で、第五周期に達するまでにたいてい寿命がくる。種族の平均寿命は七十~八十年ほどだってさ。てことで、彼ら、一、二、三……たくさん、でなく、ちゃんと数の概念ももってたんだよね。しかも十進法。たいしたもんさ」

「そういえばボブちゃん、指の数は五本でしたわね。ええと、この惑星の公転周期って、どうだったかしら」

「不時着前の計測値データから換算して、銀河標準暦とだいたいおなじか、ちょっとすくないくらい」

 シャーリィが首をひねり、ケイトが回答した。

「そういえば、ボブちゃんて、いくつなのかしら?」

「たぶん、十歳くらい?」

 と、エリザベスが答え、

「ちなみに<胴長>は分裂して増えるんで、ある意味、寿命はないに等しいといえるかな。分裂前後で個体間の経験や知能の引き継ぎがどうなってるのか、ちょい気になるところだな」

「……だから、そっちに話をもどさないでってば」

「へいへい。んで、長老さんたち、チーズケーキは気にいってくれたようだったよ。ボブの通訳で一応話をしてきたけど、あたしらが《竜を導く者》だって勘違いしたとたん平伏してきてさ、へへっー、てなもんよ。なかなか爽快だったな。チーズケーキ、もっと食べたいってさ」

「あら、それは嬉しいですわね。腕をふるってまたつくってさしあげますわ」

「村の全員にふるまうにゃ、コンテナ一個分はつくる必要がありそうなんだけど」

「つくりますわよ、ええ、もちろん、いくらでも。食糧培養器をフル稼働すれば、材料はそろいますもの」

 右上腕に力こぶをつくって嬉しそうに微笑む。

「ねえ、ベス姉。《竜を導く者》ってのはいいけどさ、その竜ってのはいったいなんなの?」

 ケイトが訊いた。

「なにって、あたしが知るわけないじゃん。おまえ、おとといバギー乗ってて正面からぶつかりかけたろ? あのときの奴じゃないか? そういや、竜の種族の内部でトラブルがおこっていて、迷惑してると長老がいってたかな」

「この星って、もしかしてふつうの生き物いないんじゃない?」

「なにをもってふつうというのか知らんがね。すくなくとも知能をもってる連中にかぎれば、キワモノぞろいっぽいのは否定しきれん。とはいえ知能をもった生物が最低でも四種族存在してるってことがわかったのは前進だな」

「なにが前進なのかよくわかんないけど……うう、一種族だけ、知能をもってるって信じたくないのがいる。本当に、アレ、知能、あるの?」

「まあ、わからんでもないが。んでも、ちゃんと石の矢尻をくっつけた槍をもって、あたしに襲いかかってきたからなぁ」

「……はぁ」

 ケイトはあきらめたようにため息をついた。

「わたし、絶対、この船の外にはでないことにする。船内に引き籠もって生きてくから、よろしく」

「ん~、そういう不健康な生活、お姉ちゃんはあんまり推奨できないわ~。早寝早起き、とくに朝はしっかりお日様の光を浴びるのが、いちばんの健康生活ですわよ、ケイト」

「ほら、シャーリィ姉もこういってる。これからこの星で暮らしていくうえで、色々楽しめそうな要素が満載だろうが。むしろ積極的に外にでて、自然観賞、自然探索に明け暮れる! それが健全!」

「そんな優等生宣言、ききたくない。てゆーか年下の美少女がいないこんな惑星ほしは堪えられないっていってたの、ベス姉でしょうに」

「それに見合うだけのとんでもないなにかが、まだいろいろありそうだからな、この惑星ほしには」

「わたしは御免よ。あんな不気味悪い生き物がいる星なんて、一秒だっていたくないわ」

「運命なんだろ?」

「う……」

 この姉妹、最初にこの惑星に墜ちてきたときから主張が完全に逆転していた。


 そのつぎの日は、じつに静かに過ごすことができた。

 あまりにのどかに時間が過ぎていったので、その夜おこった狂乱が、非現実的な色合いを醸したほどであった。

 いったい、彼女たちのだれに、あんなことがおこると予想できたろう?

 刺激的ななにかがおこって欲しいと心秘かに願っていたエリザベスでさえ、我を忘れたほどの大事件──


 ──そもそもの原因は、エリザベスが<蜜あつめ>を助けるため<胴長>を焼き払ったさい、数匹見逃してしまったことにあった。

<胴長>どもを甘く見すぎていたといってしまえばそれまでだが、あまたの異星生物相手に多くの経験を積んできた彼女ですら、そいつらの性癖を読みちがえてしまったのだから、どうしようもない。

 いや、油断さえしていなければ、あるいはもうすこし緊張を持続しておけば──はなから緊張などなかったという説もあるが──彼女なら、それはじゅうぶん予想できうることでもあったかもしれないのだ。

 エリザベスは朝の六時に起床する習慣があった。

 この星の自転周期は、以前彼女たちが暮らしていた惑星テクセルよりも一時間と三二分二一秒長かった。それを二四時間に換算しなおし、生活時間として姉妹たちは利用した。つまり、この星の一時間は彼女たちがこれまで慣れ親しんできた一時間よりも四分ほど長いことになる。それだけだとたいしたことではないように思われるが、結果的に一日が一時間以上長くなってるわけで、身体が慣れるまではけっこうつらいものがある。

 四日目にして、エリザベスはようやくこの星の一日の長さに慣れてきた。

 朝の六時に起床し、顔を洗うと、トレーニングウェアに着替えてトレーニング室に直行する。外見上はせいぜい四〇メートル平米くらいしかないトレーニング室は、空間圧縮技術によって百万メートル平米くらいにまで膨張させられている。彼女はその部屋でまず、一・〇六Gほどの重力下で三〇キロメートルほど走りこむ。ついで、重力制御を三Gに変えて腕立て伏せを一二〇回、腹筋三〇〇回。四Gにして懸垂を一二〇回。これらはすべて、エリザベスにとっては体調を整えるための軽い運動にすぎない。

 ほどよく汗をかいたあとは熱いシャワーを浴びて気分を一新し、ダイニングへむかう。朝食はたいていひとりで食べる。

 シャーリィはとっくに食べ終えて洗濯にいそしんでいる時刻だし、ケイトは昼まで惰眠をむさぼっている。シャーリィが用意してくれた朝食をがっついてたっぷり栄養補給しながら、その日の予定を決める。

 この日、彼女は自分の部屋に閉じこもって、<胴長>を切り刻んで遊んだ。

 調べれば調べるほど、奇妙な生き物だった。

 手の平サイズの<胴長>をつくりすぎたあげく、手を滑らせて部屋中にばらまいてしまったので、回収するのにひと騒動してしまったが、おかげでいくつか興味深いことがわかった。

 けれども夕方、午後四時くらいになるとオモチャで遊ぶことにも飽きて、彼女はリビングに顔をだした。リビングのふかふかのソファに身体を埋めてコーヒーをすすっていると、妙にくつろいだ気分になれる。

 ケイトが、アップルパイを頬ばりながら、呆っと窓の外を眺めていた。

「なんだケイト、また食ってるのか? すこしはダイエットしないと、マジで豚になるぞ」

「ほっといてよ」

 ねた口ぶりでケイトはいった。

「シャーリィ姉が勝手につくりまくるんだもん、食べてあげなきゃもったいないでしょ。ベス姉も食べてよ。そこのテーブルの上にあるから。のこさず食べ尽くさないと、シャーリィ姉、また情けない顔して迫ってくるよ」

「しょうがねえな」

 といいつつも空腹だったので、エリザベスはパイを一切れつまんで口に放りこんだ。たしかに、美味い。美味いのだが、食べすぎると胸が焼ける。ソファにどんと腰をおろし、

「んで、そのシャーリィ姉はどこにいるんだ?」

 ケイトは、窓の外に細い顎をしゃくった。

 ソファごと窓際に移動し、エリザベスは外を見やった。

 乾いた洗濯物を機嫌よく物干し台から取りこんでいる姉の姿が見えた。

「なんだかなあ……シャーリィ姉、すっかりあの物干し台、気にいっちまったようだな。なんといっても、ケイトの涙の結晶だもんな」

「シャーリィ姉がうらやましいわよ。洗濯と料理さえできれば、一生退屈しないんじゃない?」

「そういうおまえは暇そうだな、ケイト。なんかすることはないのか?」

「《B・ネルソン》号の修理も、メリーさんたちの武装変更も、きのうでぜんぶ終わっちゃったの。工房にこもって兵器をばらして遊ぶ気分でもないし……はぁ、のどかだわ」

「なんだったら、トレーニング室で運動でもしてこいよ。マジでダイエットしたら?」

「めんどくさい」

「んじゃ、<胴長>でも切り刻んで遊ぶか?」

「イ・ヤ・ヨ! 見るのもイヤ、あんな不気味なの。なにが楽しいのよ? あんなの切り刻んで。いいかげん、どこかへ捨ててきてよ」

「けどさ、半日遊んだら、けっこう面白いことがわかったぜ」

「なにがよ?」

「あいつらが、なんであんなに攻撃的な性向をしてるかってこと。半分はあたしの推測だけどね。ま、それに攻撃的といっても、ただ見境なくほかの生物にむかっていくだけのようだし、この星の生き物にとってはともかく、あたしのレベルから見りゃたいしたモンじゃない。ふつう、ある生物がほかの生物を襲うのは捕食のためだろ? 餌を手に入れるため。けど<胴長>どもはちがうっぽい。あいつらがほかの生物を襲うのは、生殖のためらしい」

「………………は?」

「つまり、あいつらは単性生殖、いわゆる増殖分裂することで個体を増やしていくわけだ。あいつらがなにを喰って成長するのかはまだ不明なんだが、とにかく成長して大きくなる。ふつうなら、適当に成長したところで分裂するモンなんだけど、ところがあいつらは、自分の力だけでは分裂できないらしくてさ、それでほかの生物の力を借りるわけだ」

「力を借りる?」

「そ。生物を襲えば、襲われた側も身を護るため抵抗するだろ? したら、しめたものさ。あいつらは喜んで相手の攻撃を受ける。んで、体に損傷を負えばそこから分裂がはじまって個体が増えるってわけだ」

「なによ、それ! てことはあの紫電柱、自分の体を傷つけてもらうために攻撃するってこと?」

「そういうこと」

 エリザベスは窓際からテーブルのところにもどり、紅茶をいれた。紅茶をすすりながら、つづける。

「だから、あいつらは獰猛になったわけだ。獰猛で、攻撃的であればあるほど、あいつらは仲間を増やせるんだから」

「マゾなうえにサドなわけ? 最っ低!」

「よくできたもんさ。まあ、なかには事故かなんかで怪我して増えるのもあるだろうけど。しかし、そうなるとどうもわからんことがある」

「わからないこと? それだけわかればもうお腹いっぱいでしょ」

「いや、そうじゃなくて。あたしが最初に見た<胴長>、全長が一メートル八〇くらいあった。けどあいつら、見ただけでも水っぽかっただろ? クラゲがもうすこし固まったような感じで。体内組成のほとんどが水だ。なのにそいつは、真っすぐ立直してたんだぜ。ふつうなら、重力で潰れているはずなのに。

 それに、ぶった斬ってもぶった斬っても増殖するんだから、内蔵も骨も神経もなにももっていない、単純な内部構造をしてるはずなんだ。なのに、道具を使うだけの知能があるんだからな。獰猛な性向だって、そういう性向を司る中枢がなくちゃいけない。んでも、そんなものがあるようにはとても思えない。それが、わからないんだ」

「どうでもいいじゃない、そんなこと……ふあぁ」

 ケイトはあくびをし、緩慢な動作で立ちあがった。

「うう、足が痺れた。ちょっとご不浄へいってくる」

 そのとき、ドアそばに設置された船内通話器がピロリロリン♪ とメロディを奏で、シャーリィのとぼけた声がきこえてきた。

『ベス、お客さまがいらっしゃいましたわ。玄関ハッチにきてくださいませんこと?』

「お客さま?」

 玄関ハッチ──いうまでもなく、《B・ネルソン》号の船首側乗降用の舷門ハッチのことである。

《B・ネルソン》号は船首を下にして地面に斜めに突き刺さっているので、船尾ハッチは高いところにいきすぎて使用できず、バギーやなんかの格納庫のハッチを除けば、ここだけがかろうじて外との通用門になっていた。

 なお、船内には重力制御が働いているので、船体が斜めに傾いていても、支障なく甲板に垂直に立っていることが可能になっている。

 玄関ハッチにいってみると、シャーリィが洗濯篭を抱えてにこにこしていた。

 ボブの姿があった。

 すっかり《B・ネルソン》号が気いったのか、遊びにきたらしい。

「なんだよ姉さん、お客さまってのはボブのことかよ」

「いいえ、ちがいますわ。外であなたを待っていますわ」

 怪訝な表情で外へでてみると、目の前に真っ黒な物体がいた。

「おやまあ」

「ひゃぁっ!」

 いっしょについてきたケイトが悲鳴をあげ、脱兎のごとく船内通路を逃げもどっていった。通路の曲がり角からそうっと顔をだし、

「な、なんなのよ、その怪物?」

「心配ない。これが<蜜あつめ>ってやつだよ。見かけとちがっておとなしいから、そんな取り乱すんじゃないよ、みっともない」

 エリザベスが教えてやると、ケイトは恐る恐る玄関に歩み寄ってきた。

「しかし、変だね」

 エリザベスは首を傾げた。

「きのう助けてやったやつ、こんなに大きかったかな?」

 目の前にいた<蜜あつめ>はきのうの倍近い巨体をしていた。四メートル近い体長だった。

「ちがうよ、ベス」

 ボブが、<蜜あつめ>の背中に飛び乗り、

「きのうの助けたのお母さんが、お礼にやってきたんだよ。おいらが案内して、ここまで連れてきたんだ」

「親切丁寧、いたみいりますわねえ」

 しみじみとシャーリィ。

「ちょ、ちょっとまて」

 エリザベスは口ごもった。

「てことは、きのうのやつは子供だったのか? あの図体で?」

「そうだよ」

 エリザベスはお母さん<蜜あつめ>に近づいていった。

 すると、お母さん<蜜あつめ>はとぐろを巻いたストロー状の口を伸ばし、エリザベスの身体を撫でさすってきた。

「ヴゥオルゥボーウゥー、ヴォー」

「な、なんだ……?」

「<蜜あつめ>が親愛を示すときの挨拶だよ」

 と、ボブ。

「……そ、そうか。しかし、むぅ、あまり気色のいいもんじゃないな。しかし、こんなでかくて吸盤みたいな足をしたやつが、よく森を抜けてここまでこれたもんだな」

「あら、ベス。だってこの方、空を飛んでいらっしゃったのよ」

 とぼけた声で平然とシャーリィがとんでもないことを口にする。

「そ、空をぉ?」

 エリザベスは素っ頓狂な声をあげた。

「ええ、風船みたいに膨らんで、ふわふわと、森のほうから。びっくりしましたわぁ」

 シャーリィの声は、ちっともびっくりした風ではなかった。

 イモムシのような形をした巨大な黒い物体が、空を飛んでやってきた。その異様な光景をまのあたりにしても動じることのない姉に、エリザベスは感服しないではいられない。

<蜜あつめ>の、その巨体のわりには小さな顔の上の部分が突然くぼみ、そこから人間の赤子の頭大の灰色の球体がでてきてころんと地面に転がった。

「ヴゥオローゥヴォーボ、ヴゥウゥゥ──」

<蜜あつめ>の鳴き声がどこから響いてくるのか、エリザベスには見当もつかない。口からではないはずだ。おそらく腹部のどこかに発声器官があるのだろう。

「ヴゥオーロヴゥゥゥ──」

「それがお礼だって」

 ボブが通訳してくれる。

「こいつが?」

 エリザベスは球体を拾いあげた。けっこう重かった。表面はつるつるしていて、なんとなくセトモノの壷に似ている。

「そいつを割るとさ、なかに蜜がはいっているんだ」

「あら、本当?」

 瞳を輝かせて聞き返したのは、当然シャーリィ。

 エリザベスはシャーリィに球体を手渡した。

 とたん、

「じゃあ、さっそく味見をしてみなくてはいけませんわね!」

 いうがはやいや、シャーリィはそそくさとキッチンへむかって駆けていく。

「いちおう成分分析にかけて、安全をたしかめてから味見するんだよ、姉さん」

 エリザベスはあわてて背後から声をかけたが、きこえたかどうかわからない。

「ヴォウ、ヴゥ、ヴゥゥルボォ──ヴオ」

「娘を助けてありがとうございます、だって」

「よ、よく言葉、ききとれるわね、ボブ」

 ケイトが感心する。

「ヴォボーヴヴォォォヴゥ」

「では、これで失礼させてもらいます、だってさ」

「あ、そう」

<蜜あつめ>の身体が、いきなり膨らんでいく。

 その様子はさながらアドバルーン、いや、飛行船といった感じだったが──

「なんか、シュール」

「……ああ」

 ケイトもエリザベスもぽかんとマヌケ面を晒して、お母さん<蜜あつめ>が膨張していく様を見つめていた。

 そして、お母さん<蜜あつめ>は、縦幅八メートルくらいまで膨らんだところで、その巨体がふわりと宙に浮かびあがり……

 ……森の方角へむかって、ゆらゆらと飛び去っていった。

「ベス姉……」

 エリザベスのかたわらで、遠ざかっていく<蜜あつめ>を呆然と見送るケイトが、ぼそっとつぶやいた。

「いま、風、北から南にむかって吹いているよね?」

「ん? そういや、そうだな」

「なのにどうしてあの風船オバケ、北へむかって飛んでいけるの?」

「さあ」

 ふたりは、狸に化かされたか狐につままれたような表情で船内にもどった。


<蜜あつめ>がもってきてくれた蜜は、シャーリィには最高の贈り物になったらしい。

 夕食の卓を囲んでいるとき、ネルソン姉妹の長姉は天に昇ったような表情でそのことばかりを嬉々として話題にしたがった。

「極上品の蜜糖ですわ、これは! まろやかでしつこくなくて、甘みもほどほどで。香りもよくって。惑星プニャリンの蜜糖羽蟻蜂の蜜巣窟から採取される銀河最高峰の呼び名も誉れなクリプキ・ハニーに匹敵する味わい……素朴さの裡に秘められたしたたかな存在感……ああ、これでまたひとつ、お料理をする楽しみが増えてくれましたわ」

「ま、まあ、気にいったんならいいけど。で、成分分析はちゃんとしたんだろうね、姉さん? 味がよくても、じつは毒だった、なんてのは御免だよ」

 ペンペン芋の煮っころがしにフォークを突き刺し、エリザベスが尋ねた。

 体質的に毒が効かないのはまちがいないが、毒無効の能力スキルが常時発動しているわけではない。通時時において毒を煽っても致命になることはないが、ふつうに気分が悪くなった痺れたりはする。なので、あえて毒入りの食べ物を口にするのは──ケイトの弁ではないが──エリザベスも願いさげだった。

「ええ、オールグリーンでしたわ。毒物反応いっさいなし」

「なら、いいけど」

「それより、なんであんたがそこにいるのか知りたいんだけど、ボブ?」

 テーブルの上に鎮座し、ジンバル鰯の塩焼きを骨ごとばりばり食べているボブを見すえ、呆れ声でケイトが訊いた。

「もぐもぐ、ごっくん。だって、しょうがないじゃないか!」

 口のなかのモノをちゃんと呑みこんでから、ボブはいった。

「あの<蜜あつめ>の母ちゃ、おいらを置き去りにして帰っちまったんだもの」

「よくいうわね。ホントは、はじめから今夜も泊まっていくつもりだったんでしょうが?」

「んなことないやい。そりゃ、いちおうは父ちゃに許可をもらってきたけどさ」

「いちおう? ふん、素直にそのつもりだったと認めなさいよ」

「喧嘩するほど仲がいいってね」

 ケイトの耳元に、エリザベスがボソッと。

「ちょ、ちょっと、ベス姉。だれがだれと仲がいいって! わたしはね、こんな毛だらけのケダモノと同席することすら、我慢できないんだからっ」

「だったら、しなけりゃいいだろ? おまえだけ、自分の部屋にもどって、飯、食えばいいじゃん」

「どうして、わたしが譲歩しなくちゃいけないのよ?」

「やれやれ」

 エリザベスは溜息をついた。

「ボブ、おまえはケイトがここにいても、ぜんぜん問題ないよな?」

「うん。おいらはかんだい(・・・・)だから。ちょっとくらいけいと(・・・)が騒がしくても、ぜんぜんがまんできるよ」

「ほら。ケイト、なにか反論」

「ぐぬぬ。ケダモノのクセに上から目線っ」

 ケイトのこめかみがピクピク震える。

「くすくす。気にしないでね、ボブちゃん」

 シャーリィがボブにむかって愉悦する。

「ケイトは、ああいう性格だから。もうお友達ですもの、ボブちゃんはいつでも来たいときにここに遊びにきて、好きなときに帰ればいいんですのよ」

「ホント?」

「ええ、大歓迎しますわ」

「へへん、ケイト。シャーリィはこういったぞ。文句はないだろ?」

 ケイトにむかって、ボブは真っ赤な舌をだして勝ち誇る。

「くぅ、この、毛だらけの畜生の分際で……」

 ケイトは顔を真っ赤にさせ、肩をいからせた。

 いくらぬいぐるみみたいに愛らしい姿をしているからといって、ふたりの姉がボブの肩ばかりもつのがケイトには面白くない。面白くないったら、面白くない。

「シャーリィ姉の料理が目当てのくせに──」

「おいおい、ケイト、大人げないぞぉー」

「どうせわたしは子供だもん! ごちそうさま!」

 そうして、一匹の<毛むくじゃら>の子供を交えて和やかな雰囲気(?)のなかで時間が過ぎていき──


 ──いよいよ、問題の夜が到来した。


 夜。

 真夜中の刻限。

《B・ネルソン》号内は完全に寝静まっていた。

 三人の姉妹はそれぞれの部屋のそれぞれのベッドで。

 ボブはシャーリィのベッドでシャーリィに抱かれて。

 彼女たちがどれほど熟睡していても、けれど《B・ネルソン》号の船内に網の目のように張り巡らされた各種警報装置は休むことなく活動をつづけている。

 午前三時弱──

 異常はまず、船の外から現れた。

 その時点でその異常が発見されていれば、その後の不幸はおこりえなかったかもしれない。だが残念なことに、その夜《B・ネルソン》号で作動していた警報装置のセンサーの指向範囲は、船内にのみ限定されていた。

 当然、《B・ネルソン》号には船外を照らす警報装置とセンサーも装備されてはいるのだが、この夜はたまたま間が悪く、ケイトが《B・ネルソン》号を修理したときからずっと切られたままになっていた。単にケイトがスイッチをいれ忘れていただけのことであったが、そのことが不幸を招いた。

 だからといってケイトに責任を押しつけるのは酷というものだろう。船内外の警報装置とセンサーの動作確認は、シャーリィやエリザベスでも容易にできるシステムになっていたのだから。

 つまるところ、難攻不落の《B・ネルソン》号の脅威となるような外敵などまず存在しない──という、いささか傲慢ではあるが三姉妹にとっては常識レベルの思いこみが招いた油断であり、確認を怠ったのは三人全員の失態だった。

 そして、《B・ネルソン》号の第三甲板にある船首側玄関ハッチ付近に設けられた警報センサーが異常を感知したとき、すべてがはじまったのである。

 警報装置は、たちまちのうちに船内中の非常ベルを全力で作動させた。

 ジリリリリッ──! と、脳髄に直接響いてくるような、けたたましくも激しい嫌な音が、船内に鳴り響く。

 その音に、三人と一匹はほぼ同時に飛びおきた。


 真っ先に行動したのは、当然のことながらエリザベスである。

 状況を把握する前に、とにもかくにも身体が動く彼女ならではの危機対処能力の賜物だ。

 彼女は、部屋を飛びだすと、そのまま真っすぐ第二甲板から第一甲板の中央管制制御室せんちょうしつへと駆け走った。

 そして、電飾が灯る暗い管制制御室のコンソールの前に立ち、キーを叩いてセンサーがなにを感知したのか正体をモニターに映しだし、呆然となった。


 つぎに行動したのはケイト。

 警報ベルがけたたましく鳴り響いたとき、けれども彼女はあまりあわてなかった。

《B・ネルソン》号の修理をしたとき、どこかの配線をまちがえて、警報装置が誤作動してしまったのかも──と、考えたからである。

 これまでも、彼女はそういうミスを犯したことが度々あった。

 眠い目をごしごしこすり、どうして非常ベルの音響をこんな不粋でうるさい音に設定しちゃったんだろう……と、すこしばかり後悔しながら、彼女はメリーさん壱號&弐號を引き連れ、とぼとぼ歩いて管制制御室へむかった。

 そして、先にきていたエリザベスから異常の正体を知らされ、蒼然となった。


 シャーリィは、いたってふだんの生活通りのペースで行動した。

 突然の警報に驚くこともあわてることもせず、不安になることもなく、非常ベルの音をうるさいと感じることすらなかった。

 彼女はまず、なにがおきたのかとパニくり狼狽うろたえまくるボブににこりと微笑し、優しく言葉をかけて落ち着きを取りもどさせた。

 それからネグリジェを脱いで普段着──オリーブ・グリーンの優美なワンピースドレス──に着がえ、ボブを抱いて部屋をでた。

 そして、管制制御室にはいり、エリザベスに尋ねた。

「いったい、どうしましたの?」

 モニターを凝視したまま、エリザベスは答えた。

「まいった。なんでこんなことになっちまったんだか」

 エリザベスは制御卓コンソールに両手をついて、正面のモニターを唖然と凝視していた。

 モニターには、第三甲板にある船首側玄関ハッチから、船内奥へとつづく主通路に押し寄せる異様な光景が映しだされていた。

「あらあら、どこかでお見かけした方々が、ずいぶん大勢いらっしゃますわねえ」

 モニターに映る異常事態を目にしても、シャーリィの声はいくらか驚きのニュアンスをふくみつつ落ち着いていた。

「そ、そんな呑気にいわないでよ、シャーリィ姉。ど、どういう事態になってるか、わからないの?」

 ケイトが、震える声で叫んだ。

 震えているのは声だけではない。全身がぶるぶると震えている。そのうえ、顔は真っ青。視線は、必死にモニターから反らそうとしているが報われず、釘づけになったまま。

「ど、どど、どどど、どどどどどっっっ──<胴長っっっ>!」

 つぶらな眼を剥き、シャーリィの胸のなかでボブが絶叫した。

 ケイトがエリザベスにむかって、

「これ、どうするつもりなの、ベス姉?」

 エリザベスは腕を組んで考えこんだ。

「んー、そういや今日の夕方、<蜜あつめ>のお母さんが帰っていったあと、ハッチの扉、閉め忘れたままだったっけ」

 銀河文明圏から遠く離れた辺境惑星、近隣に泥棒がうろついているわけでもなく、戸締まりにそんな神経質になる必然もない。閉めるのが面倒で開けっ放しにしておいたところで、なんの問題もないはずだった。

「そんな冷静になってる場合、ベス姉!」

「ま、なんとかして追い払うしかないわな……うあ、めんどくさっ」

 モニターを見すえたまま、エリザベスはうんざり気味に吐息した。

 モニターに映っていたのは、何十……否、何百匹いるかわからないほどの<胴長>の大群だった。

 数えきれないほどの<胴長>が、開けっぱなしになっていたハッチから船内に侵入してきていたのである。

 大きいのやら小さいのやらが、うじゃうじゃ、うじゃうじゃ。

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