レイシア
私の名前はレイシア。
種族はエルフで年は五十八歳。
エルフは人間とは違うから、おばさんなんかじゃないわ。むしろまだまだ子供だって言われているくらいだ。エルフは人間よりも寿命が長いせいか精神の発達が遅いっていわれている。
上手く感情が制御できずに怒りっぽかったり、泣きやすかったりと言われているけど私は違う。私はもう十分大人。精神も十分に発達しているし、魔法だって得意だ。そこらへんのエルフの大人なんかよりも魔力も多くてよっぽど優秀。
エルフでは七十歳で成人って認められるけど、そんなのは勝手に大人が決めただけのこと。
あんな森に籠って生活していたら、歳月の流れがゆっくりに感じているに違いない。
特に私のお婆ちゃんなんて、レイシアはまだ子供じゃ、まだ子供じゃ、ばっかり言うのだから。
魔法の扱いは本当に敵わないから尊敬しているけれど、それとこれとは別。
あんな退屈な場所で過ごすくらいなら、死んだ方がまし!
だから私はつまらないプライドなんて捨てて旅に出た。
外では、森とは違う事ばかりで戸惑いもしたけれど慣れてしまえば気にならない。
むしろ刺激的な毎日を過ごせて楽しいくらいだ。
冒険者になって信頼できる仲間や、可愛い後輩もできたし。これは森の中では絶対に経験できない事だ。
あそこにいたら、やれ森の神様が。やれ森のしきたりが。もううんざりだったのだ。確かに私もエルフだから自然や森は好きだけど、どうにも縛られる感じが好きになれない。
本来ならば、エルフはプライドが高く他種族との接触を嫌う種族なのだが、私みたいな変わり者のエルフはよくいる。
今、拠点にしている町にだってエルフは何人もいるし。私は私だ。
そうやって冒険者になり順調に依頼をこなしてはダンジョンに潜っていたのだけど、ある日面倒を見てあげている後輩の冒険者達が初心者向けのダンジョンから逃げ帰ってきた。
全く情けない。面倒を見て上げている私達まで馬鹿にされるじゃないか。
つまらない事かもしれないけど、冒険者においてこういう事は大事だ。
依頼やいざとなった時には、知らない相手とも組む事になるのだから、その時に相手になめられたり信用されないようでは困る。
汗だくで、あちこちボロボロになっているジーク達を冒険者ギルドと隣接している酒場の席に座らせて、ハンスと話を聞いてあげた。
苔のダンジョンの、しかも一階層で逃げ帰ってきたと聞いた時、私は呆れた。でも話を聞いていくうちに違和感を覚えた。
たしかあのダンジョンは苔に覆われているのが特徴で、スライムばかりが発生するダンジョン。ギルドの情報でもそうなっているので間違いない。
だけど、ジーク達の話を聞く限りでは苔なんて全く無く、スライムが出てくる事もなく武器を持ったゴブリンが出てきたと言うのだ。
最初は初心者ダンジョンから逃げ帰ってきたのが恥ずかしくて、嘘をついたんだと思っていた。だって一階層から鉄の装備で固めて連携してくるゴブリンなんて、あそこにいるはずがないもの。そんなのA級ダンジョンみたいだ。
そう思って笑いとばした私とハンスだけれども、ジーク達は次の日も真剣な顔つきでそう説明していた。
そこまでされるとさすがに嘘では無いと思い、様子を見てこようと思った。苔のダンジョンはこの町から半日ほどの距離だし。
町を抜けて苔のダンジョンがある森に行くと少し違和感を覚えた。
私はエルフ。種族特有の感覚のおかげで一目見るだけで、その森がどういう状態かわかる。まだ微弱だけども辺りには気味の悪い魔力が漂っていたのだ。
それも、このままこの魔力が流れていると森の生態系に変化をもたらすほどの。しかもその魔力はダンジョンへと向かうにつれて濃くなっている。
私はこの気味の悪い魔力に嫌悪感を覚えながら、心してダンジョンに向かった。
ダンジョンの入口に着くと、見た目はいつもの苔のダンジョンと変わらない石造りの建物があった。
何か変わったところがないか、観察したけど特に変化は無い。ただ、ここから魔力が漏れているのは確かだけれども。
私とハンスは門を開き、階段をいつも通りに下りると一階層にたどり着いた。
魔力に敏感な私だからわかる、黒く濃厚な魔力が階層内に充満していた。
「……ジーク達が言っていた通りに様子が違うね」
ハンスも雰囲気から察したのか、そう口に出す。
ハンスは普段は抜けているところもあるけれど、真剣な時は頼りになるし勘も優れている。私の相棒なんだからこれくらいは察知できないと困るけど。
「……ええ。ダンジョン内に漂う魔力が凄く濃いわ。今までとは全く別物よ」
「苔のダンジョンなのに苔が一つもないね。雰囲気といいダンジョンマスターでも変わったのかな?」
それは私も思っていた事だ。苔のダンジョンと呼ばれるほどに苔で覆われているはずなのに全くないもの。漂う魔力といい、ここまでの露骨な変化は新たなダンジョンマスターが住み着いたに違いない。全くどこのどいつがこんな所に来たのか。
「恐らくそうね。この魔力からして相当ねじ曲がった心の持ち主に違いないわ」
な、何かしら。今、一瞬悪寒を感じたわ。気温が低いのかしら?
「とにかく、慎重に進んで少しでもここの情報を持ち帰ろう」
新たな情報をギルドへと報告する事は、私達冒険者の義務だ。何せ私達全員の命にも関わることなのだから、しっかりと情報を持ち帰らなければいけない。
ここのダンジョンが変わったのは間違いない。それを報告するだけでも冒険者の無駄な被害は格段に減り、いずれはギルドの調査員が調べてくれる。
そうなれば、私達にも報酬がたくさん支払われるので有力な情報を持ち帰らないと。
「そうね。行きましょ」
私達は頷き合い、慎重に進んでいくのであった。
ちょっとちょっと! どうして一階層からゴブリンがこんなに強い訳? 剣や盾は全部鉄製だし、弓まで持っているわ! ドレッドの言う通りだった。
何より生意気なのが、統率者のゴブリンキングがいるわけでも無いのに、連携をして襲いかかってきたこと。
……一体どうなっているのかしら。
進めば進むほどに敵も手ごわくなってきたわ。いや、ダンジョンにおいてそれは当たり前のことなのだけれど、まだ一階層なのよ? それなのにゴブリンの奇襲は上手いわ、スカイサーペントは出てくるわで、ジーク達が太刀打ちできる訳が無いと悟った。
気配の殺し方といい、武器の扱いといい新人の冒険者よりもよっぽど実力が上なのだから堪らない。
私に魔法が無かったとすると、かなり厳しい戦いだった。最近は調子が良く、レベルが上がってきたせいで少し慢心していたかもしれない。もっと強くならなきゃ。
それにしてもスカイサーペントはともかく、一体どうしたらゴブリンがこんな風になるのか。
魔物を倒して、そのまま道なりに歩くとハンスが何かに気付いた。
「んん? これは看板かな?」
訝し気な視線をしながら、ハンスが看板に近付く。
木製の看板に黒い塗料で描かれた文字。
石で囲まれたダンジョンには似合わないけど、疑う余地もない看板だ。
「ダンジョンに看板? 誰がそんな物置くのよ」
明らかに設置されたであろう木製の看板がうさん臭くてたまらない。
「でもここに書いてある。この先右に進めって」
「こんなのあからさまに罠でしょ?」
こんな子供騙しの罠、誰が引っかかるのだ。
私は溜息をつきながらも、看板の示す逆方向の左側へと進む。
けれど、私が一歩足を踏み出した瞬間に足元の石がズズズと沈んだ。
「きゃあっ! わ、罠? ……全然気づかなかったわ」
瞬時に後ろへと下がると、私の立っていた場所付近に大きな穴が空いた。
お、落とし穴のトラップだ。本来なら地面の石が明らかに不自然に並んでいたりするのだけれど、全くそんな違和感はなかった。
罠解除や気配を殺すことに秀でている、盗賊の人でも気付くのは難しいのではないだろうか。
……それにしてもこの落とし穴結構深いな。
「やっぱり、そっちは間違った道なんじゃない? いきなり罠があるし」
落とし穴を見て、ハンスが右に行くように提案してくる。
まあ、確かに反対側に向かったらいきなり罠があるのだ。間違っているのかもしれない。
「うー、そうかもしれないわね。ここはその看板に従って移動してみようかしら」
「それにしても巧妙な罠だったわ。全然不自然な点はなかったのに」
私とハンスはまた落とし穴の罠が無いかと、下を見ながら慎重に看板の指し示す右側の通路へと歩き出した。
看板に従ってからは罠もほとんどなく、一度も魔物と出会う事が無かったわ。やっぱりこっちで正解だったのだろう。
そう喜んだのもつかの間。私達を出迎えたのはただの壁と、ふざけた文字だった。
『ダンジョンに看板なんてあるわけねーだろ。おめでたい頭してるなー』
「「…………」」
ハンスは呆然とし、私は怒りのあまりに声を出すことが出来なかった。
こんなにも激しい怒りを覚えたのはいつ以来かしら? 誰がおめでたい頭ですって?
こんな頭の悪そうな文字をかく輩に踊らされたと思うと、とても腹が立つ。
「きいいいいっ! 何よ! この文字は!」
私はとにかくこの憎らしい文字を叩かずにはいられず、怒りをぶつけるようにして殴りつけてやった。
すると殴りつけた石の一つがズルりと奥へと下がり、部屋から何かの作動音が鳴る。
「……えっ?」
……今の音は何だろうか?
「まずい今の音は!」
ハンスが切羽詰まった声を上げた瞬間に唯一の出口が閉まり、部屋から魔物が湧き出してきた。
「魔物部屋っ!?」
光が次々と集まり、出てきたのは大量のゴブリン。
それも、ハイゴブリンを混ぜた十五体の。
こんな狭い部屋の中で魔物部屋なんて! ジーク達なら確実に死んでいる。
「数が多い!」
ハンスが騎士スキル、リベリングを使って敵の注目を集めてくれる。
私が範囲魔法で焼き払ってあげたいけど、このままじゃハンスにも当たってしまうので使えない。
「狭くて魔法が使えないわ!」
とにかく範囲魔法が使えない事を伝えて、私も囲まれながらもゴブリンを一体一体相手していく。
けれど、前衛のハンスが多くのゴブリンに攻められて苦しそうだ。
致命傷になる攻撃を盾でガードし、カウンターで切り捨てているけれど敵の数が多くて次々と鎧に傷がついていく。
「ハンス大丈夫!?」
「こっちは何とか。スキルもあるし俺が引きつけるから頼む!」
「わかったわ!」
ハンスのスキルのお陰で、多くのゴブリンがハンスの方へと引き寄せられる。
その間に私は、奥のゴブリンに向けて小さな風魔法を放ち、敵が怯んだところで私も短刀を構えてとびかかった。
すると部屋を埋め尽くさんばかりのゴブリンが数を減らし、じょじょに私達が優勢となっていった。
全てのゴブリンがいなくなった部屋では、息せき切って座り込んだ私達だけが残った。
まさか一階層でこんなにも危ない目にあうとは思いもしなかった。こんなにもギリギリな戦いをしたのは久し振りだ。
「絶対……ここのダンジョンマスターは性格が悪いわね」
これだけは言えるわ。こんないやらしい罠をしかけるなんて頭おかしいんじゃないだろうか。
「それは同意するよ。文字を使った仕掛けといい多分魔物じゃないよ」
魔物が文字を使った罠なんて作るはずがない。
「魔物の方がもっと優しい性格しているわよ。こんな陰湿な罠をしかけるなんてよっぽど心がひねくれているのよ。魔力と同じね。――大体」
「うわあ! また魔物が沸いてきたよ!」
「嘘っ! 魔物は一度倒したら当分は同じ場所に出現しないはずでしょ!?」
意味が分からないわ! これは常識でしょ!? 私達は開いた出口から慌てて逃げ出す。
これ以上こんな狭い場所で戦ったら、命がいくつあっても足りない!
「レイシアがダンジョンマスターの悪口を言うからだよ!」
「そんな事あるの!? どれだけ小さい奴なのよ!」
「うわああああっ! オーガだあああっ! レイシアのせいだよ! 謝って!」
オーガなんて一階層で出る魔物じゃないでしょう!? 意味がわからないわここのダンジョン!
「嫌よ! 私は悪くないわよおお!」
この日私達は大量のオーガに追われながら、ダンジョンから逃げ出したのであった。
それから町に帰って冒険者ギルドでこの話をすると、私達は皆の笑いものにされた。
苔のダンジョンの一階層で逃げ帰って来たって。
本当に頭にくる奴等だ。せっかく私達が新しい情報を教えてあげたのに。ギルドの職員も半信半疑だったのが気に食わない。
何人かのパーティーが「俺達がサクッとクリアしてやるぜ!」って息巻いていたけど返り討ちにあっちゃえばいいのよ。
でもやっぱり一番ムカついたのは、あのダンジョンのマスターだ。
絶対に全部の階層を踏破して、その面に一発いれてやるんだから覚悟なさい!