負のエネルギーの還元
負のエネルギーの転送を終えた俺は、やることが無くなったので久し振りに料理を作っていた。
とはいっても料理ができない俺は複雑な料理ができるはずもなく、焼いたら完成、混ぜたら、煮たら完成というような簡単なものばかり。それでも現代日本の技術は優秀なので侮れないものだ。
料理素人の俺でもパッケージの裏に描かれた手順でやれば完成してしまった。
本当に焼くだけで唐揚げができてしまうとは……。
『ウォッフ』
『ぶにゃー』
皿に盛りつけられた唐揚げを見て戦慄していると、香ばしい匂いにやられたのかイビルウルフとべこ太がよこせとばかりにズボンを引っ張ってきた。
俺が料理をしている時は知らんぷりだったのに、完成した途端にすり寄ってきやがって。
随分と人間臭い魔物に呆れながらも、俺はイビルウルフの口元に唐揚げを一つ持っていく。
『ぶにゃー……ぶにゃっ!?』
すると、隣にいるべこ太が割り込んで食べようとしていたので、左手で頭を掴んで押さえつける。
「ちょっとくらい待て」
俺がそう言うと、べこ太は実に不満そうな顔をしながら引き下がった。
まったく、猫の癖にイビルウルフよりも食い意地が張っているとは。
イビルウルフは唐揚げの匂いを楽しんでいるのか、ご機嫌そうにフスフスと鼻を鳴らす。
それから俺の手の平にある唐揚げをゆっくりと牙で挟んで口の中へと入れた。
イビルウルフの強靭な牙は、あっという間に唐揚げという柔肉を噛み砕いて飲み込んだ。
『ウォッフ!』
すると、イビルウルフは美味しかったのか尻尾をブンブンと振りながら吠えた。
見た目の凶暴さはなりを潜めて普通の犬みたいだ。ちょっと可愛いので撫でてやる。
『ぶにゃー』
すると、じっと待っていたべこ太が不機嫌そうな声音で不細工な鳴き声を漏らす。
「はいはい、わかってるよ。ほら、柿ピー」
俺がやれやれとため息を吐きながら、いつも通り柿ピーを渡すとべこ太が違うとばかりに柿ピーを弾いた。
『ぶにゃっ!』
あっ! こいつ食べ物を粗末にしたな! と怒りたいところだが、餓死寸前の冒険者の目の前で食料を潰したりと自分も結構な行いをしているので何も言えなかった。
あんまり焦らしてやると食い意地を張っているこいつは何をやらかすかわからないので、俺は大人しく唐揚げを一つ差し出す。
『ノフォフォフォフォ! では、おひとつ頂きます』
すると、先程までべこ太だったものが急激に姿を変えて、中年神官へと変身した。
「うわああっ! 気持ち悪っ!」
四つん這いになりながら唐揚げを頬張る中年神官の姿が気持ち悪くて、俺は思わずガチな悲鳴を上げてしまう。
だって、あれだぞ? 俺ってば四つん這いの体勢になっている中年神官にあーんをしたんだぞ? 気持ち悪いなんてもんじゃない。
しかも、ちょっと俺の指に唇が当たったし! リアルな唇の感触と湿った唾液も合わさって完全にホラーだ。
「ノフォフォフォフォ! マスター本気の悲鳴ですね! いいですね、マスターのその声と表情を見たかったのです! あっ……これが人間の食べるものなのですね。結構美味しいです」
中年神官に変身したボックルが唐揚げを食べながらそんな事を言う。
にんまりとした笑みを浮かべながら見上げるな。
未だに四つん這いで見上げてくるのもボックルの計算の内だということがわかるので、なおのこと腹立たしくなる。
「なんてことをしやがるんだ! あーんとか中年のおっさんにやっても何も楽しくねえぞ……」
最初は怒鳴りつけてやるつもりだったが、思い出すと自分でも悲しくなってきて言葉が尻すぼみになる。
『でしたら、私が聖騎士にでも変身してあーんしてもらったり、マスターにあーんでもしたりしましょうか?』
「えっ」
えっ、ちょっと何それ嬉しい。先程まで残念な醜態を晒していた聖騎士だが、見てくれだけは超がつく一級品なのだ。女騎士といった金髪碧眼の美しい女性にあーんされて嬉しくないはずがない!
……だけど、だけど!
「だけど、中身がボックルなんだ!」
『そうですね。どれだけ姿を変えようと中身は私です』
くっ、美女にあーんしてもらいたいが、それをボックルに変身してもらって頼むと無性に負けた気分になるんだ。こんな輩にやってもらうことだけは何としても避けたい。
でも、やっぱり美少女にあーんしてもらいたい。
一体俺はどうすればいいのか!
「……悪魔だ! 目の前に悪魔の契約を持ちかける悪魔がいる……」
『ノフォフォフォ! 私は悪魔族ですから! マスターはこうやってからかうと面白い反応をしてくれますね!』
甲高い声を上げながらボックルはすたこらと水晶の方に戻っていく。
その軽い足取りが、どうせお前は頼まないだろうと言っているかのようだ。本当にあいつは何をしたいのいかわからない。
ボックルのせいで俺の心がやさぐれてしまったので、イビルウルフに唐揚げを食べさせてやることで気持ちを紛らわす。
『ウォフ~』
すると、イビルウルフはまたも嬉しそうに唐揚げを食べるので、俺は少しごわついたイビルウルフの毛皮を撫でてやる。
あー、癒される。アニマルセラピーってやつかな? やさぐれていた心が穏やかになっていく気がする。
夢中になってイビルウルフに撫でていると、ふいに水晶の方から光が差し込んできた。
『ぶにゃー?』
『おや、光が?』
ソファーに寝転がる本物のべこ太と中年神官の姿をしたボックルが怪訝そうな声を上げる。
「何だ? お前達勝手に水晶でもいじったのか?」
『違います。水晶は私達ではいじれませんから』
ということは、勝手にいじろうとしていたってことだな。
まあ、それは一先ず置いておくとして謎の光の正体だ。水晶が光る要因としたら負のエネルギーが満タンになった時だが、それはさっき起こったばかり。ゲージが満タンになるはずもない。光る意味がわからないぞ。
首を傾げながら立ち上がって水晶の方へと戻ると、光っているのはどうやら水晶じゃなかった。
俺がいつも座っている椅子の肘置き、正確にはそこに掛けてある聖騎士のパンツだ。
聖騎士の可愛らしいパンツが黒い光を帯びている。
「な、何だ? 水晶じゃなくて聖騎士のパンツが光っているぞ?」
『アレクシアの加護か何かでしょうか? いえ、この力の波動は邪悪なものですし違いますね……』
俺が怪訝な声を上げる中、ボックルが冷静に分析する。
とすると、やはりこのパンツが光っているのは邪神達の仕業か。そうとしか思えない。
俺がそのような確信を抱いていると、聖騎士のパンツはふわりと持ち上がり光に包まれて消えてしまった。
まるで転移陣で消えていくような。そんな消え方だった。
『……マスターが使うはずだったパンツが消えましたね』
「そうだけどその言い方は止めような? それじゃ、俺がいかがわしいことに使おうとしていたみたいだろ?」
『では、変なことに使おうと……』
「一階層に奉ろうとしていたって言おうな!」
もうこいつを相手していると面倒臭い。
それにしても何だよ。聖騎士のパンツは俺がダンジョンの一階層で奉ってやろうと思っていたのに。
聖騎士がここにやってくる度に、屈辱に塗れた顔をしてくれるのを楽しみにしていたんだぞ?
それを横取りするだなんて邪神たちも惨いことをする。まるで部下の手柄をかすめ取っていく上司のようだ。
最大の楽しみを横取りされた俺は、不貞腐れるように椅子へと座り込む。ボックルにいじられるし、パンツは邪神に盗まれるし、べこ太がキッチンの唐揚げを勝手に貪るわで散々だ。
ため息を吐きながら、いつものように水晶をいじっていると負のエネルギーを吸収するゲージが増えていることに気が付く。
泊まり込みで潜る冒険者は少ないはずなのだが、一体どこから膨大なエネルギーが溢れているのか。
それだけ負のエネルギーを吐き出しているのであれば、さぞかし面白い光景が見られるだろう。野次馬上等の心持ちで水晶を覗くと、膨大な負のエネルギーが溢れているのは一階層の大広間だった。
……嫌な予感がする。
「ゼルド様が光った!」
「ご神体の光に吞み込まれたぞ!」
「きっとリンスフェルト様の試練だ! ゼルド様ならやれる!」
「「「ゼルド! ゼルド! ゼルド! ゼルド!」」」
大広間の様子を水晶で確認すると、光に包まれた中年神官がうずくまり、信者達がそれを取り囲んで応援の声を上げているという意味のわからない状態であった。
「な、なんだこれ?」
何だか中年神官の苦しむ様子は、俺が邪神に加護を強化された時のような雰囲気がするな。何か黒い波動とか混ざっているし。
蹲る中年神官と応援している信者を観察していると、苦悶の表情を浮かべていた中年神官がとても晴れやかな顔をする。
「今はパンツを被りたいです!」
こいつ、曇りのない眼で何て事を言うんだ。
俺が中年神官の恐ろしさに慄いていると、水晶を通して美しい声がする。
『よくぞ言いました! ゼルド、貴方に私の加護を授けます!』
美しいはずなのだが、その声は妙に聞きなれていて酷く禍々しいものに思えた。どうしてだろう? というか誰がどこからこの声を飛ばしているんだ。
俺が疑問を抱いている間にも謎の儀式は進んでいく。
中年神官が跪いて手を差し伸ばすと、そこに一枚のパンツが現れた。
「あ、あれは! 俺が聖騎士から奪い取ったピンク色のパンツ!」
俺は思わず身を乗り出して叫ぶ。そんなバカな! 一体どうしてそこに!
俺が驚愕の表情を浮かべている間に、中年神官は恍惚の表情でそれを手に収める。
そして中年神官は聖騎士のパンツをねちっこい手つきで捏ねまわし、そして、おのれの顔に押し当てて堪能し始めたではないか!
持ち主である俺でもあんな風に触ったことはないのに……っ! なんて羨ま――いや、けしからんやつだ!
しかし、信じられないことに中年神官の邪な行動はさらに続く。
聖騎士のパンツを堪能しまくった中年神官は、何と堪能したパンツを頭に被り始めたのだ。
そう、まるでそこに被るのが当たり前だと言わんばかりに。
「へ、変態だ。度し難い変態がいる!」
畏れか。嫉妬か。自分でもよくわからないが、俺の声を震えており目が離せないでいた。どうして彼はあのような事をして平気でいられるのだろうか?
「リンスフェルト様はおっしゃった。やりたければやればいいのだと」
「――っ!?」
その言葉は不思議と胸にスッと入り、まるでそれが常識であるかのように思えたが、何とかそれは詭弁だと思い直すことができた。
『黒魔法である精神操作を使うとは中々の逸材ですね』
「ああ、何か危うく納得しかけたぞ」
『魔王が精神操作に引っ掛かりそうになってどうするんですか。そろそろレベルを上げたらどうです?』
「わ、わかってるって」
あのような変な宗教団体に巻き込まれては堪らない。教会から勇者も派遣されるかもしれないし、ダンジョンだけでなく俺の強化もしなくては。
それから中年神官は、妙な防御能力を発揮すると意気揚々と信者達に語りかける。
「神の啓示を聞いたものは私と共に旅に出ましょう! この世にリンスフェルト教を、自由の素晴らしさを教えるのです!」
「「すべてはリンスフェルト様とおのれの欲望のために……っ!」」
信者達がそのような唱和をすると、中年神官を中心に信者達が騒がしく動き始める。
『マスター、とりあえずゼルドという男のステータスを確認しては?』
「ああ、そうだな」
奴がこの先何をするのかわからないのだ。能力の把握くらいはしておきたい。
水晶をタッチしてゼルドという中年神官のステータスを確認する。
名前 ゼルド
種族 人間
性別 男性
年齢 三十五
職業 邪神官
レベル 十五
称号 リンスフェルト教信者 堕ちた神官 自由の神リンスフェルトの加護(偽装 邪神の加護 小) パンツを愛する男 (邪)神器を賜りし者
やっぱり邪神の仕業だった。
邪神の力の還元が早いな。また世の中が騒がしくなるんだろうな。
俺は邪神官ゼルドのステータスを見て、ため息を吐くのであった。
次くらいをエピローグにします。
これにて大体2章は終わりです。




