聖騎士へこたれる
「……っ! また行きどまりか」
未だに三階層を彷徨う聖騎士が呻くように声を上げる。
「ワインドウルフの大群から逃げながらであるが追い返すことはできた。しかし、肝心の私を愚弄したリーダーを見失ってしまったではないか」
歯がみしながら歩を進める聖騎士。
聖騎士をおちょくったワインドウルフは転移陣にて回収してある。今では俺のいる部屋でベこ太と仲良く並んでステーキを食べているのだ。
もはや三階層をくまなく探しても見つからない。決して見つかることのない者を探している様は滑稽である。そんなに魔物の気配を探ってもね、いないんですよ。
「ええい! さっきのワインドウルフはともかく、次の階層へと至る階段が見つからんぞ! ここのダンジョンは少なくとも十階層以上はあると聞いているぞ! 一体どうなっているのだ? ……もしかして、何か仕掛けでもあるのか?」
などとぶつくさ呟きながら、ひたすら歩を進める聖騎士。
一人でダンジョンに潜っているせいなのか、独り言が多いタイプなのか、それだけ疑問に直面しているせいなのか、やけに独り言が多い聖騎士である。
まあ、ペラペラと心のうちを話してくれるので嫌がらせをするのは大変楽である。
ディルクなんかは常に仏頂面をしているからな。
しかし、あれはあれで読みにくいが、罠に嵌めた時の驚いた顔は強烈で愉快なものである。
俺のダンジョンでは、お客様の一人一人のニーズにお応えできる罠を提供しております。
聖騎士が三階層を歩き回ること一時間。
たった今、デュランが塞いでいる壁ゴーレムの前を通り過ぎました。
『うひひひひ』
「……む? 誰だ?」
デュランの押し殺すような笑い声を耳にした、聖騎士が足を止める。
『…………』
壁ゴーレムの隙間を閉じさせて、声と気配を押し殺すデュラン。
わかるよその気持ち。迷子の子供のように彷徨っている聖騎士を見れば笑いたくもなるわな。しかし、ここは堪えて欲しいところである。
「確かにこの辺りから声が聞こえたはずなのだが」
キョロキョロと辺りを見渡し、首を傾げる聖騎士。
それから視界の範囲内に誰もいない事を確かめると、聖騎士は壁に耳を傾けだした。
幸いにも、それは四階層への道を塞いでいる壁ゴーレムではなかったのだが、拳で小突けば音でバレてしまうだろう。
ここであっさりとバレてしまっては面白くない。なので、ここは意識を別の所に向かせてもらおう。
俺は三階層にいるワインドウルフに簡単な指示を送る。
『ウオオオオオオオン』
俺の指示を理解したワインドウルフの遠吠えが、三階層内に響く。
「む! ワインドウルフか! もしかしたら、さっきのリーダーかもしれん。追いかけてみるか」
遠吠えを聞いた聖騎士が、壁から身を離し表情を引き締める。
そして、ワインドウルフの遠吠えのする方向へと駆け出した。
どうやら、謎の声よりも私怨の方が勝ってしまったらしい。隣の壁を叩けば壁ゴーレムに気付いたやもしれぬのに。
ワインドウルフに遠吠えをしてもらっただけで、簡単に意識を誘導できるとはちょろいものである。
人間、おぼろげで遠いものより、目先にぶら下がるものの方に飛び付きたくなるものである。
三階層内を駆け回る赤い点と、そこから反対方向に逃げながら遠吠えを上げる青い点を、俺は眺め続けた。
◆
「ワインドウルフの気配はあるものの、姿は一向に見えない。それなのに、こちらをちくいち遠吠えで挑発してくる様が腹立たしい……。魔物なら魔物らしく、襲いかかってこないか!」
三階層でひたすら追いかけっこをした聖騎士が息を荒げている。
力量のある相手に真正面から挑むなど、阿呆のすることだ。魔物に何を求めているのやら。
少しくらい知恵の回る魔物なら、これくらいやってのけるだろう。
「大体、この階層は何なのだ? 夢幻の迷宮でもあるまいし、出口が見つからんとはどういうことだ! まだここは三階層だぞ!?」
苛立ちが積もり積もってきたのか、聖騎士が文句を言う。
歩けど歩けど出口は見つからない。躍起になって探せば罠に嵌る悪循環。鬱憤が溜まるのも仕方がないだろう。というかそうさせているのだけれどね。
ご存じの通り、ここは三階層。夢幻の迷宮だか、何だかは知らないがそんな大層な場所ではありません。
ただ壁ゴーレムが擬態して、道を塞いでいるだけです。
そういう幻術がかかった階層は、二十階層以降なのだけれどね。
水面が広がり、水棲の魔物が悠々と泳ぎまわっているけど、そこが正しい道だとか。幻術により痛みを再現したりと、中々に度胸と忍耐力が必要な階層になっております。
そこまでたどり着ける冒険者はいるのだろうか。
「はっ! 四階層への階段か!」
通路内を歩き続けた聖騎士が、喜色一杯の声を上げる。
はて? デュランと壁ゴーレムは未だに健在なのだが?
「違った! これは登り階段。二階層へと至る階段だった……」
元気よく駆け出した聖騎士であるが、階段を前にしてやっと気付いたのか、四つん這いになって項垂れる。
ああ、ダンジョンに入る前はあんなに凛々しくしていた聖騎士が、三階層でこの様とは。
情けないったらありゃしない。
現在の聖騎士は、下り階段と昇り階段を見間違えるほどに弱っています。
「あ、あー…………」
聖騎士はショックから立ち直れないのか、未だに階段の前で四つん這いになっている。
誰もいないのをいいことに、お尻を突き出して疲れに満ちた声を吐き出している。
『聖騎士とあろう者が、随分と情けない様子をしておりますね』
横から水晶を覗いたボックルが愉快そうに言う。
聖騎士は未だに立ち上がる様子はない。少し休憩をするようだ、あの体勢で。
『まだ三階層なのでございましょう?』
「レベル五十六の聖騎士だからな。油断すればあっという間に十階層までやってくるだろう?」
『まあ、マスターのダンジョンですから、マスターが手を出さずとも苦戦は免れないと思いますけどね』
「まあ、デュランなんかは俺が指示しなくても勝手に動くからな」
何をするかわからないのが怖いが、それを楽しみにしている自分も確かにいる。
『早速、そのデュランが何やら動き始めたようですよ?』
「なに?」
ボックルに促されて水晶を確認すると、壁ゴーレムの後ろから出て来るデュランの姿が。
そのまま四階層へと至る道を封鎖したまま、歩き出すデュラン。
壁の後ろから眺めるのが飽きたから、聖騎士へと接触でもあるのであろう。
俺も、そろそろ三階層で彷徨わせるのも飽きてきたところだ。どうせリタイアさせるなら、戻るに戻れない階層で、絶望を味あわせてからにしたい。
三階層を移動するデュランを眺めていると、聖騎士の方にも動きがあった。
聖騎士からグーという籠った音が鳴る。
「お腹空いたし、昼飯でも食べるか。まさか三階層で昼飯を食べることになるとは……」
むくりと身を起こして、昼食の用意をする聖騎士。
腰にかけられた革袋から、干し肉やドライフルーツ、乾パンなどを取り出し始めた。
革袋のサイズを見るに、それほど時間をかけることなくダンジョンを踏破できると思っていたのだろう。アイテム袋も持っているであろうが、あれには食料が入らないからな。
その代わり、調理器具などは収納できるので調達さえすれば料理はできる。
この間、ホーンラピッドという兎型の魔物を調理している冒険者がいたのだが、美味いのだろうか?
固そうな携帯食糧をはぐはぐと食べる聖騎士。
お腹を満たして一息ついたところで、通路内に足音が響いた。
この金属が擦り合わさったような音はデュランだ。
さて、デュランが聖騎士とどう接し、何をするのか。俺とボックルは興味津々に水晶を眺める。
「……この金属が擦り合わさるような音。……人の足音か? いや、ここの階層はくまなく歩いたが他の冒険者は一人も見ていないぞ? だとすると魔物か? それとも下の階層から上ってきたのか?」
訝しげな表情をしながら、剣に手をかける聖騎士。
さっきまでの腑抜けた表情はどこへやら。お尻を突き出してへたり込んで、「うー……」とか呻いていた女性とは思えない。
聖騎士が警戒する中、デュランが奥の通路からやって来る。
「止まれ! 貴方は冒険者だな?」
「おいおい、剣を向けないでくれよ。魔物じゃねえんだから。俺はデュラン、冒険者だ」
魔物であるデュラハンが両手を上げながらしれっと嘘を吐く。
まあ、ダンジョンの中ではこれくらいの警戒心は持っていて当たり前だ。
気配を押し殺して近付かない限り、もめ事になったりはしない。ダンジョン内で気配を消して、他の冒険者に接近するとやましい事があると言っているようなものだからな。
なので、こうして離れた距離できっちりと声をかけ合うのがマナーなのだ。
「そ、そうか。私はアレクシア教で騎士をやっているリオンだ」
とりあえずは、剣から手を離して自己紹介をする聖騎士。聖と姓が抜けているが、面倒事にならないための配慮なのだろう。
アレクシア教の聖騎士がダンジョンに潜っていれば、何かあったのではないかと噂が流れるだろうし。
そういえばこの聖騎士って、俺のダンジョンに何しにやってきたのだろう?
確か女神アレクシア様のお告げがどうたらと言っていたような……。
アレクシア法国で何かあったのだろうか?
ダンジョンに潜っている冒険者の会話を聞けば、大概の情報は集まるものだが、女神アレクシアについての噂は聞いたことがないな。
少し気になるので、聖騎士の言動には注意して聞いておこう。
「ところでデュラン殿は、どこからやってきたのだ?」
二階層から降りてきたわけではないのは、階段前にいるのでわかっている。
しかし、三階層内は隅々まで歩いた。だとすれば! とでも聖騎士は思っているのだろう。
どことなく期待するように、そわそわとしている。
「ん? 下の階層から戻ってきたんだ?」
「下の階層だと!?」
なんてことない様子で言ったデュランに、聖騎士が食ってかかった。
「頼む! 四階層への階段が見つからないんだ! 階段まででいい、案内をしてくれないだろうか?」
なるほど、デュランさん。そういうわけか。
お主も悪よのう。




