人間って面白い
スローライフ書籍化作業等により遅れました。
今回は少し多めです。
「あー、口の中がじゃりじゃりするわ」
九階層を歩くエルフが心底不快そうな表情で口を開く。
「……髪に砂利や泥が絡みついて気持ち悪い」
さらりと舞う絹のような金髪も、今では砂利や泥にまみれて汚らしく見えるほど。
エルフは自分の髪に絡みつく砂利や泥を落とそうと手で払ったが、砂利が髪にまとわりついているせいで髪の毛がブチリと抜けただけであった。
「んもう!」
エルフの悪感情がダンジョンに吸収される。
ご馳走様です。やっぱりお前はそうでないと。
水晶に表示されるがゲージも喜ぶかのように明滅する。うんうん、美味しいか? 俺も美味しいよ。人の不幸を見ると心が潤う。
人間は他人の不幸を見て安心する生き物なのだから仕方がない。
かわいそうだなんて言葉で繕っても、本心では自分はああならなくて良かった。ああ、私よりも大変そうな人がいるんだ、と下を見て安心するのだ。
なので、人の不幸を笑う事、喜ぶ事は当たり前の事だ。皆もじゃんじゃん人の不幸を笑ってあげようね?
『さっきから一人でブチブチとうるさいぞ?』
空気の読めないデュランの一言にエルフが目を大きくして振り返る。こいつ信じられない事を言いやがるって表情だ。
「なっ!? うっさいわね! もとはと言えばあんたが不用意に壁を触るからこうなったのよ!? 少しは罪悪感がないわけ?」
『……罪悪感? 何だそれ?』
「あんた張り倒すわよ!?」
面白ければ何でもいいと思う魔物のデュラハンに、罪悪感などという繊細で綺麗な心などあるはずがなかろうに。
「まあまあ、レイシア落ち着きなよ」
エルフの保護者である騎士が、デュランに掴みかかろうとしたエルフを羽交い絞めにする。泥まみれのエルフが暴れるせいで、騎士の男の顔には泥が付く、拳がめり込む。
本当にこの騎士には同情を感じてしまう。そんな奴さっきの落とし穴に置いてこればよかったのに。
おっと、俺とした事が。本心を取り繕ってしまった。
悪い、騎士の男よ。俺はお前の不幸を見て安心している。というか笑ってしまっている。
これからもエルフのお守り頑張れよ。
一方、ディルクはエルフの金切り声を耳入ってきて、顔をしかめるだけで関わろうとはしない。完全に放置する方針だ。
このパーティーはこんなにもまとまりが無かったであろうか。デュランという劇薬を混ぜるだけで、パーティーは崩壊寸前である。特にエルフとデュランの相性は最悪。混ぜるな危険である。
『本当は楽しかったんじゃないのか? 最後なんて自分から泥にダイブしていたじゃないか』
せっかくエルフが落ち着いてきたというのにデュランが再び火を点ける。
「あれは憎きあんたを突き落としてやるためよ! 断じて喜んで飛び込んだんじゃないわ! あんた避けたんだからわかってるでしょ!?」
同じパーティーの仲間を憎いというエルフ。崩壊は秒読みの勢いだな。
『いや、俺はロープを回収しようと屈んだだけだ。バーカ!』
「むっきいいいいいいい!」
エルフが顔と尖った耳を赤く染めて、腰からダガーを引き抜く。
驚いた。この年齢で「バーカ」と言われてキレる奴がいたとは。
単純な奴には単純な口撃が効きやすいのかもしれない。いや、こいつらの相性が悪いだけなのか。
「落ち着いてってばレイシア。ダガーを仕舞って!」
「離してよハンス! コイツを殺せないじゃないの!」
『うわはは! おおやるのか? やるのか?』
「デュランも煽らないでよ!」
「…………」
暴れる三人をよそに、ディルクは現実逃避するように罠を発見して調べていた。
◆
「……ようやく九階層だね」
疲れ切った表情で騎士が呟く。
エルフとデュランに突っかかる度に騎士が仲裁。騎士は止めようとしているのにデュランはエルフを煽る一方。エルフはデュランに煽られては燃え上がり、騎士に諌められては鎮静を繰り返す。
中間管理職のように板挟みになっている。
一方ディルクはこれらに一切関与しない。騎士は助けて欲しそうな視線を送るがディルクは勝手にやってろとばかりに突き進む。
魔物との戦闘になれば崩壊するかと思いきや、意外と戦闘はこなすこのパーティー。
まったくもって不思議である。
『次で十階層だな』
先頭をノシノシと歩くデュランが元気良さそうに言う。三人とは違い、アンデッド種のデュラハンなので疲れを感じないのだろう。一人だけ生き生きとしている。
今回デュランが先頭にいるのは、後ろにいるとちょろちょろ動いて罠に引っかかるからである。
そこでエルフが「それなら一番前を歩いて自分だけ罠にかかりなさい」言ってこうなった。
それではディルクのいる意味がないのでは? と思ったのだが、デュランに罠の恐ろしさを伝えるためなのだろう。命がかかるような罠以外は発見しても手を出さないようだ。
うちのダンジョンには事故以外では命を失う罠はないんだけれどね。
リピーターになってもらう事が目的だから。
「そしたら、ようやくあんたとおさらば出来るわ」
フンと鼻を鳴らしてエルフが腕を組みながら言う。泥まみれのせいで様になっていないが。
十階層でデュランは冒険者達とお別れの予定だ。そのまま突き進むとスライムキングとデュランが戦う事になるしな。多分、デュランは喜ぶであろうがスライムキングとしてはたまったものじゃないだろうな。どちらかが死んだら俺のポイントが損だ。
『んん? そうだな。寂しいだろう?』
「んなわけないでしょうが!」
「はいはい、デュランは先頭にいるんだから前をしっかり向いて歩こうね? 罠があるかもしれないんだし」
『おう!』
「……ディルク、罠に関しては本当にフォロー頼むからね?」
「……全ての罠に対応できるわけじゃないが、一度でも自分が痛い目にあえば大人しくなるだろう」
デュランを先頭にしたまま、石造りの道を順調に突き進む冒険者達。
後方ではデュランが痛い目に合う、もしくは落とし穴に嵌るのを期待してか、エルフがニヤニヤとしている。
コイツは子供か。
このまま、期待通りにデュランが何かしらの罠にかかるのも面白くないので、俺はデュランへと会話を繋ぐ。
「おい、デュラハン」
『デュランだ』
こいつノリノリだな。結構デュランと言う名前を気に入っているのかもしれない。
「デュラン、次の角を左に曲がって真っすぐに進め。そしたら俺が止まれという場所で止まれ」
『何か面白い事があるのか?』
「あるから期待していろ」
俺はデュランとの会話を切ると、デュラン達が通る道に罠を仕掛ける。
今回は先頭に入る奴を狙うのではなく、後ろにいる奴を狙う罠だ。
俺が水晶を素早くタッチ、スクロールして罠を設置していく間にデュラン達は角を左に曲がる。
それから十メートルほど歩いた罠の目の前で、
「よし、止まれ。足元の石を見てみろ。うっすらと色が薄いだろう?」
俺の声を聞いたデュランがピクリと動きを止める。
『本当だな。これを踏めば面白い事が起きるのか?』
「もちろん。この先にもいくつか設置してあるしな」
ディルクは罠に気付いたのか、どこか感心した風な顔をしている。
違いますよ。デュランが罠を見抜いたとかではないから。
「今だ! 踏んでしまえ!」
俺が命令をすると即座にデュランが石を踏み抜いた。
「どうしたんだ――はぐうっ!?」
するとデュランの後ろにいた騎士の足元にあった石が勢いよく跳ね上がる。
それは丁度騎士の股間に命中。したたかにナニを打ち付けた。
「あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!? あっ、あっ、あああああ!?」
それはまるで獣の慟哭のような声だった。
騎士の男は顔を青くし、脂汗を滝のように流しながら転がりまわる。
『お、恐ろしい罠だ……』
「ちょっとハンス!? どうしたのよ!?」
「あっ、ああー。ああああああああ!」
エルフが騎士に駆け寄るが、騎士はゾンビのように呻き声を出すだけ。口の端から涎を垂らし、眼球はエルフを見てはいない。
わかるそ。騎士の男よ。そこを強かに打ち付けた時の痛み。痛いほどわかる。
こう何と言うか、股間をずっとトンカチで叩かれているような鈍痛。奥がきゅっと締まるような鋭い痛みが波のように襲いかかってくるのだから。
「ハンス! しっかりなさい! ハンスうううううう!」
◆
騎士の男が何とか復活してから移動を再開。
『いんやー面白いものが見れた。鶏を絞め殺したような声をして転げ回っていたな』
俺にしか聞こえない念話でデュランが満足そうに言う。
「ハンス、あなた大丈夫なの?」
「あ、ああ。レイシア。僕は平気だよ?」
そうは言っているが騎士の男の足取りはおぼつかなく、内股だ。顔色は少しマシになったが息は荒く、脂汗がまだ引いていない。股間の奥の方で鈍痛がするのだろう。
歩くたびにナニが揺れて痛みが走っているに違いない。
「それよりディルク。同じ罠を見つけたら……」
「……ああ、わかっている。あれはこのダンジョンで尤も悪質な罠だ。見逃すわけにはいかない」
先程の罠を警戒してかディルクも同じく内股で歩きながら答える。
「……そ、そんなに痛いのかしら?」
後方で男の気持ちが分からないエルフが首を傾げる。
「「…………」」
「……と、とにかく、今度は不用意に罠を踏むんじゃないぞ。罠を見つけたら回避するのが一番だ。踏んで確かめようなどと思うなよ」
『お、おう。悪い』
ディルクの有無を言わさない雰囲気に押されたのか、デュランが大人しく頷いた。頷いたというよりは、身体を大げさに振ってそう見せているだけだが。
内股で警戒心を最大にまで引き上げたディルクのせいで、股間強襲トラップは全て回避された。俺としてはディルクに一発いれておきたかったのだが、簡単で見抜きやすい罠なので仕方がない。またの機会に一発入れてやるとするか。
ディルクとデュランを先頭としたフォーメーションのお陰か、簡単な罠は回避され、並みの魔物はデュランによっていともたやすく屠られる。
後方からゴブリンが束になって襲ってきても、騎士が前衛となり、エルフが堅実に魔法で仕留める。斥候のディルク、パワフルなデュラン、防御タイプの騎士、魔法攻撃や弓、近接もこなせるエルフ。意外とこのパーティーはバランスがいいのかもしれないな。
八階層の時の中のバラバラ感が嘘の様である。
そうして辿り着いた十階層。
「ようやく十階層だわ。この階層の奥に、あの憎い階層主がいるはずよ」
『ここの階層主はどんな奴なんだ?』
「変な言葉遣いで喋るスライムキングよ。スライムばっかり投げてくる女々しい奴よ」
『ほー』
ほーってコイツ、絶対興味を持ったな。
『マスター……』
「戦うのはダメだからな。同じダンジョンに住む魔物なんだから、後でいくらでも戦えるだろうが」
スライムキングが文句を言うかもしれんが知らん。どうせ階層主は皆暇なのだから喜んで付き合うかもしれない。
『わかった』
「ところであんた階層主とは戦わないの? 十階層までくるのが目的って言っていたけれど?」
『ああ、今回は様子見だ。階層主に挑戦する気はない』
「そう。あんたがいれば、楽に勝てるかと思ったけれど残念ね」
確かにデュランの戦いぶりを見れば誰だってそう思うだろう。あの大剣で切り裂かれればスライムキングだって全ての攻撃を吸収する事はできなさそうだ。
「まあ、私達三人で倒してみてみせるけれど――きゃあっ!?」
自信満々に薄い胸を張って歩いていたエルフだが、突然足元が光り出した。
光は瞬く間に強く発光してレイシアを包み込む。
「……転移の罠か!?」
えっ? 俺そんな罠、そこに設置したっけ?
俺自身も忘れていた。
「レイシアッ!?」
騎士の男が肩腕で目を覆いながら、レイシアへと手を伸ばす。
転移型の罠は、対象者が他人と接触しているとその者と一緒に転移する事ができる。
その為、騎士はエルフに触れようとしたのであろう。
ダンジョン内での転移トラップは凶悪な冒険者殺しの罠として認知されている。魔物ひしめくダンジョン内にて一人で孤立するという事は死を意味する。それは階層が深く、魔物が強ければなおさら。
そして騎士の腕がエルフに届きそうになった所で、光が消失した。
それと同時に、俺のいる部屋にポトリと何かが落ちた。
ん?
音がした方へと視線をやれば、何やら茶色い物体が赤い高級絨毯の上に落ちている。
一体何であろうか?
気になったが冒険者達の方も気になるので、動かないでおく。動かないので生き物の類ではなさそうだ。念のために警戒しておくが。
「えっ?」
『おお?』
水晶に映し出される映像では、転移の光が突然に消え失せて、エルフ以外が呆然とした声を上げていた。一体何が起こったのだと。
「レイシア! 何もないかい!?」
「――っ!? な、何もないわよ?」
騎士の男が一歩近付くと、顔や尖った耳を赤く染めたエルフが見るからに狼狽えた様子で後退る。
そして、何故か手は股に触れており、足元は先程のディルクのように内股になってもじもじとしている。
ハッキリ言ってこのエルフらしからぬ様子だ。
「えっ? 本当に? 身体とか何ともない?」
「な、ないわよ! 平気よ! ちょっと休憩にしましょう!」
騎士とディルクが顔を見合わせて首を傾げる。何はともあれエルフの身体に何か異常があるかもしれないので様子見を兼ねて一休みとなった。
ディルクは腰を落ち着けると考え込むように黙りこみ、騎士は心配げな表情をエルフへと送っている。
一方エルフは、壁際に寄りかかって居心地が悪そうに
確かにあの光は転移トラップのはずだったのだが、一体どうしたのだろうか。罠の不発動か? いや、今までそんな事は一度も無かった。その可能性は恐らく薄い。
罠があるという事は恐らく、過去の俺が仕掛けた罠のはず。一体何の罠だったであろうか。
……思い出せんな。
俺は自分の部屋に突如として現れた茶色の物体をちらりと一瞥する。
光が消失した後に、あの物体がこの部屋へ現れたのだ。あれが先程の罠に関係しているに違いない。
俺は椅子からゆっくりと降りて、謎の物体へと近寄る。
近くまで行ってみると僅かに白い色が見える。
「んー? これは何かに似ているような……」
とても見覚えのあるシルエットだ。いや、決して身近にあったものではないのだが。断じてないのだが。
これは、もしかして。もしかするのだろうか。
俺は見覚えのある物体に近付いて、それを丁寧に持ち上げる。
「こ、これは! パンツだ!」
そういえば、ネタで相手の持ち物を一つ奪う罠を設置した気がする。一発でパンツを奪い取ってしまったのか。俺は感心しながら手元にあるパンツを眺める。
元は穢れなき純白色だったのだろうか。今では泥にまみれて茶色くなっている。これは中々落ちない汚れだろうな。
砂利だらけのパンツを眺めると、端っこの方にレイシアと名前が書いてある。
日本語ではないが、何故か理解できる。邪神の加護のお陰で理解ができるのだろうか。
それにしてもこれは使える。いや、自分がいかがわしい事に使う訳じゃないからな?
俺は泥で汚れたパンツを摘まむように持ち上げて、奥の部屋にある洗濯機へと放り込む。
そしてスイッチオン。
これで、しばらく経てば綺麗になっているはずだ。
綺麗になったら一階層の大広間に落とし物としてでも奉っておくか。もちろんエルフ達がこのダンジョンから帰った瞬間にな。
俺が水晶の前に戻ると、冒険者達が十階層を歩き出していた。パンツが無くなったせいでもじもじとしていたエルフだが、現在は威風堂々たる姿で力強く足を進めている。
先程の頼りない内股歩きが嘘のようである。
もしかして、俺が目を離しているうちに着替えていたのか!?
いや、違う。奴はノーパンで歩く決心をしたのだ。何とあっぱれな奴であろう。
威風堂々たるエルフに引っ張られるようにして冒険者達は歩み、魔物も罠も蹴散らして突き進んだ。
そしてついに階層主の部屋の前へと辿り着いた。
『それじゃあここまでだな』
「ええ、ろくでもない奴だったけれど戦闘だけは出来る奴だったわね。あんたなら一人でも帰れると思うけど気を付けなさいよ」
「僕たちはリエラの街にいるから。何かあったらおいでよ」
「……罠には気をつけて帰れ」
『おお。それじゃあ階層主倒して来いよ』
別れの挨拶は短めにして、冒険者達は階層主の部屋へと入っていった。
『ああっ! また来たっすか!?』
「うっさいわね! あんたがここを通してくれないから先に進めないのよ! 私はダンジョンの下まで潜って憎きダンジョンマスターの面をぶん殴ってやらないと気が済まないのよ! わかったら私に倒されなさい!」
『うわあ……そんな事言っちゃって。帰り道どうなるか知らない―』
その後がどうなるか予想がつくので、こっちの映像はシャットアウト。
そこでデュランの念話が俺に届く。
『マスター』
「何だ?」
『人間ってやっぱり面白いな。俺は階層主で冒険者を追い払うよりも、動き回っておちょくりに行く方が好きだ』
「そうだな。その気持ちはよくわかるさ。人間って面白いだろ?」
『全くだ』
じきに、世界観を広げる予定です。




