ディルクの奮闘
「ううう、酷い目にあったわ。全身ベトベトよ」
無事に七階層へと辿り着いたエルフが不快気な表情で油を拭う。
「本当にびっくりしたよ。心臓がバクバクしてて胸が痛いよ」
「あー、もう! ハンス! 布!」
弱々しい声を出して胸を抑える騎士に、怒鳴り声を上げるエルフ。
犬にお手をしてもらえなくて怒っている子供みたいである。
それでも騎士は慣れているのか「あー、はいはい」と返事をしてポーチから取り出したアイテム袋から布を取り出してエルフへと渡す。
例え布であっても放り投げたりせずに近付いて手渡しをするところが、彼らの関係をよく表しているように思えた。
『凄いスピードだったなー』
と座りながら呑気に感想を述べているデュランだったが、頭部が無かった。
それでは魔物デュラハンになってしまうだろうが!
「おい! デュラハン! 頭落ちてるぞ!」
『なぬ!?』
俺はデュラハンだけに聞こえるように声を出す。
デュランは頭部分の所で腕を交差させると、即座に傍らに落ちていた頭部を拾い上げて装着させた。
「バカ! 前後ろ逆だっつうの!」
『おわあ!』
そして頭部を回転させて、魔物デュラハンから黒騎士デュランへと戻る。
そしてホッと息をつくデュラハンと俺。
全く、自分の頭くらいしかり管理しておいてほしいものだ。
それにしてもバレちゃいないだろうな?
油を浴びたのに、油の刺していない機械みたいに振り返るデュラン。
「あー、もう落ちないわね油。布やタオルがいくらあっても足りないわよ! 水もダメよ!」
「あー、本当だね。これだけの油を完全に落とすのは無理だよ。最低限拭くとるくらいにしておこう」
どうやらエルフと騎士は自分の体に付着した油を拭うのに必死だったようだ。デュランには目もくれることなく、無心で油を拭き取っている。
「さっきから声出してるけど、デュランは大丈夫なの? 布が無いならハンスが貸すわよ?」
『あ、ああ。問題ない。俺は平気だ』
「はあ……バレてないようだな」
エルフが声をかけてきた瞬間はドキッとしたが、デュランが魔物だと気付いて冷静でいられる奴で気付いていないだろう。
『…………』
「おい、デュラハン?」
『…………』
「心の声で話せば平気だぞ?」
『おお! そうなのか? いやー、今のは焦った焦った』
途端に水晶から響いてくるデュランの声。
がははと笑い出してちょっと声がやかましい。
「あっ! ところでディルクはどこに行ったのよ!?」
「『あっ……』」
付着した油を拭う事に夢中になっていたエルフが、ふと思い出したかのように叫ぶ。
辺りを見渡す三人だが、そこにディルクの姿は見えない。
しかし、床には油が真っすぐに伸びるように奥へと続いていた。
「これ、ディルクが滑っていった跡よね? 六階層の丸太と言い、彼ってばどうしてあんなに滑るのかしら?」
油の跡を眺めたエルフが尤もな感想を述べてくれる。
それは俺も知りたい。あれは称号なんてものじゃない、神秘的なものかもしれないな。
「…………さあ? 僕にもさっぱり」
『あいつだけ滅茶苦茶速かったよなあ』
やめてくれよデュラン。思い出し笑いをしてしまうじゃないか。
あの何とも言えない無表情が不快感に染まるのは、いつ見ても楽しくて仕方がない。
『とりあえず追いかけるか? 大分先まで行ってそうだが』
デュランの言葉にエルフと騎士が頷き、三人は一筋の油を辿って奥へと歩き出した。
◆
デュラン達が歩き出した所で、七階層のマップを眺めるとディルクはダンジョンの中ほどにまでさしかかろうかという位置にいた。
七階層は道が真っすぐに伸びる構造のせいか、壁に衝突して止まる事もなかったらしい。
そのせいかディルクは、魔物達に包囲されていた。
何ともついていない男である。
本人からすれば非常に笑えない状況だと思うが、俺からすればどうしてお前はそんなに面白いのか尋ねたくなるくらいだ。
次から次へとやってくれる男だ。
「……はあ、はあ、他の皆は後ろか?」
肩で息をしながら短剣を構えるディルク。
その周りにはゴブリンに囲まれ、空中ではイビルアイという大きな目に翼のついた魔物がディルクの隙を伺っていた。
『ギィ!』
一匹のゴブリンが棍棒を手にしてディルクの足元へと跳びかかる。
それに続いて鉈を持ったゴブリンがタイミングをずらして一匹。
ディルクは棍棒を持つゴブリンを足で蹴り飛ばして、より脅威のある鉈を持つゴブリンの首元に短剣を振るう――が、それはゴブリンの喉笛を切り裂くことなくディルクの手の中から滑り、飛んでいく。
先程の油のせいでナイフがすっぽ抜けたのであろう。
シリアスな戦闘をしているところ非常に申し訳がないのだが、俺の腹筋は崩壊寸前である。
「くそっ!」
舌打ちをしながら、何とか上体を逸らして鉈を避けるディルク。
体勢を崩したイビルアイがパタパタと移動してその大きな瞳に光を溜める。
光が収束して放たれる寸前、その大きな瞳に一本の投げナイフが突き刺さった。
イビルアイは声を上げる事もなく崩れ落ち、その下でディルクに襲いかかろうとしていたゴブリンの下へ落下。
『ギイィ!?』
ゴブリンが苦悶の表情を上げてバタバタと身じろぎをする中、ディルクは体勢を立て直すついでに投げナイフを投擲。
バタバタと動いていたゴブリンの頭へと突き刺さり、動かなくなる。
まだゴブリンは五匹残っており、空中には二匹のイビルアイが存在する。
ゴブリン程度ならディルク一人でも速攻で決められただろうが、遠距離攻撃を有するイビルアイの存在がディルクにとっては邪魔なのだろう。
何せディルクは身体中に油を浴びているので、イビルアイの光線が掠るだけで引火する恐れがある。慎重にならざるを得ない。
ジリジリとゴブリンがディルクの下へとにじり寄る。
ディルクは先程から後方からエルフ達が来ないか期待しているようだが、猛スピードで振り切ったためにまだ少し距離が離れている。
「……今度はこちらから攻める」
ディルクは予備の短剣の柄を布で右手に括り付ける。
先程のように短剣が滑らないようにしたのであろう。
そして布で固く固定するとディルクはゴブリンの下へと駆け出した。
「はっ!」
短い呼気と共に放たれる銀閃は、滑ることなくゴブリンの喉を切り裂いた。
そしてそのまま流れるようにゴブリンを切り裂き、貫いていく。
イビルアイの二匹が光線を放とうとしたが、ゴブリンを貫いただけでディルクには当たらずに、下にある油へと引火した。
炎は油の軌跡をなぞるようにゆっくりと燃え広がる。
ゴブリンの全てを地に沈めたディルクは、ベルトから抜き出した投げナイフを左手で投擲。
一匹のイビルアイの瞳に突き刺さったが、もう片方には避けられてしまった。
「……外したか」
そこでイビルアイは形勢が不利だと悟ったのか、くるりと背を向けてダンジョンの奥へと去って行った。
ディルクはそれを追わずに一筋の炎が燃える方角へと引き返した。
また囲まれて戦闘になるのはごめんだと言う風に。
『転生して田舎でスローライフをおくりたい』
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