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第6話 知恵の輪

「知恵の輪? ……こどものおもちゃであろう」

 お香が知っているのは、九連環きゅうれんかんという、から由来のものであった。九つの輪が、一本の鉄棒に絡められていて、それをはずしていく遊びである。

「して、それが詰め物と、どう関わるのだ?」

「知恵の輪と、おなじ動きをする詰め将棋があるんだよ」

 お香は、眉をひそめた。なにを言っているのか、判然としなかったのである。

「知恵の輪とおなじ動きをする詰め将棋だと……? 聞いたことがない」

「そりゃそうだよ。喜内先生が、独自につくりあげたものなんだ」

 信じられぬ。お香はそう言いかけて、口をつぐんだ。

 しかし、振る舞いに出てしまった。

「その様子だと、信じてないね」

「どのような動きをするのか、教えてもらえぬか?」

 お凛は、やや気まずそうな顔をした。

「……見たことはないんだよ」

「では、なぜ知っている?」

「お師匠さんから聞いたんだ。千日手を使った詰め物だって」

 お香は、ますます不信の念を深めた。

「千日手の王手は、攻め方の負けだ。ありえぬ」

 千日手というのは、先手と後手がおなじ手順を繰り返して、延々と決着がつかなくなることを言う。普通、何度かおなじ手順が出たら、そこで引き分けである。ただ、これにはひとつ例外があった。王手の連続になっているときだ。このときは、おなじ王手を掛け続けているほう、すなわち、攻め方の負けと決まっていた。

 お凛も、さすがにその決まり事は知っているらしく、いそいで言い直した。

「千日手にするんじゃなくて、千日手と似たような動きをするってことさ」

 お香は目を閉じて、さまざまな詰め将棋の本を思い出してみた。

 しかし、まったく心当たりがなかった。

「分からぬ。詰め物に千日手もどきを組み込むなど、できぬ相談だ」

「ほんとうに、そう思う?」

 お香は、ある程度の確信をもって、首をたてに振った。

 すると、にじり寄っていたお凛は身を引いて、にやりと笑った。

「そいつを見つければ、世間を仰天ぎょうてんさせられるってわけだね?」

「見つかればな……それどころか、知恵の輪とやらだけで、出版できるやもしれぬ。家元に献上することもあたうだろう。前代未聞であるからな」

 もしお凛の言うことが正しいならば、詰め物の歴史が変わる。家元も気づいていない作り方が、日ノ本にあるということなのだから。

 お凛は饅頭に手をつけないで、そのまま席を立った。

「もう帰るのか?」

「善は急げだよ」

 あまりムリはしないようにと、お香は諭した。

「資金をまかなうのにも、手間がかかろう。あせることはない」

「金のほうは、たやすく工面できるさ」

 お凛のひとことに、お香はいぶかった。

「拙者の話を覚えているのか? 百八十匁だぞ」

 大丈夫だと、お凛は答えた。客間を出て、そそくさと店先にむかう。帳場格子に座っていたお香の弟は、ちらりとお凛をみて、「お帰りですか」と尋ねた。お凛は別れの挨拶をしただけで、そのまま店を出て行った。

 お香は、彼女と将棋を指そうと思っていたので、あてが外れてしまった。江戸広しと言えども、女と指す機会は、あまりない。勤め先の銀姫が、もっぱらの相手であった。お香は嘆息して、弟を奥の部屋に下がらせた。今度は、自分が店番をする。詰め将棋の書物を何冊かとりだして、あれやこれやと調べてみた。千日手を用いた詰め物がないかどうか、もういちど確かめてみたくなったからである。

 しばらくして、暖簾をくぐる者があった。

香之進こうのしん、いたか」

 入って来たのは、水戸藩の黒田であった。

「どうした? 何用だ?」

「一寸近くまで来たから、寄った」

 腰をおろした黒田は、お香が詰め将棋の本を読んでいることに気づいた。

「ひまを持て余しているようだな」

 お香はムッとなって、「調べ物だ」と返した。

「詰め物を調べているのか? 宗英そうえい様のお達しで?」

 お香は、お凛のこと、久留島喜内のこと、そして、知恵の輪のことを話した。

 途中まではおもしろそうに聞いていた黒田は、最後に顔をしかめた。

「千日手を用いた詰め将棋だと? ……ありえんだろう」

「お凛の話では、喜内殿の遺作らしい」

 いやいやと、黒田はかぶりを振った。

「香之進、おまえ、騙されているのではないか?」

「騙されている、とは?」

「出版があやしくなって、口からでまかせを言われたのだろう」

 そのようなことはないと、お香は反論した。なぜかは判然としないが、お凛の性根を疑われるのは、彼女にとっても心外だった。

「出版の口実としては、下手すぎる。見つからなければ、それまでなのだからな」

 これには、黒田も納得した。

「たしかに、おのれから敷居を高くすることもないな。さっきのは失言だった。しかし、千日手含みの詰め将棋というのは、にわかに信じがたい。勘違いではないのか?」

「それは……」

 それはありうると、お香は認めざるをえなかった。喜内の弟子が将棋に通じておらず、不確かなことを口走ったのではないか。お凛は、それを又聞きしただけではないのか。その疑念は、とうてい拭いきれなかったし、むしろ、尤もらしいとすら思われた。

「だとすれば、あまり期待しないほうがいいな」

剣之介けんのすけ、多少は、ひとを信じたほうがよいぞ」

 黒田は、なんとも生真面目な顔を作った。

「俺は、おまえの身を案じているのだ。詐欺には気をつけろ」

「お凛のことを、そう悪く言うな」

 黒田は、お凛の素姓がどういうものなのか、それを尋ねた。

 お香は、言葉に詰まった。

「……よく知らぬ」

 ほれみろといった様子で、黒田は右手を差し出した。

「算法は道楽だ。金にならん。そういうところには、香具師やしが集まる」

「金にならぬからこそ、普通は裕福な者がやるのだ」

 お香は、お凛の金回りがよいことを指摘した。着ているものは、やや風変わりではあったが、貧相ではないし、土産も持ってきてくれる。出版費用についても、すぐに捻出できるような素振りであった。

「それが危ない。見せ金だったら、どうする」

 お香は、黒田があまりにも猜疑さいぎなので、ついつい、

「疑り深い男は好かん」

 と言ってしまった。すると、黒田は気まずそうに、

「疑り深いわけではなくてな……まあ、その……」

 と、言葉を濁してしまった。これには、お香も心苦しくなる。いかに別式女とはいえ、黒田がここまで好意的にしてくれるそのわけを、察せないこともない。彼女に気があるということだ。以前、大怪我を負ったとき、それらしい思いを告げられた。「好かん」と言えば黒田が黙ることは、分かり切っている。それを利用してしまった自分に、お香は腹が立った。

「拙者の身を案じてくれるのは、ありがたい。だが、拙者とお凛の商売だ。商人は、危ない橋を渡ることもある」

 このひとことで、すべては棚上げになった。

「将棋でも指そう」

 お香は将棋盤を持ち出して、黒田を誘った。黒田は、急に上機嫌になって、

「今日は負けんぞ」

 と腕まくり。お香も、思わず笑みがこぼれる。

「そういう台詞は、勝ってから言うのだな」

 四文銭しもんせんをとりだし、オモテかウラか尋ねた。黒田は、ウラと答えた。

 お香は親指で、ぜにを弾く。すると、彼女にとってはめずらしく、受け損なった。

 ぽんぽんと畳のうえに落ちて、境目へ転がり……そして、斜めに立った。

 オモテでもウラでもなかった。

「すまぬ、手がすべった」

 お香は銭を拾いながら、ふと悪い予感がした。

 それがなんであるのか、彼女はつとめて、考えまいとした。

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