第5話 追い詰め五作
「……これはおもしろい」
すっかり並び替えられた三十の詰め将棋に、お香は嘆息をもらした。
「喜内殿は、でたらめに作ったのではなく、理路整然としている」
お凛も、首をたてに振った。
「そうだね……身の回りに頓着しなかっただけで、あちこちに理が感じられるよ」
ふたりが特に感心したのは、五つの詰め将棋であった。
そこには、同じ型がみられたからである。
【一番】
【二番】
【三番】
【四番】
【五番】
「これらはすべて、追い詰め、ないし、迫り詰めと名付けられよう」
お香は、みずからの案を出した。当てずっぽうではない。実際、そのような動きをするのである。
「まず、一番目の詰め将棋は、8一香成、同玉、7二銀成、9一玉、5一飛成、同銀、5五角、同と、6四角、同香、9七飛、同桂成、9二桂成、同玉とすべて捨て、同玉、8二成銀以下、9七まで追って詰みだ」
お香が言っている「追い詰め」とは、最後の8二成銀、9三玉、8三成銀、9四玉、8四成銀、9五玉、8五成銀、9六玉、8六成銀という、玉の追跡を指す。どんどん同じ方向に追うから、追い詰め、あるいは、迫り詰めと名付けるのが適切に思われた。
「二番目の詰め将棋も、これと似た型を持っている。が、より巧妙だ。2三歩、1一玉、2一銀成、同玉、3二銀成、同玉、4四桂、4二玉、4三歩、5一玉、6三桂不成、4一玉、5一桂成、3一玉、4二歩成、同玉、5二香成。ここからが追い詰めになっていて、3一玉に4一成桂、2一玉、3二桂成、同玉、4二成香、2一玉、3一成桂、1一玉、2二歩成、同玉、3二成香、1一玉、2三桂不成、同銀、2一成桂、1二玉、2二成香まで」
「しめて、三十五手詰めだ。最後は、2二成桂でもよい」
さきほどの追い詰めとは異なり、追っているあいだにも工夫がある。歩を捨てたり桂馬を捨てたりして、敵の駒の位置を動かす。ただ、作意は同じであった。
「このお題もそうだが、喜内殿は、手順の限定に気をくばらなかったようだな」
「そのあたりは、算法のせいかもね。答えがひとつに定まるなら、途中の計算は、あまりこだわらなくていいから。まあ、単に限定できなかっただけかもしれないけれど」
そういうこともあるのかと、お香は新鮮な心地がした。
「三番目のお題は、金追いだ。5三飛成といきなり捨てて、同玉、4五桂、4四玉に5五銀と打つ。4三玉は早く詰むゆえ、4五玉、5六金、同玉、4七金、6五玉、6六銀、同玉、5七金左、6五玉、5六金右、7四玉。ここからは、先のお題と同様、駒を捨てながら追いつめる。7五馬、同玉、6六金上、7四玉以下、8一で詰む」
このお題を解くのに、お香はずいぶんと骨を折った。
お凛にすこし手伝ってもらったところもある。変化が多い。
「四番目と五番目のお題は、双方似通っている。これまでのお題は、小駒による追い詰めであったが、四番目と五番目は、大駒による追い詰めだ。まず、四番から。4二龍、同金、同銀不成、同玉、3三金、同角、4三金、同銀、3一馬、5二玉、5三金、同銀、4一馬、6二玉、7二銀成、同玉、8四桂、8一玉、6三馬、8二玉、7二馬、9一玉、7三馬、8二金合、8三桂、8一玉、7二桂成、同金、9一馬までの、二十九手詰めだ」
「最後に、五番、1九金と引き込み、同玉、1六龍、1八金、7三角、2九玉、1八龍、3九玉、8四角成、4九玉、4八金、5九玉、5八金と、まずは金で追う。玉が8九まで行ったところで7九金と捨て、同玉、5七馬と、今度は馬で追い込む。最後は2九龍から8九龍と回り、8八で詰む」
金の追い込みから馬の追い込みで、二重の追い込みと言える。
それまでの四つのお題よりも、さらに深みがあった。
と、お香が説き終えたところで、お凛は目をつむり、煙管をくわえた。
「どうした? 拙者の解法に、納得がゆかぬのか?」
「いや、それでいいさ」
「では、なぜむずかしい顔をする?」
「この五つ、どう並べたもんかと思ってね」
お香は両腕を袖口にさしこんで、五つの詰め将棋を順繰りにみやった。
「……それについては、型分けするときに相談したと思うが」
「追う駒で分ける、ってやつだろ」
これはお香が出した案で、小駒追い→大駒追いで並べる、というものであった。
「ただね、手数で並べたり、難易で並べたりすることも、できるんじゃないかい」
「手数で並べるのは、いかがなものかと思う」
「なぜだい?」
「家元の詰め将棋で、手数に重きをおいたものはないからだ」
お香が念頭においているのは、初代宗桂の『象戯造物』から綿々と続いている、家元伝統の作品であった。高名なものとして、七世名人伊藤宗看の『象戯図式』、別名『将棋無双』と、贈名人伊藤看寿の『象棋百番奇巧図式』、別名『将棋図巧』があった。その出来は、もはや芸の域を超えていた。
「そもそも手数は、お題の中身や難しさを左右せぬ」
「それもそうだね……じゃあ、難易で並べるのは?」
算法の書では、易しい問いから始めるのがよい。お凛は、そう告げた。
お香はうなって、しばらくお題を見比べた。
「……算法と違い、いずれが易しいか、やすやすと言えぬように思うが」
お香は、ねずみ算のことを思い起こしていた。ひと組みの夫婦が、六匹ずつ雌雄を生む問題と、米粒を将棋盤に並べる問題とでは、あきらかに後者がむずかしい。前者は七の十二乗を計算すればよいだけなのだが、後者は乗数の和を求めねばならないからである。
これに対して、どの詰め将棋が難しいかは、多分に解き手の感想であった。
「お凛は、どれが一番むずかしいと思う?」
相手は煙管をくるくる回しながら、それぞれのお題に目をとおした。
「……五番」
「そのわけは?」
「初手の1九金が、すぐに見えなかったんだよねえ」
「拙者は、三番だ。ごちゃごちゃとしたものが苦手でな」
このような具合である。
お香がみるかぎり、お凛は、詰め将棋の筋をあまり知らないようであった。どれも膨大な読みで解いてくる。詰め将棋の本の話をしても、そのことは分かった。読書歴が浅い。これに対してお香は、手数の多い、読みの量を求めるお題に、気乗りがしなかった。美しくないという、美醜の琴線に反するからであった。
お凛も納得して、
「難易で並べるのは、ムリそうだね。こうも考えが合わないんじゃ」
「はっきりと分かるときのみ、そうすればよいと思う」
ということに落ちついた。
いずれにせよ、さきほどの五つは、本のなかでまとめて扱うことになった。
「ここいらで、ひと休みしよう」
茶を淹れなおし、菓子を食べる。お凛は、近場で団子を買っていた。
お香も、自宅にあった饅頭を出して、それぞれひとつずつ懐紙においた。
お香は団子をつまみながら、ふたたび三十の詰め将棋を眺めた。
「なにか、気になるのかい?」
「……うむ」
「率直に言ってごらんよ。あたいが先生の弟子筋だからって、気にすることはないさ」
お香は茶をひと口含み、おのれの考えをよくよくまとめた。
客相手、友人相手に言うこととしては、やや手厳しい意見だったからである。
「本日、解いたかぎりの話だが……このままでは、版元に持参できぬ」
お凛は、くちびるをすぼめた。
「つまり……品にならない?」
「品にならぬことはない。これより質の劣る本は、江戸にいくらでもある。ただ、詰め物として考えたとき、素人臭さが抜けておらぬ。頭で作った代物だ」
お凛も、詰め将棋の束に目をむけた。
やや心外という気配もあったが、そのあたりは算法家の端くれか。ありのままに言われたことを、ありのままに受け入れる覚悟ができているようであった。
「そうかもね……喜内先生は、将棋の家元じゃないんだよ」
「商いで、それは言い訳にならぬ。書き手が素人であっても、読み手には慮外だ。拙者も家元に、手習いを受ける身。本作をみたとき、高い評は与えぬだろう。出してそれまでという心情ならば、拙者は構わぬ。が、おぬしの本望ではあるまい」
さきほどの五つは例外であるが、と、お香は付け加えた。
お凛は、菓子に手をつけるのをやめ、煙管をくわえたまま、障子をみつめた。
「……となると、アレが必要だね」
「アレとは、なんだ?」
お凛は、ひざをまえに出した。声を落とす。
「知恵の輪だよ、知恵の輪」