第14話 物覚え
「勝負じゃ!」
濃紫の敷物に、札がひらかれた。
【お香】
【銀姫】
「おひいさまが五の一揃い、拙者が七の一揃いですゆえ、拙者の勝ちです」
「うぅむ、もうひと勝負じゃ」
銀姫はのこりの山に手を伸ばし、ふたたび札を配った。
ここは、白部藩の江戸屋敷。お凛との勝負に敗れたお香は、ごくごく身内の者だけを集めて、評定をおこなっていた。評定と言っても、南蛮かるたの研鑽である。彼女とお初が手分けして、紙の札に絵を描き、これを用いていた。銀姫にも思ったより受けがよく、さきほどから評定の心も忘れて、えんえんと勝負の真似事をしているのであった。
女中頭に見咎められては困るので、奥の客間を貸し切り、裏庭の掃除番は厄介払いするという、念の入りようであった。文机を隅にどけ、畳のうえに縦三尺、横三尺ほどの敷物を敷き、そのうえで札をやりとりした。
「おひいさま、香之進さま、どうぞ」
お初が、のろのろと札を配った。お香は、相手に見えないよう、それを手繰りよせた。
【お香】
(カスか……)
そう思った刹那、銀姫はあっさりと賭け金を上乗せしてきた。ほんものの銭ではなく、銀姫が趣味で集めているおはじきであった。これはこれで、なかなか風情があった。
「どうした? わらわは勝負するぞえ?」
お香はもういちど札を確かめてから、降りた。
すると、銀姫はにっかりと笑って、
「なんじゃなんじゃ、うまく騙されよったわい」
と言い、札を敷物のうえにひらいた。
【銀姫】
これを見たお香は、やや眉をひそめて、
「カスで勝負なさっていたのですか?」
と尋ねた。銀姫は、見れば分かるであろう、と返したあとで、
「どれほど優勢でも、投了すれば、わらわの勝ちじゃからな」
と、将棋に喩えた。お香は、腹が立つというより、感心した。
「おひいさまの、おっしゃる通りです。相手の札は見えないのですから、はったりをかまして降ろすのも、立派な策と言えましょう。お凛も、ときにはかなりムリをして、賭け金を上乗せしてきました」
「そうじゃろう、そうじゃろう。勝負ごとと学問は異なるゆえな」
ずいぶん上機嫌なおひいさまであったが、ここでお香は水をさした。
「しかし、それはあくまでも奇策に過ぎませぬ。長丁場では下策です」
下策と言われたのが癪にさわったのか、銀姫も眉をひそめた。脇息によりかかって、右手のひらをうえに向け、あきれたように肩をすくめて見せた。
「札をめくるだけの、絵合わせ勝負であろうが。正攻法など、あるはずがないわい」
「お凛は、この賭け事にそうとうな自信があるようです。将棋のときと、あまり変わらない振る舞いでした。つまりは、どこかに定跡があるはずなのです」
その振る舞い自体がはったりなのではないか、と、銀姫は指摘した。
「はったりだけで相手を素寒貧にするのは、無理な相談でございます。お凛はそれをやってのけたのですから、やはり裏があると考えるのが筋かと」
「筋、筋と申してものぉ……お、そうじゃ」
銀姫は、お初に声をかけた。お初は、障子を背にして、さきほどから事のなりゆきを見守っているばかりであった。
「お初、おぬしもやってみぬか?」
「わたくしでございますか?」
「岡目八目ということもあるじゃろう。わらわも、野次馬になってみたい」
ふたりは交代して、お香とお初の勝負になった。山をくりなおし、一番、もう一番と進めていく。お香はだんだんと、お初の方策が見えてきた。
(なるほど、石橋を叩いて渡る流れか)
お初は、一揃いよりも強くなければ、決して勝負に乗ってこなかった。銀姫がやたらと攻めの姿勢であったから、当初は面食らったお香だが、これにはこれで、一応の理があるように思われた。というのも、カスで勝つのは、およそ運任せであったから。
三度目の山も減ってきて、そろそろ底が尽きそうになった。
【お香】
(またカスか……)
お香は、ちらりと相手の顔色をうかがった。お初は、のらりくらりとした性分であり、お凛とは違った格好で、心を読み取りにくかった。
「……とりあえず賭ける。一枚だ」
「わたくしも乗ります」
ふたりとも降りなかったので、銀姫は札の交換をたずねた。
「三枚で」
お香は三枚捨てて、三枚受け取った。
【お香】
(揃わなかったな……)
こうなれば、お初の出方次第である。ただ、ひとつ難儀な点があった。それは、賭けの順番からして、降りるかどうかをお香が先に決めねばならないことであった。お初の押し引きを見てから、というわけにはいかなかった。
お香が顔をあげると、お初はまだ札を交換していなかった。札を器用に手のうちで揃えて、じっと考え事をしているようであった。
「……」
「こりゃ、香之進が待っておるぞ」
お初はさらに十数えるほど考えて、四枚変えると告げた。
このやりとりには、お香も察するところがあった。四枚変えるということは、ひと組みも揃っていないという意味である。札の捨て方で、ある程度は手のうちが透けた。お香はこれを避けて、さきほども三枚だけ変えたのである。
「ちょうど山がなくなったわい……ほれ」
四枚受け取ったお初は、さらりと札を見て、膝のうえに乗せた。
(今の仕草、揃ったようには見えぬな……はったりで降ろすか)
お香はおはじきを五つ手にして、
「賭ける。五枚上乗せだ」
と告げた。すると、間髪置かずに、
「乗ります」
と返されてしまった。
(読み損じたか……揃っているに違いない)
後悔先に立たず。えいや、と、札がひらかれた。
【お香】
【お初】
「カス同士……お初の勝ちじゃな」
銀姫はお香のほうへ顔をむけて、かんらかんらと笑った。
「香之進は、はったりが下手じゃのぉ」
お香は銀姫のからかいを無視して、お初に向き直った。
「お初、なぜ賭けた?」
「なぜ、と申されますのは?」
「おぬしは、これまで一度も、カスで賭けたことはなかったはずだ」
お香の言い分を認めたのか、お初はこくりとうなずいた。
「はい……ただ、カスでも勝てると思いましたので……」
「勝てるだと? ……拙者の札が読めていたというのか?」
「おおよそは……」
「嘘を申すな。ならば、拙者が捨てた三枚を当ててみよ」
「花の八、棍の七、菱の五にございます」
これには、お香だけでなく、銀姫もおどろいた。
「なんじゃ、いかさまか?」
「いかさまではございませんが……」
お初は口ごもり、捨てられた札の束に目をやった。
お香はハッとなって、腰を浮かせた。
「おぬし……札の数と柄を、すべて覚えていたな」
お初の物覚えが人並みならぬことを、お香は思い出した。いかなる本であれ、一度読んでしまえば、だいたい覚えているのである。話を聞いてみれば、頭のなかに絵のようなものが浮かんで、それが見たものをそっくり写し取っているとのことであった。
銀姫は納得しつつも、
「なるほどのぉ、これまで使われた札をすべて覚えれば、残りの山は分かるわけか……しかし、じゃ、山札が分かることと、カスで勝てることとは、異なるように思うが。香之進は札を捨てるとき、裏返しにしておるのであるから、どれを捨てたか分かるまい」
とたずねた。勝負の最中に捨てられた札は、裏向きである。勝負が終わったあとで初めて、それを表にするのであった。
お初は、なんでもないような顔をして、
「捨てた札についても、おおよそ分かります」
と答え、最後の勝負の謎解きを始めた。
「まず、わたくしから見えない札は、香之進さまの手持ちと山で……」
【お初の手札】
【山札かお香の手札】
「と、このようになっております」
銀姫は深くうなずいた。
「左様、このままでは、香之進の手札は分からぬ。一揃いの恐れもあるぞえ」
「このときは、まだ分からなくてもようございます」
「む、それは、どういうことじゃ?」
「ここで香之進さまは三枚お捨てになられ、わたくしは四枚捨てました。山は底を尽き、次のことまで分かっております」
【お初の手】
【山札】
なし
【明らかな捨て札】
【お香の持ち札候補】
ここまで解かれて、お香にもようやく合点がいった。
「なるほど……拙者の持ち札は、最も強くて十三のカス。お初は一のカスであるから、どのような取り合わせであれ、お初のほうが強いというわけか」
「左様にございます」
銀姫は扇子をひらいて、はたはたと顔をあおいだ。
「ふぅむ、これは一本取られた格好じゃ……が、人間業ではあるまい」
「左様ですな。お初だからこそできる芸当で……」
そこまで言いかけて、お香の背中に雷のようなものが走った。
お凛との勝負をよくよく思い出し、背筋が伸びる。
(待てよ……お凛は、ひと勝負ごとに、捨てた札をすべて表になおしていた……)
あのときは、山札と混ざらないようにするためだと思っていた。しかし、お初の謎解きを聞いた今、解釈はまったくの意外へと転じた。
「そうか……お凛も札を覚えていたかッ!」
南蛮かるたのからくりを、解いた気がした。お香は、はっしとひざを打った。
「お初、拙者も札を覚えたい。手伝ってくれぬか」
「喜んで」
銀姫が札を集めて、これをくり始めた。
移り変わる札の流れを見ながら、お香は鼻息を荒くする。
(謎が解ければ、あとは容易い。お凛め、目にもの見せてくれようぞ)