第13話 絵合わせ
お凛はふところから、紙入れをとりだした。
サイコロか花札か――彼女が引き抜いたものは、お香にとって意外であった。
「これは……なんだ?」
お香はあっけにとられて、しばし開口したままであった。
「本屋の娘だろう。見たことはないのかい?」
「……天正かるたに似ている」
天正かるたとは、戦国の世に南蛮から渡来した、札遊びのことである。もとは公家や大名の遊具であったが、庶民に広まって以来、博打があとを絶たなくなっていた。さまざまな工夫をこらし、小松札や赤八など、地方産の札も現れた。
「どこの地方のものだ? 見たことのない絵柄だが」
「これはね……正真正銘の南蛮かるただよ」
お香は、眉間にしわを寄せた。
「正真正銘の南蛮かるただと……? 禁制品ではないか」
「長崎の出入り商人から、巻き上げてやったのさ。女だと思って、軍資金もないのに賭場へやって来たんだよ。最後はすってんてんになったもんだから、このかるたで勘弁してやったというわけ。売れば十両にはなるだろうね」
十両とは、町人の半年分の収入にあたる。べらぼうな額であった。
「やや待って欲しい……拙者には、どれがどの札やら分からぬ」
「勝負の中身は、私が決めていいんだろう?」
「それは、そうだが……」
お香が困ったような顔を浮かべると、お凛は胸を張るように背筋を伸ばした。
「安心しな。まず、絵柄が四つある。棍・剣・花・菱だ。それぞれの描かれた数が、札の数を表してるって寸法。例えば、この札は……」
お凛は一枚を引いて、盆ゴザのうえに乗せた。
「これは、花の六だよ」
「なるほど……では……」
お香は、右端の札を指差した。
「これは菱の十か?」
「その通り。飲み込みが早いね」
「しかし、男女の描かれた札もあるようだが」
「蛇みたいになっているのが十一、鼠が穴からしっぽを出してるのが十二、木にひとが寄りかかっているのが十三だよ。天正かるたでも、見たことがあるだろう?」
「なるほど、天正かるたとおなじなのだな。して、竜はどこにいる?」
天正かるたには、竜の札があった。お凛は、その札は使わないと答えた。
「どのように勝負するのだ?」
お凛は、花札に似ていると答えた。すなわち、山からどんどん札を引いていって、絵合わせをするのである。ただ、花札と異なり、札の交換は一度きりであった。これには、お香が難色を示した。
「札を一度だけ交換だと? それでは、ろくに絵が合わぬであろう」
「ところが、そうでもないんだね。まあ、聞いておくんな」
お凛は、役の強弱について説き始めた。
「弱いほうから強いほうへ並べていくよ」
【カス】
【一揃い】
【二揃い】
【三つ巴】
【連番】
【一色】
【満願】
【四つ葉】
「役がおなじときは、数の多寡で勝負。数もおなじなら引き分け。但し、一番強い数は一だよ。十三じゃないからね。覚えられるかい?」
「しばし猶予をくれ」
お凛は、どうぞ、と言って、しばらく瞑想した。そのあいだ、お香は、持ち前の物覚えの良さで、役を頭に叩き込んだ。
(一が最も強い、というのは賽の目でもそうであるし、難儀ではないな)
お香は目を閉じて、役を諳んじてみた。
「うむ、もう大丈夫だ」
「それじゃ、勝負といこうかね」
お凛は、薄紫の巾着袋を取り出し、木でできた丸板を配った。
それぞれ、二百枚ずつはあろうか。
「参加料は、一勝負につき、丸板一枚。札を五枚配る。手の内を見てから、乗るか降りるかを交互に決める。最初は、私からでいいね。乗るときは、必ず丸板を賭ける。一勝負で賭けられる丸板は、十枚まで。相手は、乗るなら同数か上乗せ、降りるなら参加料を捨てて次の勝負に移る。上乗せされたときは、相手がまた乗るか降りるか決める。同数になったところで、札の交換。札は何枚交換してもいい。初めに配られたのを総取っ替えでもいいよ。そこからまた、乗るか降りるか決めて、丸板が同数になったら勝負。いいね?」
「流れは掴めた。とりあえず、やってみたいのだが……何回勝負だ?」
お凛は、日が沈むか丸板がなくなるまでやると言った。
「なに? ……半日もかかるのか?」
「一発勝負のほうがいいのかい?」
「いや……そういうわけではないが……」
しまったな、と、お香は思った。
(それほど長引くなら、めかしこんだのは間違いであったな)
お香はさきほどから、少々動きにくさを感じていた。剣の勝負ではないのだから、気にすることもあるまいと思いたいが、将棋であれなんであれ、服装の違和感は、勝ち負けに直結することもある。
「それじゃ、始めようか。参加料を払っておくれ」
お香もお凛も、丸板を一枚ずつ出した。
それから、お凛は巧みな札さばきで山を作り、それぞれに五枚配った。
お香は、いかさまがないか、持ち前の動体視力で、札の動きを追っていた。
(怪しいところはないか……いや、序盤でいかさま、ということはなかろう)
いかさまとは、ここぞという場面でやるものだ。
お香は、裏返しに配られた札を手にして、絵柄を確かめた。
カスであった。お香が思案しているうちに、お凛が丸板を乗せてくる。
「三枚出すよ。さあ、乗るか反るか」
お香は、札を盆ゴザのうえにもどした。そして、思案した。
(どう立ち回ればよいのか、微塵も分からぬ。多少の駄賃は、致し方なし)
お香は顔をあげ、はっきりとした口調で、
「乗る。三枚だ」
と答えた。これには、お凛もニヤリとした。
「威勢がいいね……悪くないよ。札を交換しな」
○
。
.
「勝負ッ!」
お凛の発声とともに、ふたりは札をめくった。
【お凛】
【お香】
「……あたいの負けだね」
丸板十枚が、お香のほうに転がり込んだ。
ぎりぎりまで張った額であるから、大勝と言ってよい。
だが、お香の顔色は、かんばしくなかった――総額で負けていたからである。
日が天頂を過ぎた頃、お香の丸板は、当初の半分ほどになっていた。
「さ、次だよ、次」
お香が札を返すと、お凛はそれを表にして、脇によけた。こうして山が減っていき、勝負に足りなくなると、戻してまた山を作る寸法であった。
「……」
お香はあごにこぶしを添えて、盆ゴザと南蛮かるたを眺めていた。
「どうしたんだい? サマでも疑ってるのかい?」
「いや……次の勝負にいこう」
お香はそう言いつつも、黒田に目配せした。
黒田は黙したまま、首をかるく左右に振るばかりであった。
(黒田にも見抜けないか……いや、ちがうな)
いかさまは、行われていない。それが、お香の読みであった。博打に疎い彼女であったから、どのようないかさまが待ち受けているかは、つとに知らない。ただ、剣道と将棋で培った勘が、相手は正々堂々勝負していると、そう告げていた。
「さて、もうひと勝負……っと」
お凛が札を引いた刹那、襖がひらいた。
枕山が、昼食の支度を告げに来たのである。お香も、気づけば腹が減っていた。ここいらで、ひと休み入れることになった。勝負の最中とあって、それぞれ別室が用意されていた。飯は、一汁一菜であった。
「枕山殿、かたじけない」
「では、ごゆっくり」
枕山は会釈をして、襖を閉めた。
お香と黒田は箸を取り、膳に拝手してから、さっそく汁をすすった。
ふたりとも、しばらくは無言であった。
「……黒田、なにか気づいたか?」
「いや、なにも」
「そうか……」
いかさまは、されていないと思う――お香は、おのれの考えを伝えた。
これには黒田も、うなずき返した。
「俺も、そう思う。お凛に、あやしい動きはなかった」
「となると、負けが込んでいるのは、拙者の腕前ということになるな」
それは仕方がない、と、黒田は彼女をなぐさめた。
「懸念していたよりは、持ちこたえている。辛抱すれば、運も向くだろう」
「運の問題か?」
「ほかに、なにがある? 絵合わせだぞ?」
「たしかに絵合わせだが……どこか釈然とせぬ。将棋とおなじように、策のようなものがあるのではないか。だとすれば、運よりも技の勝負ということになるが」
「策? 裏返しになった札に、策など施せまい」
それはそうだ、と、お香も感じた。しかし、胸のうちがもやもやする。ここまで一刻半に渡り、お凛と札のやりとりをしてきた。直感的に、引っかかるものがあった。
その後、食事を終えたお香たちは、四分の一刻ほど休んで。勝負を再開した。
当初、一進一退かと思われたが、やはりお香の丸板は減るばかりであった。
とうとう、申の刻に差し掛かったところで、残り十三枚となってしまった。
「どうする? あきらめるかい?」
「いや……最後まで打つ」
お凛はかるく息を吐いて、札を配った。
さきほどからの勝負で、山の数は、残り少なくなっていた。
お香は札を引き、絵柄を確かめた。
(一揃いか……)
お香は、これまでの戦いから、いくつかの点に気づいていた。
まず、ほとんどの勝負は、カスか一揃いで決まる。二揃いならそこそこ勝てるし、三つ巴ならば大いに勝てた。連番からうえの役は、ほとんど出ないようであった。百に一度もない。そして、お凛は、一揃いのときの押し引きが、抜群にうまかった。
つまり、初手で一揃いになったときは、考えどころである。
お香は、手元の丸札を数え直して、気息を整えた。
(降りたとしても、次でまた一揃いくるとは限らぬか……)
お香は乗ることを告げて、三枚払った。
「じゃ、あたしはさらに二枚加えるよ」
「乗る。札を交換してくれ」
お香は三枚捨てて、三枚受け取った。
そして、おなじく三枚捨てたお凛の顔色を確かめた。飄々としている。
手の良し悪しを読み取るのは、無理なことのように思われた。
(さすがは博打打ち。心を表に出さぬか)
「拙者は、上乗せせぬ」
「あたいは五枚」
「!」
限度まで張ってきた。お香は疑心暗鬼になりながらも、これに乗った。
「いざ勝負ッ!」
【お凛】
【お香】
「ぐッ……一の差で負けるとは……」
「さぁて、丸板三枚になっちまったけど、どうする?」
お香は嘆息して、居住まいを正した。
「此度の勝負……拙者の負けだ」
丸板が十枚を切ってしまっては、どうしようもない。なぜなら、参加料を払ったあと、お凛が三枚以上賭けてくれば、これに乗ることができなくなってしまうからである。丸板が十一枚を切ったところで、負けという道理であった。
お凛は余裕綽々という様子で、あとかたづけを始めた。
「なかなか楽しめたよ。初手合いにしては、やるね」
「おぬしは、運がよかったな」
このひとことに、お凛は顔をしかめた。
「運だって? ……百番やろうが二百番やろうが、あたいには勝てっこないよ」
「さあ、どうであろうか。将棋と異なり、運任せの勝負ではないか」
お凛は一瞬だけ眉をひそめ、それからわざとらしく笑った。
「アハハ、いつでも受けて立ってやるよ。恥をかきたきゃ、またおいで」
こうして、場はおひらきになった。玄関まで見送りを受けたお香と黒田は、すっかり夕焼けに染まった道を、とぼとぼと北に向かって歩き始めた。
「先だっては、香之進らしくなかったな」
「なにがだ?」
「『運任せ』というやつだ。飯のとき、否定したではないか」
お香は半ばあきれ気味に、
「黒田、おぬしは、肝心なところで頭が回らぬな。仕込みに決まっておろう」
と返した。
「仕込み? どういうことだ?」
お香は、カランカランと鳴る下駄をとめて、うしろを振り返った。
堀の向こうに、赤く染まった江城がそびえていた。
「仕切り直しの言質を取ったのだ……かならず足を洗わせてやる」
【補足】
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。若干歴史的な補足説明をさせていただきます。今回、お凛とお香はポーカーのような遊びをしていますが、これはポーカーではありません。ポーカーは、19世紀にアメリカでできたゲームで、この時代にはまだ誕生していないからです。おそらく、お凛は、出島のオランダ商人が伝えたイタリアのプリミエラ、イギリスのプライアルなどを参考に、花札と合わせてオリジナルのゲームを考案したのだと思います。では、なぜ役がポーカーに似ているのか、ということになりますが、実はここが本作の第二のミステリ部分になります(第一のミステリは、もちろん知恵の輪です)。次回から、お香の南蛮かるた攻略編が始まります。
トランプの画像は、下記のものを使わせていただきました。
http://sozai.7gates.net/docs/trump/