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大江戸棋客伝2 ─ 将棋に賭けた女たち  作者: 稲葉孝太郎
第3章 壷とサイコロ
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第9話 女の身

 お香は畳のうえに座り、盆ゴザを挟んで、お凛と向かい合っていた。両袖にうでを差し込んで、けわしい表情をしている。その正面で、お凛は煙管きせるをくわえたまま、なんとも言えぬ澄まし顔を作っていた。

 そう、彼女は澄まし顔を作っていた。その気配からして、どこかしらひらきなおったようなところがあり、それがまたお香の神経を逆撫でした。お香は、なるべくいきどおらないようにと気をつけながら、くちびるを動かした。

「いつから、このようなことをしている?」

「……」

 お凛は目を閉じて、いかにも煙管を吸うようにタメ息をついた。

博打ばくちは、かたく禁じられている。お縄をちょうだいすることになるぞ」

「……」

 お凛がなにも答えないので、お香は攻め方を変えてみることにした。

「暮らし向きが悪いのか? ならば、多少の口利きはできる」

 お香が念頭においていたのは、白部しらべ藩江戸屋敷のことであった。別式女べっしきめとして仕えている彼女は、一度知り合いの少女に、職をあつらえた。そのときの手管を活かせば、お凛にも女中くらいの座は与えられるのではないかと、そう踏んだのであった。

「あたいが屋敷勤めに向いてるなんて、とんだ見当違いだね」

 ようやく口をひらいたお凛の一言は、自嘲的であった。

「それほどむずかしい話ではない。てきとうに頭を下げておけばよいのだ」

 お凛は煙管を噛み、それから吐き捨てるように、

「そういうのは、一番虫酸むしずが走るね」

 と告げた。なるほど、お凛の気性からして、ひとに頭を下げるのが、たいそう苦手にみえた。けれども、ひとに頭を下げないで済む職など、そうそうあるわけがない。

「おぬしとて、博打の胴元に、頭を下げているのではないのか?」

 お香は、我ながらうまい返しだと思った。ところが、お凛はニヤリと笑う。

「あたいはね、このあたりの賭場じゃ、ちょいと名が知れてるんだよ」

 これは、お香にとって意外であった。彼女の視線は、倉庫内にしつらえられた、隠し賭場の室内をうろついた。いかにも即興的なしろもので、家具はひとつもない。中央に盆ゴザがしつらえられ、それっきりである。お凛のうしろには、岡っ引きが飛び込んで来たときのための、逃げ出し口があった。さきほどの足音の主たちは、あそこから出て行ったのであろうと、お香は推察した。

「名が知れているとは、どういうことだ?」

「そのまんまさ。稼ぎ頭なんだよ」

 これまた物騒な流れになって、お香は閉口した。彼女は当初、お凛がいやいやながらこの職業に身を置いたのではないかと、そう思っていた。ところが、お凛の言動からして、むしろ好き好んでいるようであった。

 とはいえ、お香の心は、その矛盾に囚われなかった。べつに関心があった。

「おぬしが稼ぎ頭だと? ……信じられんな」

「信じようが信じまいが、本当のことだからね」

「それに、稼ぎ頭だから、どうだと言うのだ? 御法度は御法度だ」

「見込みの問題だよ。もうけととがのね」

「博打に見込みなどあるものか。すべては運だ」

 お香は、当然のことを言ったつもりであった。

 一方、お凛はあきれたように肩をすくめた。黒い着物が、妖艶にずれた。

「これだから、トーシロは困るんだよ」

「トーシロで結構。博打の玄人など、なんになる?」

 お凛は、左手の親指と人差し指で、丸い輪っかを作った。

「コレに決まってるだろう」

 ふたたび金に話がもどって、お香は大いに怒った。

「金に目がくらむと、ろくなことがないぞ」

「べつに、金が欲しいわけじゃないさ」

 お凛の言っていることは、ふらふらとしているように感じられた。しかし、彼女が素っ気ない長屋に住んでいるのは、事実である。贅沢三昧ではなかった。

「金が欲しいわけでもないのなら、真面目に稼ぐほうが得であろう」

「そうはいかないね。あたいは、この才を活かしてくれるところがいいんだよ」

「才とは、なんだ?」

「算法だよ……ほかに、なにがあるんだい?」

 お凛の口調は、どこか割り切ったような響きを持っていた。

「算法と博打のあいだに、どのような繋がりがあるのだ?」

 お凛は、粗末な脇息きょうそくを引き寄せて、それに寄りかかった。十代らしからぬ、大人びた笑みを漏らし、自分のひたいを、右手の小指で小突く。

「博打って言うのはね、算術の得意な者が勝つのさ」

「……?」

 お香は、盆ゴザのうえに散った賭け札をみやった。博打のバの字も知らぬ彼女には、これがどのようなたぐいの遊びなのか、判然としない。ただ、道ばたで見かけるような、簡単なサイコロ遊びとは、なにかが違うようであった。もっと手が込んでいる。

「博打というものは、運を天に任せるものであろう」

「そういうところがあるのは、否定しないね」

「ならば、答えがひとつに定まる算法とは、まったく無縁に思えるが?」

 算法において、解決を運に任せたりはしない。お香は、そう思った。

「そこが、トーシロだって言ってるんだよ。博打は算計さんけいが合わなきゃね」

「ならば、サイコロ博打は、どうなのだ? サイコロを振るだけであろう?」

 お凛は高らかに笑った。

「サイコロ博打でも、おなじことさ。あんたじゃ、あたいには勝てないよ。勝てたら、足を洗ってやってもいいくらいだね。月とスッポン、ピンとキリ」

 お凛は、ここでひと勝負するか、と尋ねた。お香は、むろん断った。

 博打から算法へ、算法から博打へ。

 のらりくらりとかわされたお香は、糸口が掴めなくなってしまった。

「ともかく、このような真似はやめろ。真面目に働け」

「あたいの才を拾ってくれるところがあるなら、そこで働くよ」

「算法が得意ならば、売り子になって、銭勘定をするという手もある」

 この提案に対して、お凛はひどく顔をゆがめた。煙管を噛んで、

「銭勘定なんて、こどもでもできるじゃないか。馬鹿馬鹿しい」

 と言い捨てた。

「どのような仕事ならば、腑に落ちるのだ?」

「そうさね……」

 お凛は、木板で打ち付けられた窓を、そっと見やった。

「勘定奉行のようなやつがいいね」

 これには、さすがのお香もあきれてしまった。茶化されたと思ったのである。

「それは無理だ。おぬしも、分かっていると思うが?」

「どうして、無理なんだい?」

 お香は理由を言いかけて、やや口をつぐんだ。

「それは……女だからだ」

 お凛は、それみろと言った様子で、ふたたび脇息に寄りかかった。

「ほら、ご覧。あんただって、実のところ不満なんだろう?」

「なにがだ?」

「女に生まれたことが、だよ」

 お香は困惑した。どう返してよいものか、素で戸惑った。

「そのようなことは……」

「あんたくらい腕が立つなら、本屋の息子でも、どこかの婿養子くらい、話があったと思うけどねえ。お武家さんになって、禄をもらって、家督も継げる。うまくいけば、書物奉行かその同心にでも、なれたんじゃないかねえ。もったいないねえ」

 お凛の言い回しが、あまりにも小馬鹿にしていたので、お香は思わず、

「拙者には拙者の生き方があるッ! 愚弄するなッ!」

 といきり立ってしまった。これを聞いて、お凛はしめたとばかりに、

「じゃ、その台詞、そっくりそのまま返させてもらうよ」

 と言い、お香の顔へ煙管の先端をむけた。

 一本取られてしまったのと同時に、さきほどの台詞が頭に来ていたお香は、

「もう知らぬッ! 勝手にしろッ!」

 と叫び、その場を立ち去った。

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