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「ねえフーガ君、雨やんでるよー」

「おお本当だ」

 どうやらせっかく持ってきていた折り畳み傘は出番を与えられなかったらしい。

 滝のように降っていた雨はたった数分でその勢いを弱め、ついには完全に力を失ったようだ。


「通り雨だったんだね」

 既に真っ黒な雨雲は学園の上空にはなく、少しはなれたところで猛威を振るっている。


 テッタは用事があるだとか電車の時間があるだとかで、あの雨の中走って帰った。

 俺達も雨がやむまで待つのを諦め帰ろうと校舎内を歩いているうちに、幸運なことに雨はやんだのだ。

 ちなみに永久之とわのは傘を持っていなかった……



 学園を出てしばらく歩いたところで、俺は長らく返し忘れていたハンカチを返そうと、自分のポケットに手を突っ込んだ。

 最近は何かと大変だったので、返さなければいけないと思いつつ、結局返せずに忘れてしまっていたのだ。


「なあ永久之」

「なに?」

 そう言って前にいた永久之は、立ち止まり俺の方に振り向いた。


 雨にぬれたアスファルトの道に、燦々と輝く太陽の日が反射してキラキラと輝く。

 それはまるで永久之が輝きを放っているかのようで、その光景を見た俺は思わず息を呑み、そこから先の言葉を紡ぎ出すことができなかった。


 この世界に俺と永久之以外のモノはなくなってしまったかのような感覚にとらわれる。

 それはもう、音や匂いでさえも。

 真っ白に……


「フーガ君?」

 でもそんな世界の中で永久之の声は、俺の中に染みわたるようにはっきりと聞こえた。

 その声を、永久之の声を聞くだけで俺の体は奥底から波打って、そしてその言葉は俺の胸を張り裂こうとする。


 一瞬吹いた強い風が、俺の肺に真新しい空気を送り込む。

 そのおかげで、俺の世界はもとの景色を取り戻した。


「ねぇ、どうしたの?」

「お、うわぁ!」 

 気がつくと目の前、鼻と鼻が当たるくらいの距離に永久之の顔があって、俺は思わず後ずさった。


「何やってんだよ永久之」

「もー、しつれいだね。フーガ君が呼んだんでしょ?」

 ああそうだった、ハンカチを返そうとしてたんだ。

 そう思いポケットからハンカチを取り出そうとする。


「悪い悪い……永久之に借りてたハン――」

「あっそうだフーガ君、前から言おうと思ってたんだけど」

 しかし俺の行動は永久之によってさえぎられてしまう。


「何だよ」

「その”永久之とわの”って言うのそろそろやめにしない?」

「やめにするって、どういうことだよ」

 名前を呼ぶなということなのだろうか。


「だから、そろそろ下の名前で呼んでよってこと」

 そういうことか。

 そういえば永久之は前にも名前について何かあった気がする。


 確か戦うのが怖くないのかを聞こうとしたとき”お前”って呼んで無視されたような。

 その後”永久之”って呼んでやっと話を聞いてくれた。


「なあ、永久之は何か名前にこだわりがあるのか?」

「知りたい?」

「知りたい」

 本当に知りたかった。


「じゃあ教えてあげる」

 永久之はそう言って歩き始める。

 俺が永久之の横まで追いつくのを確認すると、彼女は話を始めた。


「私が火守ヤトを探して、世界中を飛び回ってるっていうのは知ってるよね?」

「ああ」

 永久之はアンクルに襲わたところをナンバーズに助けらた。

 そしてそれに憧れ、自分もそれになるために<絶対>をたおすんだと語った。


「だからね、一つの所に留まらない私には、同い年の友達とか全然いなくて」

 そういえば小さい頃から訓練もしていて、まともな学校生活など送ったことがないと、体育祭に目を輝かしていた。


「だから知り合った先の人は、私がいなくなくなる前になるべく仲良くなってから別れたくって」

 思い出せば確かにそんなことも言っていたような気がする。

 早く友達になりたいからって親しみやすいように、語尾に『にゃん』だとか『パオーン』だとかつけていたときがあった。


「でもね、正直どうやったら友達になれるのか、どうやったら友達と呼べるのか分からなくって」

 そんなことは俺にだって分からない。

 今当たり前のように俺のそばにいるテッタだって、いつからそこにいたのか分からないし。

 友達だと、親友だと思ってはいるが、その理由や経緯にいたってはひどく曖昧なものだ。

 ただ気付けばそこにいた。


「だから私なりにいろいろと考えたの」

「それで”名前”にたどり着いたって訳か?」

「そう」

 そして隣にいた永久之は少し早歩きで俺の前に出て、俺を見上げた。


「だから、鮮花あざかって言ってみてよ」

「……」

 そう呼ぶのにはものすごく抵抗があった。

 何せテッタ以外に人を下の名前で呼んだことなんてまったくなく、生まれて初めてなのだ。


 俺の心臓はまた一段とせわしさを増し、必要以上に活動を始める。

 家はもう目の前に見えている、このまま何とか言わずにやり過ごせないものかと考えた。

 しかし目の前に立ち塞がる永久之は、期待をいっぱい目に浮かべ俺を見つめている。


「う……」

 そんな顔をされてしまっては、逃げ出すことはできなかった。

 そもそもこうなってしまった永久之から逃げ出せるとも思わない。


「ほら、あ・ざ・かだよ」

 永久之はまるで、幼い子供を相手にしているかのような口調でそう言う。


「あ、ざか……」

 俺は永久之の視線から逃れるようにして、ボソッとそう言った。


「そう! 鮮花あざかだよ。これからは鮮花って呼んでね」

 あまり気乗りはしないが、まあ、考えておこう。


「それじゃあ、また明日」

 永久之はそう言って自分の家へと歩き出した。


「おいちょっと、永久之!」

 俺はふと、当初のハンカチを返すという目的を思い出し、永久之を引き止めた。


「もー、鮮花って呼んでって言ったばっかりなのに。まぁいっか、いつかちゃんと呼んでくれるようになるまで待ってるよ」

 振り返った永久之はそう言って微笑んだ。

 そしてそれだけ言うと俺をほったらかしにして、走って家に帰ってしまった。

 結局今日もまた、ハンカチを返しそびれてしまった。


 そして俺は今日、あれだけうるさいと、うっとおしいと思っていたセミの鳴き声を、なぜだか愛おしく感じた。

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