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「ちょっと、どうしたのフーガ君、止まってよ」
永久之のそんな言葉が、俺の燃え上がっていた意識に水をかけた。
正気に戻りあたりを見渡すといつの間にか学園を出ていて、既に家まで残り半分くらいのところまで歩いてきていた。
俺は握っていた永久之の腕を放し、彼女の方を振り返った。
すると永久之は少し眉を寄せ困り顔で、包み込むような笑顔を俺に向ける。
「急にびっくりしたじゃん、どうかしたの?」
「え……あ、その……」
分からない。
やっぱり分からない。
何が分からないのかも分からない。
今日の朝から何かがおかしい、何かが変だ。
どうして永久之を見て心がはねた?
どうして飛行機雲を見て遠いと思った?
どうして俺は、永久之とテッタが楽しそうに笑い合っているのを見て息苦しくなった?
どうして俺は永久之を連れ出した?
どうして永久之といるとこんなにも……
「どうして……」
俺はうつむいて、意識せずそうつぶやいた。
「え?」
永久之はそのままでも結構な差がある身長をひざを曲げさらに小さくし、下を向いて立ち尽くす俺の顔を覗き込んだ。
永久之の吸い込まれるような瞳とバッチリ目が合い、またしても俺は目をそらした。
「その、あれだよ……ちょっと用事があって早く帰りたかったんだ」
俺は永久之の視線から逃れるように、隠れるように額を手の平で軽く掻いた。
「なら口で言ってくれれば私だってそれに合わせて急いだよ」
「俺に合わせて……?」
永久之のその言葉はなぜか俺の心の中にいた、黒いドロドロをきれいに洗い流していった。
「そうだよ、だいたいフーガ君がトイレに行ってるのを待ってたんじゃなかったっけ?」
「そうだったかな?」
俺の口を衝いて出た嘘は、まったく嘘の体を成していなかったらしい。
でもそれが嘘だと分かっていても永久之は、責めようとも問いただそうともしなかった。
「ま、何でもいいけど、急いでるならこんな所で止まってる場合じゃん!」
彼女は言うが早いか、その小さくてやわらかい手で俺の腕を掴み、歩き始めた。
「ちょ、永久之」
今度は立場逆転、俺が引っ張られるような形になった。
でも永久之と俺の歩幅にはかなりの差がある、俺が少し歩くスピードを速めるとすぐに追いついた。
そして二人で肩を並べ家へと急ぐ。
「なあ、永久之」
「なぁに?」
永久之に握られた手首は、そこに俺の体の全神経が集まったかのように、そこだけ火で炙られているんではないかというくらいに熱く感じた。
時間がゆっくりに感じた。
時間が止まっているように感じた。
時間が引き延ばされているように感じた。
道が長く感じた。
道が動いているように感じた。
道が伸びて行っているように感じた。
「テッタと……何話してたんだ?」
「さっき?」
永久之は俺の方を見上げたが俺は彼女の方を見ず、ただただまっすぐに前だけを見ていた。
「ああ」
「昨日やってた深夜のお笑い番組のことだよ」
「お笑い番組!?」
「そうだよ、たまたまテッタ君も見たって言うから面白かったねって話してたの。そしたらテッタ君が昨日見たネタを真似し始めてそれが可笑しくって。それがどうかした?」
それを見てたから今朝寝不足だって言ってたのか。
俺の心臓はドクンッと一回飛び跳ねて、疲れたのかそれ以上はしゃぎだすことはなかった。
時間はいつもどおりの早さだし、止まってもいなければ、延ばされてもいない。
道はいつもどおりの距離だし、動いてもいなければ、伸びていってもいない。
「いや、ただ楽しそうだったから気になっただけだ……」
「何それ、変なフーガ君」
そう言ってクスクスと笑う永久之。
好きなだけ笑ってくれ、変なのは自分でも分かっている。
「はぁ」
俺は深く大きくため息をついた。
「あ、そんなことよりフーガ君!」
永久之はそう言って、突然俺の目の前に自分の腕を突き出した。
数々の戦闘を乗り越えてきたとは思えないくらいの、白くて、きれいで、やわらかそうで、細く頼りのない腕。
しかし今その美しい腕には、うっすらと赤い線がいくつか張り付いていた。
「あっ、ごめっ――」
俺は咄嗟に謝ろうとした、それは俺の手の痕だったからだ。
よほど強く握ってしまっていたのだろう、手を離してしばらく経つというのに、まだそれが手の痕だと分かるくらいに赤く浮き上がっている。
しかしそんな俺の口を、永久之は突き出した手の平でそっと覆った。
「謝らないで。その代わり今度私のお願いをひとつ聞いてね」
そう言って少し意地悪く微笑む永久之。
「それじゃあまた明日ね」
手を離し、俺の前から駆け出す永久之。
気付くといつの間にか立ち止まっていたその場所は、既に家の前であった。
「おい! お願いってなんだよ!」
「それはそのときのお楽しみー!」
そのまま小さな鉄の門を開け、玄関へ向かう永久之。
彼女の小柄な姿はやがて塀に阻まれ、見えなくなってしまう。
俺も家へ帰ろうと一歩足を進めたとき、自分の手に違和感があるのを感じた。
「あ……」
その違和感の正体はカバンだった。
そう俺は今カバンを二つ持っている、自分のと永久之のカバン。
家の鍵は大抵カバンに入れてあるよな……
「フーガ君~! ちょっと待って~!」
そんなことを思っていると案の定、青ざめた顔の永久之が門から飛び出してきた。
「ねぇカバン学校に忘れてきちゃったの! 一緒にとりに戻ろうよ~ お願い! ね!?」
神様に拝むように目を瞑り手を合わせる永久之。
「じゃあさっきのお願いこれでチャラか?」
俺はわざとカバンを自分の後ろに隠す。
「え~そんなのやだよ~」
バッと開いた大きな目で、目を潤ませながら俺を見つめる永久之。
「う…………冗談だよ、ほら永久之のカバンは俺が持ってる」
「あ、ほんとだ」
一瞬固まったかと思うと恥ずかしそうに顔を赤らめ、カバンの方へ落としていた視線をゆっくりと上げ、俺を見つめる永久之。
「「あはははははは――」」
見つめ合って数秒、可笑しくて思わず俺も永久之も笑い出してしまう。
そうやって家の前で二人して、腹を抱えて笑う。
あぁ……




