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 翌朝、いつもどおりの時間に目覚まし時計に起こされ、カーテンを開いて軽く伸びをする。

 向かいの窓のカーテンはまだかたく閉ざされたままだった。


 一階へ降り、洗面所で顔を洗ってリビングへ行くと、母さんがソファーに座って、眠たそうに大きなあくびをしていた。


「ふぁ~、ん、フーちゃんおはよう」

「にゃ~」

「おはよう」

 きっと昨日寝るのが遅かったから、寝不足なんだろう。


 パレードは11時まで行われる、それを最後まで見たのなら帰ってきて寝るのは12時を過ぎるだろう。

 まぁ、そんなに言うほど遅くはないかもしれない、しかし母さんは子供並みに早寝でいつもは10時半には夢の中にいる。

 そんな母からすれば十分夜更かしに値するのだろう。


 と、そんなことを考えながらキッチンでトーストを焼く。

 焼きあがったトースト、バターそれとコップに注いだ真っ白な牛乳を並べて椅子に座る。


「いただきます……」

 そう小さくつぶやいて少し焦げかけのトーストをかじる。


「昨日のパレードすごかったね~」

 母はそのときの風景を思い出しているのだろう、なんだかうっとりしている。


「そういえば昨日フーちゃんの姿見なかったけど、パレード見なかったの?」

「うん、そんな気分じゃ…………いや、見たよ」

 見たさ、俺は昨日しっかりパレードを見た。

 それはきっと今までで一番最高で、一番楽しいパレードだった。


 俺はトーストをすべて食べ終え、最後に牛乳をいっきに飲み干した。

 そして「ごちそうさま」と軽く手を合わせ、かばんを手に取る。


「行ってきます」

「いってらっしゃ~い」

「にゃ~」





 家を出ると家の前には、久しぶりに永久之とわのの姿があった。

 いつもはきれいに整えられた髪だったが、今日はところどころはねてボサボサ。


「ふぁ~ぁ、おふぁよ~」

 そしてなんだかとても眠たそうだ。

 小さな口に手を当てながら、大きなあくびをしている。


「おはよう、どうした眠そうだな」

 母さんといい永久之といい、そんな姿を見せ付けられると俺も眠たくなってくる。


「うんちょっと寝不足で」

 そう言って苦笑いする永久之。


 そんな彼女の顔を見た途端、心臓が勝手に飛び跳ね始め、そして無意識のうちに俺は彼女から視線をそらした。


「どしたの?」

「ん……なんでもない」

 というより何か分からない、分からないものは説明できない。


「行こっか」

 そうして俺は永久之を前に、学園へと向かう。


 視線をそらした先に見えた二本の白い線。

 それは青空に線を引く飛行機雲、二つの雲はずっとまっすぐ並行に一直線に伸びていた。


 俺はその雲を見て、どうしてこんなにまっすぐでいられるのだろうと少しうらやましく思うのと同時に、こんなに近くに並んでいるのに、永遠に交わることが無いだろうということに少し物悲しく感じた。


 校門をくぐって、校舎に入り、階段を上がって、教室のドアを開け、中に入って、かばんを置き、自分の席に座って、窓の外を眺める。


 ――そして俺は思った。


 窓の外のもっとずっと向こう、遠い遠い空の果て。

 下にいては絶対に見えなかったであろう青空の彼方。

 そこにはさっき見た飛行機雲が。


 その雲は、永遠に交わることの無いと思われていた二つの雲は、片方がもう一方に吸い寄せられるように近づき、やがてもう一方もお互いがお互いに引き寄せられるようにして寄り添い、そして交わり、ひとつになってどこまでも伸びていた。

 まるで明日へ、未来へ向かうみたいに。


 ――そして俺は思ったことをつい口に出してしまった。


「遠いな……」


「遠くないよ、近いよ」

 その声が永久之にも聞こえていたらしく、彼女は椅子に膝をついて身を乗り出しそう言った。


「この学園には2時間以上時間をかけて登校している人もいるんだから、徒歩で10分もかからない私たちが泣きごと言ってちゃ、その人たちに怒られちゃうよ?」


「…………ん? ああ、そうだな」

 なんだそのことか。


 確かに登校に要する時間や体力は、俺と永久之が一番少なくて済んでいるだろう、なんたって学園に一番近い家は俺たちの家なのだから。

 その上、道のりに起伏はない、ひとつ文句を言うとしたらこの季節はセミの鳴き声がうるさいということだけだろうか。


 一瞬何を言われているのか理解できなくて、返事をするのに間ができてしまった。

 そのせいで話がいまいち噛み合ってないことに永久之もなんとなく気づいたみたいだ、小首をかしげている。


「あれ、なんか違った? 何が遠かったの?」

 そう言われて考えてみれば、なぜ遠いと感じたのだろう、何が遠いと感じたのだろう。

 考えれば考えるほど分からなくなっていく。

 そして分からないことは、やっぱり説明できないのであった。


「おっはよー、トワちゃんフーガ。どうしたどうした朝から二人でぼけっとして」

 そんなことを言いながらテッタは俺達の方に近づいてきて、俺の首に勢いよく手を回した。


「おうテッタ」

「あ、テッタ君おはよう」

 永久之はテッタを見るやいなや、もじもじとし始めた。

 そして体を思いっきりまげて、深々と頭を下げた。


「昨日はほんっとうにごめんなさい」

 永久之は誤りながら、何度も何度も頭を下げる。

 そのたびに元からぼさぼさだった髪の毛が、さらに荒々しさを増してゆく。


「いいっていいって、気にしてないから、もう謝んないでくれよ」

 テッタはそう言ったものの、それでも永久之は謝罪をやめようとはしなかった。

 担任が来てホームルームの開始を告げるまで、ひたすらテッタに謝り続けたのだ。

 そんな永久之に、テッタは終始困り果てた顔をしていた。





 放課後、帰りのホームルームが終わり生徒たちがぞろぞろと帰り始める頃、俺は帰る前にどうしてもトイレに行きたくなり、一人教室を離れた。


 用を済ませ教室に戻ると、そこでは永久之とテッタが2人で話をしていた。

 既に他の生徒の姿はなく、今この教室にいるのは俺とテッタと永久之の3人だけだ。


 永久之とわのはとても楽しそうで、終始笑顔である。

 そしてその笑顔は今テッタに向けられている。


 そんな光景を見て、永久之と出会ってからあまり感じることのなかった、黒いもやもやが心の中に訪れる。

 いや訪れたと言うより、黒くぽっかり空いてしまったような、なくなってしまったような感覚だ。


 これは何だ……?


 俺は教室のドアをくぐり一歩、その場から動けなくなっていた。

 いつも俺の心に舞い込んできた黒い渦、それは確かに”怒り”だった。

 でもこれは何か違う。


 心臓を直に何かでそっと締め付けられているような、微妙な感覚。

 不安? 焦燥? 恐怖? 苦しみ? 悲しみ? 絶望?

 違う……分からない……


 俺の心臓は勝手にはしゃぎだし、ドクドク大きく脈を打って俺をさらに追い詰める。

 その鼓動はこの広い教室の隅々にまで響き渡るかと思えるくらい、大きくゆっくりと音を放つ。

 脳までが心臓になってしまったような、いや体全体が心臓になってしまったような感覚。

 目の前で、いくつもの大きな太鼓をめいっぱい叩かれている、そう言われても信じられる。


「はぁ、はぁ、はぁ」

 うまく息ができなくなり、息はしだいに荒くなる。

 口の中はカラカラに渇き、のどを潤す一滴の唾液さえ与えてはくれない。

 俺はなぜか不意に『俺、この体育祭が終わったら、トワちゃんに告白する』というテッタの言葉を思い出した。


「おい永久之とわの帰るぞ!」

「え、ちょっ待ってフーガ君!?」

「おいフーガ、お前に話が――」

 気付くと俺は永久之とテッタが話をしていた場所まで近づき、片方の手に自分と永久之のカバンを掴み、もう片方の手に永久之の細く真っ白な手首を握っていた。


 そして2人が何か言っているのにも聞く耳を持たず、永久之を引っ張るようにして教室を早足で飛び出した。

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