4.追憶・少女と竜の出会い(後編)
「──それよりもさっさと薬草を取りに行くわよ。付いて来るなと言っても来るんでしょうし」
「ああ、行こうか」
少女の言葉に私は当然とばかりに頷きを返し、彼女に付き従うようにして共に森の中へと歩みを進める。
これから進む森の奥で、私と彼女は出会った。忘れたくても忘れられない──忘れたくもないが──大切な思い出。彼女との邂逅は、私に衝撃と歓喜を齎した瞬間だった。
竜にも、人と同じように都市や村のような竜が集まる住処があり、大陸内の山に囲まれた森の奥深くに存在していた。その竜の里は、地上を永遠の住処とした地竜と、年老いた天竜の長老達を中心として成り立っている。
竜は、成竜と成り、年老いて力が衰退していく手前までが繁殖期であるが、その寿命の長さからか繁殖率は低く、生涯子供を儲ける数はそう多くはない。
また、竜は愛情深く、多くの竜は伴侶となる相手を選んだら死ぬまで添い遂げる。ハーレムだ何だと言うものもいるにはいるが、そういった輩は稀であり、生涯唯一人といった竜が大半を占める。なので、同世代と呼べるものの年齢差は幅広かったりする。
里の外で生を受けた以外の殆どの竜は、成竜となる500歳までは里の外に出されることはなく、子供が少ないこともあって里の中で大切に育てられる。
たまに、やんちゃで悪戯好きな子竜が、里の外に出て心配をかけ、親や他の成竜達に怒られたっぷり絞られるといった光景も見受けられた。
かくいう私も好奇心旺盛な子供だったので、度々里の外に出ては親に怒られ、その度に雷が落とされていたっけな。……この雷は決して比喩などではなく、……母とは優しく、時には厳しく、そして恐ろしいものだとだけ言っておこうか。
子竜が成竜となるまでは、親や長老達の手によって様々な生き抜く為の知恵を授けられ、そういった事の繰り返しの日々で過ぎ去っていく。将来、この里から降りる場合の知識や人化の術についても、この時身に着けさせられる。
500歳を迎え成竜となると、里の外に自由に出られる権利を得、里に残るか、外に出るかの選択をすることになる。
空を飛ぶことを止め、地上での暮らしを選んだ地竜は勿論、天竜でも大抵のものは里に留まることを選び、私のように里を出るものはそう多くはない。
以前より外の世界に興味を持っていた私は、竜の里を出る事を選んで人里に降り、気の赴くまま風の流れに身を任せるようにして、風によっての音を伝え聞き取る情報収集や、ステルス(=隠密)の魔法で身を隠して人里を窺ったり、時にはリスクを背負いながらも人型となり、人に紛れて人間の生活を学びながら世界各地を放浪するように過ごしていた。
里を出てからの100年間、里に戻った事は一度もない。同時期に里を出た悪友ともいえる親友にたまに会う位で、他の竜にはあれから会っていない。里から出る竜の数を考えてみれば当然ともいえるが、別段寂しいと思った事もなかった。
そしてある日、喉の渇きと空腹を覚えた私は、人里から多少距離のある森の中に小さな池を発見し、其処で旅の疲れを癒やす事にした。
池の水を飲んで喉の渇きを潤すと、次は空腹を満たすべく辺りを見回す。
竜は、魔物や動物の肉を食べる姿から肉食だと思われがちだが、果物や野菜、道端に生えている雑草といった植物までも食する雑食である。
こういった水場には、私のように喉の渇きを潤す為に動物が集まったりするのだが、生憎今はこの近くに他の動物の姿はないようだ。植物だけの食事は味気なく少し物足りなさを感じるが、ないものねだりは出来はしないので、此処に生えている植物を食べることで空腹を満たすことにする。
食事をしていると、浅い水溜まりの中に仄かな青白い燐光を放つ植物を見つけた。
……確か、この植物は高い回復力を誇る薬草だったはず。疲れもあることだし、折角だから少し戴いておくことにしよう。
薬草を発見した時、風の知らせで人間の子供がこちらに近付いて来ていると気付いてはいたが、どうせ自分の姿を見れば逃げ出すと思い、放っておく事にした。
しかし、その予想は唐突な罵声によって大幅に裏切られる。
「ちょっと、そこの白竜! なに私が丹精込めて育てている薬草ちゃんを頬張ってるのよ! この薬草泥棒!」
その予想だにしなかった行動と、唐突に浴びせられた言葉に衝撃を受け、薬草を口に含んだまま開け放しにし、唯呆然としてしまっていた。端から見れば、きっと間抜けな面を晒していたに違いないだろう。
いきなり罵声を浴びせてきた人の子。それは、鮮やかな紅の髪を後頭部の頂で一つに束ね、薄茶色の瞳は吊り上がって鋭い眼光を放ち、その瞳に脅えた様子はなく、真っ直ぐに自分を見据えてきている。怒りで朱く染まったその顔は、まだ年端もゆかぬ少女のものだった。
人というものは、己と姿形の異なる物・力ある物を忌避する。ましてや自分は人々に畏怖の対象とされている竜だ。
だが、この少女は違った。竜である私の本来の姿を目にしながらもいきなりくってかかってきたのだ。――誰もが畏れる竜の私に。この娘は私が恐ろしくはないのだろうか?
あまりの衝撃に暫し呆然と立ち尽くす。だが、それと同時に、私はその娘に強く興味を惹かれていた。
――しかし、この人間の子供は今何と言った?
……確か、薬草泥棒と言ったような。……いや、しかし此処は森の奥底だぞ……。
こんな具合に私が思考に意識を傾けていると、更なる罵声が飛んできた。
「ちょっと、聞いてるの! 薬草泥棒さん!」
その声に私はハッとなり、我に返る。すると、いつの間にか人の子が私との距離を縮め、その小さな身体からは信じられない程の威厳を放ち、私に向かって人差し指を突きつける姿があった。
その瞳は変わらず、真っ直ぐ自分を射抜く勢いで見つめてきている。
そして、娘が再度言い放った薬草泥棒という言葉で、私が現在口に含んでいるこの薬草が、目の前の娘が育てている物であったことを知る。
それは悪いことをしてしまったなと思い、私は素直に謝罪するにした。
──通常、人と竜は解する言葉の違いから、会話など成り立たないと思うだろう。
然れども竜は高い知性の持ち主で、人語を理解し、人の形を真似て姿形を変え(=人化)、会話することも可能である。だが、人型をとることはリスクを伴うこともあり、わざわざ人の形をとらなくとも会話出来る手段を持ち得ている。それは、相手の脳に直接己が意思を伝えるもので、私達竜はそれを“念話”と呼んでいる。但し、この念話の場合は、相手が此方に抱いているイメージが大まかな基となる為、人化した時にする会話とでは口調が違うといった齟齬が生じる事もあったりするそうだとか───
私の念話を使った謝罪を受け、娘は怒りを鎮めてくれたようだ。
そして、己の行動を思い返して恥じるように詫びてきた。
「いいえ、私も泥棒扱いしてごめんなさい。こんな森の奥で栽培しているなんて普通思わないものね」
少女の謝罪に、悪いのは自分だから怒られたことは気にしていない、と伝える。
だが、私が彼女が大切に育てていた薬草を食べてしまった事実に変わりはない。失ってしまったものは元には戻らない。……お詫びに何か、私に出来る事はないだろうかと考える。
そうだ、竜の加護を彼女に与えよう。妙案を思い付いた私は直ぐ様その事を少女に伝え、竜の加護を授けた。
加護を授け終わると少女は不可思議そうな顔をしていた。外見的には何も変わり映えなどしていないのだから、そう不思議がるのも仕方が無いことなのかもしれない。
だから、私は自分の与えた加護について説明する。彼女に私が与えた加護、それはあらゆる外的要因からその身を守るもの。つまり、怪我や病気に強くなり、かかり辛くなるといったものだ。
私の説明を受け、少女は少し申し訳無さそうな表情を浮かべて感謝の言葉を述べてくる。
そうして短い間話しただけでも、思っていることが素直に表情に現れてしまうのだとわかる彼女の仕草に、私はふと先程思ったことを問い質してみたいという思いに駆られた。
先ずは、聞いてみたい事があるのだが……、と前置きをして尋ねてみることにすると、娘からは案外あっさりとした承諾が得られる。
そんな娘の気安い態度に後押しされ、拒絶されたら……、という不安に僅かに躊躇いながらも、何処か仄かな期待を胸に抱いて問い掛けた。
私の姿を見てどう思うのか、恐ろしくはないのか? と。
私の問い掛けに、娘は一度じっと私を凝視した後、顎に手を添え宙を見やるようにして考える素振りを見せた。数瞬後、顔を私に向け、その瞳に私の真の姿を捉えながら問い掛けに答える。
「そうねー。鋭い爪や牙を持っていて、こんな図体をしているから一見恐ろしく思うかもしれないけれど……。目は口ほどにものを言うといってね、貴方の眼を見れば殺意や狂気がないのは判るし……あっ、子供と思って馬鹿にしないでよ! お婆ちゃんの仕事を手伝って色んな人を見て来たせいか、こう見えて人を…って貴方、竜だけど人も竜も変わんないでしょ。見る目はあるつもりよ。話して見て更に確信したわ。怖く何て無い。寧ろ初対面の私に謝罪と称してこんな立派な加護を授けるあたり、お人好しと言ってもいいんじゃないかしら。
ふふ、貴方の瞳、まるで夜明け前の空みたいな色ね。それに、その体に光が反射して光り輝いていて、とても綺麗だと思うわ」
言い終わる直前に、彼女は澄んだ瞳で屈託のない笑顔を浮かべていた。
その答えに、私は更なる衝撃と言い様のない歓喜に打ち震えた。
――人も竜も変わらない。その一言が、どれだけ貴いものか彼女は気付いているのだろうか。
そして、彼女の発した綺麗という言葉が、私の胸を突き捉えて離さない。心臓がドキドキとその鼓動を高鳴らせ、その音が身体全体に伝播してしまったかのように鳴り響いている。体温も心なしか上昇しているように思われる。
そのことに戸惑いながらも、今まで己自身でも気付いていなかった心の隙間が、温かいもので埋め尽くされて満たされていくのを感じていた。
未だかつて味わったことのないほど高ぶる感情と温かく満たされていく幸福感。
……これが…もしや、恋に落ちてしまったという事だろうか?
そのことを自覚した私は、彼女の顔を直視出来ず、質問に答えてくれた彼女に感謝を伝える際、照れて顔を背けてしまっていた。
少々ぶっきらぼうだっただろうか。そう思うと、やってしまったと後悔に頭を悩ませる。
思えば、興味を惹かれた時には、既に恋していたのかもしれない。彼女の答えを聞いた瞬間、想いはそれすらも飛び越えて愛に変わってしまっていたようだ。
私が人外の存在であるにも拘わらず、人と分け隔てないその態度に、己の全てを受け入れてくれる、そんな予感を起こさせる存在に、出会えた幸運に神に感謝すらした。
そうして、明確な自覚を果たした私は、彼女に触れたい、彼女の事をもっと知りたいという想いが沸き上がってきた。
だが、竜の姿のままでは鋭い爪が彼女を傷つけてしまうかもしれない。――ならば、人の姿になればいいではないか。そう誰かの囁くような声が脳裏を過ぎり、リスクの事を頭の片隅から追いやってしまった私は、決意したように彼女に顔を向けた。
そして、私は人の姿をとるべく“人化の術”を発動する為、意識を集中させる。
金色の眩い光に身体が包まれ、次第に身体が小さくなっていく。その光が一層輝きを増した後、私の身体は人型に変化していた。
私が人型に変化した事で、目の前にいる少女は戸惑いを見せる。薄茶色の瞳を大きく見開き、瞬きを繰り返す。そして、先程までいた竜の姿を探し求めるように、頭を忙しなく動かしていた。
何の説明もなく、いきなり人化したのだ。戸惑うのは当然のことであろう。
戸惑う彼女に、私は“人化の術”についての説明と、先ずは彼女の名前を聞くことから始めようと口を開く。
「困惑させてすまない。先程まで目の前にいた竜が私だ。これは、人化の術といって、人ならざるものが人に歩み寄り理解しようと思い至った結果生み出された術だ。私の名はブランと言う。君の名は?」
「……えっと、レティシアです」
私の説明と問い掛けに、彼女は困惑しながらも答えてくれた。
そんな彼女の困惑する様子すら可愛らしいく想い、愛しい気持ちが抑え切れず、つい頬が弛んでしまう。
――彼女には、他に誰か想う人はいるのだろうか?
そんな考えが思い浮かび、他の誰かが彼女の隣に並んでいる姿を想像した。……そんなものは堪らないな。他の誰にも渡したくない。そんな独占欲が私の心を占める。
ならば、彼女を手に入れよう。思い立ったら吉日、早速結婚の申込みをすることに決めた。
そこでふと、人は大切な事を誰かに誓う際、片膝をついて相手の手を取り、相手の眼を見据えて宣誓する、と何処かで見聞きしたと思い出す。
その記憶に従い、私は流れる動作で片膝を地面につけ、彼女の手を取り、彼女を見据え告げる。
「私、ブランシルド・シルヴァイスは誓う。レティシア、君に惚れた。私と結婚して欲しい」
宣誓して、自ら手に取った彼女の小さな手に口づけた。
「……ほえっ!? ……えーと、今のは聞き間違い?」
少女は、私の言動が信じられないといった風で狼狽え、可愛らしい驚愕の声を発しながらも聞き直してきた。
そんな仕草すら全てが愛しく想え、ああ、もう可愛くて抱き締めたくなると沸々と沸き上がる衝動を堪えながらも、彼女から視線を反らせない。
「聞き間違いなどではない。今一度言おう。レティシア、君に惚てしまった。私と結婚して欲しい」
少女は、私の再度の求婚の言葉に漸く理解したという顔を見せると、叫び声を上げていた。
彼女と出会った日の事を思い出していたブランは、いつの間にかクスクスと笑い声をあげていた。
「なに急に笑い出してんのよ」
レティシアを見ると、彼女は足を止め、ジト目で此方を睨んでいた。
「……ごめん、ごめんね。君と出会った日の事を思い出していたんだ」
彼女に向き直り、謝罪の言葉を口にしながら、宥めるようにその頭を軽く撫でる。
「私の姿を見た人間は、物好きがたまに闘いを挑んで来ることはありはしたが、恐怖し逃げ出すのが当たり前で……。君と来たら恐れ逃げ出さないばかりか、いきなり説教ときたものだ。その上、私が怖くはないのかと問えば、綺麗だと褒めてくれた。そんなことは生きてきた中で初めてのことだったよ……。竜の寿命は長い。時間はたっぷりあるから気長に待たせて貰うよ。でも、覚悟してね。君はこの竜である私の心を射止めたんだ。決して逃しはしないから」
そう言って、少女の束ねた髪に手を伸ばして手に取り、その紅の髪に優しくそっと口付ける。
竜の青年ブランにとって少女レティシアとの出会いは、忘れる事の出来ない夜空に瞬く星々の如く煌めいた宝物のような大切な思い出だった。
ある日、白竜と少女が出会い、竜が少女に惚れた。──青年の言葉を借りると心を撃ち貫かれた。つまり、ある意味竜が倒されたと認識した為、現在の“竜殺し”の称号にあたる……、という訳である。
“竜を殺していない竜殺し”
彼女にとっては災厄以外のなにものでもないが、そんな史上初の快挙を成し遂げてしまったのがレティシアである。
※ブランは、多少の情報収集はしているのですが、人の行動生活についてちょっと勘違いしたまま身につけちゃったりしてることがあります。