23.人化の代償、そして友への依頼
昨夜はあれから、真名の縛りに因る戒めの為に掛かった負荷により、消耗した身体を休めようと休息を取ることにして、眠りについた。
一夜明け、私はこの状況をどうにかして覆す考えを巡らし始める。
このまま何もせず動かなければ、状況が変わる事はない。いや、寧ろ悪くなる一方である。
まだ、竜の姿で閉じ込められていれば良かったのだが、人型にされてしまっては今ある力が回復する事はなく、使えば減る一方なのだから。
“人化の術”を使う際に生じるリスクといえる人化の代償。それは主に3点になる。
先ずは、1つ目の身体的な特徴の違い。
竜本体であるならば、鋭い爪や牙といった天然の武器は勿論のこと、頑丈さが桁違いである。鱗に覆われた身体は、普通の武器では先ず歯が立たない。かなり特殊な加工や強化の施された武器でない限り、竜の身体を傷付けることは適わない。また、病気の類にも罹り辛い。
それに対して人の身体はというと、鋭い爪や牙のような天然の武器はあらず、身体能力は高いが身体のみで闘うのには限度がある為、武器の存在が必要になる。だから予め人化する際に、骨の一部を武器へと変じさせた“竜刃骨”を生み出しておき、それを体内に納めておく。但し、この武器を生み出す際や人化には痛みを伴う。まあこのくらい、痩せ我慢で堪えてみせるけれどね。それに人の身体は竜体と違って普通の武器によって簡単に傷付くし、常人よりはかかり難いが病に罹ることもある。
そして、2つ目は人化する際に他種族に目撃された場合に生じるリスク。
目撃された相手と互いに名前を交わし合わなければ、再び竜の姿に戻ることが出来なくなるというもの。
私の場合は、恐怖も差別もしない彼女ならば大丈夫だという確信があったからこそ、目の前で人化して見せたというのもあった。
そして最後の3つ目は、持ち得る力の違いである。
人化した時に持つ力は、その人の身に余る強大な力は減少されており、本来の竜の時の10分の1程度にまで落ち込んでしまう。
それに、人化している際中に使われた力は回復することはなく、再び竜の姿に戻るまでは回復しない。しかも、竜へ戻ろうとも直ぐには回復することはない。
これは、小さな人の器に大きな竜の力を無理やり小さくして押し込めた反動なのかもしれないと思うわけだが、今回はそれが災いしてしまっていた………。
さて、この状況を打開するには拘束具は兎も角として、先ずは真名による縛りの解除、これが必要不可欠である。
真名による縛りを解く方法は2つ。
先ずは真名を知る者によっての、真名を使った拘束の上書き解除。
真名───そのことで、レティシアの姿が一瞬思い浮かんだ。しかし、直ぐにその姿を払い除ける。
私を拘束具まで使って閉じ込めているのだから、油断している可能性もなくはないが、彼女に危害を加えようと言っていた長老達のことだ、未だにそう考えている節もまだ大いにある。そんな場所へと彼女を招き、進んでその身を危険に晒すような真似は出来ない。
ならばもう1つの解除方法はというと、それは己の精神力でもっての力尽くの解除である。
しかしこれは、掛けられた者の力が大きければ大きいほど真名の縛りが強く働くといった、一見矛盾に満ちた作用を持っているため、並大抵のことでは成し得ることは出来ない。それは例えるならば、世界を一度壊して新たに作り直すくらいの難易度なのだ。神の所業といっても過言ではない。
だが仕方ない。それでもやるしかないのだ。両親を期待することなど全く出来はしないのだから……。
これはある意味、私の彼女に対する愛情の深さが試されているといっても良いだろう。
ならば私はその愛の深さを証明してみせようではないか!
私の心は既に決まっており、その想いが揺らぐことは決して有り得ない。だから、こんな無駄なことは―――監禁など無駄であると長老達に分からせてやろうではないか。
そう意気込んで決意を新たにし、ブランは真名の解除に取り組んでいった。
しかし、その想いの深さとは裏腹に、毎日真名の解除に挑み色々努力はしてみても、その解除は一向に進んで行かなかった。
───そうして3週間の時が過ぎたある日、監禁されている彼の下へ、予期せぬ訪問者が姿をみせた。
今日もブランは真名の解除に挑んでいた。
そこへ不意に、監禁されている部屋の扉が開け放たれた。
「よお、ブラン。元気にしてたか?」
扉を開けて、開口一番にそんなことを言ってきたのは、赤竜の姿から赤い髪と金色の瞳をした人間の青年へと転じた───私と彼女のことを長老達へと密告した張本人、カリヴァーンの姿であった。
彼はわざわざ人型となって部屋の中へと入り、扉を閉める。
「誰かと思えばカリヴァーン、…ってカルか。何が『元気にしてたか?』、じゃないだろ! お前のせいでこんな事になってるんだろうが!」
「なんだ、気付いちまったのか。それにして、口調が砕けてきてるぞ?」
「此処には他に誰もいないからいいんだよ。それに、今更お前相手に取り繕う必要もない」
普段は里長になる立場の者として、それに相応しい立ち振る舞いをして己を律してみせなければいけない私であったが、悪友ともいえる親友の前ではそれなりに砕けた口調となる。
カルとは年も近く、血筋のこともあって幼い頃より多くの時間を共に過ごして来た。色々と2竜で連んで遊び、気心も知れている。2竜で里の外に出ては共に怒られた記憶が今でも鮮明に思い出される。
「だが、遅かれ速かれ何れはこうなっていたと思うぞ?」
「ぐっ!? それは確かに、あの長老達の異常な固執振りからして有り得なくはないな……。だが、お前が報告していなければ、事前に対策を打たれるような事態にはならなかった。あっさり裏切りやがって!」
「まあ、少しくらいは悪かったとは思ってるぜ。だからこうしてご機嫌伺いに来てるってわけ。だが、対立は避けられない事実だ。寧ろ、3年も報告を遅らせてやったんだから、感謝して欲しいくらいだぜ?」
「悪いと思っているのは少しだけかよ……。全く反省してないな、相変わらず」
「諦めの悪さと女癖の悪さには定評がある」
「……危うく感心仕掛けるところだったが、それは自慢出来ることじゃない!」
本当にカルは相変わらず昔から変わらない。幾ら怒られようとも、その場では反省してみせても直ぐに忘れてお構いなしといったところなのだから。
私はそのことに少し呆れてしまう。
「まあ、そんなこと言わないで。釣れないお・ひ・と・ね」
「……気持ち悪いから、今すぐやめろ。吐き気がする」
裏声を使って、何処かの女が擦り寄るかのように猫撫で声でもってしなりを作ってウインクしてみせるカルの姿に、思わず怖気が走る。低い男の声帯で、例え裏声を使って可愛らしく女性のように振る舞ってみせようとも、実際はそのようには決してならないので、姿も相俟って最早気持ち悪さしかない。
「さて、冗談はさておき、長老達への報告は俺の義務でもあるからな。それはおまえも理解してるだろう?」
「……それは私も理解している。お前のお陰でああやって外に出る事が出来たんだからな。しかし、その辺は上手く誤魔化すとかしておいてくれても良くないか?」
急に真面目な顔と話題になるカリヴァーン。先程までのちょっとしたおふざけが嘘のようである。
そう、カルが言った長老達へ報告する義務があることは私も理解していた。
私が成竜となると同時に里の外に出たいとの意思を示した時、長老達は挙って反対をした。
だが、『里の外に出て本当の人間や世界を学ばなければ里を守り抜くことなど出来ないのではないか?』という私の説得と、カルの口添えのおかげもあって、漸く里の外へと出る許可を得られたのである。その時カルは、『時折俺がブランに会ってその行動を報告する』という事を長老達に約束し、説得に協力してくれたのだ。
それには感謝しているのだが………。
「俺としては寧ろ、3年も傍にいて何もない方が可笑しいと思うぞ。3年あれば、既成事実の1つくらいあったとしても可笑しくないと思うんだが?」
前言撤回。やっぱり真面目な話ではなかったな。
「お前と一緒にするなよ。待つって決めてたんだし、彼女はまだ幼かったから仕方が無い。そんな彼女に手を出してみろ。私は完全に嫌われた上、変態の烙印を押されるだけだろうが! それに、心を伴わない身体だけの関係なんて、虚しいだけだろ。私は彼女の心まで手に入れないと嫌なんだよ」
「俺は別に良いと思うけどな。身体だけの関係も」
「……だから、お前と一緒にするな。私は1人だけで充分だよ。寧ろお前みたいの方が、私達竜族にとっては稀有だろ」
私は盛大に溜め息を吐き出して、呆れた様子をカルに示す。
だがやはり、カルには効き目がない。ふっ、と笑ってまるで堪えた様子は見受けられない。
そんなカルの様子に私は再度嘆息し、気持ちを切り替える。
「さて、そろそろこの馬鹿な遣り取りも終わりにして、本題に入らせて貰おうか。お陰で良い気分転換にはなったよ、カル」
「もう良いのか?」
「ああ、お陰様で八つ当たりさせて貰ったし、心も大分晴れたよ。だが、それでも矢張り半分はお前の責任でもあると思うぞ。せめてお前が里に残っていてくれれば、長老達も此処まで私に拘り続ける事はなかったことだろう。始祖竜の血を受け継ぎ、私の次に力の強いお前が居ればな。……しかも、里を出る理由があれだしな」
彼が里を出た理由。その事を思い出し、私はまた嘆息する。
カリヴァーンは私とは親兄弟は違えども、彼もまた白銀の竜である始祖竜の血を受け継ぐ者である。しかも、リーヴとは兄妹の関係に当たり、里の中では私の次に力が強い。
リーヴとは似ても似つかない容姿に思われるだろうが、人間と違って竜族は、確かに血は受け継がれるものの、その力や色が必ずしも受け継がれるとは限らないのだ。だから、尚更長老達が拘るのは無駄に思えてならない。
そして、私とは全く違うカリヴァーンが里の外に出たいと言った時の理由というのは───世界中のまだ見ぬ女達が俺を呼んでいる───である。
思い出したら腹が立ってきた。
「まあ、お陰さんで俺は自由にさせて貰っているけどな」
「わかっているなら頼み事くらい聞いてくれよ」
「別に良いぜ」
先程と変わらぬ気安い様子でカルはあっさりそう頷いた。
「なら、私の事は良いから、レティシアのことを頼む。長老達が彼女に危害を加えようと未だに企てている恐れもあるから、私は安心して解除に専念することが出来ない。彼女のことを守って欲しい、私が戻るまで」
私がそう言うと、カルは少し憤慨したような顔を見せた。
「女に危害を加えようなんざ、長老達も男の風上にも置けねえな。それなら、頼まれてやるよ。他でもないおまえの頼みだしな。ましてや相手は美女だしー」
最後にそう締め括ったカルはかなり嬉しげだった。その言葉に、思わず私は片眉をぴくりと持ち上げる。
「……何でわかる。あれから会ってないだろ?」
「そりゃあ、一度でも会えばわかるってもんだろ。それよりおまえの事はいいのか? かなり苦戦している様子だが……?」
何だかんだと私の心配までしてくれるカリヴァーンに、1度は裏切られたようなものの私は嬉しくなった。
だが、私はその申し出を断る事にする。彼女の心配がなくなった今、先程カリヴァーンにも語ったように、安心して解除に専念出来る。焦りや迷いといったものは、集中力を削いでしまうからだ。
「ああ、私の事はいい。自分で何とかしてみせる。それと、彼女には私の現状は伝えないでくれ。心配させたくないからな」
「はあー、自分のことより彼女の心配か。……おまえらしいけど、正しくゾッコンってやつだな」
「ああ、そうだな。ぞっこんだよ。もう彼女なしじゃ生きられない。生きている意味がない。だからカル、少しの間レティシアの事は頼んだよ」
ニヤリと笑ってみせるカリヴァーンに応えるように、私も笑ってみせた。
彼女のことは、カルに任せて置けば大丈夫、安心だといえる。
しかし、私は此処で別の懸念に思い当たった。女癖の悪いカルのことだ、私の相手と知りながらも彼女と会った瞬間から、口説いたり手を出そうとするかもしれない。
だから、念のため釘を刺しておく。
「但し、彼女を口説いたり手を出そうものなら、半殺しじゃ済まないからな?」
「心せめー。そんな奴が里長はねえよ、将来が不安になる。……へいへい、わかってますよ。俺も命は惜しいしな。だが、それについては安心しろ。他の奴の女に手出しするほど、俺は無粋じゃないし、不自由もしちゃいない」
私の放った不穏な言葉と殺気に、カリヴァーンは苦笑を浮かべながら、そう答えた。
「狭い心で悪かったな。だが、それは彼女に関することだけだ。カルの女癖に関しては安心出来ないのは確かだろ」
じとっとカルを睨み付けるようにそう言う。何時だか会った時、不倫相手がどうとか言っていた筈だしな。やっぱり其処の処だけは、安心出来ないと改めて思った。
「じゃあ、俺はそろそろ行くとするぜ。…っと、忘れるところだった。途中ちょっとした寄り道をさせて貰うが、それくらいはいいよな? それを済ませてから、おまえの彼女のところに急いで向かうからさ?」
私の胡乱な眼差しから逃げるようにして出て行こうとしたカリヴァーンは、途中で何かを思い出したように此方を振り返ってそう言った。
「ああ、大丈夫だ。そのくらいは問題ない…筈だと思う。だが、出来る限り急いで欲しい」
私がそう言うと、カルはそれに応じるように手を振りながら「了解」と答えて踵を返し、話を終えるとカリヴァーンは、部屋の扉を開けてそこから飛び降りた。
そして直ぐに、竜の姿へ戻ると、私の頼みを叶える為に彼女のいる───レティシアの住むミルテ村の方角へと向けて飛び立ち、消えて行った。
「私が戻るまで、レティシアのことは頼んだぞ、カル」
彼女の安全を願い、私はカリヴァーンの姿を見送った。
───カリヴァーンが訪れてから1週間が経過した後、今度は長老達が再度私の前に姿を現した。
私の懸念は、先日カルに依頼したことで既に解除済みである。流石にもうこれだけの日数が経過していれば、カルがレティシアの下に到着しているのだから。
だから今度は何用なのだろうか、と思いながらも長老達の言葉を待つ。
「そろそろ反省して頂けたでしょうか、ブラン様?」
「私は『どんなに時間をかけようとも、私のこの想いが変わることはない』と確かに言った筈であるが、お年を召されて忘れてしまったのかな?」
皮肉たっぷりの表情と言葉で長老達を非難してみせる。
全く変わることがない私の様子に、長老達は優しく悲しげな表情を取り繕ってそんな私を宥めようとする。
だが、そんなわざわざ取り繕った表情を見破れない程、私も耄碌してはいない。まあ、話くらいは聞いて遣らないこともなくはないかと思い、どんな言葉が飛び出して来るのかと、聞く体制を整えてみせる。
「貴方様は騙されているのですよ。きっとその人間の娘は、貴方様の…強いて言えば、竜の身体の素材が目当てなのでしょう。騙されているとは知らず、貴方様はその人間の娘に恋をしてしまった。なんと哀れな事でしょうか」
その言葉に、私は思わず嗤いが込み上げて来て、声を出して高らかに笑ってしまっていた。
その懸念は有り得ない。なんせ彼女の初対面でのあの態度では、絶対そんなことは有り得る筈などないのだから。
ましてや素直で隠し事すら出来ない彼女が、そんな駆け引きなど出来る訳がない。
彼女を知らない長老達の言葉に、つい嘲笑が浮かぶ。
「それは有り得ないな。彼女に会ってさえみればわかる事ですよ」
長老達に彼女のことを自慢するように私はそう言い放った。
それからも長老達との意見は対立し、何処までも私達の意見が交わる事はなく平行線を辿ったまま話は終了した。
私の監禁生活はそのまま1ヵ月が過ぎようとしていた。




