第八幕 ~文字を学ぶ少女~
相沢美冬は今、自室で勉強をしていた。
テレーズを教師にして、この世界の文字
の勉強中である。美冬には、そういう魔法がかかっているので、
日常会話などで困ることはない。
だが、文字は違った。文字を読むことも、
書くことも、美冬にはできない。
美冬はカインを、カインの思いを受け入れた。
身分は、自動的に第五王子の花嫁、ということになる。
なので、いろいろと勉強することがあった。
「いいですか、ミフユさま。
〝私はミフユです〝は、〝シスネアスミフユレンカ〝ですわ」
「し、しす、しす、シスネ……?」
異世界の発音に苦心しながら、美冬は口を開いた。
初日なので、まだあまり上手くいかない。
テレーズはニコニコとしながら、本を閉じた。
美冬は申し訳なくなって落ち込む。
「少し、休憩しましょうか」
はい、と返事をした彼女は、チョコレート色
のシンプルなドレスのすそを握っていた。
テレーズが何か言おうとした、その時。
ドオオオオオン!!
轟音と共に、扉が吹っ飛んだ。
「フィレンカ様!! またですか!!」
眉をつりあげてテレーズが怒鳴る。
がーー。
「ご、ごめん……なさい……」
「カイン様!?」
そこにいたのは、なんとカインだった。
壊れかけていた扉の留め金を直そうとして、
間違って破壊の呪文を使ってしまったらしい。
「カイン!!」
美冬は彼に駆け寄った。失敗を見られたのが
気恥ずかしいのか、カインは頭をかいて
困ったような顔になっている。
「ごめんね、ミフユ。今直すから」
修復の魔術の光がその場を照らす。
すぐに、扉はもとの状態に戻っていた。
とーー。
「なげかわしい」
きつい目つきをした若い男が、
その場に現れた。
その魔術が、瞬間移動だと美冬が
知ったのは、かなり後のことだった。
「ライカ教官……」
訳が分からない美冬に、こっそりと
テレーズが、カインの魔術の教師だと
教えてくれた。剣術も教えているらしい。
「最近、失敗が多すぎるぞ」
「すみません……」
ギロリとライカと呼ばれた男は、
美冬に目をやった。
いつも、村人から向けられていた視線。
美冬は驚き、じりじりと後ろに下がった。
「この娘が来てからだな、この疫病神が!」
「やくびょう……がみ……」
〝何の役にも立たない美冬!! あんたなんか、
村の御厄介でしかないのよ!!〝
〝疫病神……〝
〝疫病神!! 死んじゃえ!!〝
美冬の頭に、拒絶され、愛されなかった
過去がよみがえった。村の子供たちのあざけりが、
鮮烈に頭に響く。まるで、経った今、言葉を
ぶつけられたかのように。
美冬はその場にへたり込み、頭で響く声
をかき消すかのように耳をふさいだ。
だが、実際に聞こえているわけではないので、
それをかき消すことはできない。
「無礼者っ!! ミフユさまになんということを!!」
「ライカ!! ミフユは関係ない!! 失敗したのは、
ボク個人の不徳だ!!」
テレーズは今にも殴りかからんばかりに怒鳴りつけ、
カインも刺すような視線を彼にぶつけた。
けれども、彼は冷たく笑うだけだった。
「だいたい、私は、異界の娘を召喚するなど、
最初から反対だった。こんなどこの馬の骨とも
わからぬ娘の、どこがいいというのですか?」
「ミフユはやさしい娘だ!! あんたなんかに、
侮辱されていい娘じゃない」
かつてない怒りが、カインの中で揺らめいていた。
許せない。ミフユを馬鹿にするなんて。
自分なら、何を言われても許せた。
だが、彼女に何かしたり、彼女を
馬鹿にするのは許せない。
絶対に、許さない!!
心の闇に、反応した紅き焔。
テレーズが悲鳴を上げなければ、
カインは新たにわき出した力で、
ライカを焼き尽くすところだった。
ライカは逃げ出し、テレーズも次の仕事
に行ったので、カインは美冬とふたりきりになった。
美冬はまだなげいていて、耳をふさいだまま
悲痛な小さな声を心中で呟いている。
(やめてやめてやめて……やめてっ!!)
震える小さな体を、カインはやさしく抱きしめた。
一瞬、彼女の体がこわばる。
でも、彼女は抵抗しなかった。
「ミフユ、ごめんね、つらい思いさせて。
でも、君を傷つけるものは、もういないよ」
泣かないで。悲しまないで。
自身も泣きそうになりながら、カインは美冬に語りかけた。
美冬が自ら手を伸ばし、カインの背中に手を回す。
「カイン……」
「ミフユ……」
「私、怖いの。拒絶されるのが、怖い……。
だって、私は、向こうの世界では、
拒絶ばかりされて来たの」
「誰だって怖いよ」
彼女の黒い目に浮かんだ涙をぬぐいながら、
カインはまっすぐに彼女を見つめる。
「ボクだって、拒絶され続けて来たら、
そう思うと思うよ。でも、誰が拒絶しても、
君には、ちゃんと受け入れている人がいるから。
ボクも、テレーズたちもミステルも、フィレンカ
たちもいるから!! だから大丈夫だよ」
カインは美冬の額にキスの雨を降らせた。
美冬は真っ赤になったが、そのままでいる。
もう、頭の中に声は鳴り響いてこなかったーー。
美冬が勉強をします。
美冬が、異世界から来た
というのに苦もなく会話
している訳が、ここで
明かされますよ。