恋するエッカーナ(第2章9ヶ月後)
婚約していればオルミス城に簡単に出入りできると聞いていたのに、忙しいのか、ヘイスは誰かに連れられてしか来ない。
そして、来たと思ったらすぐに帰ってしまう。何度か顔を合わせて、挨拶をするくらいのものだ。
(婚約者なのだから……来たなら会って帰ればいいのに)
手に入ったはずなのに、なぜだか今の方がずっと――。
「エッカーナ、なんだかまたおかしいわ」
シルキディア姉様が言う。
「わたくしはもう、ずっとおかしいんだ。姉様……」
窓辺で歌っていても、胸が苦しくなって声が途切れてしまう。
何をしていても、落ち着かない。
「それが、精霊の導きというものなのかしら……。羨ましいわ」
シルキディア姉様が、のんびりと言う。そういえば、姉様が誰かを好きだというような話も、その逆も、聞いたことがない。
「私は、誰が一番オルミスのためになるか。それを待っているだけだもの」
と、にこやかに笑う。
「でも、エッカーナはそれも満たしてる。その上、愛し合っている。なんて素敵なのかしら」
「愛し、合ってる……?」
「ああ。だからしばらく会えないのかもしれないわ。だって、あの子が今あなたに夢中になってしまったら困るもの。ね」
「ヘイスはわたくしに夢中になどならない。すべきことをする人間だ。オルミスの先々を思い、わたくしと結婚することを受け入れただけなのだから」
「そうかしら。だったら、私と結婚した方が良かったかもしれないわね」
「え?」
「私と彼、似ているわ。彼と王女が結婚することには大きな意味があるのだし……あなたのものじゃなければ、候補に入れていたのに。本当よ」
「ね、姉様……」
姉様は小首を傾げ、微笑んだ。
胸がざわめく。幼い頃から、わたくしがシルキディア姉様に敵ったことはない。
▪︎
この半年の間に、オルミスはアルソリオの町と協力し、白い山へ登る道を封鎖した。東の町と急ぎ建設した灯台が、海と岩牢を監視している。岩牢には、フレザック家――そう名乗り潜伏していたファルトーソーの内通者たちを捕らえている。
もうすぐ決行の時が来る。
ルペッサン兄弟が指揮する船隊が、囮として西の海岸線を上がる。ファルトーソー側も船を出してくるだろう。若手、精鋭との海戦となり、激しい戦いが予想されている。
その間にアルソリオの砦部隊が北の町に侵攻。北の町の内部をよく知っているヘイスが、ファルトーソー家の現当主アルヴェーロを討つ作戦だ。
「あら、オーネット様、ヘイス様。ごきげんよう」
城からの帰り際、第一王女シルキディアが現れ、胸に手を当てて挨拶をした。
「ごきげんよう、シルキディア様」
ヘイスも自分の胸に手を当て、慣れた挨拶をこなしてみせた。シルキディアにはよく会うので、はじめはぎこちなかった挨拶も板についてきた。
「二人とも、いつもすぐ帰ってしまわれるわね。お忙しいのかしら」
と、王女は言った。
(こんな時だというのに、のんびりした第一王女だな)
と、ヘイスは思った。
もうすぐ北の町へ行ってファルトーソーと戦わなければならない。そのことばかりで気が立っている――それを自覚して、呼吸を落ち着けた。
「ヘイスには、ゆっくりして行けと言っているのですがね」
オーネットがヘイスを見て笑う。
「それなら、そうしていってくださいな。私、お二人とお話をしたいことがあるんです」
▪︎
座ってため息をついていると、扉を叩く音がした。
「エッカーナ様」
世話係のロリーが、部屋に入って来た。
ヘイスが来たのかと、思ったわけではない。
「ヘイス様が……」
ロリーの言葉に、心臓が跳ねる。
「オーネット様とともに、シルキディア様に連れられて行きました」
「!」
思わず立ち上がってしまい、椅子がガタンと音を立てた。
「……なぜ、姉様が?」
「何か、お話ししたいことがあると……」
ざわざわと、嫌な予感がする。
窓から中庭を見下ろすと、談話に使う一角に、姉様の世話係であるイベリッテを入れた四人の姿があった。
気がついたときにはもう、走り出していた。
▪︎
「だ、だめだだめだ! わたくしは了承しないぞ、姉様、オーネット!」
息を切らせて走ってくるなりエッカーナは、話を遮ってそう捲し立てた。
王女らしからぬ振る舞いに、一同は唖然とした。
シルキディアだけが、おかしそうに笑い声を上げた。
「いいの? エッカーナ。愛する人に見せる久しぶりの姿が、そんなふうで」
見ればエッカーナは、怒っているような少し泣きそうな顔をしている。
「姉様が……! 姉様の方がヘイスに相応しいかもしれなくても、ヘイスはわたくしのものなんだ!」
まるで子どものような振る舞い。
ヘイスの眉間に皺を寄っている。
「シルキディア様。あなたはまた……」
オーネットが何かを察し、ため息をついた。
「残念だわ、ヘイス様はオルミスの象徴になりうる方だと思ったのだけれど」
「……何のお話ですか」
「私を選んでもよかったのよ、ヘイス様。王はあのとき、王女としか言わなかったのだから」
シルキディアが、にっこりとヘイスに微笑む。そこに穏やかでのんびりした王女の印象はなかった。
(なるほど……こういう人間か)
ヘイスの目つきが、久しぶりに悪くなる。
「……俺はもう答えましたよ」
「それなら、不安にさせてはだめよ」
シルキディアの目は、笑っていなかった。
▪︎
ヘイスがわたくしの部屋に通された。ロリーは「婚約者なのだから、毎日だっていらっしゃるのが当たり前です」と満足気に言った。
「……」
王女らしからぬ姿を見せた言い訳をするべきか。
話に割って入ったことを謝るべきか。
いや、それよりも――。
ヘイスは、窓から外を見つめている。
「ヘイス? 何かあるのか?」
さっきまでいた中庭が見えるだけだ。昔はここからその向こうの城下町まで見渡せたらしいが、ファルトーソーに襲われたりするせいで城壁が築かれてしまい、あまり見えない。
「いや、いい」
「……?」
ヘイスはまた髪が伸びて、最近は今日のように後ろ髪を紐で結んでいる。背はもうほとんど、わたくしと変わらないくらいだ。ロリーたちがたくさん食べさせていると言っていた。
「姉様と、何を話したんだ……?」
「……俺が見て、誰が最もオルミスを考え、誰が生きて功績を上げるか」
「え?」
「……ルアン・ルードミリスと答えた。一緒に北の町に入る。体格がいい。戦えるし頭がいい、人も使える」
エッカーナの体から、力が抜ける。
また、からかわれた。いや、きっとヘイスを迎えに行くように仕向けられたのだ。
「すまない、ヘイス……。わたくしは、シルキディア姉様におもちゃにされているんだ」
空いている椅子に座り、項垂れる。
しかし――姉様のおかげでこうしていられるのが、嬉しくて悔しい。
そっとうかがうと、ヘイスがこちらを向いてふてくされていた。
「オーネットたちが……」
「うん?」
「……無事に帰れるかわからないのだから、ゆっくり過ごして来いと」
「そうか」
オーネット殿に感謝をしつつ。
(ヘイス自身は会いに来る気がないのだな)
という寂しさも、感じる。
――無事に?
「無事に帰れるかわからない?」
「戦いに行くんだからな」
「ああ、そうか……」
オルミスへ戻ってからの平穏な日々は、わたくしの恐怖を和らげた。ヘイスとのこと、シルキディア姉様やロリーたちのおせっかい。
その一方で、アキリ……アケリオたちを悼む儀礼や、ヴァヘライザ姉様のこと――悲しみからは逃れられない。ヘイスは戦いの準備をしていて、ずっとそちら側にいるのだ。
「わからないなんてだめだ。無事に帰ると約束しろ」
心臓の音が、勝手に大きくなっていく。
「そのつもりだ」
疑うわけじゃないのに、信じられない。
だって、ヘイスは傷だって残っている。――砂浜の光景が、一瞬脳裏に浮かんだ。
心臓の音に合わせるように、胸の動きが大きくなっていく。
「だめ……だめだ……もし、あの時のように、怪我を……こ、……殺されたりしたら……」
視界が、揺れる。
叫び声――倒れている人。溢れ出る血。
痙攣する体、締められる、首――!
「エッカーナ。落ち着け……エッカーナ!」
ヘイスの慌てた声が、遠くに聞こえる。呼吸ができない。苦しくて、立っていられない。
「!」
ヘイスはわたくしの手を握り、もう一方の手で背中を支えた。
灰色の瞳が間近にあって、揺れていたわたくしの瞳が惹きつけられる。苦しさと震えが落ち着くまで、ヘイスの腕の中にいた。
「絶対に犠牲を出さない。今度は何も奪われずに勝つ……必ず」
瞳の中をずっと見ていると、内側にあるヘイスの何かと、通じ合えているような気がする。
手のひらと背中に感じる体温。
生きていることを確かめるように、誰にも奪わせまいとするように、わたくしはヘイスを抱き締めた。
満たされる気持ち。
――婚約者とはこういうことをするものなのだと、イベリッテが言っていた。
顔を近づけ唇を、触れさせる。
「ん」
ヘイスが身じろぐ。
「……待て、……だめだ」
ヘイスはわたくしから体を離し、片手で自分の視界を遮るようにした。
胸の高鳴りが、痛みに変わる。
「……すまない。了承もなく……」
「違う。……無事に帰れなくなるからだ」
――拒絶される言葉ではなく、ほっとする。
「さっき、絶対と言ったじゃないか」
「絶対じゃなくなる……」
「な……なぜ?」
「……願いが叶ってから、意志が鈍った気がする。ごちゃごちゃと、明確にできない思考が邪魔をして……」
ヘイスはわたくしから目を逸らし、そっぽを向いた。
「だから、終わるまで全部待て。ガルディオが言うような、婚約者がすることはまだしない」
「誰だ、ガルディオというのは」
「ドラギエルの三番目の兄だ」
わたくしは、大きなため息を吐いた。
それから、なぜだか涙が出てきた。たぶん、緊張しすぎたせいだろう。
「必ず勝つ。だから、不安になるな」
あっという間に落ち着いた様子で、ヘイスが言う。
わたくしはうなずいた後、顔を背けた。
「姉様が勝手に言っているだけだ」
「……生きていて一度も、俺はエッカーナ以外を願ったことはない。第一王女様も、他の誰も選ぶわけがない」
驚いて、ヘイスの顔を見る。ふてくされた顔をしている。
(もしかして、これは恥ずかしがっているのか……?)
そう思ってもう一度見ると、そのようにしか思えなくなった。
早く、戦いが終わればいい。
わたくしの曖昧な気持ちは、明確な一つの想いになった。
――大精霊、セレニア、ナランサ、ファムレに願う。
ヘイスを無事に帰さなければ、わたくしが許さない。
挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。




