34 船が去るまで
「どう? ファムレ様」
植物の蔓を細い枝に結ぶ。地面を掘り返して取ってきた虫を、蔓の先に付ける。完成したものを、ファムレに見せる。
『そうだ。それで海に』
虫だけを水につけるイメージが、頭の中に浮かぶ。
その通りに水につけるが早いか、魚が虫に食いついてくる。あまりの勢いに、枝から手を離してしまった。
「ああ!」
蔓は千切れ、虫は食われ、枝だけがぷかりと浮いた。
『籠も編んでおいたほうが良いようだ』
「せっかく作ったのになあ」
波に攫われそうな枝を拾い上げたが、結局海に投げる。
「海老はどうやって捕ればいい? あれはとてもうまかったよ」
カラットが言うと、膃肭臍は満足そうに頷く。
『海老は海に入って獲る』
「海に、俺が?」
『そうだ』
さっきの魚の食欲を見たら、自分の方が食われてしまいそうだ。あのたくさんの口に群がられ、骨になるまで食い散らかされるのを想像し、身を竦ませる。
『カラットは何かうまいものを知っているか』
ファムレは言った。
「うまいもの?」
『そう。うまいもの』
「ファムレ様の知らないものかあ。うちの野菜はうまいよ。マワリって言うんだけど」
カラットはロット農場の畑一面に実る、赤い実を思い浮かべる。瑞々しく張りのある、三角形の実――食べると甘くて酸っぱい。
『トマトか。変化しているな』
首を伸ばし、傾げる。
「トマト? みんなが欲しがる、よく売れる、回りが良いから、マワリって呼ぶんだ」
『マワリで良い。それは何としても手に入れたい』
潰したマワリで魚を煮込んだ料理や、貝や海老とマワリをふんだんに使った料理が思い浮かぶ。
それは見たこともない豪勢なもので、カラットはゴクリと唾を鳴らした。
「へー、すっごくうまそうだ!」
『うまいと記憶されている。儂も是非味わいたい』
膃肭臍も太い首を上下に振って、舌舐めずりをした。
「俺、一度帰ろうかな。それでファムレ様にマワリを持って帰ってくるよ」
カラットは、遠くの海を眩しそうに見た。
「ん?」
水平線の手前に、何かが見える。またイルカや魚が跳ねているのかと思ったが、ずっと海の上にいる。手を目の上にかざしてよくよく眺めると、その小さな影は、船の形をしていた。
「ファムレ様、船だ……!」
『いかにも、船だ』
「ヘイスとドラギエルに知らせてくる!」
そう言うなりカラットは、慣れた足つきで岩場を飛び跳ねていった。
▪︎
泡立つ深海の色をした瞳は、遥か遠くを見たまま呟く。
『禍い』
『大精霊ファムレよ』
光の球はふわふわと飛んできて、人の形をとった。
『大精霊ナランサのみならず、精霊王セレニアに苦言を呈されたくなくば、黙っておることだ。人間同士の争いは奴らの習性、決着を見届けよ』
タタディアは大きな口でにんまり笑った。
『呼び寄せたか。生気を返させたことを、根に持っているな。高慢の性質を持つ精霊よ』
ファムレは大きな口を開けて、欠伸をした。
『理解っているとも』
膃肭臍は首を海の方へ伸ばし、どぶんと海に飛び込んだ。
『勝者の願いを叶える』
『くく……』
と、微かにタタディアは笑った。
▪︎
ヘイスはナイフで蔓を切りながら進んでいく。その蔓を集めるのがドラギエルの仕事だ。大きなドラギエルが屈むのは楽ではないし、ヘイスが腕を伸ばして高い蔓を切るのも疲れが溜まる。しかし、ドラギエルはナイフを扱うことができない。
「おーい!」
カラットが呼ぶ声を聞いて、二人は顔を上げた。ドラギエルが立ち上がると、それに気づいたカラットが駆け寄ってくる。
「どうした」
「船だ、船がいる」
息を切らせて、カラットが言う。
ヘイスの顔色が変わったのを、ドラギエルは見た。
「来い」
低い声で、二人に言う。
カラットとドラギエルは、素直に従った。
ヘイスは歩きながら、大きめの葉を一枚取った。葉を細く巻いて、筒を作った。
入江が見えるところまで来ると、ヘイスの腕が行く手を塞ぎ、ドラギエルを止める。
「森から出るな」
ヘイスの手は、背を低くしろ、と言っているようだった。ドラギエルはできるだけ頭を下げる。ヘイスは頷き、葉の筒を片目につけた。
「だめだったか……」
「だめ?」
カラットが聞くと、ヘイスは短いため息を吐く。
「エッカーナ号だ。カラット、ドラギエル。二人で森の奥まで逃げるんだ。川を渡ってもいい、どこまで行ってもいい。落ちたり流されたりしないよう、コカトに願え」
「ちょ、ちょっと待ってよ。逃げるって、なんで?」
「ファルトーソーが、あの箱を取り返しに来たんだ。でなければ、来るわけがない。オルミスの連中だったら、オーネットを助けるのを優先するだろう」
「ど、どうする? 戦うのか?」
カラットの言葉にヘイスは笑った。
「悪いが、お前らオルミスの一般市民は、北の町の子ども相手でも勝てないな」
ヘイスの言うことは何かがおかしい。
ようやく、そう感じる理由に気がつき、ドラギエルは聞く。
「……ヘイスは?」
「……」
返事の代わりに、船を見つめる。
「魚がいるか、確認したい」
「……魚?」
「バカ、王女のことだよ」
カラットが、ドラギエルに教える。
「俺は自分一人で行動する作戦しか、知らない。二人がいると足手まといだ。一人なら上手くやれる」
「それは、そうだけど……」
カラットは、悔しそうな顔で俯いた。
ドラギエルだって、ヘイスの助けになれれば良かったと思っている。けれど、言われた通り役に立たない。それは痛いほどわかっている。
やがて、カラットが言った。
「合図は?」
無理に明るく、あっけらかんとした声を出す。
「俺たちが、森から出ても良い合図だよ」
「今、言っただろ。船が去るまで……」
「やっぱりバカだなあ、お前も。お前が上手くやって、ファルトーソーがいなくなって、俺たちが森から出ても良いっていう合図がいるじゃないか。まさか、あの船で、俺たちを置き去りにするつもりじゃないよな?」
カラットは声の震えを隠すように、ヘイスの背中を叩く。
「……わかった。その時は、俺が、もう出てきていいぞと叫ぶ。出てくるまで叫ぶ。だから、近くにいる必要はない」
「行こう」
と、カラットはドラギエルに言った。しかし、ドラギエルはまだ、ヘイスに聞きたいことがある。
「……ヘイスは、誰が……そうだと、思ってる? ……ファルトーソーだと」
「医者か料理長……甲板長。このうちの誰か」
甲板長、と言われたとき、ドラギエルの心臓が大きく跳ねた。
(やっぱり、ヘイスもそうだと思ってる……)
それを隠そうとして、平静を装う。
「一人?」
「もう一人くらいは、いるかもしれない。何人もいるなら出航してすぐ、船を制圧すればいい。副船長を殺す必要も、船長に毒を入れる必要もない」
(そうか、副船長を殺したのも……)
ドラギエルは落ち込んで、ふと副船長が行方不明になった夜のことを思い出した。
(そうだ! あのとき、甲板長は俺と一緒にいて……眠ったところを見た!)
ドラギエルの目の前が、明るく開けたような気がした。なぜグィオがあの歌を知っていたかはわからないが、きっと関係がないのだ。グィオの歌を聴いたのは、ドラギエルただ一人。
「……グィオ甲板長じゃない。」
自信を持って、ヘイスの灰色の瞳を見つめる。
「なにか知っているのか?」
ドラギエルは焦る。焦るのは止められないが、なんとか隠そうとしながら答える。
「グィオ甲板長は、副船長が落ちたとき、俺といた。甲板長が眠るのを見て、俺も眠くなった」
「……わかった」
ヘイスが納得してくれたので、ドラギエルは一安心した。この数日沈みきっていた心が、軽くなる。
カラットとドラギエルは、ヘイスと別れた。ドラギエルが何度か振り返ると、ヘイスは長い間こちらを見ていた。二人が川上に向かうのを、間違いなく見届けようとするかのように。
挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。




