32 波打ち際の膃肭臍
朝から降っていた雨が上がった。ここはオルミスと違って、雨がいつ降るのかが決まっていない。
「この黄色い実も、いい加減、飽きてきたなあ」
カラットが、わざとらしく大声を出す。しかし、ドラギエルから返事は聞こえない。黄色い実を持ったまま、ぼんやり地面を見つめている。
「ドラギエル、大丈夫か? 具合でも悪いのか」
カラットは、今度は真面目に心配して聞いた。
「え? ……あ、えっと……何でもない」
ドラギエルは慌てて、黄色い実の皮を剥かないまま口に入れ、まずそうに顔をしかめた。
ドラギエルは、昨日からずっとこんな調子だ。代わりに、ヘイスが答える。
「確かに、ずっと同じ食事じゃ味気ない。そろそろ違う食べ物も探すべきだな」
「なんだか、変だ」
カラットは、ヘイスの隣にきて言った。
「確かにな。でも元はあんな感じだった」
「それはそうだけどさ」
「なにか探してくるか」
ヘイスが腰を上げると、
「待て待て、ヘイスは行くなよ」
と、カラットが引き止めた。
「この黄色い実はたまたま食えたけど、トガの実みたいな毒だって、あるかもしれないだろ。お前はなあ、ヘイス。俺が試すとか言って口に入れそうで、怖いんだよ」
まるで、ヘイスのことを全てわかっているかのような口ぶりだ。
「そんなことはない」
「いやいや、あるね、お前は。生きようと努力はするくせにすぐ自分の命を捨てようとする、おかしなやつだから」
「……おかしいのは、お前だ」
と、ヘイスも食い下がる。
意識を失っている間に、カラットとドラギエルの心境は大きく変化したようだ。それが何故なのかは、ヘイスにはわからなかった。
カラットは言う。
「まあ聞いてくれよ。食い物の当てはあるんだ……知ってるか? この島には、俺たちよりもずっと先に人間が住んでいたんだ」
▪︎
雨の間、引っ切りなしに波を被っていた岩場は、窪みに小さな潮溜まりを作っている。溜まりの中にいる蟹や虫を見ながら歩いていると、岩に足を滑らせそうになる。
そうこうしながらも、目的の、膃肭臍の隣にたどり着く。
「やあ、あの……良い天気ですね」
泡立つ深海の色をした瞳が、揺らめきながらカラットの方を向く。
「助けてくれて、ありがとうございました」
『タタディアがしたことを戻した。気にするな』
ファムレは穏やかな口調で、そう言った。
『魚を食いたいか?』
頭の中を読まれるのは心地の悪いものだと、カラットは思った。ファムレは笑った。
『儂からすれば、思考を読めない者たちが共に暮らす方が謎だ』
「そうかな。話せばわかるし、……頭って、伝えない方がいいことばかり思いつくんだ」
カラットは薄く笑みを浮かべて言いながら、
(ドラギエルは、もう少し話した方がいいけど)
ふと、思った。するとファムレは『ふむ』と頷いて、首を洞窟の方向に伸ばす。
『あの大きい男は今、男のことを考えている』
と言った。
「男?」
『頼りにしていた男、懐かしむ、裏切られ……いや、信じている……言葉にする前に、感情が渦巻いている』
「ふうん……?」
もしかしたら、ドラギエルは故郷を思い出しているのかも。と、カラットは閃いた。お互いに家を出されてずいぶん経つ。色々なことが起きたけれどここでは落ち着く時間があるので、ふと郷愁に駆られるのもわかるような気がした。
「じゃあ、ヘイスは?」
他人の考えを読んでもらうなんて悪いことのように思えたが、興味が湧いてしまう。
『女』
「おん……!?」
意外な答えに、変な声が出る。
『船の女の身を案じている。彼の思考は明確』
(船の女といえば……エスラ夫人だよな? なんか、二人で話してたし。あんな顔して他人の妻に思いを馳せているなんて……まだまだ、あいつの底は知れないなあ)
カラットは感心する。
(もっとあいつらのことを知りたい。理解したい。これが、親しき友ってやつかなあ)
『お前の思考は澄み切っている。湧いて流れる水のように』
ファムレはいつの間にか、正面からカラットを見つめていた。
『腹が減ったら食事。喉が渇いたら水。海の中の声に近い』
「ああ、確かに……俺はこの数日、ごちゃごちゃしたことは何も考えてない気がする」
今までのこともこれからのことも、思い悩むようなことがない。気になるのは、天気だけだ。
『帰りたいと思うなら、波となりセレニアの島へ送ってやったのだが』
「うーん……」
カラットは、ぎこちなく笑う。
「帰るより、ここで三人で暮らしていたいな」
『そうか』
(でも……ドラギエルとヘイスが、帰りたいと思っていたら……。二人が帰ったら、俺はどうする?)
『子孫を残さなくて良いのか?』
「えっ?」
『海の中はそればかり考えている。食うこと食われること、子孫を残すこと。お前たちは三人とも男。子孫を残せない』
「あー、そういうことか。うん……まあ、いいや」
農場の後継者になれていたなら、帰らなければならないと思ったことだろう。今はまったく興味が湧かなかった。
「オーウェンって人は、一人で来たのか? 他にも人がいた?」
『一人だった。アルソリオに女と子を残してきた』
「へー……。ファムレ様は、なんでここに?」
ファムレは、今度は海の方に首を伸ばし、物憂げに瞼を閉じた。穏やかな波が、こちらに来るたびに、岩の隙間をざざざざと駆け上がってくる。そしてまた、海へ戻っていく。
(もしかしたら、海は生き物なのだろうか)
と、カラットは思った。
『セレニアは人を喰い、ナランサは馬を喰い、アンズィルは犬を喰い、カヴマイラが鳥を喰い――儂は、魚を喰ったのだ。
儂はすぐに別の魚に食われた。その魚をまた蛸が食い、蛸を鯨が飲み込んだ。儂は次から次へと混ざっていった。海の中で。儂は色を得て、食うのだ。生気ではなく、肉をな』
ファムレは海の中に首を突っ込み、魚を捕えて丸呑みにした。ファムレが海に潜っている間も、言葉は聞こえ続けている。
『魚はとても増えた。今や、有り余る』
上がってきて、カラットの足元に魚を三匹、吐き出した。
カラットの頭の中に、火の回りに枝に刺した魚が並んでいる光景が浮かんでくる。
『そうして焼いて食うがいい』
「でもまだ、生気がある。ファムレ様が生気を食べて、その後のをくれりゃいいのに」
『海は弱肉強食だ。生気ある物を得て食うことを儂は許す』
「あ……ありがとう、ファムレ様!」
『次は、釣りを教えてやろう』
カラットは跳ね回る魚を何とか掴み押さえつけ、服の裾に抱えて洞窟に戻った。
挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。




