26 洞窟
カラットの足の小指は、もう一つの親指のように赤く腫れ上がっている。海水を含んだ靴で擦れて膿んだ皮膚は、裂けて血でぐちゃぐちゃになっていた。
冷たいヘイスとは対照的に、カラットの身体はとても熱い。
(海水ではない水が必要だ)
森へ向かった。迷う時間はない。コカトの森で育った分厚い足の裏は、靴がなくても平気だった。
(……これは森じゃない)
ドラギエルは思った。
様子があまりにコカトと違う。耳障りな虫の羽音がする。やたらと虫が多い。薄暗い辺りを見回し、大きな葉を退けながら進んでいく。
「変なにおいだ」
鼻につく、腐った泥のにおいだった。ドラギエルは奥へ進もうとした。すると、細長い木の上についている葉が、バラバラと音を立てる。
葉を滑り落ちてきた冷たい何かが、ドラギエルの鼻先を掠めていった。
(雨だ!)
ドラギエルは踵を返し、大急ぎで入江に駆け戻った。
ひどい雨だった。舟で嵐にあった横殴りの雨よりも、もっと強く叩きつける水の壁のような雨だった。ヘイスとカラットは為す術もなく、皮膚を雨粒に窪まされている。
ドラギエルは呻くカラットを抱えて、岩場の洞窟に運んだ。どちらが重症なのかドラギエルにはわからなかったが、声がする方を先にした。すぐにヘイスを運びに戻ったが、あまりの軽さに、驚いた。中身がないみたいに、軽い。
(生かしてください、絶対に、絶対に二人を、死なせないでください……)
ヘイスを洞窟に寝かせると、もう一度、ドラギエルは雨の中へ戻っていった。波が高くなり、舟が動いている。もっと浜の方へあげておかなければ、と思ったが、カラットが取ってきた黄色い実と銀色の箱が目に留まる。
ドラギエルは舟にかけていた服を取り、箱に黄色い実を乗せて、岩場を上がっていった。箱を置いて浜辺を見ると、小舟は海へ流されてしまっていた。
箱と食べ物か、舟か。どっちが大事だっただろう。
(大変な失敗をしたのかも……)
罪の意識に苛まれながら、動かない二人のもとへ戻る。
ほのかに明るくなっていた。
タタディアが、洞窟の中にいた。
『こちらの男はもう駄目じゃろ。いただくぞ』
と、カラットの傍らに浮いている。
「駄目だ!」
ドラギエルは怒鳴った。
「まだ……まだ助かる!」
腕を振り回し、タタディアを払い除けるようにした。鼻息を荒くし、カラットの前に立ちふさがる。
また恐ろしい形相で睨まれるのではないかと思ったが、タタディアは意外にもあっさりと引き下がった。
『まったくバカな約束をしたものだ。妾としたことが……』
干しておいた服は、雨でまたびしょ濡れになっていた。
(乾いた布があればいいのに。それか、火だ。火……精霊の灯!)
『妾は助けぬぞ。お前如きの意思が貴き精霊の力を使えると思うな。遠きコカトに助けを乞うが良い』
タタディアは意地悪く笑う。
「そんな……」
しん、と静まり返る洞窟に、服から滴る雫の音が響く。
「水!」
ドラギエルは岩にかけた服を取りに行き、カラットの腫れた足の上でぎゅうっと絞った。
「ぐうううう!」
息も絶え絶えになっていたカラットが、うめいて暴れる。
(だめだった……? でも、どうしたら……そうだ、ヘイスにも……カラットにも水を飲まさなきゃ……)
ドラギエルは洞窟の外に出て、両手に雨を溜める。大きな手に少し溜まると、ポタポタと量を減らしながら運んでいって、ヘイスの口に流し込む。喉は動かず、流れ出てきた水がヘイスの顎を濡らす。
次はカラットにも同じようにした。カラットの方が奥にいるので、水がほんの少ししか残らなかった。
ドラギエルは靴を脱ぎ、雨の下に置いて水を溜めた。カラットの靴もヘイスの靴も、ドラギエルの服も外に置いておいた。
少し座り込んだ間に、ドラギエルは眠ってしまっていた。
カラットはうなされている。ヘイスは動かないままだ。
何とかしてやらなくては、と頭が痛くなるまで考えているのだが、何一つ思いつかない。ドラギエルは、見ていることしか出来なかった。
「食べられるうちはなんだって治るよ」
ドラギエルが病気になった時、ずっと小さい頃に母が言った言葉を思い出した。
「ドラギエルは体が弱いの?」
あの頃はワリーデも、心配してくれる優しい姉だった。何も出来ないドラギエルを、どこへ行くにも連れて歩いた。
「そうだね。体も小さいし……だから、ドラギエルにたくさん食べさせてやろうね。大きくなれるように」
(母さん、姉さん、兄さん、マルーセル、父さん……他の誰かならきっとなんとか出来るのに……)
落ち込みながら、ふと、思いつく。
(食べ物……)
カラットが取ってきた黄色い実を、手に取る。
黄色いのはトガの実だ。毒があり、食べてはいけない。形が違うけれど、よく似た色をしている。
(でも、物知りのカラットが取ってきたものだ。きっと食べられる……)
ドラギエルは実にかぶりついた。ぐにゃぐにゃしているのに固くて美味しくなかったが、中から出てきた白い部分だけは少し甘くて食べやすい。ドラギエルはぐにゃぐにゃしている黄色い周りの部分を取って、白いところをカラットの口に押し込んだ。カラットは眉間に皺を寄せて、苦しんだ。
(毒だった!?)
慌てて靴を取ってきて、今度は中に溜まった水を飲ませる。カラットは咳き込んで、白いところを吐き出した。
一安心した後、自分も食べたことを思い出す。しかし、身体は何ともなかった。もっと食べたいとさえ思う。腹が減って仕方なくなったら食べよう、と決めた。
雨が止み、辺りが暗くなり始める頃。カラットの熱は下がり、落ち着いた寝息が聞こえてくる。
ドラギエルはほっとして岩壁にもたれ、自分も瞼を閉じた。
挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。




