21 トガの実事件(前編)
「お前も来い。逃がさないからな」
アキリに言われ、ヘイスも船長室に向かった。
一瞬、視線を船尾に向ける。問題はなさそうだった。
扉は開け放たれていた。
床には食べ物が散乱している。
エッカーナは部屋の中に踏み込んでいく。横たわっているオーネットの口から、泡を吹いているのが見えた。そばには船医のライザスがついている。
ワイロフがバケツで水を運んできた。治療をするのに十分とは言えない量だ――真水も、もう底をつく。
机の上に広げられた海図は、オーネットの吐瀉物で汚れてしまっていた。
部屋の端には、真っ青な顔をしたカラットが震えながら立っている。その近くにある小棚の上には、オーネットに預けていたヘイスのナイフとベルトがあった。
(……)
オーネットの体が激しく痙攣し、のたうつ音がした。手や足に、ぶつぶつと赤い小さな斑点が出ている。
「オーネット殿!」
エッカーナが何度も呼ぶ声に、反応する様子はない。
「カラット、何があった?」
ヘイスはカラットの隣に立ち、小声で話しかけた。
「お……俺が扉を叩いたときには、まだ話し合いをしてた。たぶん、揉めてたんだ。……船長が俺を見て、一度、食事にしようと言って……みんな賛成して、甲板長たちが出て行こうとしたんだ。そうしたら、急に船長が……!」
「食事はどこから持ってきた?」
「……ナバルがいた。船長の食事を頼まれたって言ったら……良かったなって、言ってくれたんだ……」
料理長と甲板長の姿が見えないのは、調理場と、他の乗組員の確認に行っているのだろう。
ヘイスは入り口を見た。アキリとワイロフが道を塞ぐように立っている。
(……王女の関係者はあの二人)
彼らも、ヘイスと同じように神経を尖らせている。
(病気。食中毒。栄養失調……違う。そのどれでもない、これは……)
「毒の症状です」
船医のライザスが言った。
「他の乗組員で症状が出た者は?」
問いかけに、ワイロフが「いいえ」と答える。部屋にいる全員が、表情を引き締める。カラットにも、わかったらしい。
船長を殺そうとした者がいる。
「君たち、退きたまえ」
入り口の二人の後ろから、しわがれた声がする。部屋に入ってきたのは、料理長のコートナーだ。
「ライザス、どうだ。必要な物は」
「コートナー、毒です」
「毒?」
船医の言葉に、料理長の顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
「また、私の料理に何かを入れた奴がいるのか!」
部屋の外まで響く怒りの声。
コートナーは携帯灯をかざし、海図を汚した吐瀉物をじっくりと見つめ、食器がひっくり返って割れた床に這いつくばった。
散乱する食べ物の中から、何かの欠片を摘み出す。周りの色を指で落とし、小指の爪ほどの大きさの、黄色い表面をこすり出した。
匂いを嗅ぐ。
「ライザス、これを見ろ」
「トガの実……? なぜこんなものが!」
「もちろん、食材としてあり得ない。誰かが持ち込んだのだろう……コカト出身の者がいたな? 彼を、ここに呼びたまえ」
コートナーが、アキリたちに向かって言った。
(まずいな)
ヘイスは、ドラギエルが表に立たされるとは思っていなかった。すごく嫌な予感がする。
「トガの実って、コカトの森にしかないっていう……?」
カラットが、ヘイスにしか聞こえないくらいの小声で呟く。
「それと、すぐにエキの根を持って来て下さい。調理場から、急いで」
ライザスが言い、エッカーナが動いた。ワイロフがついていく。
「……違う」
ヘイスの呟きに、カラットは振り向く。しかし、ヘイスはそれっきり黙っていた。
ドラギエルがグィオ甲板長とともに部屋に入ってきた。
ヘイスとカラットを不思議そうに見つめ、吐瀉物の臭いに顔をしかめる。オーネットを見て愕然とし、後ずさる。
しかし、逃げ道は既に塞がれていた。
「君はコカトの出身か」
「は……はい……」
「オーネット君は誰かに毒を盛られたらしい。トガの実はコカトの森にしか生っていないものだ」
コートナーは静かに、ドラギエルに言った。
「は、はい……あの……そうだったと、お、思います」
「この毒を船内に持ち込んだのは君か?」
「え!?」
「私の料理に、このトガの実を混入したのは君かと聞いてるんだ!」
すっかり萎縮しているドラギエルに、コートナーは追い打ちをかける。
しかし、おろおろするドラギエルの肩を、グィオが庇うように叩いた。
「コートナー、すまないがこの青年の身の潔白は俺が保証します。彼はこんな大それたことは、とても出来ない性格です」
それよりも、と。グィオの赤い瞳は、カラットを睨む。
「船長に食事を運んできたのは、そっちの青年でしょう。あなたのところにいた……」
「彼はロット農場の出身だ。食べ物を扱ってきた者が料理に毒を入れるなんてことは、絶対にない」
「そんなのは、わからないでしょう」
二人が言い争いを始めたところに、エッカーナが戻ってきた。手には、橙色をしたエキの根を握っている。
エッカーナの手から、ライザスへ渡される。
(くそ、オルミス人は誰も知らないのか!)
ヘイスは躊躇したものの――
「これは、トガの毒の症状じゃない」
ついに決心して、声を上げた。
何者かの強い意志が、自分を捕えようとしている。そんな恐れを、抱きながら。
挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。




