20 嘘つきたちの夜
急遽、碇が下ろされた。
だが、これまでのような、どうにもならず漂うための停船ではない。廻り海をさまよう必要はないと判断されたのだ。
食糧を無駄にせず、全員の体力をできるだけ温存するためだった。
船長室では、オーネット、コートナー、グィオ、ライザスが、事態の打開策を話し合っていた。
精霊を探すことになるのか、生け贄を決めることになるのかは、未だわからない。会議に参加していない乗組員たちは時折そのことを会話に上らせては、話題を変えるのを繰り返している。
甲板に出たエッカーナは、ヘイスが歩いてくるのに気がついた。
「ちょうど良かった、お前に話がある」
すると、顔を伏せた金髪が、気まずそうにヘイスの後ろに隠れているのが見えた。
(見張り台に行きたかったが……)
しかし、見上げると、上には別の見張り役がいる。エッカーナは諦め、金髪に向かって言った。
「出てこい、カラット・ローレウス。……先日、わたくしは少々言い過ぎたように思う」
「……いえ、俺が悪いので……」
と、カラットは唇を噛みながら、おずおずと前に出た。すると突然、思いつめた顔を上げて、エッカーナの目をまっすぐに見つめた。
「カラット・ロットです、船長夫人。……ローレウスと名乗ったのは嘘で、俺はロット農場の長男です」
すみません、とカラットは頭を下げる。
「……最初から嘘をついていたわけか。何か、後ろめたい事情でもあったのか?」
(ヘイス・カフェトーは、一度も名前を偽ったことがないというのに)
カラットの話を聞いているはずなのに、視線はヘイスの方へ向いてしまう。
友人を見守るその表情は、いつもと同じ――穏やかで、優しかった。
「俺は“ダメな坊ちゃん”として有名なんです。船ではそう言われたくなくて、名前を偽りました。それだけのことです。本当に、ただの嘘つきです」
「……」
エッカーナは表情を変えることなく、謝る彼を見下ろしていた。
(偽名……わたくしと同じことをしただけではないか。自由の国オルミスは、農場の息子の嘘を責め、王女の偽りを許すのか?)
エッカーナは大きくため息を吐く。
王女として正しくあろうと、気を張りすぎていた。何が正しいかもまだ、正しくは知らないのにだ。
「わかった。わたくしにお前を裁く権限は無いが、わたくしは今のお前に偽りがないと信じよう。しかし、もっとよく考えてからものを話せよ。口は禍を呼ぶという言葉もあるのだからな」
「……はい、エスラ夫人。ありがとうございます」
あのとき暗く澱んでいた青い瞳が、潤んでいる。
カラットの気持ちが明るくなったのが見て取れた。
(……羨ましい)
胸の奥に、重いものが溜まっていく。
このままでは、自分も何もかも打ち明けて誠実さを証明したい気持ちを抑えられない。偽りの姿でオルミスの民であるカラットの前に立っているのが耐えられない。
「先ほど言ったように、わたくしはヘイスに用がある。仕事をお前に与えよう。もうすぐ食事の時間だ。カラット、お前が船長室にオーネット殿の食事を運べ。いまわたくしにしたように、逃げずにやり遂げて見せろ。アキリやナバルが文句を言ったら、わたくしの指示だと言えばいい」
「は……はい!」
カラットは吹っ切れた返事をして、調理場へ向かっていった。
「それで、俺への用は?」
ヘイスの声に、エッカーナの胸は高鳴った。
あの夜のあとから、ヘイスとまた話がしたいとずっと思っていた。見張り台は自分の部屋のように落ち着くし、ヘイスと二人きりなら王女でいなくてもいい。
ヘイスがエッカーナを王女として敬わないから、そうしてやろうと決めたのだ。
しかし、ヘイスは迷惑そうな顔で言った。
「他人の妻と二人でいるのは嫌に決まってる。若くて目立つ夫人ならなおさらだ」
「ああ、そうか……」
正体がばれていても、もう一つの嘘が残っていた。
ヘイスは、エスラだろうがエッカーナ王女だろうが、船長夫人だということは疑っていないのだ。
ヘイスにならそれも嘘だと明かしてもよいだろうが、今ヘイスが言ったことは、ヘイス以外の者たちにも知らしめなければ意味がない。
全員に、船長夫人と偽っていたのは王女だったと明かさなければならない。
それは恥なのか。
それとも、偽り続けることこそが恥なのか――。
(そうして全て明かしたところで……オルミスの王女エッカーナがヘイス・カフェトーと親しくすることは、許されるのか……?)
ヘイスの灰色の瞳が、なぜか今は恐ろしく感じる。
自分の考えを、何もかも見透かされてしまう気がして。
「……わかった、手短に済ませる。お前は、自分が生け贄になるなどと申し出ているらしいな。それはお前がカフェトーだから、そう言ったのか?」
「ああ」
あまりにも軽い返事に、エッカーナは憤った。
「お前は、オルミスの自由を試しているのではなかったのか? どう生まれついていようとやりたくないことはやらないと、わたくしに言ったじゃないか!」
「あのときは、何も起きていなかったからな」
「オーネット殿は、厳しいが誠実だ。乗組員を生け贄になどしない」
「こんな状況では誠実な人間の意見など通らない。船長が他の乗組員と対立してまで、俺に守る価値はない」
「違う! お前はオルミスに必要なんだ! カフェトー家は父様の同志で……お前が、最後の一人なのだから……」
「……?」
ヘイスは、眉間に皺を寄せた。
エッカーナは、あの、出発間際に受け取った書状に書かれていたことをヘイスに話した。
「出発前、アルソリオから報告があった。ファルトーソー家の襲撃で、カフェトー家が壊滅したと……」
「エッ……スラ様!」
突如、ヘイスを押しのけ、アキリが飛び出してきた。青ざめた顔で、エッカーナの全身を見る。
「身体に異常はっ?!」
「?? 大丈夫だ」
いつものアキリに、エッカーナは困惑した。船の中では身分は隠して、あの変わった喋り方をすると言っていたのに。
「オーネットさんが倒れた! 食事に毒が……」
「なんだって?」
エッカーナがヘイスの方を振り向いたのは、事態を共有したかったからで――決して、絶対に、疑いの目を向けたわけではなかった。
挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。




