19 エッカーナ号の三人
「カラット」
名前を呼ばれる。聞こえていたが、カラットは無視した。
「ずっと寝たふりも、つらいだろ」
「……」
ヘイスの言う通り、体は限界だった。目の奥が脈打って痛み、足腰が重い。水を飲んでいない口は乾き切っていて、いつものおしゃべりがスラスラと始まることはなかった。
(……良かった。こうしていればいいんだ)
カラットは腕の間に顔を埋める。
ヘイスは返事を待たず、近くのベッドに腰を下ろした。
「遭難の原因がわかった。俺たちは精霊に捕まっている。もう何人かの生け贄を出さないと、魔法は解けないらしい。お前を候補に挙げる奴がいる」
「……アキリだろ」
つい、返事をした。
「立てよ。日差しに当たらなきゃ人間も駄目になる。野菜と一緒だろ、ロット家の坊ちゃん」
「お前さあ」
カラットは布をどかし、起き上がった。
「港にいたときは、そんなことを言う奴じゃなかっただろ……」
しかし、体を起こすと、クラクラと目眩がした。ハンモックから落ちそうになり、もう一度体を横たえる。
「酷い顔だな」
ヘイスが鼻を鳴らして笑う。
「腫れぼったくなった目の下に、大きな青いくまが出来ている」
いくらカラットが嫌がってもしつこく連れ出そうとするヘイスに負けて、カラットは船員室を出た。階段を上がる足が痺れてくる。
(体を動かすのは、大事なことなんだな)
腹が減っているので、甲板まで上がるだけでもとても辛かった。
日差しを覚悟して上に出たが、外は日が沈もうとするところだった。すっかり、時間の感覚を失っている。風が、ボサボサになった髪を払いのけた。曇った空の切れ間の橙色の光が、まるで暖炉で燻る炭火のように熱を発している。
「知ってるか? この空は、魔法で作られた幻かもしれないんだ」
同じ空を見上げながら、ヘイスが言った。
「……何を言ってるんだ? ずっと遠くにまで続いているじゃないか」
「ずっと同じ景色が続く魔法らしい」
カラットはしばらくの間、海と空を見つめていた。農場にいては一生見られなかっただろう、美しい景色だ。たとえ幻であったとしても。
「魔法が解けたら、はじめに流された辺りに戻るだろう。少し離れていたとしても、きっとルワリ島まで一日もかからない」
珍しく、よく喋る。しかも楽しそうだ、とカラットは思った。初日にヘイスが船内をうろついていたのを思い出していた。
「……船が好きなんだな」
ふん、と言って終わりだろうと、カラットは考えていた。
しかし、
「俺が今まで教えられた中で、船に乗ることだけは楽しかった」
ヘイスが自分のことを話し出したので、カラットは目を丸くした。
(港町以外で、船を教わるなんてことがあるのか?)
その疑問を口に出す前に、ヘイスが言った。
「俺が生け贄になる。でも、お前もなるかもしれない。それはどうにかできそうにない」
「……その話、本当なのか。……俺はどうしようもない人間だけど、さすがに死ぬのは嫌だな」
なんとなくカラットは笑ったが、ヘイスは真剣な顔をしている。
「生き延びる方法はある」
と、小声で言った。
視線を船尾に向けて。
「あの、小舟さえあれば。どうせ落とされるんだったら、自分から降りた方がいい」
「はあ? 自分からなんて……」
「よう、ドラギエル」
突然、カラットの後ろに向かってヘイスは声をかけた。
でかい男が立っているのを見てカラットは、何て間の悪い奴だろうと思った。
「カラット……」
良かったとでも言いたげな顔に、なぜだか苛立つ。
「すごいな。グィオ甲板長だけじゃなく、あのナバルにも気に入られて」
と、つい嫌味っぽいことを言った。カラットと一緒に、口も元気を取り戻したようだ。
さっき、船員室でみんなが何かを話し合っているのが聞こえた。内容まではわからなかったが、ナバルとドラギエルが親しく話している声も。
カラットがこうなった原因は周りが酷いせいなのに、そいつらとドラギエルがうまくやっていたら、自分が惨めに思えてしまう。
カラットはふと、自覚した。
(俺は自分が、ドラギエルよりは上だと思っていたんだな)
ドラギエルを誘って港町に行って、知らないことを教えてやった。
なのに、この船に乗ってからは、ドラギエルの方がうまくやっている。
(……だから俺はいらついているんだ。人を見下すなんて、オルミスの恥さらし……最低な人間だ)
父親に言われた言葉を思い出し、涙が出そうになった。
「三人集まるのも、久しぶりだよな」
「あ……うん」
空はもうすぐ赤みが消え、闇に覆われようとしている。
(どこへ行っても、きっと同じだ)
カラットは大きく体を伸ばした。
「二人とも、心配してくれてありがとう。でも、もう自分にうんざりしたよ。こんな奴、死んだほうがいいのかもしれないな」
「え……」
ドラギエルが、慌てた様子でこちらを向く。
ヘイスはいつもの目つきの悪い顔で、ふんと鼻を鳴らした。
「良かったな、ドラギエル。いい仕事が見つかって! ……港に屋敷を建てるより、この船……ずっといい家だ」
カラットはドラギエルの背中を叩く。
「え?」
困惑するドラギエルに、ヘイスも言った。
「上手くやれよ。お前はな」
最後の閃光を発し、赤い光が消える。満天の星空が船の上に広がった。それは精霊王セレニアのいない、幻の星空だった。
挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。




