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セレニアの物語  作者: 和州さなか
第2章 オルミスの三人

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18 廻り海の魔法


『くくく……』


 うとうとするドラギエルの頭の中に、声がした。

 微睡(まどろ)みの中、海に細い板切れが浮かんでいる。落海の刑を受けた男が、しがみつくような体勢で(たお)れている。

 彼の上に、幼い姿の人間ならざる目をじいっと男の方に向けている少女が浮かんでいる。瞳がないのは、港で見た精霊像のようだった。


(……蛙にも似ている)


 水のような半透明の身体がぬめりのようにも見える。そう思ったとき、薄ぼんやりと赤い光を発しながら、ドラギエルに向かってきた。


『お前を食ってやる』


 恐ろしい言葉を伝えてくる。鋭い牙のある口が開く――。


『ちっ……コカトの奴め。気に食わぬ』


 白い光に戻り、ぷいとそっぽを向いた。

 

(やはり精霊なんだろうか。なぜ人の姿をしているんだろうか。海の王? あれは何をしているんだろうか)


『妾はタタディア。長年人の生気を吸い人に寄った純粋な精霊じゃ。混ざり者とは違う』


(タタディア?)


『人間共が自ら捨てた命なら、食っても良いという約束じゃ。そうじゃなあ、あと二つか三つ食ったら、帰してやっても良いぞ……くくく』


(帰れないのはこいつの所為だったのか!)


『船は廻り海の魔法の虜。曇り空の次は、延々と続く満天の星空などはどうじゃ?』




 目を覚ましたドラギエルは、がばっと体を起こす。


「あ……あ、あの」

 

 隅のハンモックでしっかりと布に包まっているのはカラットだと思い、声をかける。布がびくっと動いて起き上がり、浅黒い肌が隙間から覗く。


「……何?」


「あ……あ……あの」


 ナバルの目が赤く腫れていた。ドラギエルは、目をそらした。


「カ、カラットは……」


「あんた、あいつの友達か……。向こうだろ」


 と、反対側の隅を指す。ドラギエルに話しかけられて、怯えているようだった。

 

(可哀想に。悪いことをしたのはあの男だったのに……あの男が死んだことでも、苦しんでいる)

 

「ご、ごめん……」


「……いや。起きるきっかけになって良かった」


 ナバルは眉間にしわを寄せ、決心したように布を払い、ハンモックから降りた。反対側の奥、もう一つの布にくるまった影を見て言う。


「あたしはあいつとは違う。……せっかく船に乗れたんだから、仕事をしなきゃ……! あんた、ドラギエロ、だったっけ?」


 無理に明るい声を作っているのが、痛いほど伝わった。


(そうだ。せっかく話しているのだから、ナバルに話そう)

 

「あ、あの……」

 

 ドラギエルは、カラットに話そうとしたこと――夢で見た光景とタタディアのことを、なんとかナバルに伝えた。


「廻り海の魔法だって?」


 ナバルは目を丸くして、大きな声を上げた。


「あたしは本で読んだことがあるぜ。廻り廊下の魔法ってやつさ……進んでも進んでも、同じ場所をぐるぐる回るって!」


「じゃ、じゃあ、この船も」


「……確かにそうでもなきゃおかしいよな、こんなに何日も戻れないなんて」


「じゃ、じゃあ、せ……精霊を、捕まえないと……」


「早く、船長たちに言おうぜ! その精霊は、二人か三人食うまで帰さないっつったんだろ。また何かが起こる前に……!」


「今の話は本当かね?」


 二人は同時に息を呑み、振り返った。


 初老の男が、アキリを連れて立っていた。静かな眼差しで二人を見下ろしていた。


「コートナー料理長……!」


 ナバルは深く頭を下げた。


「すみません、仕事を休んで! すぐに向かいます!」


「いいんだ、ナバル。心配で様子を見にきたが、その意気があって良かった。それよりも……」


「つまり生け贄を出せば、この謎の海域を抜け出せるってことだなァ」


「な……っ、何を考えてんだ、あんた!」


 へらへらと笑いながら言うアキリに、ナバルが食って掛かった。


「しかし、精霊を探したところでどうなるというんだ。我々には精霊を捕らえる手立てなどないじゃないか」


 コートナーは穏やかに諭すように、若い三人に言った。


「そうですね……」


「三人の犠牲で他全員が助かるのなら、安い取引だ」


「料理長までそんなこと!」


「今日で食料が底をつく。このままでは全員が死ぬ」


 コートナーは白い眉の下で目を細める。


「そういうことさァ。問題は、誰を選ぶかだなァ」


 ナバルが睨み付けるのも知らん顔で、アキリは飄々と言った。


「私で一人。後は年の順がよいだろうな」


「ちょっと待ってください料理長。必要な人材が抜けていってどうするってもんですよ。いるじゃァないですか、この船には追い出してもいい役立たずが」


「役立たず?」


「仕事をしていない奴。船を降りると決まってる奴。カラット・ローレウスとナバル・パームシュカ、お前たちのことさァ」


 アキリは声の調子は軽かったが、顔は大真面目だった。


「あんた、一緒に働いた仲間を……!」


「勝手にいなくなって、俺は一人で大変な思いをしてる。名前を知らない奴なら死んでいいって方が不公平だァ」


「それなら三人目は、エスラ夫人で良いんだな?」


 そう言って船員室に入ってきたのは、ヘイスだった。いつから聞いていたのか、彼がいたことにドラギエルはまったく気づいていなかった。


「今、この船で仕事をしていないのはカラットとそこの女と、船長夫人。違ったか?」


「あァ……確かに、そうかもなァ」


 途端に、アキリの歯切れが悪くなる。

 ふん、とヘイスはため息をつく。


「都合が悪いなら撤回しろ。俺を生け贄にすればいい……副船長、罪人、俺で三人目。贅沢を言うなと精霊に言ってやれ」


「若者がそんなこと言うもんじゃない。順番だよ、こういうものは」


 コートナーが割って入る。

 しかしヘイスは振り返り、灰色の瞳でコートナーを真っ直ぐ見返した。

 

「じいさん、俺はカフェトー家の者だ」


 カフェトー、という名前を聞いたとき、コートナーの顔つきが変わったのをドラギエルは見た。


「気が変わったようだな」


 その時、上から階段を降りてくる足音がした。


「何を騒いでいるんだ?」


 グィオ甲板長が入ってきて、いよいよ船員室の入り口は狭くなった。アキリが話を説明すると、グィオは話を聞いて大変驚いていた。


「じゃあ、あと三人も精霊に食われなければ、この船は漂流したままだっていうのか!」


 グィオは憔悴し、首を振る。


「それで誰を生け贄にするかって? なんてバカげた話し合いだ……オーネット船長の耳に入ったら全員説教だろうな。みんな、持ち場に戻るんだ。コートナー、あなたまで一緒になって……」


 グィオの呆れるため息で、船員室の空気が変わった。


(……みんな、正気に戻ったみたいだ)


 ドラギエルの緊張も、解けていた。

 グィオとコートナーは話し合いながら、他の乗組員たちは大人しく仕事に戻っていく。ナバルはアキリとともに調理場へ向かう。


(……アキリは、嫌な奴だ。少しマルーセルに似ているし。ナバルは、アキリと一緒にいて大丈夫なんだろうか……)


 二人の背中を見送っていると、アキリとナバルが話しているのが聞こえた。


「あんた、船長夫人とどういう関係なんだ?」


「船長夫人? 何も、あるわけない。姐御は変なことを聞くなァ」


 アキリはわざとらしいくらいとぼけた返事をする。


「ふうん。あんたを黙らせるいい方法を知れたな」


「勘弁してくれよ、姐御は酷い人だァ……」


 ドラギエルは甲板に向かった。

 ナバルは強い人だ。ドラギエルの心配など、必要としていないのだ。

 



挿絵(By みてみん)


挿絵はAI生成で出来るだけイメージに近づけたものです。

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